(朝市近くのモン族の村の広場 絵にかいたようなのどかな朝の村の光景のなかで、銃を背負った男性が散見されました。観光客が訪れる村ですから、物騒な話ではなく、単にこれから猟にでも出かけるのでしょう・・・多分)
【大国に翻弄されるモン族の悲劇】
ラオス・シェンクアン観光二日目は、早朝6時に出発してモン族の朝市見学からスタート。
昨日は気温があがり、日中はTシャツ一枚で十分だったのですが、今朝は冷え込みました。
ホテルのあるポーンスワンも1000mを超える高地なのですが、モン族の村へは霧の中、更に高度をあげていきます。車内でパーカーを羽織っていても寒いぐらいです。
水曜日と日曜日に週2回開かれる朝市。
モン族とはいっても、別に民族衣装を着ている訳でもなく、顔だちも日本人からすればラオ族と区別がつきません。
ウィキペディアによると、現在モン族は中国に約300万人(ミャオ族)、ベトナム約79万人、ラオス約46万人、アメリカ約19万人、タイ約15万人・・・となっています。
ラオスに暮らすモン族には過酷な歴史があります。
ベトナム戦争において、北ベトナムから南ベトナムへの兵士・物資の輸送ルートとして有名なホーチミン・ルートですが、その9割はラオスの山野に存在していました。
その重要性から、北ベトナム指導者ホーチミンは「南ベトナムを解放するためには、まずラオスを共産化せねばならない」との声明を出しています。
アメリカにすれば、このラオスを抜けるホーチミン・ルートを叩くことが、北ベトナムの南下を阻止することになりますので、ラオス領内に夥しい爆弾を投下しました。
地上においては、北ベトナム軍と北ベトナムの支援を受ける共産主義勢力パテト・ラオが当事者ですが、アメリカ側はラオスでの戦闘を秘密裏に進めており、実際の戦闘を担ったのは、CIAに支援されたモン族兵士でした。
アメリカのモン族利用はフランス統治時代からですが、戦闘激化にともない、兵士調達の「モン狩り」によってモン族の村から青年・少年が消えた・・・とも言われています。
共産勢力側にも共産化されたモン族部隊があり、同じモン族同士が北ベトナムとアメリカの代理人として熾烈な戦闘を繰り広げることにもなりました。
この“裏のベトナム戦争”によって戦士したモン族は夥しい数にのぼり、アメリカ国防省は「モン族ではなくアメリカの若者が投入されていたら、アーリントンの黒壁(国立戦没者墓地の墓銘碑)は5~6倍の長さになっていたに違いない」とも分析しているそうです。
アメリカにとってのベトナム戦争は南ベトナムからの「名誉ある撤退」によって一応区切りがつきましたが、後に残されたアメリカの代理人となって共産勢力と戦ったモン族兵士の苦難は続きます。
“引き揚げ機に乗れず生き別れになった親子、大量のアヘンを一気に口にして自殺を図る者、そして死体を掘り起こしてその肉で飢えをしのぐ者”【地球の歩き方2014~2015 竹内正右】
サイゴン陥落に続き、ラオスも共産勢力の支配するところとなりますが、パテト・ラオと北ベトナムは「裏切り者」モン族の徹底した掃討作戦を行います。
残ったモン族側も徹底抗戦を続け、上記【地球の歩き方2014~2015 竹内正右】によれば、“ベトナム軍主導の掃討作戦は今も続き、餓死する者も相次いでいる”との記述もありますが、2014年の“今”どうなったのかは知りません。
少なくともベトナム戦終了後30年ほどは続いたようです。
こうした経緯から、タイに逃れるモン族も多いこと、タイとしてはラオスに引き渡して厄介払いしたいこと、モン族を利用したアメリカではその償いとして、モン族難民を多数受け入れている地域もあることなどは、
2008年7月31日ブログ「ラオス難民のモン族 今なお続くベトナム戦争、更にイラクへ」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080731
2009年9月15日ブログ「タイ政府 モン族「難民」をラオスへ全員送還の方針」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20090915
でも取り上げてきました。
【戦争の犠牲者が眠る洞窟】
モン族の朝市に続いて立ち寄ったのは、ベトナム戦争当時のもうひとつの悲劇の舞台、「タム・ピウ洞窟」です。
当時、この大きな洞窟には学校・病院が作られ、住民が避難生活を送っていました。
1968年11月24日、この洞窟を米軍のロケット弾攻撃が襲い、1発目で入り口のコンクリート壁が破壊、2発目で洞窟内部は火の海となり、374人が一瞬で亡くなりました。
付近には犠牲者を弔う記念碑や、米軍と果敢に戦ったパテト・ラオを記録する資料館などがあります。
ただ、訪れる人はまばらで、駐車場の空き地ではビールを飲みながらペタングに興じる人々が。
見慣れないペタングの様子を眺めていると、グラスに注がれたラオ・ビールを(無理やり)ごちそうになりました。
酒が弱い私は朝からビールなんてほとんどないことですが、冷えて飲みやすいビールでした。
更に勧められた缶ビールはご辞退して、野天湯に向かいます。
川に沿った野天湯は期待以上に野趣豊かないいところでした。
地元のお姉ちゃん二人と混浴もできましたし。
そのあたりは旅行記サイトで詳しく。
ベトナム戦争当時の傷跡が残るラオスですが、政治的に強い影響力を持つ「兄弟国」ベトナムや市内でバーツも流通するようなタイ経済の影響に加え、近年は中国の進出・影響拡大が著しいのはカンボジア・ミャンマーなどと同様です。
10年後に再訪すれば、まったく異なる顔をみせるのかも。