孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

セネガル 拡大する宗教的相互扶助システム「働くことは祈ること」

2007-07-31 14:49:45 | 国際情勢


(写真はセネガルの聖地トゥーバ マラブーとその信者(多分・・・)
“flickr”より By restoux)

セネガルはサハラ砂漠西南端に位置し大西洋に面する西アフリカの国。
旧フランス植民地で、首都は“パリ・ダカール・ラリー”の終着点として知られているダカールです。
ダカールはかつて、大西洋を渡って送られる奴隷貿易における世界最大の“積出港”でした。
昨日の報道でセネガルに関する以下のようなニュースを見ました。




バイオ燃料の熱心な推進者のひとりであるセネガルのアブドゥラエ・ワッド大統領は、世界でも代表的なバイオエタノール供給国である外遊先のブラジルで、「バイオ燃料がアフリカに“新しい革命”を起こそうとしている」「アフリカ大陸はバイオ燃料の巨大な生産地となる」と語ったそうです。

セネガルではバイオディーゼル生産に向けた菜種栽培の実験を開始し、また、国内の製糖企業1社がバイオエタノール抽出のための蒸留を行っています。
更に、ワッド大統領はバイオ燃料と再生可能エネルギーに関する政策に特化した省を新設。
同国は石油を産出せず、発電の大半をディーゼルに依存していることから、バイオ燃料の生産開始を強く望んでいると言われています。

このような動きに対し、仏語系の西アフリカ諸国8か国による西アフリカ経済通貨同盟は「バイオ燃料は石油を補完するものにすぎず、エネルギー問題の解決策にならない。」「バイオ燃料では大量生産として必要な生産量に達するのは不可能」と警告を出したそうです。

また国連食糧農業機関も批判的で、「バイオ燃料の生産拡大により、アフリカがすでに直面している食糧不足に拍車をかける事態に陥りかねない」と危機感を示しているそうです。
(以上、2007年07月30日 21:40 AFP 発信地:ダカール/セネガル)

西アフリカ経済通貨同盟の警告の背後に何か地域事情があるのかどうかはわかりません。
国連食糧農業機関の危機感は食糧不足のアフリカにあって、もっともと思えます。

セネガルはイスラム教徒が大部分を占める国ですが、特にイスラム教スーフィズムの流れを汲むムリッド教団が急速に拡大しており、人口1000万人のこの国で信者は300万人を超えると言われています。
また、ワッド大統領自身がムリッドの熱心な信者です。
以下、「アフリカ21世紀」(NHK「アフリカ」プロジェクト)より、ムリッド教団について紹介します。

スーフィズムはイスラムスンニ派の系統に属する神秘主義的なイスラム哲学で、厳しい修行と禁欲を重視し、ひたすらクルクルまわる回旋舞踏による神との一体化などの特徴があります。ギリシャ哲学やヒンドゥー教的な異端の要素も含んでいるそうです。
その中でもムリッド教団は19世紀末、教祖バンバによりセネガルで広められた教えです。
1895年フランス軍に捕らえられ流刑される際、船上で祈ることを禁じられたバンバは、海上に敷物を投げその上で1日5回の礼拝をしたそうです。
この奇跡がムリッド教団の原点ともなっており、今も人々の信仰を集めているそうです。

大勢いる開祖バンバの血縁者達が“マラブー”と呼ばれる“奇跡の血”を受け継ぐ宗教的な指導者として崇拝されており、信者はおのおの自分のマラブーを決めて付き従います。
ムリッドの特徴は、「働くことは祈ること」というその教義です。
バンバは「労働は祈りのひとつの形である。私のために働きなさい。そうすれば私があなた方に代わって祈ってあげましょう。」と語ったそうです。

農民達に暴力による抵抗を禁じ、「働き祈る心の中までフランス植民地主義は入ってこられない」とひたすら働くことを説いたバンバは、フランスにとっても利用価値があり、後年両者は協調路線をとるようになりました。
フランス植民地政府はムリッド教団に土地を与え、そこでフランスが持ち込んだ落花生をムリッド信者が生産、フランスの建てた加工場で食用油を絞るという関係です。
セネガル独立後も、政府と教団のこのような協調関係は引き継がれたそうです。

信者30万人ぐらいが暮らす教団の本拠地トゥーパは、政府のコントロールから独立した、教義に基づく独自の運営がなされているそうです。
住民サービス、水や土地などの供給を国家に代わって教団が無料で行います。
これに対し信者は献金を行います。
「自分ができるときできる分だけを教団に寄付し、困ったときは生きるのに必要なものを無償で教団が提供する」という、法律や罰則によらない“相互扶助”の精神で成り立つ関係、「権利と義務」とか社会契約という概念とは異なる関係が存在しているそうです。

また、そこには公立学校はなく、子供の教育はコーラン学校で行われます。
通いのコーラン学校では卒業生などが子供達の両親から食事の寄付を受けて、コーランを教えます。
マラブーが運営する寄宿制のコーラン学校もあります。
公立学校が一応存在するトゥーパ以外の街でも、コーラン学校がさかんだそうです。
西洋式の公立学校では膨大な子供数に対応できないそうです。
(不十分な公教育から溢れた貧しい人達がイスラム宗教学校に流れる構図は、「赤いモスク事件」で揺れたパキスタンでも見られました。

マラブーの寄宿制コーラン学校では大勢の子供達が、中庭の砂の上で折り重なるように寝起きするような環境で暮しています。
子供達はコーランを朗読するほか、街へ出て食べ物・お金の施しを集めます。
集められた食材・お金はマラブーに届けられ、マラブーの妻が料理をつくり子供達に与えます。
また、子供達は交代でマラブーの落花生農場で働きます。
「働くことは祈ること」ですから、皆熱心にはたらきます。炎天下でも夜でも。
子供達は卒業後もマラブーの農場ではたらき、畑を広げます。やがて独立を許され、土地を分け与えられます。
やがて子供が生まれると、マラブーの学校に預けて・・・。

このようなムリッドのマラブーと子供達の関係は西欧的には奇異に思える部分があります。
個人的にも、新興宗教をイメージさせるものがありますし、結局バンバの血縁者であるマラブーと呼ばれる特権集団に奉仕しているだけのようにも見えます。
ただ、それが信仰なんだと言われればそうなのでしょうが・・・。

ユニセフは報告書の中で「宗教学校は資金不足で子供達を長時間路上に送り出し、食事とお金を物乞いするよう強制している。」「子供がその生活条件を受け入れ、抵抗しないように教え込まれている点で、強制労働である。」と批判しています。
ユニセフの批判も頑なに西洋的な感じはします。
ムリッドからすれば、物乞いではなく一種の托鉢でしょうし、労働は宗教的行為ということになります。
ただ、視野が宗教的な面に限定され、現状に無批判な人間が宗教学校で育てられる点には危惧の念を感じます。(どこの社会でも同じじゃないか・・・と言われればそうですが。)
宗教の外にいる人間には、判断しかねるものがあります。

このムリッド教団が急速に拡大したのは、教団を中心とした相互扶助システムが実際に干ばつによる飢饉のときに、“都市部に出ていた信者が献金する、農村の親は子供をコーラン学校に預けて都市に出て援助物資をもらう”といった形で、信者達の命を支えるべく有効に機能したことがあります。
現在は、ムリッド信者の相互扶助ネットワークはセネガル経済を左右するほど大きくなっており、更に海外に出稼ぎに出る信者によって、海外にもネットワークが広がっているそうです。

最初の話題に戻ると、熱心なムリッド信者でもあるワッド大統領は恐らく菜種栽培・バイオエタノール生産を、ムリッド教団の農場に持ち込もうと考えているのではないでしょうか。

経済の発展にとって、その社会を構成する人々の“勤勉精神”が非常に重要であることは言うまでもありません。
先ほども述べたように、外の人間には若干奇異に思える部分はありますが、ムリッドという宗教に支えられた「働くことは祈ること」という勤勉精神がセネガル経済を豊かにしてくれるのであれば、そしてその相互扶助システムが社会のセーフティーネットとして機能し、社会を安定化させるのであれば、それはそれでいいのかな・・・と思います。
もちろん、教団以外の国民の権利が十分に守られていることが前提ですが。

ワッド大統領は次のように発言しています。
「ムリッドにとって仕事は神に到達する方法です。西洋人は金を稼ぐために、家族を養うために働きますが、ムリッドが働くのはそれが神の啓示だからです。働けば働くほど天国への道に近づく。働くために働かねばならないのです。だから、ムリッドはエネルギーと動員力のある宗教なのです。」

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アフリカの貧困・混迷はかつての植民地支配の結果か?自己責任か?

2007-07-30 14:08:39 | 国際情勢

(“flickr”より By RemyOmar)

写真はかつて奴隷貿易の基地のひとつであったアフリカ、タンザニアのザンジバル島にあるモニュメント。
15世紀から19世紀のヨーロッパ列強による奴隷貿易によって、1500万人とも3000万人とも言われるアフリカの人々が犠牲になったと考えられています。

今月の26日・27日、リビア、セネガル、ガボンのアフリカ3カ国を訪問したサルコジ仏大統領が「いつまでも(西欧に)植民地支配の責任を押し付けるばかりではなく、独裁や貧困のない自立したアフリカを築くべきだ」「植民地主義は過ちだったが、それが虐殺や内戦、貧困などのすべての理由とは言えない。」「汚職や暴力、貧困を排除したければ自分たちで決意すべきだ。」と発言したそうです。
これに対し、アフリカ連合のコナレ委員長は「植民地支配がアフリカを他の世界から置き去りにしたのは歴史的事実だ。」と反論しています。

過去の歴史認識で紛糾するのは日本と中国・韓国の間でも見られることですが、西欧諸国とアフリカ諸国の間には、植民地支配、奴隷貿易という過去をどう清算するかという大問題があります。

2001年、南アフリカのダーバンで反差別世界会議が開催されました。
以下、「アフリカ21世紀」(NHK「アフリカ」プロジェクト)に記されているところの一部を紹介します。

この会議は国連主催によるもので、世界中のあらゆる差別撤廃を目指すという壮大なものでした。
冷戦後の世界各地では排外主義的な民族紛争が多発しており、過去の未解決諸問題を清算することで差別偏見のない21世紀を切り開く転換点としようという趣旨です。

この世界会議で中心議題となったのが、中東問題と欧米が過去に行った植民地支配・奴隷制に対する謝罪と賠償の問題でした。
会議は最初から紛糾しました。
アフリカ諸国は、過去の植民地支配、奴隷制・奴隷貿易、アパルトヘイトをすべて「人道に反する罪」(Crimes against Humanity)と捉えて、欧米に対し謝罪と賠償を要求しました。

「人道に反する罪」とはドイツナチスの戦争責任を問うニュルンベルク裁判で登場した概念です。
その内容は「犯罪の行われた国の国内法に違反すると否とにかかわらず、戦争または戦争中のすべての一般市民に対する殺人、殲滅、奴隷化、強制移送、その他非人道的行為、もしくは政治的、人種的行為または宗教的理由に基づく迫害・・・」というものです。

アフリカ諸国は欧米の行った植民地支配・奴隷制はナチスのジェノサイドに匹敵する罪であると断罪し、その謝罪及び対外債務の帳消し、ODAの増額等の補償を求めました。
「今日アフリカ諸国が貧困に苦しんでいるのは、長く植民地支配・奴隷制で植民地を収奪し続けた旧宗主国の責任である。」という主張です。

これに対し、ヨーロッパ諸国は強く抵抗しました。
「過去の奴隷制については“遺憾”とされるべきものであるが、数世紀前の政府が行った行為に対して現代の政府が責任を負うのは適切でない。」(昨日まで参院選で争われていた“年金問題”のようでもあります。)
「そもそも“人道に反する罪”という概念はニュルンベルク裁判で確立した概念であって、それ以前の事象には適用されない。」
西欧諸国は“「罪」を認めると際限のない補償問題につながる”という危惧がありました。
その中でも、「人道に反する罪」は認めないが、過去の奴隷制に対しては“謝罪”してもいいのではとするベルギー等の11カ国に対し、イギリス、ポルトガル、スペイン、オランダの4カ国は“遺憾”に留めるべきと強く主張したそうです。

アフリカ諸国にも“援助国との関係をこじらせたくない”という不安もありました。
結局、宣言文は以下のようになりました。
「奴隷制・奴隷貿易は人道に反する罪であると認める。過去の奴隷制や大西洋を渡って行われた奴隷貿易については、当時、人道に反する罪という考え方があったなら、そうであったかもしれない。」

前半の「奴隷制・奴隷貿易は人道に反する罪であると認める。」という部分は、現在もアフリカの一部などで行われているものを指しており、欧米が過去行ってきたものではありません。
後半の婉曲な表現は要するに“当時は人道に反する罪という考え方がなかったので、その罪にはあたらない”というものです。
ほぼ、西欧諸国の主張に沿ったものです。
アフリカ諸国の主張は退けられました。

今回のサルコジ大統領の発言、それに対する反応もこのときの会議をなぞる議論です。
独立後数十年経過して、今もなくならない貧困と飢餓、蔓延する民族・部族・氏族対立による内戦、繰り返される暴力、累積する対外債務・・・
確かに、サルコジ大統領の言うところは正論のようにも聞こえます。
しかし、「すき放題やったお前らにえらそうなこと言われたくないよ!」というアフリカの心情も理解できます。

昨日のブログでも世界各国の所得格差を紹介しましたが、「なぜアフリカはこんなに貧しいのか?何故テイクオフできないのか?同じ植民地支配から出発したアジアの国にはテイクオフしている国が多くあるのに。何がアフリカとアジアで異なるのか?」という思いがありました。
また、「なぜ、いつまでもアフリカには内戦・紛争・暴力・虐殺が絶えないのか?」という疑問もあります。
この点については、今後も考えていきたいと思っています。

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世界を1枚のグラフに表すと・・・「豊かさと幸せの関係」

2007-07-29 15:28:33 | 国際情勢

上のグラフは、昨日とりあげた米世論調査機関「ピュー・リサーチ・センター」が今月24日に発表した国際世論調査「GLOBAL OPINION TRNDS 2002-2007」の中の1枚です。
タイトルは「Wealth and Happiness」(豊かさと幸せの関係)。

横軸は各国の一人当たりGDP。
縦軸は一応“Happiness”を表す指標ですが、少々説明が必要です。
“the worst possible life”が“0”、“the best possible life”が“10”という基準で、調査対象者に今の自分の生活を10段階にランク付けしてもらいます。
この基準で“10~7”に自己判断した“High”グループの割合を持って“Happiness”あるいは“life satisfaction”(生活満足)の指標としたのが冒頭グラフの縦軸です。

単に現在の暮らしが社会的にみて上流か否かというだけでなく、過去の生活状況との比較、将来への希望なども影響する概念と思われます。
内戦が終結した国と紛争解決の出口が見えない国では、その評価も変わります。
年金制度への信頼も影響するでしょう。
人種差別・身分制度などによる社会的流動性の制約も影響するでしょう。

自分が答える場合、“possible”ということをどのように考えるかはいささか悩むところではあります。
“自己破産して、ホームレスになって、首をくくる”事態もpossibleな状態か?
“3億円宝くじが当たってセレブな生活”というのもposssibleか?
個人によって想定の範囲は相当に異なるでしょうが、約700~1000名ほどの対象者全員の回答を総合して比較すれば、そこに出てくる差は何らかの意味を持つものではないかと思えます。

グラフを見ると、地域によって特徴があるのがわかります。
横軸のGDPが限りなくゼロに近い1000~2000ドル付近に赤いマークが集中しています。
これがアフリカの国々です。
しかし、同じような低所得にも関わらず、Happinessの度合いは大きく異なります。
上位の2カ国はエジプト(37%)、ナイジェリア(35%)です。
下方の2カ国はウガンダ(7%)、タンザニア(10%)です。
国内社会情勢の反映でしょうか。
よく見ると、GDP13,000ドル付近に赤いマークがひとつあります。
これは南アフリカ(36%)です。
高所得について、白人富裕層の影響か、国民全体の底が上がっているのかはよくわかりませんが。
5年前の2002年調査と比較すると、アフリカ諸国のHappinessの中央値(メジアン)は18%→21%と3ポイントの増加と、他地域に比べ比較的小さな改善にとどまっています。

曲線で示されたGDPとHappinessの関係(回帰線)から大きく上方にずれてオレンジのマークが集中しています。
これは南米諸国です。
現在のGDPは数千~15,000ドルほどですが、そのHappinessは西欧・北米諸国と同レベルにあります。
GDP10,000ドルぐらいのメキシコが76%(調査国中でトップ)、ブラジルが63%、他の南米諸国も高いHappinessを示しています。
気質の反映とも考えられますが、それだけでもなさそうです。
5年前と比較すると南米諸国の中央値は44%→59%と15ポイント大きく改善しています。
単に気質の問題なら5年前も今も高いはずで、5年間で大きく変動したということはこの5年間の何らかの変化の反映と考えられます。
実際、これらの国々はここ数年経済成長を実現していますが、他の地域に比較して特別高い成長でもありませんので、経済成長率だけの問題でもなさそうです。

回帰線をはさんで、南米諸国の反対側に位置している緑マークは東欧諸国です。
このグループの中でGDP、Happinessともに比較的高いのがチェコ(約25,000ドル、42%)です。
Happinessが一番低いのがブルガリアで17%。ただ、ブルガリアは前回02年はアフリカ諸国より低い8%しかなく、これでもこの5年で9ポイントの改善は見せています。
どのような国内事情にあるのでしょうか。
ロシアはGDPで13,000ドル付近、Happinessで23%と、西欧・北米に比較するとかなり低い数値になっています。
ロシアはここ5年間でGDPは42%増加していますが、Happinessは18%→23%と5ポイントの改善に留まっています。
東欧諸国全体で見ると、G DPの成長率は他の地域を圧倒して36%という非常に高い成長を示し、それに沿う形で、Happinessも11ポイント改善しています。

回帰線に沿う形で広範に散らばっている青っぽいマークがアジア諸国と中東諸国(グラフ上での判別は困難です)です。
アジア諸国の中でGDPが一番右に位置するのが日本(GDPで34,000ドル付近)ですが、そのHappinessは43%(ここ5年間で5ポイントの改善)と同程度のGDPを示す西欧諸国(薄紫のマーク)に比べかなり低い数値となっています。
これは日本的謙譲の美徳のあらわれでしょうか?それとも社会問題の反映でしょうか?
日本の次に位置しているのが韓国で、GDPは25,000ドル付近、Happinessは日本より高い48%。
ただ、韓国のHappinessはこの5年で4ポイント低下しています。
逆に、GDPがアフリカ諸国の赤いマークと重なっているのがバングラデシュで、Happinessも17%に留まっています。
なお、中国はGDPが8000ドル付近でHappinessは34%、インドは4000ドル付近で41%と、その低い所得水準からすると、インドのHappinessの高さが目立ちます。
両国はさすがにこの5年間で、各々12ポイント、11ポイントという大幅なHappinessの上昇を見せています。
調査対象が中国約3000人、インド約2000人ですから、あの人口と大きな社会較差をどのように反映した調査結果であるかについては問題が残りますが・・・。

中東諸国で飛びぬけているのがイスラエル(30,000ドル強、68%)です。
ヨルダン、レバノン、トルコ、エジプトといった国が、Happinessで25~28%付近に集中しています。
さすがに富裕国クウェートのHappinessは46%です。

30,000ドルを超える付近に点在する薄紫色のマークが西欧諸国です。
しかし、Happinessには差があり、スェーデン(72%)、スペイン(66%)に対し、ドイツ(48%)、イタリア(48%)となっています。
なお、イギリス・フランス・ドイツ・イタリアのこの5年間のGDP成長率は7%と地域間では一番低く、Happinessの改善も0ポイントと最低になっています。

最後にグラフ右上に残るのがアメリカ(約45,000ドル、65%)、カナダ(約36,000ドル、71%)の北米です。

世界各国の置かれた現況、地域・国家間の格差が窺える興味深いグラフです。

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イスラム社会で自爆テロ支持が急減、しかし現実は・・・

2007-07-28 12:21:10 | 国際情勢

(写真は2005年5月7日にイラクで起きた自爆テロに巻き込まれた女子学生
“flickr”より By kungfu gomez)

米世論調査機関「ピュー・リサーチ・センター」が今月24日に発表した国際世論調査が話題になっています。
その要旨は「一般市民が巻き添えになる例が絶えないイスラム過激派による自爆テロについて、この行為を正当化する考え方が世界のイスラム社会で急速に減少している」というものです。

調査結果の集計値は次のようなものです。


“自爆テロを正当化する”との回答を02年と今回の調査で比較すると、レバノンは74%から34%、パキスタンは33%から9%、世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアが26%から10%といずれも半分以下に減少。ヨルダン、バングラデシュなどでも大幅に減っています。

しかし、ナイジェリアは相変わらず高く、パレスチナ自治区は前回調査がありませんが70%と群を抜いて高い自爆テロ支持の結果となっています。
同調査によると、パレスチナ自治区ではヒズボラやハマスといった過激武装勢力に対しても好意的です。
また、ヨルダンで03年の56%から今回の20%に低下するなど各国で落ち込んでいる国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者に対する信任も、パレスチナ自治区では57%の高率になっています。

この調査の性格がよくわかりませんので、「どこまでこの結果を信用していいのか・・・」という問題がありますが、パレスチナのような厳しい状況下にある地域は別にして、一般的にはイスラム社会でも、とめどない暴力の連鎖、一般市民の被害に対してこれを厭う気分が広がっているようです。

しかし、現実の自爆テロは減少する気配が見えません。
「イラクの首都バグダッドで7月25日、2件の自動車爆弾による自爆テロが相次いで発生、サッカーの第14回アジアカップの準決勝でイラクが韓国を破って決勝進出を決めたことを祝っていた市民ら少なくとも26人が死亡、多数が負傷した。」

「イラク中部のヒッラにある小児病院前で7月24日、自動車爆弾を使った自爆テロがあり、少なくとも26人が死亡、69人が負傷した。地元警察官によると、負傷者の大半は女性と子どもとのこと。」

「パキスタンで7月19日、自爆テロが2件発生し、少なくとも36人が死亡した。このうち1件は中国人労働者と治安部隊の車列が標的となった。警察当局は、事件は首都イスラマバードで今月起きた「赤いモスク」への強行突入に対する報復との見方を示している。」

「パキスタンの首都イスラマバードの「赤いモスク」付近で7月27日、警官隊を狙った爆発があり、14人が死亡、70人以上が負傷した。警察当局によれば、犠牲者の半数以上は警察官だった。事件は、再開されたばかりの赤いモスクで金曜礼拝に集まったイスラム教武装集団タリバンを支持する神学生らが再び一時的にモスクを占拠。警官隊と衝突する最中に、モスクから数百メートル離れたイスラマバード有数のマーケットで発生した。」

「アフガニスタン南部のウルズガン州で7月10日自爆テロが発生、17人が死亡、約30人が負傷した。地元警察によると、ウルズガン州を通りかかったNATO主導部隊に、男が徒歩で近付き自爆したという。死亡した17人は、いずれも民間人だった。」

「モロッコのカサブランカで4月10日未明、治安部隊の取り締まり中に武装勢力のメンバー1人が死亡、ほかに1人が自爆する事件が発生した。また数時間後には同市内で別の自爆テロ事件が発生し、自爆した1人が死亡している。」

「ソマリアの首都モガディシオで6月3日、市内北部にあるアリ・モハメド・ゲディ首相の自宅を狙った自爆テロがあり、警備員ら6人が死亡、7人が負傷した。ゲディ首相は無事だった。」

「パレスチナ・カザ地区北部の町ベイトハヌンで2006年11月6日、18歳少女によるイスラエル軍を標的とした自爆攻撃が決行された。少女はイスラエル軍の攻撃が集中している同町で、爆発物を仕掛けたベルトを胸部に巻き、イスラエル軍の部隊へ歩み寄り自爆した。」

探せばいくらでも出てきます。
「ピュー・リサーチ・センター」の調査結果が現実を反映したものであり、今後このような悲劇が減って行く事を願いますが、紛争が続くかぎり、追い込まれれば追い込まれるだけ、憎しみの連鎖は消えないのでは・・・という悲観的な思いもします。
憎しみを消せるのは武力ではなく、公正な社会と経済の向上の実現だけでしょう。

なお、上記調査は各国700から1000人程度(パキスタンは2000人)の対象者に今年4月から5月にかけて面接方式で行ったもののようです。
概要は以下のアドレスにあります。
http://pewglobal.org/reports/display.php?ReportID=257
全文は以下のアドレスです。
http://pewglobal.org/reports/pdf/257.pdf
ともに英文で、特に全文は本文だけで88P、資料等まで入れると168Pに及ぶものです。

調査内容は紹介した“自爆テロ”だけでなく、各国の生活満足度、政府への評価など、非常に興味深いものです。いかんせん英語なので私はパスしましたが。
数字だけ見ても面白いものがありました。
「次世代が今より良くなっているか、悪くなっているか?」という問いに対する各国の答えを見ると、日本は“良くなる”が10%で、47カ国中イタリアと並び最下位、“悪くなる”は70%で、フランス(80%)、ドイツ(73%)に次いで3番目に高い値になっていました。

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原発事情 イタリア・ドイツそして日本

2007-07-27 16:01:10 | 世相

(写真は86年のチェルノブイリ事故当時の避難する人々。
“flickr”より By seahorsetamer)

多くのブログやスレで取り上げられている話題ですが、8月1日静岡県磐田市で予定されていたイタリアからのサッカーチーム“カターニャ”(セリエA)を招いての親善試合が中止になりました。
理由は“今月16日に新潟中越沖で起こった地震に起因する柏崎刈羽原子力発電所からの放射能漏れが、イタリア国内でも繰り返し報道され、クラブ側が重く受け止め来日を中止した事によるもの”だそうです。

このニュースに対する日本国内の反応は、ひとつは「大げさな・・・」「チェルノブイリと同じような事故と誤解しているのでは・・・」「新潟と磐田は遠く離れているのに・・・」という反応。
もうひとつは「いやいや、重大な危機を認識していない日本人のほうがおかしいのでは・・・」という反応のようです。

これらの反応のポイントとして2点見て取れます。
1点目は、情報が正確に伝わるか、海外の情報を正確に評価できるか、という“情報”の問題です。
確かに、イタリア人にとっては静岡も磐田も同じようなものにも思えるでしょうし、事故の規模・内容も正確に伝わっていない恐れもあります。
そのあたりは、海外で事故・事件が起きたときの我々日本人の反応も同様でしょう。
ロンドンでテロが起きれば、イギリス全土が危険地帯であると考える日本人も多数いるかと思います。(その判断の妥当性については別にして。)
各地で話題になる風評被害などもこのような情報の伝達、評価の問題でしょう。

もう1点は原子力発電に関する安全性の認識そのものの問題です。
柏崎刈羽原子力発電所の事故は全国に報道はされていますが、“社会問題となっている”“切実な危機性を感じている”というほどの扱いではありません。選挙の争点になる訳でもありません。
このような認識が本当に妥当なのか?やっぱり原発って危ないのでは・・・?(もちろん、“そんなことないよ!”という考えを含めて)という問題です。

私の故郷には原発があります。
決して他人事ではありません。
実際に原発と隣り合わせて住んでいても、普段その存在を意識することは殆どありません。
「安全性を信じているの?」聞かれると、決してそういう訳でもないのですが・・・。

自分の普段の仕事の経験から考えてもヒューマンエラーは必ずおきます。
“間違えると人命にもかかわることになるから・・・”と言い聞かせていても、やはりおきます。
後で振り返ると、間違いがおきやすい要因が運悪くかさなったケース、別の小さなミスのフォローに気をとられて新たな大きなミスを犯してしまったケース、ルーチンワークに慢心して何も考えずにおこした思い込みのミス等々。

恐らく原発でも同じでしょう。
いくら原子炉を安全・頑丈に作ってあっても、思わぬところで思わぬ事故が起き得ます。
それが思わぬ影響を及ぼすこと、思わぬミスを引き起こすこともあるでしょう。
今回のような地震のような想定外の事態になれば、パニック状態からどんなミスがおきても不思議ではありません。
なのに何故こんなにのんびり構えていられるのか・・・。

自分自身の心のうちを覗くと、「危険性をギリギリ問い詰めれば、世の中すべてのことについてリスク・危険だらけで、外を歩くことだって、食べ物を食べることだってできないじゃない。生きるということはそんなリスクの中で生活するということじゃないの?」「まあ、運が悪ければ死ぬかもね・・・、そのときはみんな一緒だ。それに、多分自分が生きている間に自分にふりかかることはないんじゃないの」といった開き直り、希望的思い込みなどもあるようで・・・。

今回キャンセルしたイタリアは、はじめて知ったのですが、チェルノブイリ事故を契機に1987年、原子力発電所の建設・運転に関する法律の廃止を求めた国民投票により原子力政策は見直しがなされ、稼動中の原発を停止して“脱原発”を実行したそうです。
そのため今は原発は稼動していません。
女性を追いかけることとサッカーしか興味ない、かなり“アバウト”な国民性かと思っていたのですが、結構事態をシビアに考えているようです。

一方、代替開発が進まなかったこともあって、電力需要の14%ほどを海外からの輸入に頼っているそうです。
主な輸入先は隣国フランス。
03年にはそのフランスが電力供給を削減したことから、停電を引き起こす電力不足にみまわれたこともあったようです。(検索しても03年の大停電以外はあまり出てこないところを見ると、その後は大きなトラブルは起きていないということでしょう。)
輸入先のフランスは原発依存の国ですが、「よその国なら原発でもいいのか・・・」「結局、原発に頼っているじゃないの・・・」という問いは少々酷ですかね。

もちろん、電力業界・保守勢力には原子力回帰のノスタルジーがあるようですが、「原発の是非を蒸し返すことは、あたかもわが国の憲法9条をめぐる与野党の対立のように、聖域を前にして足踏みしているようにも見える。」(「原発なき先進国イタリアの悩み」長手 喜典氏)とのことです。
(よくニュアンスが伝わる表現です。)
まあ、日本では9条も変わるようですから、イタリアの原子力政策も今後変更がないとは言えません。

もうひとつ“脱原発”を進める先進国がドイツです。
ドイツは原子力エネルギー利用を廃止することを決めた改正原子力法を2002年4月に施行しました。この法律により新規の原子力発電所建設・操業の許可が禁止され、既存の原子炉については順次停止されることになっており、21年には全ての原発の稼動を停止して“脱原発”を達成する予定だそうです。

ドイツでも社会民主党と現在の首相メルケルを擁するキリスト教民主同盟では温度差があって、“見直し論”などもあるようですが、先日の原発事故の影響でむしろ脱原発への動きを加速させる方向に世論は動いているとか。
先日の事故というのは、6月28日に2基の原発が起こしたトラブル。
事故自体は変電施設の火災や電気設備のショートなどで、大事に至るものではなかったのですが、地元州政府への報告が遅れたばかりか、当局の聞き取りにも応じずに社内調査を優先させるなど、情報開示を後回しにした事後対応の不手際が州政府・世論の批判を浴び、社長が辞任する事態となっています。
この手の事故・対応は日本ではよく見られることです。

また、ドイツは代替エネルギー開発にも積極的に取り組んでいます。
ドイツ環境省は、風力や太陽光など再生可能なエネルギーを利用した電力消費量の割合を、「20年に20%」としていたこれまでの目標を上方修正して、30年に全消費量の少なくとも45%とする新目標を発表しました。再生可能エネルギーの利用が予想以上に進んでいるためだそうです。
さすがに、国民性でしょうか、着実に進めているようです。

個人的には先ほど述べたように普段ピンときていないところがあるのですが、こうした国々の取組みを見ると、“日本も漫然と今のまま進むだけでいいのかしら?”という疑問は感じます。

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フランス 電光石火!リビアと原子炉建設の覚書

2007-07-26 12:14:06 | 国際情勢

(写真は昨日リビアを訪問してカダフィ大佐と肩を並べるサルコジ大統領
“flickr”より By energyPICS)

昨夜は情報が錯綜するアフガニスタンの韓国人拉致事件に気をとられていたのですが、別の事件で「ヘー・・・、そういうものなんだね・・・」というニュースを目にしました。

昨日も取り上げたリビアの児童集団HIV感染事件。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070725

とにもかくにも“被告等がブルガリアに帰国、恩赦で自由の身に・・・”ということで、一件落着と思っていたのですが、「フランスとリビアの両国政府は25日、リビアでの原子炉建設を記した覚書に調印した。」とのこと。

フランスは今回の事件で大統領夫人のセシリアさんが2度トリポリを訪問してカダフィ大佐と会談するなど、事件解決に向けてイニシアティブをとってきました。
サルコジ大統領自身が事件解決直後に首都トリポリに乗り込み、上記覚書に調印したようです。

サルコジ氏は前日、被告等引き渡しから数時間後に開かれた記者会見で、「リビアと連携協定を調印することを私は望んでいる」と発言、「フランスだけがこの種の協定を結ばない国である理由が分からない」と述べたそうです。
リビアの政府高官によると、新協定の範囲は安全保障からエネルギー協力、教育、移民問題、保健衛生や科学研究分野にまで及ぶ可能性があるとのことです。

リビアは石油・天然ガスなどの豊富な資源国。
児童集団HIV感染事件、8年間にも及ぶ被告等の拘束、死刑実施の危機・・・という流れの一方で、単に人道主義的な救済だけでなく、したたかに国家利益を実現する交渉も並行して行われていたようです。
“並行して”というより、恐らくリビア-フランス間では今回の調停・覚書がメインで、事件の処理は事前の筋書きが用意されたパフォーマンスだったとも考えられます。
外交というものはこのように、個人の悲しみ・喜びとはまた別の次元でしたたかになされていくものだ・・・ということを痛感したニュースでした。
それにしても、電光石火の早業ですね。

カダフィも年取りましたが、相変わらずの“伊達男”ですね。

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リビア児童集団HIV感染事件 被告等帰国・恩赦で自由の身に

2007-07-25 14:06:39 | 国際情勢

(ブルガリア首都ソフィアへの帰国を喜ぶリビア児童集団HIV感染事件の被告等 AFP=時事)

リビアの病院で児童438人を故意にエイズウイルス(HIV)に感染(うち56人が死亡)させたとして8年間拘束され、死刑判決を受けていたブルガリア人看護師5人とブルガリア国籍のパレスチナ人医師1人の計6名について、終身刑に減刑されたことでブルガリアに身柄が引き渡されました。
ブルガリア首都ソフィアに到着した時点で、ブルガリア大統領の恩赦が下され、自由の身になったそうです。
(これまでの経緯については今月12日のこのブログでも取り上げました。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070712 )

今回の事件については、ブルガリア政府やEUまたフランス政府が死刑回避の働きかけを続けてきており、14日のブログでも触れたように、フランス新大統領サルコジ氏の夫人セシリアさんも最近2回トリポリを訪れリビアの実質的指導者のカダフィ大佐と会談をおこなったことが報道されていました。
(ファーストレディなんて退屈で興味ないといったことを発言して話題になっていたセシリアさんですが、ファーストレディと言うより特命全権大使というようなご活躍です。)

事態の進展の背景には、一人100万ドル(1億2000万円)とも言われる補償金交渉が、被害者家族と、リビア・ブルガリア両国政府がEUの支援を受けて設立した被害者家族のための基金との間で妥結したことがあります。
この件について、フランスのサルコジ大統領は「自国もEUもいっさい金銭的負担は負っていない」と強調しているそうです。
すると、支払は全額ブルガリアでしょうか。

6人は「感染は自身らが同病院に勤務する以前に起こったもので、病院の劣悪な衛生環境が原因だ」として無罪を主張してきました。
拘束中の拷問によって自白を強要されたとも言っています。
ただ、このあたりの事件の真相についてはよくわかりません。
いたずらにリビアを刺激するのも得策でないとの判断もあったでしょうし、今後も事件については封印されるのではないでしょうか。
(こういったことはどこからか漏れるのが常でもありますが・・・。)

昨日の最終局面でリビア側が「リビアとEU間の外交関係の完全な正常化」、「チュニジア国境からエジプト国境までのリビア東西を横断しリビアとアフリカ各国を結ぶ高速道路や鉄道などのインフラ建設支援」、「遺跡の修復支援」、「ベンガジの病院の設備改善」などの要求を出し、交渉が危ぶまれる場面がありましたが、「欧州各国との国交正常化、ならびにEUとの関係正常化に向け、公約を取りつけた」(リビア高官)、「カダフィ大佐に対し本件が解決されれば、関係正常化に向けて最大限の努力をすると伝えてある」(EC委員長)ということで、何らかの合意に達したようです。

まあ、死刑執行という事態とは比べようもないですが、8年間にも及ぶ拘束、拷問があったとの批判等々を考えると、「ECとの外交関係の完全正常化」とは言っても、核開発の全面放棄などで改善しつつあったリビアのイメージにとってプラスになった事件とは思えません。
もちろんリビア側の主張に立てば全く異なる話になる訳ですが、真相が明らかにならない場合は結局各自が抱いているイメージで判断するしかないとも言えます。



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モンゴル 砂漠化する草原とストリートチルドレン

2007-07-24 13:49:14 | 国際情勢

(写真はヤギの乳を搾るモンゴルの少女 “flickr”より By Terrold)

最近目にしたモンゴルに関する話題2件。
モンゴルはソ連・東欧情勢に連動して、90年には共産党の一党独裁を放棄、経済的にも従来のソ連型経済から自由市場経済に転換しました。
今回の話題はともに、モンゴルが進める市場経済化の陰の部分にもかかわるようです。

モンゴルは人口の3分の1が遊牧に携わる国で、広がる大草原がイメージされます。
モンゴルに限らず今世界中のあちこちでも同様の現象が見られますが、モンゴルの草原が急速に砂漠化しているとのことです。
南のゴビ砂漠が拡大して北上しており、50年以降すでに200万haの草原が砂漠に飲み込まれてしまったとか。
草原は縮小し、過密化し、都市に次第に接近、遊牧生活の存続が危ぶまれているそうです。

主因は気象変化、少雨と旱魃ですが、これを加速化させているのが、市場経済のもとで進む無秩序な露天掘りの鉱山採掘、その多くは違法なものだそうです。
市場経済化の影響は鉱山開発だけでなく、遊牧民自身にも。
経済価値の高いモンゴルカシミヤ供給のため、ヤギの放牧が増加。
ヤギは草原の草を根こそぎ食べつくしているとか。
現在、日本を含めて外国資本がカシミヤを求めてモンゴルに流入しているそうです。
また、市場経済化という変革に乗り切れず都市で失職し、遊牧生活を始める人々が急増したことも草原の草を回復力以上に消費する結果になったようです。

遊牧の国モンゴルにとって、遊牧の危機は民族のアイデンティー喪失にも関わる問題です。

もうひとつの話題はストリートチルドレン。
推定3,700~4,000人の子ども達が路上で生活しているとされ、そのほとんどが首都ウランバートルで暮らしています。
彼らはゴミを拾い集めたり、施しを求めて生活しています。
冬は-40℃にも下がるため、暖房用の配管が収められた不衛生なマンホールで生活している子供達が多いそうです。

市場経済化の変革は、アメリカ主導で急速に行われました。
(これを資金的に支持したのが日本の援助です。)
この過程で従来の経済は崩壊し、年金・福祉・無償教育などの政策も停止し、生活保護も行われなくなったそうです。
貧困層の多くは以前にも増して困窮、混乱し、その結果としてストリートチルドレンが増加しました。

最近、このストリートチルドレンが減少したそうです。
その背景には生活保護の一部再開するなどの評価すべきこともあるのですが、特に少女を見かけなくなったとのこと。
これは、路上生活の少女達が性産業に人身売買されていることの結果ではないかとも言われています。
もともと遊牧生活を基本にしたモンゴルの社会では子供の数等の把握が十分になされていないこともあって、人身売買が横行しているそうです。
彼女等の売買先は主に中国で、数千人が性産業等に売られているとも言われています。

モンゴルは中国とは歴史的にも犬猿の仲で、「中国人のようだ」というのは最大の悪口となり、選挙でも「あの候補は家系に中国の血が入っている」というのは最大のスキャンダルとなるような社会だそうです。
そんなモンゴルで、自国の少女達を中国に売り飛ばすというのは・・・市場経済下では“なんでもあり”ということなのでしょう。

モンゴルにおける自由市場経済化は十分な準備・理解が不足しているなかで強行され、結果福祉制度は崩壊。
自由化とは「自由に振る舞って良いこと」だと勘違いする政治家や役人が多く、汚職が頻発し、外国の援助金は効率的に使われない。
波に乗った一部の人間は富裕化しましたが、多くの貧困層の生活は悪化。
そのような負の側面も多分に持っているようです。

一方で、“遊牧民もテントの脇にパラボラアンテナとソーラーパネルを立てて自動車用のバッテリーを充電し、それをテレビの電源にして香港の衛星放送でワールドカップを見るようになった。”とも言われています。
それが経済発展の成果かどうかはともかく、市場経済化の評価については、市場経済の恩恵・成果の面も十分に評価する必要があるでしょう。

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アフガニスタン 交渉が続く韓国人拉致事件

2007-07-23 10:58:15 | 世相

(写真は今回拉致された韓国人グループ。出発前の仁川空港での記念撮影。
“flickr”より By BHowdy)

アフガニスタンで韓国人23人がイスラム原理主義勢力タリバンに拉致された事件については、報道されているように今夜11時半に期限が延期され、交渉が継続されています。

今回拉致された韓国人は、プロテスタント系センムル教会に所属する人達で、韓国が支援した資金で拡張工事が行われたカンダハル郊外の「セム幼稚園」を見学して子供たちに鉛筆・ノート等を渡し追加援助について話すこと、同じ教会に通う韓国人医師が運営しているカンダハルの「ヒラ病院」を視察して医薬品などの援助物資を渡すことが目的だったと言われています。
毎年400人から500人の韓国人キリスト教信者らがアフガニスタンを訪れ、長期休暇などを利用して医療、青少年教育、情報技術(IT)教育、農業教育などを「短期宣教(奉仕)」の形で行っているそうです。

今回の行動について、現地警察や治安当局との連絡をとっていなかったことで現地の不満もあるようです。

韓国ネット上では、このような危険地域活動について、“無分別”と非難する意見も多い一方、「韓国で戦争が起き、他国の人々が救いの手を差し伸べようとしているとき、“危険地域だから来るな”と言うのか」といった賛成論も少ないないそうです。

日本のネット上では・・・と言うと、今回の事件を揶揄して楽しむ者、“早く殺せ”とばかりに騒ぐ者。
読んでいて気分が悪くなるような状況、まるで吐気のするような虫がうごめく状況です。
日本は随分情けない品格のかけらもない国になってしまったようです。

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トルコ イスラム主義政党圧勝が予想される総選挙、今日投票

2007-07-22 11:55:28 | 国際情勢

(写真は、トルコ総選挙の街頭風景 “flickr”より By noyan7)

トルコでは今日22日、当初11月に予定されていた総選挙が前倒しされて繰上げ投票が行われます。
選挙ではエルドアン首相率いるイスラム主義の与党・公正発展党(AKP)に政教分離の世俗派野党・共和人民党(CHP)などが挑むかたちになっています。
事前の世論調査によると、与党の圧倒的勝利が予想されているようです。

今回総選挙が前倒しされたのは、今年4月の大統領選挙で大統領を選出できず中止においこまれたことによるものです。
イスラム主義の与党AKPはアブドラ・ギュル外相を大統領候補に擁立しましたが、「イスラム教が生活のいたる場面に浸透するのでは」と批判する政教分離を唱える世俗派野党は投票を棄権。
このため大統領選出ができませんでした。

また、政教分離を強く擁護する軍部は、トルコの政教分離体制が脅かされていることに強い警戒感を示し、「必要ならば、我々の立場と態度を明確に示す」と表明しています。
軍は国父ケマル・アタテュルクの敷いた西欧化路線の護持を望んでおり、近代的国民国家のあり方に反しない範囲に宗教を統制しようとする世俗主義派の擁護者としての性格を持っています。
実際、過去2回、60年と80年にクーデターを起こしたことがあります。
いずれのときもイスラム化の拡大を抑えることが軍のクーデターの背景にあったと言われています。
通常期においても、三軍司令官を含む国家安全保障会議が事実上の内閣の上位機関として存在し、この国家安全保障会議を通じて内閣に圧力をかけ、退陣に追い込むことも少なくないそうです。

政教分離を“普通のこと”のこととして受け入れている日本にあって、また、個人的にも宗教的要素が薄いこともあって、イスラム主義政党の進展ということには危惧を感じます。
しかし、軍と与党AKPの関係は単に“政教分離”対“イスラム主義”というだけでないとも言われています。

与党AKPはイスラムを重視する政党ではありますが、一方では最も親EU派でナショナリズム色が薄い、原理主義とは一線を画した政党であるとも言われています。
一方、軍上層部はある意味特権階級であり軍はその既得権益に固執し、また、クルド人・イスラム主義者への不当な人権抑圧、キプロスへの軍事介入、政治家の不法逮捕などを行ってきたとされます。

与党AKPはこのような情勢下で、軍の介入を受けながらもクルド人・イスラム主義者の迫害を抑えるなど一定に民主化を進め、EU加盟を推進してきました。
また、いたずらにイスラム化が問題にならないように、例えば“国会議場でのスカーフ着用問題を回避するため、女性立候補者はすべてスカーフを着用しない人物を登用する”など、AKPはイスラム色を抑える行動をとってきたとも言われます。
一方で社会のイスラム化は徐々に進展し、イスラム学校出身者のほうが公務員に採用されやすいとか、酒類の販売への圧力が大きくなっているといったこともあると聞きます。

宗教と政治の関係はイスラム世界だけの問題ではなく、アメリカでもキリスト教右派と呼ばれる人々が“中絶反対”などで政治に対し大きな力を持つようになってきているとも言われます。
宗教が政治に持ち込まれることによって、何かことがあったとき、その問題が宗教対立という“理解しあえない問題”にされて、宗教的情熱によって問題が過激化・先鋭化するのではないかという危惧、異なる宗教・異なる価値観の人々の権利がどのように保障されるのかという危惧があります。

例えばAKPの力が強まりイスラム化が更に進めば、AKPの進めてきたEU加盟は更に難しくなるのでないでしょうか。
特に政教分離を厳密に支持するフランスのサルコジ新大統領は、イスラム色の強いトルコ加盟に反対しているとも聞きます。
そのような“衝突”がおきたとき、これまでのようなイスラム色を抑制した対応が維持できるでしょうか。

イスラム主義与党AKP圧勝が予想される今回の選挙の今後が気になります。
(宗教と政治の関係以前の問題として、“今なぜ人々がイスラムを、あるいは宗教を求めるのか”という問題もありますが、大きすぎるテーマなので今回はパス。触れる機会が別にあればそのとき。)

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