我が家は真言宗智山派です。又私の実家は浄土真宗大谷派です。私達夫婦は共に仏教信者です。ですから寺院や仏像を拝みに良く出かけます。
各寺院に行きますと、時折とても心をとらえる言葉が紙に書いて張ってあったりして、そういう言葉に出会うとメモして来てノートに写し、時折読んで心の糧にしています。 高野山の金剛峯寺の金堂では「小雨が大地をうるほすように ほんの少しの悲しみは 人の心をやさしくする 心配せんでもよい 必ずよいようになる」という言葉に出会いました。
ほんの少しの悲しみ、それが人の心をやさしくするなんて、なんと素晴らしい言葉でしょう。確かに悲しみを知った時、心は優しさに向かうかも知れない、と思い、次に「必ず良いようになる」という言葉に出会って、どれ程励まされ慰められたか分かりません。それ以後この言葉を折りに触れて心の中で繰り返しています。苦しい事に出会う度に「心配せんでもよい必ず良いようになる」と。
東本願寺は京都ですから、四国遍路の帰りや仏像巡りや、汽車時間の待ち合わせに良くお参りに行きます。私の父母も兄も弟も代々の先祖も京都の此処に眠っていますので、お参りに行く度に故郷へ帰ったような懐かしさを覚えます。
以前行った時に、大通りに添った歩道の脇に
あなたはあなたに成ればいい あなたはあなたであればいい
汝成汝即可 汝是汝即可 釈尊
と書いて貼ってありました。煩悩にまみれて、どうしようもない自分だと思っている私が、そのままでいいといわれると、何とも言えず心から安堵するのです。素直に自分のあるがままでも赦して頂けるのか、こんな私でもそのまま認めてくださるのかと思うと、心が大きく広がっていくのを感じます。
08年5月15日に行った時に、東本願寺の掲示板に掲げられていた多くの言葉の中から特に私の好きなものを少し抜粋させて頂きます。
煩悩をやめることはできぬけど、煩悩を知ることは出来る 仲野良俊
時にしくじりながら一日一日の味ふかくなる 榎本栄一
道は近きにあり迷える人はそれを遠きに求む 清沢満之
悩むということは自覚である、悩まされるということは無自覚である 曽我量深
生まれた意義と生きる喜びを見つけよう 東本願寺
こうした言葉の数々が、きっと多くの人の深い悲しみに沈む心を慰め、生きていく道しるべを示してくださったに違いありませくん。
自分の心の有り様を省みて、なるべく穏やかにこれから先の人生を過ごして行きたいものだと思うのです。
話は少し逸れますが、大谷祖廟に親鸞の墓があります。私の実家の古い祖先が自分の家の墓に親鸞の墓石に似た石を、沢山の谷を巡り何ヶ月もかけて探して墓を作らせたと聞いていましたので、お参りの序でに確かめましたら、何と本当にそっくりだったのです。子供の頃他所のお墓はきちんとした墓石がのっているのに、どうして我が家だけ自然石なのかと思っていたものですが、言い伝えが事実であった事に夫と二人で驚いたことでした。
各寺院に行きますと、時折とても心をとらえる言葉が紙に書いて張ってあったりして、そういう言葉に出会うとメモして来てノートに写し、時折読んで心の糧にしています。 高野山の金剛峯寺の金堂では「小雨が大地をうるほすように ほんの少しの悲しみは 人の心をやさしくする 心配せんでもよい 必ずよいようになる」という言葉に出会いました。
ほんの少しの悲しみ、それが人の心をやさしくするなんて、なんと素晴らしい言葉でしょう。確かに悲しみを知った時、心は優しさに向かうかも知れない、と思い、次に「必ず良いようになる」という言葉に出会って、どれ程励まされ慰められたか分かりません。それ以後この言葉を折りに触れて心の中で繰り返しています。苦しい事に出会う度に「心配せんでもよい必ず良いようになる」と。
東本願寺は京都ですから、四国遍路の帰りや仏像巡りや、汽車時間の待ち合わせに良くお参りに行きます。私の父母も兄も弟も代々の先祖も京都の此処に眠っていますので、お参りに行く度に故郷へ帰ったような懐かしさを覚えます。
以前行った時に、大通りに添った歩道の脇に
あなたはあなたに成ればいい あなたはあなたであればいい
汝成汝即可 汝是汝即可 釈尊
と書いて貼ってありました。煩悩にまみれて、どうしようもない自分だと思っている私が、そのままでいいといわれると、何とも言えず心から安堵するのです。素直に自分のあるがままでも赦して頂けるのか、こんな私でもそのまま認めてくださるのかと思うと、心が大きく広がっていくのを感じます。
08年5月15日に行った時に、東本願寺の掲示板に掲げられていた多くの言葉の中から特に私の好きなものを少し抜粋させて頂きます。
煩悩をやめることはできぬけど、煩悩を知ることは出来る 仲野良俊
時にしくじりながら一日一日の味ふかくなる 榎本栄一
道は近きにあり迷える人はそれを遠きに求む 清沢満之
悩むということは自覚である、悩まされるということは無自覚である 曽我量深
生まれた意義と生きる喜びを見つけよう 東本願寺
こうした言葉の数々が、きっと多くの人の深い悲しみに沈む心を慰め、生きていく道しるべを示してくださったに違いありませくん。
自分の心の有り様を省みて、なるべく穏やかにこれから先の人生を過ごして行きたいものだと思うのです。
話は少し逸れますが、大谷祖廟に親鸞の墓があります。私の実家の古い祖先が自分の家の墓に親鸞の墓石に似た石を、沢山の谷を巡り何ヶ月もかけて探して墓を作らせたと聞いていましたので、お参りの序でに確かめましたら、何と本当にそっくりだったのです。子供の頃他所のお墓はきちんとした墓石がのっているのに、どうして我が家だけ自然石なのかと思っていたものですが、言い伝えが事実であった事に夫と二人で驚いたことでした。