孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

大河メコン   進む「メコン川流域開発計画」

2008-03-31 16:44:20 | 世相
個人的に旅心をいたく刺激されるキーワードがふたつあります。
ひとつは“シルクロード”。
この言葉を耳にすると胸がざわつき、旅にでるのをせきたてられるような気持ちになります。
もうひとつが“メコン”。
こちらは、のんびり、まったりとした気分になります。
メコンデルタの豊饒を物語るベトナム・カントーのマーケット、ラオスの古都ルアンパバンのプーシーの丘から眺めるメコンに沈む夕陽、メコンに繋がるカンボジア・トンレサップ湖の茫洋たるひろがり・・・などの記憶も蘇ります。

昨日の夕方のTVでなにやらメコン川開発関連のことを取り上げていました。
所用がありチラチラとしか観ていませんが、恐らくラオスの首都ビエンチャンで30日から開催される広域開発プロジェクト「メコン川流域開発計画」の第3回首脳会議絡みのものではないでしょうか。

メコン川はチベット高原に源流を発し、中国雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境線、タイ・ラオス国境線、カンボジアを通じて、ベトナムに抜けるおよそ4000kmに及ぶ堂々たる国際河川です。
「メコン川流域開発計画(GMSプログラム)」はそのメコン流域に位置するタイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー、中国の6か国が関与するプロジェクトで、アジア開発銀行(ADB)が資金的にリードしています。

日本はADBの最大出資国で、歴代総裁を出していますので関連も浅くありませんが、それ以上に、このメコン流域の開発は日本経済にとっての市場拡大、また、開発を通じてのこれらの国々と日本との関係強化・改善という意味で重要な意味があります。

メコン川自体の物流への利用拡大については以前から考えられてきましたが、ラオス国内にある“コーンの滝”周辺の急流がネックとなっており、かつてインドシナ殖民地支配を行ったフランスもメコン川を利用した中国との交易をあきらめた経緯があります。
また【ウィキペディア】によれば、近年では、乾季に水量が著しく減少して運航が困難になることから、川の堆積土砂を除去する計画が周辺国で協議されたようですが、すぐにまた堆積してしまうということで頓挫したそうです。

「メコン川流域開発計画(GMSプログラム)」は、2005年段階で、交通、エネルギー、通信、環境、人的資源の開発、投資、貿易、観光、農業などの分野で119の協力プロジェクトがスタートした総合開発計画ですが、なかでも基幹となるのが、幹線道路の整備です。

現在進められている主な道路プロジェクトには、ベトナム中部・ダナンからラオス・タイを横断してミャンマー・モーラメインに至る“東西回廊”、中国・昆明から南下しラオスを通過してタイ・バンコクに至る“南北回廊”(昆明からベトナム北部・ハノイにまで連結します。)、バンコクからカンボジア・プノンペンを経由してベトナム南部・ホーチミンに至る“第二東西回廊”(南部回廊)があります。

陸続きの中国が経済力をバックに南北回廊を整備しながら、各国との結び付きを強めているのに対抗して、日本政府は今年1月16日に東京で開かれた初の日・メコン外相会議で、東西回廊、第二東西回廊整備に2000万ドル(約23億円)の無償資金協力を表明、対東南アジア外交の再構築を図っています。

道路による物流をこれまで妨げてきたのが大河メコン川。
06年末にタイ・ムクダハンとラオス・サバナケットを結ぶ“第2メコン国際橋”が竣工し、東西回廊(全長1450km)はほぼ完成しました。
中国は南北回廊のタイ北部とラオスを結ぶ“第3メコン国際橋”建設で両国と合意、09年に着工予定です。
なお、“第1メコン国際橋”(通称“タイ・ラオス友好橋”)はタイ・ノンカイとラオス・ビエンチャンを結び94年完成しています。

大河にかかる橋の物流に及ぼす影響は絶大なものがあります。
メコンからは離れますが、バングラデシュ旅行の際、ジョムナ川にかかるジョムナ橋を利用しました。
この橋は全長4.8キロ、日本の円借款約213億円の拠出も得て、1998年6月に開通。
自動車、鉄道だけでなくガスや電気も送ることができ、従来フェリーに頼っていた首都ダッカと北東部地域をダイレクトに結ぶ重要な役割を果たす橋です。
地元では“夢の橋”とも呼ばれ、日本の資金協力は高く評価されています。

メコンに戻ると、こうした道路整備によって、例えばこれまで2週間かかっていたバンコクからハノイ間が3日間に短縮されるとか。
しかし、まだ通関手続きの問題や、国境越えの際に車を換えて荷物も積み替えないといけない(?)といった問題もあるとか。

ところで、南進する中国に東西横断で対抗する日本・・・なにやらかつてのインドシナにおける英仏の競合、あるいはアフリカにおけるイギリスの縦断政策とフランスの横断政策、スーダンでのファショダ事件などを連想させます。
道路の場合出来上がり連結すれば自由に行き来できますので、物資の流れについて言えば、東西回廊を含めた幹線網を使って地続きの“世界の工場”中国からの労働集約的な安価な製品がこれらメコン流域国に溢れることになるかと思われます。
すでに、今現在ミャンマーでもラオスでも中国製品が溢れていますが。

道路インフラ整備は投資環境も変えます。
タイには約1300社の日系企業が進出しています。
タイと東西回廊で結ばれるカンボジアやラオスは労働賃金がタイの5分の1の水準で、物流網の整備が進めば両国への第2工場建設などで、日系企業にも大きなメリットがあると言われています。

そのことは受け入れるラオスなどの経済発展のチャンスにもなります。
ラオスの場合、政治的に安定しており(民主的かどうかは別として)、電気代も安く、言葉が相当にタイ語に似通っていますのでタイ人によるタイ語での技術指導も可能です。(カンボジアでは電気代が高く、ポル・ポトが国民を殺し尽くしたため人材が不足しています。)

もっとも、冒頭のTV番組で紹介していましたが、ラオスは基本的に自給自足可能な社会ですので、勤労意欲に欠けると言うか、無理して働くインセンティブがあまりないとも言え、労働者もすぐに辞めてしまうといったこともあるそうです。

ラオスを旅行すると、このあたりは何となく想像できます。
東南アジアの国々の店では、ひんやりした床に店員が横になって昼寝しているということはよくありますが、それでも客が来ると普通は起き上がって対応します。
ラオスでは、客が入ってきても寝たまんまです。
“いつ起きてくるのだろうか”と思いつつ品定めをして、希望の品が見つからず出て行く・・・それでも店員は寝転がったまんまです。
さすがに“やる気あるのかい?”と思ってしまいます。
まあ、そういうところがラオス好きの人々には受けるところではありますが。

ラオスとメコン川の関係で言うと、急速な産業発展に伴いエネルギー不足に悩むベトナムが、隣国ラオスに20億ドル(約2300億円)規模の巨大水力発電ダムを建設するプロジェクトを立ち上げています。
ラオス国内で稼働中のダムは現在10基以下ですが、70基を超える水力発電ダム開発の計画が進行中だそうです。
ラオス政府は、国内のダムで発電される電力を隣国のベトナムやタイに売却したい考えで、「東南アジアの電源供給国」を目指しています。【07年12月26日 AFP】
中国も国内流域にダムを建設しているとか。
こうしたダム建設は、地元住民の立ち退き問題や、メコン川流域の希少な生態系の破壊(漁獲量減少を含む)、護岸破壊といった問題も惹起しているようです。


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ウガンダ  “子供による、子供に対する戦争” “夜の通勤者”

2008-03-30 16:13:08 | 国際情勢

(ウガンダ 武装勢力による拉致を逃れる“夜の通勤者”(Night Commuter)と呼ばれる子供達 “flickr”より By John & Mel Kots
http://www.flickr.com/photos/melanieandjohn/72055784/)

このところ気にかかっている選挙が、南部アフリカのジンブブエで昨日29日に行われた大統領選挙です。
無謀な黒人至上主義と経済無策から驚異的なハイパーインフレーションで経済崩壊をもたらしているムガベ大統領が5期目を目指しているのですが、結果判明には数日かかるとか。
「そんな時間かけて、一体何を細工するつもりなのか?」と、それだけで選挙結果への不信感がつのりますが、待つしかありませんので・・・。

アフリカ関連で今日は中央アフリカのウガンダの話。
国連が27日、「世界がもっと知るべき10大ニュース」を発表しました。
国際社会が重要性に気づいていなかったり、メディアの関心が薄れたりした問題を取りあげるもので、毎年発表されているものです。

国連が深く関与して成果が出ている問題とか、国際援助が不足している問題、広範な国連の活動(児童虐待、女性問題、保健衛生、異常気象など)からピックアップした問題などを並べていますので、焦点が定まらないきらいはありますが、まあ、国連サイドの広報活動の一環ですから。
取り上げられている問題はこちらの記事で。
http://www.asahi.com/international/update/0329/TKY200803290122.html?ref=rss

10項目の順序は特に明確な意味はありませんが、冒頭に「ウガンダ北部での和平進展」があげられています。
ウガンダ北部の問題は2004年版、2005年版でもとりあげられており、国連が強く関心を持っている問題のひとつのようです。
(なお、2006年はアフリカ関連でリベリア再建、コンゴの選挙、ソマリアの危機が取り上げられていることもあってウガンダ問題ははずされたようです。)

ウガンダと聞くと、私などは“食人大統領アミン”(“食人”の真偽のほどは別にして、反対派国民を30~40万人虐殺したとか)なんて思い出し、おどろおどろした感じを持ってしまいます。
そのウガンダでここ20年ほど、おぞましい活動で国際的批判を浴びていたのが“神の抵抗軍”という反政府運動でした。

もともとウガンダは他の多くのアフリカ諸国同様、南北間の地域対立が根深く存在していました。
政治権力が南西部を基盤とする勢力に移ったことを受けて、北部での反政府運動としてうまれたのが87年にジョゼフ・コニーが創設した“神の抵抗軍”(LRA)です。
キリスト教の一派を自称していますが、キリスト教原理主義と土着宗教を取り入れた、聖書の十戒に基づく政府の設立を主張する宗教カルト武装組織です。

このLRAが国際的に批判をあび、国連が執拗に問題視しているのは、少年兵や少女の性的虐待といった児童虐待がその活動の中核にあるためです。
LRAによって誘拐された子供は2万人以上にのぼり、LRAの戦闘員の85%は11歳から15歳の拉致されてきた子供たちであると言われています。

加入の儀式として、親族や友人、両親を棒で叩いたり、噛みついて殺させた上、殺害したものの脳や人肉を食べたり、血を飲むことを強制されることが頻繁に行われたそうです。
少女の場合はLRA指導者の使用人として扱われ、長時間にわたる家事労働を強いられたり、性的に搾取されて、望まない妊娠や性病感染の危険にさらされます。

誘拐された犠牲者としての子供達は、今度は放火、市民の殺害、子供の拉致などを強いられて加害者に仕立てられます。
“子供による、子供に対する戦争”という悲惨な状況が作り出されました。

誘拐されることを恐れる大勢の母子は、比較的安全な大都市へたどり着くために毎晩家を発ち、周辺の村から何時間も歩きます。
そして都市のベランダの下、学校、病院の中庭、バスの停留所などで眠り、夜明けには再び自宅へ歩いて帰ります。
4万人ものこうした「夜の通勤者」(Night Commuter)が存在したと言われています。
ユニセフも、こうした「夜の通勤者」が2005年3月にグル地区だけでも1万1,000人いたと発表しています。

なお、どの紛争でも同様ですが、こうした残虐行為はLRA側だけでなく、ウガンダ政府軍側にも存在したことも指摘されています。

03年12月、ウガンダのムセヴェニ大統領はハーグの国際刑事裁判所(ICC)にLRAの残虐行為を提訴しましたが、05年7月、ICCはLRA幹部5名に対する逮捕状を出しました。
ICCが逮捕状を出したのは02年のICC設立以来初めてです。
逮捕状は02年以降の民間人に対する襲撃などに関するもので、5人に対して殺人、奴隷化、レイプ、性的奴隷化、苦痛をもたらすなど非人間的行為などの人道に対する罪や民間人に対する攻撃、虐待、子どもの徴用などの戦争犯罪などをあげています。

事態が動くのが06年。
LRAが本部を置く隣国スーダンは、これまでウガンダ北部の紛争に一貫して介入していました。
ウガンダが南部スーダンの反乱軍を支援したのに対抗し、ハルツーム政府はLRAを支持。
しかし、スーダンの内戦が05年終結した情勢を受けて、06年8月、LRAは停戦を宣言します。

ウガンダ政府とLRAの和平交渉が国連及び南スーダン首脳の調停で開始されました。
交渉はICCの逮捕状の取り扱いで難航。
LRA側は、この逮捕状を取り下げない限り、和平合意書への署名には応じないと主張。
これに対しウガンダのムセベニ大統領は、和平に応じれば包括的恩赦を与えるとの条件を提示しました。

国連のJoachim Chissano特使がLRAのリーダーであるジョセフ・コニーとコンゴのジャングルで面会を重ね、07年4月に新たな休戦協定が結ばれました。
これを受けて、公式の和平会談の再開、LRA戦闘員らをコンゴとの国境に近い場所に集めることなどが合意されました。

現在、LRAの多数がコンゴとスーダン南部のウガンダ国境付近に移動しているそうです。【外務省 海外安全ホームページ】
交渉は今も継続しており、国連ホームページによると、“今年1月に交渉が加速し、最終的な和平協定が4月の最初の週で調印される予定”とされています。

コニー等LRA幹部に対する処遇をどうするのかはよくわかりませんが、“The United Nations has made clear its position against impunity, and has called for credible implementation of the commitment by the Government to establish a special court within Uganda to try those persons accused of the most serious crimes. ”との記載がありますので、ウガンダ国内の特別法廷で裁くことになるのでしょうか。

ユニセフは、まだLRAのもとにある1,500人の女性と子供たちを安全に自宅に戻すように主張しています。
また、200万人の難民(一部はスーダン、コンゴへ越境)が発生しましたが、約100万人は2006年の停戦以来帰還したそうです。
しかし、国連難民高等弁務官によると、約85万人は未だ難民キャンプで生活しています。

事態が最終合意に向けて動いていることは喜ばしい限りですが、今後、被害者であると同時に加害者である多くのLRA戦闘員をどのように社会的に受け入れていくのか、精神的ケアを含めて、多くの問題が山積しています。

それにしても、アフリカではこともなげに10万人単位の犠牲者、100万人単位の難民を出すような紛争が頻発します。
そこでは、手足の切断、性的虐待、児童虐待などむき出しの暴力が横行します。
とにもかくにも平和な時間を10年、20年継続することで、このような暴力の恐怖による支配が決して尋常なことではないという人間としての常識が定着することになればいいのですが。

国連については何かと批判も多いところですが、紛争の当事者双方が受け入れられる調停者としてはやはり最適な存在です。
できるだけ早期の有効な調停が可能になる方向での国際的環境づくりの努力が大切だ・・・と言えば、“国連のPRみたい”と哂われますかね。

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コロンビア  ベタンクール、FARCに拘束され6年

2008-03-29 15:16:36 | 国際情勢

(FARCに拘束されているベタンクールさん(背景写真)とその娘さん “flickr”より By Neno°
http://www.flickr.com/photos/ernest-morales/2287572992/)

イランで誘拐された日本人男子学生(中村さん)については、全く進展がみられません。
イランから数百キロ東のパキスタンとアフガニスタンの国境付近で移動しながら生活しているとされており、日本の家族とは時折連絡をとっているようです。【3月22日 AFP】

“イラン政府はきちんと交渉をやる気があるのか?”という感じもしますが、ごく普通にテロや戦闘で大勢が亡くなる社会と日本では“命の重さ”に実際問題として大きな差があるのも事実でしょうし、一般的にこの手の誘拐は数年単位で長期化することは珍しくないようです。

武装組織による誘拐が一番多いのが南米、特にコロンビア。
誘拐に関する保険や、プロの交渉人が存在して、ひとつの“誘拐ビジネス”にもなっていることはこれまでも取り上げてきました。

そんなコロンビアの誘拐人質でも特に象徴的な存在が、元大統領候補のフランス系コロンビア人女性政治家イングリッド・ベタンクールさん(46歳)。

*****コロンビア政府、ベタンクール氏と服役中のFARCメンバーの交換を提案*****
コロンビア政府は27日午後、同国の左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」に対し、人質のフランス系コロンビア人政治家イングリッド・ベタンクール(Ingrid Betancourt)氏(46)を直ちに解放すれば、服役中のFARCメンバーの釈放に応じると呼びかけた。
釈放するFARCメンバーの人数については、特に制限は設けないとしている。
拘束の長期化でベタンクール氏の健康状態の悪化が懸念されており、コロンビア政府側は、これまで提示してきた人質交換の条件の緩和を迫られたかたちとなった。
レストレポ高等弁務官は、「人道的見地からも、ベタンクール氏の即時解放が最重要事項だ」と強調した。【3月28日 AFP】
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【ウィキペディア】で、FARCに6年間拉致拘束されているベタンクールの生い立ち・経歴を確認すると・・・

かつて教育相を務めた政治家を父に、元ミス・コロンビアの下院議員を母に61年首都ボゴタに誕生。
ボゴタのフランス・スクールで中等教育を修めた後、フランスに渡り政治科学を学ぶ。
父親がUNESCO大使に任命されパリに在住していたことから、パリに長年居住、フランス人外交官と81年
に一度目の結婚。(フランスとの二重国籍)

89年コロンビアへ帰国、財務省勤務後、94年“反汚職”を訴えて下院議員選挙で初出馬、当選。
街頭でコンドームを配布し、「私は汚職へのコンドームになる」と市民に訴えたことが話題を呼ぶ。
以後、一貫して汚職議員を追及、国会でハンガー・ストライキを行ったことも。
また、所属政党をも汚職に関して批判し、会議から締め出されることも。

「緑と酸素の党」を設立、引き続き汚職撲滅の活動に邁進。
上院議員に最多得票で当選。
著書「それでも私は腐敗と闘う」をフランスで出版話題になる。同書はその後スペイン語に翻訳されコロンビアでも出版。
02年、汚職追放を掲げて大統領選挙に立候補。支持率は低く0.8%。

2002年2月23日、大統領に随行してゲリラ活動地域にある街に行こうとしたが、政府軍ヘリコプターへの同乗を拒否され、「ゲリラの活動で危ない」との政府軍の警告にもかかわらず陸路で向かう。
同乗の選対マネージャーで副大統領候補クララ・ロハスとともに拉致される。

なお、この事件の3日前には政府の和平交渉担当の上院議員が乗った飛行機がFARCにハイジャックされ拉致される事件があり、コロンビア政府はFARCとの交渉を打ち切り、武力で排除する方針に変更しています。

申し分のない家柄、元ミス・コロンビアの母親。フランスでの生活、フランス人との結婚
印象としては“ハイソなお嬢様”といったところでしょうか。
こうしたすべてに恵まれた生い立ちとその後の政治活動、そして長期の拘束という試練は、ミャンマーのスーチーを連想させるものがあります。

ただ、スーチーを拘束しているのが政府権力であり、彼女は反政府運動のシンボルとして国民的人気が高いのに対し、ベタンクールを拘束しているのはゲリラであり、彼女の政治活動への国民的支持はそれほど高くなかった点で異なります。

彼女の著書も読んだこともありませんし、ウィキペディアからの情報以上のものは持ち合わせていませんので、彼女の評価はできませんが、敢えて“印象”を言えば、フランス市民社会的価値観をそのままコロンビアに持ち込み、現地ではまだその活動は“浮いた”ものだったように見えます。
もし、日本の政治社会にこのようなタイプの活動家がいたら、恐らく、“うるさい奴だな・・・”といったところではないでしょうか。

以前取り上げたように、一緒に拘束されたクララ・ロハスは今年1月、ベネズエラ・チャベス大統領の“活躍”もあって解放されましたが(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080117)、その証言によれば、ベタンクールは本を読み、執筆し、届く新聞の切り抜きをして過ごしているとも言われていますので、一般的な人質の生活に比べればかなり恵まれているようです。

左翼ゲリラ組織のコロンビア革命軍(FARC)は、コカイン取引からの潤沢な資金を背景に、一時は組織人員が1万人8千人を超え、コロンビア国土の3分の1(ほぼ日本と同じ面積)を実効支配する勢いでしたが、02年に就任したウリベ大統領(父親をFARCに殺害されている。)の強硬路線でジャングルに追い詰められつつあり、相次ぐ幹部の逮捕・殺害、兵士の大量投降などで、1万人を切るなど組織弱体化が進んでいるとも言われます。

この2月にも、組織No2の幹部がエクアドル領内潜伏中にコロンビア空軍の爆撃を受け死亡。
この越境攻撃を糾弾する左翼政権のエクアドル、ベネズエラ、ドミニカによる親米コロンビア包囲網が形成され、国境に軍隊を展開する一触即発の危機を迎えました。

この“大騒動”は一転収束に向かいましたが、コロンビア軍が押収したFARCのパソコンデータなどで、ベネズエラ・チャベス、エクアドル・コレア両大統領がひそかにゲリラを支援していた事実が分かり、いわばコロンビアが「切り札」を手にした形となったためではないかともささやかれています。

また、このパソコンデータからFARCがウラン取引にかかわっていることも明るみになりましたが、それを裏付けるかたちで、コロンビア国防省は首都ボゴタのスラムの道路わきでウラン30キロを発見したと発表しています。
FARC劣化ウラン弾製造を企てているのではないかと政府側は非難しています。
すべて政府側の発表ですが。

もし、FARCがそのように追い詰められ弱体化しているなら、ベタンクールはFARCにとってフランスをも巻き込める最後の切り札でしょう。
かなり健康状態が悪化しているとも言われますが、その生存を一番望んでいるのはFARCでは?
そのような切り札を手放すことは、よほどのことがない限りないのでは・・・とも悲観的になります。
また、FARCとも親しいチャベス大統領の出番でしょうか。



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アンゴラ  「地雷被害者」の美人コンテスト 内戦の傷跡 後を絶たない暴力

2008-03-28 15:19:04 | 世相
昨日、アンゴラに関するこんな記事を目にしました。
****アンゴラで「地雷被害者」の美人コンテスト開催へ******
アンゴラで4月に、地雷で身体の一部を失った女性たちの美人コンテスト、その名も「ミス・地雷サバイバー(Miss Landmine Survivor)」が開催される。
開催の目的を「(被害者に)自尊心を持ってもらい、各人に(自分が受けた傷の)大使になってもらうため」としている。全国から18歳から35歳までの18人が出場する予定だ。
アンゴラでは6年前に27年間続いた内戦が終結したが、地雷数百万個が今なお各地に埋まっているとされている。大々的な撤去作業が行われているものの、地雷の被害にあったというニュースはあとを絶たない。【3月27日 AFP】
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この種の催しは今回が初めてではなく、冒頭の写真もそうですが、地元では人気があるそうです。
もっとも、写真投稿者によるとノルウェーからの企画への批判があったそうです。
個人的には、障害がある方が堂々と人前にその姿を出せる機会というのはよいことではないかと思っています。
その姿を正視する健常者も感じるところが多いのでは。

そのアンゴラ(地図の緑部分)ですが、記事にもあるように1975年から2002年まで、中断をはさみながらしつこく紛争が続きました。
それに先立ち、61年からポルトガルからの独立戦争を戦っていましたので、そこまで含めると40年以上の長い戦いでした。



75年、ポルトガルの独裁体制が軍事クーデターで倒された無血“カーネーション革命”によってアンゴラも独立しますが、その後、三派で支配権を争う内戦に突入します。
一方をソ連・キューバが支援すれば、別グループをアメリカが支援、中国もソ連に対抗して別グループを・・・と典型的な東西冷戦下の代理戦争の様相を呈しました。
冷戦の緊張がゆるんだ後も、今度は片方が石油資源を、もう片方はダイヤモンドを資金源とした資源戦争として戦闘が続きました。
当然のように近隣のザイール、南アフリカなども介入します。

アンゴラ内戦は、激しく双方が対戦するのではなく、少しづつでも長期的に相手にダメージを加える、Low Intensity Conflictと呼ばれているそうです。
この間の内戦による死者は100万人とも、360万人【ウィキペディア】とも言われています。
難民も、ザイール、ザンビア、コンゴ、ナミビアなど国外難民を含め膨大な数になります。

なお、犠牲者についてはいろんな数字があります。
例えば“93年から94年の1年間には「史上最悪の戦争」と呼ばれる激戦が繰り広げられ国内の死者数は150万人、1日換算で1000人の死者を生み出した。”【special warfare net】といったものもあります。

いずれにしても、権力に固執した人間たちの引きおこした惨禍で、無数の住民が筆舌に尽くし難い苦しみを味わったことには変わりありません。
国内には1200万個もの地雷が埋設され、多くの人が被害に遭っています。
大量に埋設された地雷による被害、または、市民への兵士による無差別襲撃と虐殺・誘拐などの人権侵害は大きく傷跡を残しています。

地雷の関係では、もう二、三十年前でしょうか、当時アンゴラに介入していたキューバには地雷で足を失った人が大勢いることを見聞きした記憶があります。
当時の素直な感想としては「キューバもなんでまた、アフリカまで出張ってそんなことをやっているのだろうか・・・」といったものでした。
社会主義の理念もあるでしょうし、ソ連に強制された事情もあるのかも・・・

アンゴラには35万人余りのキューバ人が参戦し、60年代初頭から91年にアンゴラから完全撤退するまでに2077人のキューバ人が死亡したそうです。
軍隊だけでなく、保健医療、教育、建設などに5万人以上の文民も参加しました。
この戦いで私服を肥やした者も当然いますが、キューバにも多くの未だ癒えぬ傷を残しています。
【2005年12月8日 IPS】

02年に内戦が終結して平和が訪れたのかと言うと、必ずしもそう言い切れない惨劇が続いているようです。

******アンゴラ:コンゴ人移民への性的暴力*****
豊富な資源を持つアンゴラのダイヤモンド鉱山で働くため、隣国のコンゴ民主共和国から毎年数万人に上る移民がアンゴラに入っている。2003年以降、アンゴラ軍はこれらの不法コンゴ人労働者を強制退去させており、2007年だけでも推定4万4000人が追放されたとみられる。
深刻なのは、追放の際にアンゴラ軍がレイプや暴行を組織的に繰り返しているという事実である。コンゴ人労働者は刑務所に監禁され、繰り返し性的暴行や虐待を受けた後、国境沿いまで運ばれ自国へと追放されている。
この事態を受けて、国境なき医師団(MSF)はアンゴラとの国境に近いコンゴ民主共和国の西カサイ州に診療所を設置し、性的暴行を受けた女性に医療と心理ケアを提供している。【1月18日 朝日】
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MSFは100人の女性からの証言を集めています。
そのなかから。
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[1]「軍がやって来て私を捕まえ、刑務所に入れられました。警官は私を殴打し、レイプしました。女性器の中に手を入れられて、ダイヤモンドを隠し持っていないか調べられました。警官が手を引き抜いた時には、出血していました。あまりにも悲しくて、いっそ死んでしまいたいと思いました。」
4人の子どもを持つ34才の女性。20年間アンゴラで暮らしていたが、2007年10月に追放された。

[2]「兵士たちは所持品を置いて退去するように命じた後、私たちを捕らえました。男、女、子ども、合わせて1000人以上いました。兵士の1人が私に皆の前で地面に横になるように命令し、私をレイプしました。レイプされた後、棒切れや縄で叩かれました。全員の女性が私と同じ扱いを受けたと証言できます。」
23才の既婚女性。1年半アンゴラで暮らし、2007年7月に追放された。
********************

もちろん、アンゴラが、あるいはアフリカが、こうした悲惨な側面ばかりではないのは言うまでもないでしょう。
理性が通じる社会、人情が感じられる社会も普通にあるのでしょう。
ただ、こういうことを聞くと、「アンゴラというところは・・・」「アフリカは、やっぱり私たちの価値観とは全く違う弱肉強食の世界なのだろうか・・・」「このようなところで“人権”とか“民主主義”なんて価値観は無意味なのだろうか・・・」そういったネガティブな呪縛を振りほどくのは非常に困難に感じるのも事実です。


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イラク  長期的安定への困難な道のり

2008-03-27 14:55:21 | 国際情勢
イラクの治安状況に関する不穏な動きが報道されています。

****武装解除でマフディ軍に最後通告 マリキ首相****
イラク南部バスラで対米強硬派、サドル師派の民兵組織マフディ軍の掃討作戦を指揮しているマリキ首相は26日、同軍に対し「72時間以内の武装解除」を求める最後通告を行った。首相は同軍が応じない場合、「厳しい処罰」を受けることになると警告している。
サドル師派は25日、攻撃停止を政府に要求。24日から始めた抗議の座り込みを全土に拡大するよう支持者に呼びかけた。サドル師は声明で「政府が要求を顧みなければ、全土で民衆による反乱を宣言する」と警告した。
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周知のとおり、昨年来の治安改善は米軍増派のほか、サドル師が率いるシーア派民兵組織マフディ軍の停戦、スンニ派部族長のアルカイダ掃討への協力でもたらされたものです。
サドル師はサドル師が2月22日に、昨年8月に引き続き、マフディ軍の活動停止を半年延長すると発表したのですが、今月7日には“マフディ軍が内部分裂したこと、自分自身も活動から身を引き勉学に専念する”旨を表明しました。

マフディ軍内部で、イランに支援された急進的グループ、殆ど犯罪者といっていいようなグループなど分派活動が横行、サドル師も統制がとれない状態に陥っているようです。
その後、バグダッドのサドルシティーなどで、マフディ軍とイラク治安部隊の衝突も報じられていました。
なお、10日には、サドル師は宗教研究に専念するためにマフディ軍の日々の活動から退きはするものの、全体統括者には留まるとの側近からの発表がありました。

このあたりの事情はよくわかりませんが、いずれにしてもマフディ軍と治安部隊の抗争が南部バスラを中心に激しくなっており、これまでに40人が死亡、200人が負傷したと報じられています。
イラク駐留英軍は昨年12月、バスラ州の治安権限をイラク警察など治安当局に移譲したばかりです。
クートやヒッラ、ナシリヤなど南部の各都市には外出禁止令が敷かれているそうです。

また、バグダッドのシーア派居住地区サドルシティーでも25日以降、衝突が発生しており、これまでに14人が死亡、140人以上の負傷者が出たと報じられています。
更に、政府施設や大使館などが集中するグリーンゾーン(米軍管理区域)にも26日、ロケット弾や迫撃砲弾が多数撃ち込まれ、米政府職員3人が重傷を負っています。
今回の襲撃はマフディ軍内部のサドル氏と意見が一致しないグループによるものとの情報もあります。【3月26日 CRI】

イラク治安部隊はサドル師派・マフディ軍と対立するシーア派政党「イラク・イスラム最高評議会」(SIIC)傘下の民兵組織「バドル軍」出身者を中心に構成されており、今回の抗争はバドル軍とマフディ軍というシーア派同士の覇権争いの側面があります。

マリキ首相は、自らがバスラに乗り込んで民兵組織の掃討作戦を指揮することで、その威信を示す狙いがあるとみられています。
一方、サドル師は、マフディ軍への攻撃停止を求め、冒頭記事にあるように全国一斉ストライキを表明しており、事態が改善しない場合は“全土での反乱”を警告しています。
なお、“バスラにあるサドル師派事務所の広報担当は、軍事対立を終わらせたい意向を示した”との停戦の意向を示す情報もあります。【3月25日 AFP】
少なくとも、すぐさま武闘で治安部隊に応戦するという構えではないようですが。

イラクのアンバル州でも再び緊張が高まっているそうです。
04年に米軍とアルカイダ系組織の間で激しい戦闘が繰り広げられたファルージャなど、反政府勢力のかつての拠点だったエリアです。
その後、スンニ派部族長が“覚醒評議会”を組織して部族員にアルカイダ系組織と対決するよう命じたことで、この地域の治安改善が進展しました。

しかし、現在失業問題や基本的な社会サービスの欠如、政情改善の遅れに対する怒りが、噴出しているそうです。
スンニ派部族の指導者は「アンバル州の状況は今も確たるものではなく、以前に比べると平和だというだけ。嵐の前が必ず静かな時期であるように」「アンバルの治安が安定したら状況は開発や復興の方に進むと思っていたが、われわれは今、政府からの放置に遭い驚いている」と語っています。

かつては製造業が発達した地域でしたが、工場再開のための施策は手付かず状態。
失業者の数はファルージャだけでも2万人。
生活に窮した若者達が再び資金力のあるアルカイダ勢力に取り込まれることが懸念されています。

米軍は地域のパトロールなどを行う覚醒評議会メンバーに対し月300ドル(約3万円)を支払っていますが、メンバーの多くはより給与の高い軍や警察に加わることを望んでいるそうです。
現在治安部隊がシーア派中心に構成されているという宗派の問題以外に、メンバーの大半がかつて反政府勢力として戦った経験を持っていることから、中央政府は彼らを治安部隊に吸収することに消極的で、覚醒評議会メンバーと治安部隊の統合が進んでいません。【3月26日 ロイター】

“武器”“軍隊”で一時的に抑えこむことは出来ても、長期的に地域を安定化させるためには、住民の生活を安定させること、そのための雇用の創出が不可欠です。
イラクの現状は、そのための意思にも能力にも欠けているように見えます。

ブッシュ大統領はイラク開戦5年にあたり、「イラクでのわれわれの成功は議論の余地がない」と相変わらずですが、南部、バグダッドでのシーア派間の抗争、アンバル州でのスンニ派の今後の動向、昨日のブログでも触れた北部クルド自治区の動向・・・不安材料には事欠かない状況です。

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クルド  トルコ国内でクルド人の騒動 クルド問題関係国・組織の思惑

2008-03-26 17:56:44 | 国際情勢
クルド人はトルコ・イラク北部・イラン北部等、中東の各国に広くまたがる形で分布し、独自の国家を持たない世界最大の民族集団と言われています。
人口は2500万~3000万人、そのうち最大の1200万~1500万人がトルコ南東部を中心にトルコ国内に居住しています。

第一次大戦でのオスマン・トルコの敗戦を受けたセーブル条約で、イギリス等の連合国はオスマン・トルコを解体しクルド人国家を認める方針を示したことがあります。
しかし、これを不満するトルコは“建国の父“ケマル・アタチュルクのもと、アルメニア人の独立運動を押さえ、更にギリシャの侵攻を退け、実力でトルコ解体を阻止し、結局改めてローザンヌ条約を連合国と交わすことになります。
この過程で、クルド人の国は幻と消え、現在のようなトルコ・イラク・イランに分割分布するかたちになりました。
そして、現在このクルド人の処遇が中東情勢の重要なポイントになっています。

なお、クルド問題もそうですが、第一次大戦中から上記ケマル・アタチュルクのアルメニア人独立阻止の間で行われたとされる“アルメニア人虐殺”(トルコ側は強く否定)に関する非難決議が昨年10月アメリカ議会下院外交委員会で採択され、これがトルコの態度を硬化させ、その後のトルコによるイラク領内のクルド人武装勢力PKK掃討への越境攻撃強行へ至った経緯もあるように、90年前のこの地域の混乱は未だに尾を引いています。

今月21日はクルドの新年「ネブロス」にあたり、新年を祝う集まりが開催されましたが、翌日以降もクルド人独立国家を目指す武装組織クルド労働者党(PKK)支持を訴えるデモに発展。
これをトルコ治安当局が警棒と催涙ガス・放水で厳しく鎮圧、22日段階で“数十人が負傷、約300人が拘束”、3日目を迎えた23日段階では“死者2名”とも報じられています。

トルコ国内のクルド人と非合法武装組織PKK、イラク国内のクルド自治政府は同一民族として当然つながりがある訳ですが、必ずしもその立場が同じという訳でもないようです。
イラク北部に集中するイラクのクルド人に対し、トルコのクルド人は南東部を中心に各地に分散しています。
そんなトルコ国内のあるクルド人の発言。
「私たちはトルコを通じて西欧を見ているが、イラクのクルド人は中東的な価値観だけ。イラク北部にクルド国家ができても、我々が加わるのは現実的ではない」。
こうした意見はトルコのクルド人社会では一般的だそうです。
ただ、実際に事態が動き、トルコ・イラク内でのクルド人への締め付けが強化されるといったことになれば、このあたりの話はまた別問題でしょう。

トルコは長年、少数民族の存在を公式に認めず、クルド語の使用も禁じてきました。
しかしEUへの加盟を果たすため、02年に人権改善関連法案を可決、クルド語による教育や放送を「解禁」するなど柔軟な姿勢をみせ始めているそうです。
トルコ南東部では現在、低所得者層に格安で譲渡する政府主導の社会・経済改革の一環として、あちこちで高層団地の建設が進んでいるとか。
開発から取り残されてきた同地でクルド人が不満を募らせ、分離独立に走ることを防ぐ狙いがあります。【3月25日 毎日】

固有の文化の圧殺、経済的開発による不満の懐柔、それにもかかわらず続く激しい抵抗・・・クルドだけではありません。
全く同じ構図が先日来のチベット騒乱にも見られます。
中国のチベット政策、騒乱の鎮圧を擁護する訳ではありませんが、海外メディアとの会見で中国当局者が「デモの鎮圧はどこの国でもやっていることだ。」と気色ばんでいたように、社会の異質グループに対する抑圧、騒動の力ずくの押さえ込みは、確かに“どこの国でも”、少なくとも世界中の多くの国々で普通に見られるところです。
ひとり中国だけが“人権無視”の圧政を敷いている訳でもありません。

もちろん、そのことは圧政の正当化にはなりませんし、特に中国のような国連常任理事国として本来世界をリードすべき立場にある国、実際問題としてもスーダン、ミャンマー、北朝鮮など多くの問題国に強い影響力を持っている国としては、他の国々以上に敏感な感覚を持ってもらいたいものですが・・・。

話をクルドに戻します。
上記の【毎日】の報道にPKK幹部のコメントも掲載されています。
対トルコ闘争について「クルド人として生きる権利の獲得が目的」と強調、「トルコからの独立やクルド統一国家樹立は考えていない」と明言。
「クルド人各組織の闘争は(クルド人の)アイデンティティーを守る戦いだ」、「トルコではクルド語を話すことが逮捕理由となり、拷問を受ける理由にもなる」と主張。
 一方、トルコ国内で頻発している爆発テロについては関与を否定、「我々は99年以降、自己防衛の立場を貫いている」と述べたそうです。
一般的な見方(PKKはクルド独立を目指しており、爆弾テロを実行している。)とは随分異なる発言です。

イラク国内のトルコ国境山岳地帯は、クルド自治政府の支配権は形式的なもので、その実態はPKKによる実効支配、PKKと住民との間の一種の「共存関係」とも言われています。
要塞の建設資材や食料の調達などで、PKKはイラク山岳部の村々に大きなカネを落としてきたと報じられています。

一方のイラクのクルド自治政府ですが、背後からのPKK掃討のトルコ軍越境攻撃と併せて、正面にイラク中央政府との関係の問題を抱えています。
イラク中央政府との関係で、当面の大問題はイラク最大の油田キルクークの帰属問題です。

05年に制定されたイラク憲法140条で「2007年12月31日までにキルクーク(及びその他の係争領土)を正常化し、国税調査及び住民投票を実施する」ことが規定されていますが、昨年末、中央政府側から「手続き、準備にあと数カ月が必要」と、年内に予定されていたキルクークの帰属を問う住民投票を半年延長することが提案され、自治政府側もこれを了承しました。

キルクークは従来クルド人とトルクメン人(トルコ系)が住民の多数を占めていましたが、クルド人を弾圧した旧フセイン政権はアラブ人を移住させる「アラブ化政策」を推進しました。
03年のイラク戦争後は、対米協力で“勝ち組”となったクルド自治政府がキルクークヘのクルド人住民の帰還を奨励しています。

その過程で、こんどはクルド人によるアラブ・トルクメン人に対するクルド治安組織による違法逮捕などの弾圧やクルド人による他民族への暴力的いやがらせなどが横行しているとも言われています。
残念なことに、いつもどこでも見られる悲しい現実、“憎しみの連鎖”です。

今後実際にキルクークの帰属を決める住民投票が実施されれば、その結果クルド自治区への編入ということになれば、アラブ人勢力の民兵組織が阻止に動く可能性があり、逆に、住民投票をいつまでも棚上げすると、クルド人側の独立へ向けた反発を加速させかねません。

いずれにしても大混乱が予測されます。
“クルド独立”のような事態になれば、PKK掃討を名目にトルコの介入もあるかも。
トルコが介入すれば、PKKの分派組織の活動に悩むイランも介入するかも。
イランが介入すれば、アメリカが反応し・・・大騒動です。

そこまでのことはないにしても、クルド問題はイラク治安を左右する時限爆弾には間違いありません。
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ブータン  初の国民議会選挙 民主化か民族浄化か?

2008-03-25 12:04:08 | 世相
ヒマラヤ山脈の王国ブータンで24日、初の国民議会(下院)選挙が行われ、伝統的エリート層を代表するブータン調和党が47議席中44議席を獲得し圧勝しました。
対立党の国民民主党の間には目立った争点はなく、両党とも伝統文化の保護や開発の推進などを掲げています。
今回の歴史的な選挙は12月31日に行われた上院選挙に続きブータン王室自らが主導したもので、絶対君主制から立憲君主制への移行の総仕上げと位置づけられています。

ブータンでは王室の人気が高く、民主主義の概念に不安を抱き民政移行に消極的な国民も少なくないそうです。
そんな国民に国王自ら投票に行くよう呼びかけたそうです。
また、ワンチュク前国王は「今日の国王は良き君主でも、もし悪しき君主が現れたらどうするのだ?」と人々を諭したとも。
このような国王自らの呼び掛けが奏功し、中央選管が発表した投票率は約80%に達しました。

そんななかで、多くの報道が“世界一熱心な有権者”として取り上げているのが、投票所までの600km(今回選挙は出生地で投票を行うことになっています。)を徒歩で踏破した65歳女性。
以前激しい乗り物酔いをしたことがあり、それ以来車には乗りたくないそうですが、「自動車で移動できないという理由だけで、投票の機会を失いたくないからね」とのこと。

こうした話はいかにもほのぼのとした感じで、“桃源郷”“秘境”ブータンならではと思わせます。
ただ、チベット系住民を主とするこの国には総人口の5分の1にもあたる12万人以上のネパール系難民が発生したとも言われる別の側面があることは、3月5日のブログでも紹介したところです。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080305

85年、公民権法(国籍法)が制定され、定住歴の浅い南部のネパール系住民は“不法滞在者”扱いされるようになり、また、“民主的で英明な”前国王の進める“一国家・一民族”の理念のもと89年には「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」が施行され、チベット系の民族衣装着用の強制(ネパール系住民は免除)、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守、教育現場でのネパール語の禁止など、文化的にも圧迫も強まりました。
反抗する者は拘束・拷問を受けたとも言われます。
国王は国外への脱出を行わないように呼びかけ現地を訪問したそうですが、社会一般的にはこのような施策は“民族浄化”と呼ばれるものです。

この混乱を避けるかたちで、多くのネパール系住民が出国を余儀なくされ、ネパールの難民キャンプで生活しています。
ブータンは彼らを“自主的な出国者”と扱っており、ブータンへの帰国は困難な情勢で、先日はネパールの難民キャンプでの大規模火災もありました。
アメリカはこのキャンプの難民6万人の受け入れを申し出、約2万5000人が申請しました。
これまでに100人がすでにネパールを出国、ブータンで選挙が行われる24日にはさらに出国する予定と報じられていました。【3月24日 AFP】

ネパール系難民を基盤とする左派反政府勢力(URFB)は、難民を排除した選挙実施に異議を唱え、「戦いの強化」を誓う声明を発表、今後の攻撃を予告しています。
今年1月には首都ティンプーなど計4カ所で爆弾による爆発が続発し、女性1人が負傷しました。
初の総選挙についてURFBは、「ワンチュク前国王が自らの不正行為を国際社会の目から隠ぺいするためのうわべだけのものだ」と批判しています。

なお、ブータンにはチベッチ動乱を逃れてきたチベットからの難民が生活しています。
また、ネパールでは南部に生活するインドからの移住者達が、権利拡大を要求して反政府活動を続けています。

ブータンではワンチュク前国王の発案で、単に経済的指標だけではない、国民の幸福感の指標「国民総幸福量(GNH)」を政策の指標としています。
現在「国民総幸福量委員会」ではGNHを数値化する作業を行っています。
委員会はすでに1000人近くに調査を実施し、幸福度を計る項目をリストアップし、中でも、仏教が重視する心の安らぎのほか、健康、教育、グッドガバナンス(良い統治)、生活水準、共同体の活力や生態系の多様性といった項目に重きが置かれているそうです。

すでに行っている調査によれば、人口約67万人のブータン国民のうち68%が幸福であると感じているとか。
幸福を感じない国民への対策として、今後10年間で貧困層縮小に向けた政策を実施、1日1ドル以下で生活する貧困層を現在の25%から15%に削減したい考えだそうです。【3月24日 AFP】

国民総幸福量・・・すばらしい考えだと思います。
しかし、その“幸福”が一部少数者の犠牲の上に成り立つものであっては意味がありません。
GNHの重点項目に、“民族の垣根を越えた共存”といったものを入れてほしいと思います。


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台湾  馬英九候補圧勝、住民投票不成立

2008-03-24 18:21:55 | 国際情勢
台湾総統選挙については、多くの報道で伝えられているとおりで、敢えてここで書くほどのものもないのですが、印象としては、予想以上に大差がついたな・・・というところでしょうか。

1月の立法院選挙での国民党圧勝を受けて、大幅に馬英九候補がリードしていた訳ではありますが、選挙終盤でのチベット騒乱・中国の弾圧が、対中融和を掲げる国民党・馬候補陣営にかなり逆風となり、民進党・謝候補の激しい追い上げがあるのでは・・とも見えました。

“とも見えました”というはっきりしない表現をしているのは、台湾では選挙直前の世論調査が禁じられているので、直前の支持動向が分からないからです。
ただ、そのように思ったのは素人の私だけでなく、大方の予想もそのようなものでした。

選挙著前の世論調査の不在を補っているものにギャンブルがあるそうです。
台湾では賭博業者の闇のネットワークが私営カジノ、鳩レース、香港競馬といった賭博を幅広く手がけおり、総統選挙もその賭けの対象になっています。
賭博業者の多くは馬英九候補が50万から70万票の差をつけて謝長廷候補に勝利するとみていたそうです。
台南の賭博シンジケートに近い人物の話では、馬候補が50万票の差をつけて勝利するとの予測が最も多かったそうです。【3月21日 AFP】
賭博業者らが集めた賭け金は、100億台湾ドル(約330億円)に上ったそうで、結果予測はどんな政治関連機関の予測よりも真剣です。

結果は、220万票以上の大差。
中央選挙委員会の発表(開票率100%)で、得票数は馬氏が765万8724票(得票率は過去最高の58・45%)、謝氏は544万5239票(得票率41・55%)。
もし賭博業者内部で本当に50~70万票差という予測をしていたのであれば、そして票差が賭けに関係してくるのであれば、予測に関連した人物は今頃どうなっているのか・・・・。

思いのほか、チベット騒乱の影響での票の動きがなかったようです。
邪推すれば、チベットの問題は漢族支配に対するチベット族の抵抗運動ですから、漢族の一員としての台湾住民はチベット族に対するシンパシーがさほど大きくなかったということでしょうか?
あるいは、馬候補のオリピックボイコット発言に、“せっかく野球でオリンピック出場できたのに、台無しにするようなことを・・・”との世間からの反発が強かったそうですが、中台間の緊張とは言っても、一般住民にとってはそのくらいの関心しかない問題なのでしょうか。

今回の選挙結果の意味するところは、いろんな報道で言っているように、“台湾人”としてのアイデンティーは前提にするものの、“台湾独立”で中台間の緊張を高めたり、チベット問題で中国の脅威を強調したり、そういういたずらに政治的に問題を先鋭化させる手法には背を向け、“現状維持”と、共同市場・直行便といった“経済的実利”を求めた・・・ということでしょう。

中国本土への台湾からの進出企業はすでに7万社を超すなど、対中依存度が高まっている現実があります。
中国の温家宝首相は18日の記者会見で、「台湾同胞の利益のためなら、中国の利益を犠牲にすることもいとわない」と述べているとか。
中国との通商拡大、政治的現状維持という点では、おそらく謝候補が総統になったとしても、現実政策的には同じようなものだったとも思われます。
そういう意味で総統選挙以上に中国、ひいてはアメリカの関心を引いたのが、国連加盟に関する住民投票でした。
結果は、これも報道のとおり、与党案も野党案もともに投票率が35%台と過半数に達せず成立しませんでした。

この住民投票の文案は、与党・民進党提出が
「1971年に中華人民共和国が中華民国に代わって国連に加盟し、台湾は国際社会の孤児となりました。台湾の国民意志を強烈に表明し、台湾の国際社会での地位および参加を高めるため、政府が『台湾』の名義で国連に加盟することに同意しますか?」
野党・国民党提出が
「わが国の国連への復帰およびその他国際組織の加盟申請の際、実務的、弾力的な戦術で、中華民国名義または台湾名義、あるいはその他の参加可能かつ尊厳ある名称で、国連の復帰およびその他国際組織の加盟を申請することに同意しますか?」
というものでした。

特に、与党提案の“台湾名義の国連加盟”が実質的に“台湾独立”を国際的に主張することになり、“ひとつの中国”の立場をとる中国が激しく反発していました。
アメリカも“東アジア地域の秩序を混乱させるもの”として強く実施に反対していました。
この提案は陳水扁総統がこだわっており、自身の不人気で選挙応援活動も自粛していることもあって、陳総統はもっぱらこの住民投票にかかわっていたそうですが。

国民の判断は“現状維持”ということで、中国や、万一の場合に備えてキティホーク、ニミッツの空母2隻を派遣したと言われるアメリカも、“やれやれ”というところでしょう。

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キプロス  再統合へ向けて、小さな島国の大きな試み

2008-03-23 11:53:23 | 国際情勢
エーゲ海の小さな島国“キプロス”、鹿児島県ほどの大きさ。
1960年イギリスから独立しましたが、ギリシャ系住民とトルコ系住民の反目、ギリシャ・トルコの介入により、現在は島の北側3分の1がトルコ系の北キプロス・トルコ共和国(承認はトルコのみ)、南側の残り3分の2がギリシャ系のキプロス共和国(EU加盟)と、分断された状態がここ34年続いていました。

2月18日のブログ(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080218)で、ここにいたる簡単な経緯、そして2月17日に行われた南のキプロス共和国大統領選挙で、北キプロスとの統合に慎重な現職のパパドプロス大統領が激戦の末、3位で敗退したこと、決選投票に残った2候補はいずれも統合推進派であることから今後南北の“再統合”への動きが加速することが期待されることを取り上げました。

その後、2月24日に行われた大統領選決選投票で、左派・労働人民進歩党のフリストフィアス党首が右派のカスリデス欧州議会議員を破り当選しました。
決選投票の得票率はフリストフィアス党首が53.37%で、カスリデス氏は46.63%でした。
労働人民進歩党はキプロス共産党を前身とする左派政党で、フリストフィアス新大統領は北側の政治家と親交があり、選挙では「対話の架け橋になる」と公約していました。

今月21日、キプロス共和国(ギリシャ系)のフリストフィアス大統領と、北キプロス・トルコ共和国(トルコ系)のタラト大統領の最初の会談が、島中心部の国連管理下の緩衝地帯で実現しました。
両大統領は会談後、「双方の作業部会が準備を進めた上で三カ月後に再び会談し、国連事務総長の監視の下で交渉を開始する」との共同声明を発表。
また、両国間の往来を活発化させるため、境界線によって分断された首都ニコシア市中心部の主要道路に、新たに通過ポイント一カ所を設けることに合意しました。【3月22日 東京】

経済的に低迷しており南との格差が大きい北キプロス側は、国際的に孤立している現状もあって、南側との交渉にはメリットが大きいと推察されます。
問題は南側の今後の対応です。
04年、当時のアナン国連事務総長が示した調停案に関し、統合の是非を問う南北同時住民投票が実施されましたが、反対多数(76%)で否決した経緯があります。(北側は賛成65%)

調停案が北側トルコ系に有利な内容だったこともありますが、経済水準が格段に落ちる北側とは今更一緒になりたくないという事情、内戦で肉親を殺されたことへの遺恨、更にキリスト教とイスラム教という相容れ難い文化の違いが背景にあります。
フリストフィアス大統領は、再統合に向けた環境整備を慎重に進めたい考えのようです。

すんなりと再統合へ・・・という訳にはいかないようですが、南側も「我々は『失敗』に向かっているのではない。何度でも協議する」と対話姿勢を強調しているそうで、今後の粘り強い交渉が期待されます。
民族・宗教の違いから抗争・分離に向かう話ばかりの近年の世界情勢にあって、異なる民族・宗教の両者が共存に向けて合意を形勢できるとすれば、小さな島国ではありますが、大きなメッセージを世界に発信できるのではないかと思います。

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決まったベルギー、決まらぬレバノン

2008-03-22 14:28:34 | 国際情勢
ベルギーの“無政府状態”にようやく終止符が打たれました。
ベルギーで民族間の対立から組閣できないという話題をとりあげたのが昨年11月15日でしたが、あれから随分たちます。(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071115
その時点ですでに組閣ができない状態が150日続いていましたので、昨年6月以来、9ヶ月ぶりの組閣ということです。

ベルギーという国は北部(フランドル地域圏)にはオランダ語系のフラマン語を話すフラマン人、南部(ワロン地域圏)にはフランス語またはワロン語(フランス語の方言的なものだそうです。面倒なので以下、両方まとめて“フランス語”と略します。)を話すワロン人が住んでおり、人口約1050万人のうち、フラマン語のフランドル地域圏に600万人、フランス語を話すワロン地域圏に350万人、フランス語人口が大半を占める首都ブリュッセルに100万人という分布です。。
1人当たりのGDPが世界最高クラスのベルギーですが、工業・サービス業が発達した北部のフランドル地域に比べ、石炭・鉄鋼業が衰退した南部のワロン地域では失業率が2倍以上あります。

政治的には従来フランス語圏が優位な立場を占めていましたが、昨年6月10日の総選挙でフラマン語=オランダ語圏の中道右派政党・キリスト教民主フランドル党(CD&V)が勝利。
フランドル地域圏の自治権拡大を強く要求するCD&Vにフランス語圏政党が反発、連立内閣組閣工作が進まず、チェコとスロバキアの分裂国家のようにベルギーも両語圏に分裂する恐れまでも取りざたされていました。
“分裂”を危惧する国民が自宅の窓にベルギーの旗を掲げるような光景も首都ブリュッセルで見られました。

昨年12月末になってようやく今年3月23日までの期限付き“暫定内閣”が発足しましたが、その期限切れを控えて、今回ようやく正式の内閣が成立することになりました。
首相はフラマン語系のCD&Vのイブ・ルテルム氏ですが、「フランス語圏の人間は、フラマン語を学ぶ知性がない」という問題発言や、昨年の建国記念日に取材でベルギー国歌を口ずさむように求められ、悪ふざけなのか本当に知らなかったのか、フランス国歌を歌うといった軽率な行動などで顰蹙をかっていました。
またフランマン語圏の利害に固執した姿勢が、今回の長期“無政府状態”の原因とも考えられており、国民の人気は芳しくないようです。
首相就任後、「ベルギー社会の多様性を尊重する」と述べていますが、フランス語圏の92%が新首相を「信用しない」としているそうです。【3月22日 毎日】

ベルギー国民は“地域、国家、ヨーロッパ”という3層のアイデンティティーを持っているとも言われますが、昨年11月15日のブログでも、また12月17日の“スコットランド独立”でも述べたように、今後EUの機能が更に拡充していけば、敢えて既存の厄介な“国家”というシステム維持に固執する必要もなくなるのかもしれません。

ベルギーと違って相変わらず決まらないのがレバノン大統領。
しかも、ベルギーと違って、かなり血なまぐさい事件なども起きる展開が続いています。
レバノンは昨年11月以来、議会で欧米や多くのアラブ諸国が支持する多数派とシリア・イランが支持する野党勢力(ヒズボラなど)が対立して、大統領を選出できない状態が続いています。

2月25日に、議会での大統領選を3月11日に延期するという“15回目”の延期が発表されました。
さすがに、ここまで繰り返すと殆どニュースにもとりあげられない状態で、3月11日がどうなったのか確認できませんが、少なくとも新大統領が決まったという話は聞きませんので。恐らく“16回目”の延期に入っているものと思われます。

複雑な宗派が入り組む“モザイク国家”であるレバノンは、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はシーア派からの選出が決まっているなど、宗派に応じてポストや議席数を配分する独特の「宗派主義体制」をとっています。

スレイマン軍司令官(キリスト教マロン派)を新大統領の統一候補とすることで与野党双方が合意しましたが、新大統領就任後に発足する内閣のポスト配分などをめぐる対立が続いています。
親シリアのシーア派組織ヒズボラなどの野党連合は、新大統領就任後の次期内閣の閣僚構成について、内閣の決定に拒否権を行使できる3分の1以上の閣僚ポストを求めています。

スレイマン軍司令官を選出するためには、新大統領選出に先立ち、公職在職者の大統領就任を禁じた憲法の改正案を国会の定足数3分の2以上の賛成で可決する必要がありますから、与党連合単独では改正は不可能で野党の協力が必要になります。
更にシーア派の国会議長が国会の招集権を握っています。
与党側が譲歩しない限り、どうにも審議が前に進まない状況です。
一方、政局の混迷を打開するために解散・総選挙を実施すれば野党側が優勢とみられることから、与党連合はそれにも踏み切れないという八方塞りの状態です。【07年12月23日 産経】

業を煮やしたアメリカ・ブッシュ米大統領は「シリアによる内政干渉」を非難し、与党側に国会での「単独採決」を促したそうですが、これは非合法手続きであり、強行すればレバノン内戦再開にもつながりかねません。
今年2月にはアラブ連盟による調停作業も失敗。

そうこうするうちに、2月12日ヒズボラの民兵組織指揮官の1人、イマド・ムグニエ容疑者がシリアで自動車爆弾によって殺害されました。
ヒズボラ側はイスラエルによる暗殺だと非難、報復を主張してイスラエルとの緊張が一気に高まる事態となっています。(イスラエルは関与を否定)

こうしたレバノン情勢緊張を受けて、アメリカは「地域安定化に対する支援を示すため」レバノン沿岸沖に駆逐艦「コール」を派遣。
殆ど事態打開の目処がたたないどころか、内戦再開の危険すら孕んだ展開となっています。

日本でも与野党対立から日銀総裁が空席となる事態に突入していますが、ベルギーとかレバノンの情勢をみると、“まあ、半月やそこらのことでそんなに律儀にあせらなくてもいいいのかも。代行権者がいるならそれはそれで・・・。それに海外も日銀総裁が誰でも関心ないだろうし・・・。気の済むまでやれば”なんて不埒なことを考えてしまいます。

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