ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

兄の無念

2009年04月08日 | 随筆・短歌
 私には60歳で亡くなった兄がいます。生涯を原子力発電関係の仕事で過ごしました。
学生時代は実家へ帰って来る度に「こんな田舎には住めないし、将来は帰って来ない」と云って父母を悲しませていました。ところが50歳を過ぎる頃から故郷が恋しくなって「退職後は故郷で晴耕雨読の生活を楽しみたい」としきりに云う様になりました。
 今は大勢の兄弟はみな独立して、誰一人実家に残らず、誰も住んでいない大きな廃家と荒れてしまった広い庭と池、それに付随した畑が、屋敷の回りに残っています。
 兄は長男として生まれたせいか、いささか我が儘で、それでいて悪げのない憎めない人でした。
 60歳近くなって、自分の足などに現れた紫の斑点を不思議に思って病院で検査をして貰った処、急性骨髄性白血病と解ったのでした。学生の頃の研究の際に、可成りずさんな放射性物質の取り扱いもしたらしく、そんな事が遠因だったのかも知れません。
 二人の男の子に恵まれて、成長を楽しみにしていました。夢の多い人で、何時も楽しそうに将来の夢や、実現不可能の様な大きな夢まで話して呉れました。そんな兄を私は、まるで夢を食べて生きているような人だ、と思ったものです。
 病の床に着いてから、何度か見舞いに行きましたが、始めは自分の命が残り少ない事を知らず、相変わらず将来の夢を語っていました。やがて病の重さが解ると、母がまだ元気なのに先立たなければならない事が、とてもやりきれない様子でした。最後には自分が死んだ後の事を頼んでいましたが、私には頷くだけの事しか出来ませんでした。 
 兄の葬儀の折に、義姉が5~6枚の紙を集まった私達に見せました。それにはまるでミミズが這ったような読めない文字がビッシリ書かれていて、胸を締め付けられる思いをしました。兄が残していく妻と子の為に、書き残そうと思ったのでしょう。全く読めない細かな文字の羅列を、並み居る兄弟姉妹達は食い入るように眺め、一層涙を誘うのでした。さぞかし無念だった事と思っています。
 死は誰にも訪れる事ですし、それが何時か知らずに過ごしている私達ですが、還暦を病床で迎えて先立った兄を思うと、今でも辛くなります。還暦だ、古稀だと云って家族中で泊まりがけで祝ったり、子供からプレゼントを貰ったりした私達夫婦の幸せを思うと、本当に気の毒な思いがして、兄の無念の死を悼まずにいられません。

 年老いて田舎に住むを楽しみの兄は逝きけり廃家残して
 白血病と知らずに退院後を語る兄の空しき夢を聞きゐる
 吾にまだ時間ありやと問ひかくる兄の手握りひたすら頷く
 老い母に先立つ不幸を言ひながら涙する兄の悔しさに泣く
           (何れも実名で某誌に掲載)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする