ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

雨の鳥取砂丘

2009年04月14日 | 随筆・短歌
 何年か前私達夫婦は、鳥取砂丘へ行った事があります。夫がまだ独身で新卒だった頃、とても可愛がって下さった上司の男性が、鳥取砂丘である女性と心中してしまったのです。 夫はその上司から、将来の夫婦の楽しそうな夢などを聞いていたので、心中と聞いて、本当に驚いたといいます。相手の女性が、とても複雑な立場に悩んでおられたそうですが、彼がとても優しい人だったので、その優しさの余りに女性の相談を引き受けている内に、その心情に引きずられる結果になったのではないか、と夫はいっています。
 夫はその上司にまるで親のように良く面倒を見て頂いたそうで、その親切は生涯忘れられないといって、その時の驚きと悲しみを繰り返し私に話していました。夫は事件の直前に転勤になって、以来何時か終焉の地に立って彼の死を悼み、お参りしたいと思っていたそうですが、現職の間は中々その機会に恵まれなかったのです。
 退職して時間があるようになったので、夫と共にお参りさせて頂くのも何かのご縁かと思い、私も一緒に出かける事にしたのです。
 車で出かけたのですが、私は運転が出来ないので、遠い所を一人の運転で大変だったと思いますが、無事にたどり着くことが出来ました。その日は生憎雨が降っていて、長靴を借りて砂丘を登ったのですが、茶色の砂丘は考えていたよりずっと大規模で、夫の足跡をそのまま辿らないと、中々登るのも困難でした。
 滑り滑り上り詰めると、日本海が見えましたが、砂丘の頂上は雨風で、日本海から吹き上げる風の強さによろける程でした。眼下は割合急な斜面で、砂丘の内側に比べるととても荒々しい感じでした。
 夫は「きっと日本海に沈む夕日を眺めながら、こちらの斜面で亡くなられたに違いない」と云って、暫く海に向かって合掌していました。私も心からお礼をお伝えし、現在が有るのもその方のご親切に依るものと感謝しました。
 少し小降りになった雨の中を戻って来ましたが、砂丘の内側に来ると風も無くなって穏やかな雨に変わっていました。しかし、砂丘の広い斜面の遥か遠くに、私達が登り始めた頃からずっと一人で腰を降ろしている20代位に見える女性がいて、とても気がかりでした。頂上より少し下がった所で、其処は烈しい雨は当たらない場所でしたが、砂丘の底を見つめるように、じっと動かず、もう何時間もそうしているのではないかと思えました。
 人間ですから、誰にもいろいろと悩みは有ると思いますが、死に至る悩みを持つという事はとても辛い事だと思って、私達はその女性がとても気がかりだったのですが、簡単に行ける程の近さでもなく、又事情も解らずに言葉を掛ける事もためらわれたので、気にしながら帰って来たのでした。
 以来10年近くの時間が経ちましたが、今でも私達の話題に上ります。あの優しい上司の魂が、きっと彼女を励ましてくれた筈だと信じています。
 日本にもあのような見事な砂丘がある事を、初めて知りました。夏は砂が焼けてとても歩けないほどの暑さになるというのに、何故か雨が多くなると、砂丘の底の辺りに蛙が棲息するそうで、生命の弱さがある一方で、強さもある事に思いを馳せて、やっと念願が果たせた喜びを感じて帰ったのでした。

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