ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

知床のカモメと不気味な峠道

2009年04月23日 | 随筆・短歌
 随分前になりますが、夫の運転で北海道12日間の旅をした事があります。夫一人の運転で北海道を西から東まで、よくまあ元気があったと今にして思っています。その時東はオホーツク沿岸の知床まで行きました。小清水原生花園のクロユリを見たりしながら、知床へ行ったのですが、途中6月でしたのに、クマゼミのような大音響の蝉時雨に驚いたり、北の海というと荒々しいイメージですが、とても静かで波も全く無く、まるで湖のようでした。あんな鏡のような海は初めてです。北の海では珍しくない事なのでしょうか。
 知床では、ウトロから遊覧船に乗りました。岬の先端まで切り立った崖に点々とある様々な滝や自然の洞窟を楽しみながらの快適な船旅でした。人間に慣れているカモメが船の回りを飛び交い、チイチイと餌をねだります。エビせんべいをさしだすと、私の手をかすめてくわえて行くのが楽しくて、一袋を二人ですっかり与えて無くなってしまいました。
 この知床の船に乗るのは二回目でした。娘が大学生の頃に、娘の夏休みを利用して、私と二人で北海道3泊4日のツアーに行った事がありました。娘と二人きりの旅としては、これが初めてでした。お天気もよく、想い出深い楽しい旅でした。その時に矢張りこの船に乗るのが、コースに組込まれていて、カモメの餌やりも楽しんだのでした。
 その後娘が亡くなって、傷心の私は何かと当時を想い出して辛い思いもしました。
    海鳴りは娘の呼ぶ声か知床の旅にしありて悲しみ底ごもる (実名で某誌に掲載)
 船旅を終えて、車で知床五湖へ行き、三湖までを徒歩で、熊よけの鈴を付けて往復しました。再度車でキタキツネに出会ったりしながら峠まで登って下車し、展望台から国後・択捉といった北方領土を望み、間近に今はロシア領土になっている島々を眺めて、戦後60年も経っているのに、還ってこないとは一体どういうことなのか、と理不尽な現実に胸の痛む思いをしました。
 そこから羅臼のホテルまでは、長い下り坂でした。ところが間もなく車がゴロゴロと音を立て始めたのです。長い間お世話になって、もう何時故障しても可笑しくないオンボロ車でしたし、何処か傷んでいるようで不安になりましたが、対向車は一台も来ず、民家も給油所もありません。地図によると結構長い距離を走らなければならず、助けを求める事も出来ないまま孤立している事に気が付きました。
 幾つカーブを曲がっても、下りに下っても音は絶えず聞こえ、心臓がバクバクしてきました。無事に連絡出来る所に出られたら・・・と祈るばかりでした。ついに一台の車にも出会わず、やっとホテルの駐車場の所に来て曲がりましたら、途端にあのいやな音が消えたのです。なあんだ、安全運転に注意という道路の仕組みだったのかと気がついたのですが、あんなに不安な思いをした事も、初めてでした。無知だった事も、今は懐かしい想い出です。 北海道の旅を終えてから、私達は長い間私達の足になって健闘してくれた車を手放しました。愛車といいますが、あれほど良く働いてくれた忠実な車はなく、写真に納めて別れを惜しみました。 また、あの恐怖以来、それまで持っていなかったケータイを買って、車で外出したり、旅に出る時は必ず持って行く事にしています。

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