孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

戦争の惨劇の記憶  ソンミ、ハラブジャ、そして東京

2008-03-17 18:55:01 | 世相
アフガニスタン国境に近いパキスタン部族支配地域(トライバルエリア)の南ワジリスタン管区で16日、民家にミサイルが命中し、住民ら16人が死亡しました。
民家には国際テロ組織アルカイダと関係のある外国人がいたと言われています。
ミサイルは無人飛行機から発射されたとみられ、アフガン駐留米軍による攻撃の可能性が高いと考えられています。 

パキスタン政府は国内反米感情にも配慮して国内での米軍の軍事作戦を認めていませんが、最近このたぐいのアフガンニスタンから米軍による攻撃、それも無人飛行機を使った攻撃が目につきます。

先月28日にも同じ地域で、やはり無人飛行機からのミサイルによってマドラサ(イスラム神学校)とこれに隣接する家屋が攻撃を受け、少なくとも13人が死亡、約10人が負傷しました。
地元治安当局者は、死者の多くはアフガンやアラブ系のイスラム過激派だとしています。
この攻撃についてパキスタン軍の発表はありません。
また、今年1月には国際テロ組織アルカイダのナンバー3とされたアブ・アルリビ容疑者が米軍無人飛行機によるとみられる攻撃で殺害されています。 

無人飛行機はアメリカだけでなくイスラエルも多用しており、ガザ地区のイスラム過激派にとって脅威となっています。【3月14日 WIRED NEWS】
アメリカが使っているとされる無人偵察機プレデター(RQ-1 Predator)は12000メートル上空を30時間連続で飛行でき、人工衛星を経由することで、アメリカ本土から操作することも可能とか。【ウィキペディア】

戦争のハイテク化はどんどん進んでいるらしく、スズメバチぐらいの大きさの超小型無人飛行機、空中で静止して地上に仕掛けられた爆弾の写真を撮影する円盤などなど。
こうした兵器によって、血しぶきを浴びたり、肉片が飛び散るのを見たりせずに、また自分の身は安全な場所に起きながら、殺戮が手軽に可能になってきています。
ただ、この種の兵器で一定のダメージを与えることは可能ですが、実際にその地を完全におさえるためには最終的にはイラクで展開されているような地上戦がまだ必要になります。

そうした文字どおりの“戦闘”にあっては、相手は民間人に紛れ、一体誰が敵か定かでないような極限の緊張のなかで、ときに狂気が噴き上げます。
限界に達した緊張と恐怖は民間人虐殺事件のような惨劇を惹起します。
イラクにおけるハディサ事件であり、かつてはベトナムにおけるソンミ村虐殺事件でした。

昨日3月16日は、ベトナム戦争中の68年に当時の南ベトナムの旧ソンミ村(現ティンケ村)で、米軍が無抵抗の女性や子供ら504人を殺害した「ソンミ村虐殺事件」から40年にあたり、現地では奇跡的に殺害を逃れた生存者や元米兵、地元住民ら数千人が参加して追悼式典が行われたそうです。

また昨日は、イラクのクルド人自治区のハラブジャで、サダム・フセイン政権時代の1988年にイラク軍による毒ガス攻撃が行われ5000人が死亡した惨劇の日から20年目を迎えた日でもありました。
当時のイラン・イラク戦争の終盤、イラン側に呼応する動きを見せていたクルド人の抵抗を抑えるため、青酸ガスか何かの毒ガスが使用されたようです。
多くの村民が今でも後遺症に苦しめられており、毒ガスが原因で死亡する人も後を絶たないそうです。
昨日16日は現地で追悼式典が催されました。

当時国際社会の多くはイラクを支持しており、事件もほぼ黙殺されていました。
人権大国アメリカも、レーガン政権がイラン・コントラ事件の失態を糊塗するようにペルシャワ湾へ出動し、イラクを支援しイラン艦船と戦闘を行っていたぐらいですから、この毒ガス攻撃を問題にするどころでもないでしょう。

もちろん5000人を毒殺した惨劇は許されざる非道であり、事前にそのような行為がわかっているのなら、国際的軍事介入で阻止することも必要なことかと思うぐらいですが、ただ、冷静に考えると、同じような殺戮は多くの国が多くの場面で昔から繰り返してきた行為でもあります。

1週間前の3月10日は、かつて東京大空襲で広島・長崎にも匹敵する数万人の犠牲者が出た日でした。
出来るだけ多数の民間人を効率的に焼き殺すことを研究した米軍は、まさにその成果を手にしました。
イラク・ハラブジャでクルド人が毒ガスで殺戮された行為と、東京で10万人以上とも言われる犠牲者を出した作戦の間にどれだけの差異があるのか、わかりません。
東京空襲が戦争終結に向けて必要だったと言うなら、フセインにだって言い分はあるでしょう。

別にアメリカの行為だけをとやかく言うつもりもありません。日本だって同じでしょう。
日本をはじめ多くの国々がかつて戦争・紛争で行ってきた行為は、結局のところこうした行為の延長線上にあるもののように思えただけです。
人間と人間が殺しあう戦争というものを考えるとき、ピンポイント爆撃とか無人飛行機とかいったもの、あるいは国家間のパワーゲーム的なもの、そういった側面からではなく、ソンミ村とかハラブジャとか東京とかいった視点から考えることがやはり必要なのでは・・・と思った次第です。

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