孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

マレーシア  ブミプトラ政策にみる多民族国家の実情

2007-11-30 22:24:31 | 世相

(“flickr”より By aristarionne )

今日は少しマイナーな話題、多民族国家マーレシアのマレー系優遇政策“ブミプトラ政策”について。
数日前、インド系住民と警察が衝突したという記事を見ました。
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マレーシアの首都クアラルンプールで25日、自分たちの経済的問題は旧宗主国・英国に責任があるとして同国に対し数十億ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしたインド系住民が、訴訟の支援を訴えるデモを行い、警察と衝突した。
当局がデモを禁止したにも関わらず、治安部隊が道路を封鎖して厳戒態勢を取るなか、およそ8000人が英大使館に向かった。
ペトロナスツインタワー近くに集まったデモ隊に対し、警察は催涙弾や放水車で排除を図ったが、デモ隊は動かず、催涙弾が投げ返される場面も。放水車の水に含まれていた薬品のため、吐き気をもよおす人もいた。
主催者のヒンズー人権行動軍によると、400人以上が拘束され、19人が負傷したというが、警察側は、拘束者は100人程度だとしている。
英国を相手取った今回の訴訟は、原告のインド系住民の主張するところによると、イスラム教徒・マレー系民族主流のマレーシア政府によるインド系住民に対する差別に焦点を当てたものだという。【11月25日 AFP】
******

マレーシアはマレー系(約65%)、華人(中華)系(約25%)、インド系(約7%)の主要民族のほか、マレー系に含まれているボルネオ島のサラワク州、サバ州に住む多様な民族、更に細かく見ると、オラン・アスリと呼ばれるマレー半島の先住民族、あるいはポルトガル系など、多くの民族から構成される多民族国家ですが、民族間の緊張は比較的少ないほうだと一般的には思われています。

実際、数年前マレーシアを旅行した際、宿泊したホテルではマレー系、中華系、インド系の人々がいて、どのようにコミュニケーションをとっているのか聞くと「他の民族の人と話すときは英語で話す」とのことで、うまく対応しているように思えました。
また、TVではしばしば、三つの主要民族共同体とサラワク・サバの地域共同体を代表する民族衣装の出演者が手に手をとって、“マレーシアは素晴らしい国だ”という雰囲気の民族融和を訴える歌(スジャトラ・マレーシア)を歌う映像がスポット的に流されていました。
ただ、イスラム原理主義政党PASが地方政府をおさえているコタバル方面では、街はスカーフ(トゥドゥン)の女性が殆どで、マレー系以外の人には住みにくそうな雰囲気でした。

かつては、三つの主要民族共同体はお互いに干渉することなく、独自にその集団内をコントロールしており、国家もそれには踏み込まないレッセ・フェール的な対応だったようです。
従って、マレーシア国家は半島に混在する3民族とボルネオの2地域、この5つの共同体の連合体という位置づけで、現実的には「政治はマレー人、経済は華人」という社会でした。
このような、民族の独自性は今も残っていて、マレーシアの人は多民族のことに対しては無関心を装うことが多いとも言われています。【地球の歩き方 マレーシアの民族(山本 博之)】

しかし、このような“レッセ・フェール”ではマレー人の経済水準は経済を牛耳る中華系、インド系に劣後した状態が永遠に続くことになる・・・という不満がマレー系には高まります。
また中華系の内部では指導的立場にある富裕層に対する貧困層の不満が大きくなって政治的に独自の代表を出す動きになっていました。
この二つの不満グループが衝突したのが1969年の“5月13日事件”で、両者の衝突、その後の放火、襲撃などで196人の死者を出す惨事となりました。

その後、マハティール等の新指導層は“ブミプトラ”政策によってマレー系住民の地位向上を図ります。
ブミプトラとはブミ(土地)とプトラ(子)の合成語で、「土地の子」の意味、つまり中華系、インド系以外のマレー系を中心としたもともとのこの地の住民・・・というニュアンスです。
暴発的衝突を回避しながら、マレー系住民の経済的水準向上を誘導していこうという政策のようです。
以下、「マレーシア -格差是正を模索するブミプトラ政策」(小野沢 純)によって、ブミプトラ政策の内容を見てみます。http://www.iti.or.jp/kikan65/65onozawa.pdf

ブミプトラ政策は資本の再編と雇用の再編からなります。
資本の再編は「株式資本総額に占めるブミプトラ資本の割合を少なくとも30%までに引き上げること」が目標とされました。
具体的には、新たに会社を設立する場合最低3割はマレ-系の資本を導入するとか、公企業のブミプトラへの優先的払下げなどの措置がとられました。
1970年に1.9%だったブミプトラの株式保有比率は90年には19.3%に上昇しましたが、目標の30%は大きく下回っています。その後は横ばい、むしろ微減傾向で2004年実績で18.9%に留まっています。

なお、90年までの比率上昇は、華人からのブミプトラへの転換ではなく、70年当時60.7%を占めていた外国資本からのブミプトラ、華人への転換によるものです。
華人の割合は70年が22.5%、90年が45.4%、その後はやはり横ばい・微減で、04年が39%でした。
インド系は70年が1.0%、04年が1.2%と、あまり大きなシェアは占めていません。

雇用の再編は、従来生産性の低い農業等の伝統的産業部門に多く就労していたマレー系を、より生産性の高い第2次、3次産業へ転換して、その所得水準の引き上げを図るものです。
具体的には、「あらゆる業種および職種レベルにおける雇用は、マレーシアの種族別人口構成比率を反映した種族別雇用比率を達成すること」という目標が掲げられました。

この目標はその後の産業構造の変化に伴ってほぼ達成されました。
70年には製造業従業者の7割が中華系(華人)でしたが、すでに90年にはブミプトラ50%、華人37%、インド系12%となっています。
ただ、行政・管理職については、05年においても華人55.1%、ブミプトラ37.1%であり、また、CEOについては70.4 %が華人で占められ、ブミプトラのCEO は20%にすぎないという、偏りは残存しています。

こうしたブミプトラ政策の結果、平均世帯所得は70年から04年の間に、ブミプトラで2,9倍、華人は2.7倍に増加、70年当時のブミプトラを1としたときの華人の所得2.29は、04年には1.64と、若干の格差縮小は実現できています。

このようなブミプトラ政策は一種の民族差別政策とも言えますので、当然中華系、インド系からは不満がでますが、マハティール前首相が「マレー人は華人より経済観念、勤勉さで劣っている。だからこれはハンディキャップです。」とマレー人が劣っていることを率直に認めることによって中華系住民の理解をある程度得る一方で、現実対応としては、例えば“マレー系の人間を名義上立てて政府の資金を導入して実質的利益は中華系が得る”などの抜け道的な対応も広く行われているようで、政府側もある程度はそれを黙認するといった、極めてアジア的な便法も不満が爆発しない理由のひとつのようです。【「Jalan Jalan 」http://www.junmas.com/classic/index-guide.html


ただ、そのような抜け道で利益を得られるのは主に富裕層ですので、ブミプトラと競合する非ブミプトラの貧困層にはそれなりの不満があるのではとも想像されます。
今回のインド系住民はそのような経済的下層住民で、民族的にはインド南部からのタミル人が中心で、かつては農園労働者として働き、その後都市に流入して単純労働などに従事している層です。
スリランカの反政府武装組織LTTEを支える集団と同じ民族・境遇の集団です。
全くの想像ですが、中華系共同体に比べて相互扶助的な面で弱いところがあるのかもしれません。または、インド系は共同体自体が中華系に比べ小さいため、有効に機能しない面があるのかもしれません。

利益を受ける立場のマレー系については、どうしても優遇策に甘える部分もあり、政策を推進した前首相マハティールは著書で、「マレー人には勤勉さが足りない」などと、マレー人優遇が思い通りの成長につながらなかったことを述べているそうです。【ウィキペディア】
また、以前取り上げたように、同じ民族であるインドネシアからの出稼ぎ労働者に対する差別的な取り扱いといった問題もあります。(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071023

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中東和平  イスラエルは「ユダヤ人国家」か?

2007-11-29 16:48:15 | 国際情勢

(エルサレムの市場でアラブ女性をチェックするイスラエル女性兵士 “flickr”より By mrtwism)

イスラエルとパレスチナの2国家共存を目指す中東和平国際会議が27日、米アナポリスで開催され、00年に決裂した和平交渉について7年ぶりに来月から再開するとの共同文書を発表して閉幕しました。
ブッシュ米大統領は会議冒頭「08年末までの交渉妥結を目指す」と、任期中の解決の決意を言明しています。

サウジアラビアなどのアラブ諸国を含む40カ国以上が参加、イスラエルとの間でゴラン高原返還問題を抱えるシリアもアメリカの招待で参加しましたが、アメリカ主導の中東和平に反対するイランとの関係を考慮して外相ではなく外務次官の参加になったとか。
イラクは「招待は受けたが、担当者が忙しい」との理由で欠席。イランが反対している会議への出席で国内のシーア・スンニ・クルドという微妙なバランスに影響を与えたくないと「イランとの関係に配慮したのは間違いない」との見方が強いそうです。【11月27日 毎日】
今回の和平交渉について、アメリカはパレスチナ和平進展によってアラブ諸国を取り込み、核保有が疑われるイラン包囲網をつくりたいという思惑があるとも伝えられていますが、交渉が不調に終わった場合、逆にイラン、ヒズボラやハマスなどの勢力を勢いづかせる可能性もあります。【11月21日 毎日】

今回会議は交渉再開を確認しただけの“最低限の合意”しか得られず、“政治ショー”とか“写真撮影会”とも揶揄されているように、レームダック化しているブッシュ政権、ハマスをコントロールできないアッバス議長、昨年夏対ヒズボラで結果をだせず、汚職事件の捜査対象にもなっているオルメルト首相・・・それぞれが国内基盤が脆弱であるため、今後の交渉にも期待できないという見方が一般的です。

たとえば、イスラエル議会では、「エルサレムの境界線の変更についてはいかなるものも特定多数(議会議員120人中80人)の支持が必要」とする野党提案の法案が何の問題もなく可決されました。
この法案は、和平首脳会議を前にオルメルト首相に足かせをかすことを狙いとしたものですが、連立与党の議員の支持も得て可決されたとのことです。【11月28日 IPS】
このような状態では、譲歩案を国内的に納得させる指導力は期待できません。

そんななか、27日の会議でイスラエルを「ユダヤ人国家」と定義したブッシュ大統領の発言は、パレスチナ難民の自国領への帰還を拒否するイスラエルの方針を追認したとも受け取れ注目されています。
ブッシュ大統領は演説で和平達成策として「イスラエルがユダヤ人のホームランドであるように、パレスチナ人のホームランドとしてパレスチナ国家を樹立する」と強調。さらに「米国はユダヤ人国家としてのイスラエルの安全保障に関与する」と明言しています。【11月28日 毎日】

パレスチナ側は約440万人とも言われる難民の帰還権を一貫して要求していますが、イスラエルを「ユダヤ人国家」と認めることはこのパレスチナ難民の帰還権放棄につながりかねないともとられます。
共同文書でイスラエルは「イスラエルはユダヤ人国家、パレスチナはパレスチナ人国家」という文言を加えることを希望していましたが、パレスチナ側はこれを拒否。
「ブッシュ大統領は代わりに演説の中でイスラエル側の意向をくんだ」との見方が出ているそうです。【11月28日 毎日】

「ユダヤ人国家」云々はこのように難民帰還権に影響しますが、もともとイスラエルには難民とならずに国内にとどまったアラブ系イスラエル人が約2割(約133万人)存在していますので、その意味でも“イスラエルはユダヤ人国家”というのは問題の大きい表現です。

1948年のイスラエルの建国宣言では、イスラエル国家に残ったアラブ住民に対し、「完全で対等な市民権」に基づいて国家を支えることを呼びかけています。
確かに、選挙権もあり利害を代表する議員も選出しています。
しかし、実際にはユダヤ人に比べて様々な面で劣後する扱いを受けることが多いのは想像に難くありません。
例えば、アラブ住民は兵役義務がない分(イスラエル国家は彼らを信用していないということでしょう。)、兵役終了を条件とする就職などで不利な扱いをうけるそうです。
(「坂の街石の家」 http://www.geocities.jp/aonamix/index_israeliarab.html

このイスラエル国内のアラブ系住民の存在は、イスラエルにとっては厄介な問題でもあるようです。
アラブ系住民がユダヤ人よりもはるかに高い出生率で人口を急速に増やしており、将来ユダヤ人とアラブ系住民の人口比率が逆転する可能性があります。
「ユダヤ人国家」であることが大前提であるイスラエルにとっては容認できないことでしょう。

したがって、“パレスチナ難民のイスラエル国内帰還”などイスラエルにすればとんでもない話です。
そんなことが本当に実現して、彼らが選挙権を求めたら、イスラエルは「パレスチナ人国家」になりかねません。
(パレスチナ難民を受け入れないのは別にイスラエルだけでなく、アラブ各国も同様です。アラブ各国は難民を自国民としては受け入れず、イスラエルに向ける矛先として利用しているようにも見えます。)

そのため、イスラエルはいろんな手段でアラブ系住民が増えないように工夫・努力しています。
従来はイスラエル人と結婚した非イスラエル人は「市民権法」によって帰化制度を経たのち市民権を得る資格を有し、また配偶者の一人がイスラエルでの永住権を持っている場合、もう片方の配偶者は「イスラエル入国法」によってやはり居住権を持つ資格を有していました。
03年7月これが改正され、(イスラエル人およびイスラエルの永住権をもっている人と結婚しても、)西岸とガザ地区に住む住民──入植者を除く──には市民権、居住権も滞在許可も与えない、と変更されました。
これは、パレスチナ人だけを対象にした人種差別であり、また、家族が同居するという基本的人権の侵害であるとの批判がります。

イスラエルが東エルサレムを統合してしまった聖都エルサルムの帰属問題も今後の重要な、かつ、解決困難な問題のひとつです。
そして、このエルサレムでもアラブ系住民が増加しているのは同様です。
現在、エルサレムのユダヤ系:アラブ系の比率は2:1(アラブ系が全体の34%)ですが、出生率が倍近く違うため、アラブ系の割合は2020年には40%、35年には50%に達する予想がなされています。
【11月26日 AFP】
この事態を回避すべく、かつてイスラエルはエルサレム近郊のユダヤ人が住む自治体を、エルサレム市に編入することでエルサレムにおけるユダヤ人比率を高めようと画策したこともあります。

交渉の今後の展望に話をもどすと、合意のためにはイスラエル、パレスチナ双方の譲歩を必要とするため、国内での指導力に欠ける現在の首脳陣では非常に困難に思われます。
ただ、恐らくイスラエルにしても建国50年を経て、周辺諸国の敵意の中でいつ降りかかるか分からない攻撃への不安を感じながら生活することに、一部の宗教的右派の人々を除けば、いささか倦んできているのが本音ではないでしょうか。
多少の譲歩をすることで安心して暮らせるようになるなら、その方がいい・・・という考えが出てきているのではないでしょうか。
オルメルト首相が今回会談に臨んだのも、パレスチナを含めアラブ各国首脳と同じテーブルに着いて交渉する姿をイスラエル国民は期待を込めて見てくれるという思いがあったからではないでしょうか。
人間そうそういつまでも緊張状態のままで暮らせるものないような気がします。
パレスチナ側にしても同様でしょう。
両者の合意を生む土壌がない訳ではないと思います。

ただ、こういう考えはなかなか大きな声で言いがたいところがあり、宗教を背景にした原則論の前ではかすみがちです。
そこをいかにくみ上げるかが、指導力なのですが。

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アフガニスタン  07年の今、「アフガン零年」を観る

2007-11-28 12:00:34 | 国際情勢

(映画「アフガン零年」より 生きるために髪を切って少年の姿になった少女)

アフガニスタン映画「アフガン零年」を観ました。
観ていてどうしようもなく重苦しいものを感じました。
ひとつは映画の内容であり、もうひとつは現在の情勢です。

2003年製作(日本公開04年 原題“オサマ”)のこの映画はタリバン政権崩壊・アフガニスタン復興後はじめての映画で、日本のNHKも機材等で協力した作品です。
出演者は全員、バルマン監督が全くの素人から選んだそうです。
主人公の少女は、監督に物乞いを求めてきたストリートチルドレン。
少女を助ける少年は、道で野犬を捕らえて売っていた少年・・・など。
当時のアフガンの状態が窺われます。
この映画は、カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール賞を、ゴールデングローブ賞では外国語映画賞を受賞して国際的にも話題になりました。


父や叔父など一家の男性をみな戦争で失った少女は、貧困の中・祖母・母親と3人で暮らしている。女性が身内の男性を同伴せずに外出すると刑罰が加えられるタリバン政権下で、男性がいないということは、仕事に出ることもできず生活の糧を失うことを意味していた。母親は、少女を少年の姿に変えて働きに出すことを思い付く。「ばれたら、タリバンに殺される」と泣きじゃくる少女を、祖母は“虹をくぐると少年は少女に、少女は少年に変わり、悩みが消える”という昔語りの話でなだめながら、そのおさげ髪を切るのだった・・・【映画公式サイトより】

その後、少女はタリバンによってマドラサに連れていかれ、他の少年達から疑われ、タリバンにばれて罰を受け、宗教裁判にかけられ・・・と、全く救いのない内容です。
監督は当初“虹に向かって走る少女”的な希望を暗示するシーン・ラストを考え、タイトルも“虹”を予定していたそうですが、編集してみてアフガニスタンの現状にそぐわないと考え、敢えてこのような救いの見えない内容に変更したそうです。

私たちの生活・価値基準からすると、女性が外出すらできない世界、人々の命を含めすべてが宗教を後ろ盾にしたタリバンの恣意で決定される社会、息を潜めて暮らす人々・・・全て“狂気”としか思えない世界です。
イランの身分証明書のない女性が1人ではバスチケットも買えない、ホテルにも泊まれない・・・という世界とは、同じイスラム原理主義とは言っても、全く異質の暴力的なまでの抑圧社会です。
その“狂気”は、原始共産制“という幻想に無理やり現実社会を引きずり込もうとしたポル・ポトの狂気にも似たものを感じます。

しかし、03年あるいは04年当時であれば、まだ「でも、この暗い時代は終わったのだから。これからなんとか再建しなくては・・・」とも思えたのでしょう。
今、07年の時点で観ると、“虹”どころか、終わったはずのタリバン支配という悪夢が黒雲のように湧き上がり、再びアフガンを覆おうとしています。

「アフガニスタン南部カンダハル州で、アフガンとカナダの兵士が参加したタリバン掃討作戦が17日から開始され、18日までにタリバン側に約100人の死者もしくは負傷者を出す損害を与えた。」【11月11日 時事】「首都カブール郊外で27日、米軍主導の多国籍軍を狙った自爆攻撃があり、アフガニスタン人2人が死亡した。」【11月27日 AFP】などのニュースが入ってきますが、“大本営発表”とまでは言いませんが、どういう現状にあるのか全体像がよくわかりません。

一般には昨年からISAFの苦戦が伝えられており、「民間の国際シンクタンク「センリス・カウンシル」は21日発表した報告で、アフガニスタンで治安維持活動を行っている北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)の兵力を8万人に倍増すべきだと提言した。報告は、イスラム原理主義勢力タリバンが首都カブールに復帰するのは時間の問題と警告している。」【11月22日 時事】というような報道も。

なぜ、狂気とも思えるタリバンの復活を防げないのか?
ISAFの戦い方に問題があるのか?
大勢の一般市民犠牲者を出し、アフガン市民の支持を失いつつあるとも言われる、そのことがまずいのか?
“9.11の報復”としてアフガンに乗り込んだアメリカに任せたのがまずかったのか?
タリバンの資金源となっているケシ栽培対策として、かつてのベトナム戦争時の“枯葉剤作戦”のような除草剤散布をワシントンでは検討しているとも報じられていますが、そんな姿勢がまずいのか?
腐敗が蔓延し、非効率なアフガンの行政機構が国民の支持を失わせているのか?
それとも、今の戦術が手ぬるいのか?もう外国は手を引いたほうがいいのか?それでタリバン支配が復活してもいいのか?タリバンを狂気と考える見方が現地の感情とは異なるのか?悲観的な見方に過ぎるのか?・・・

映画の中では、女性たちはタリバンを呪う歌を歌いながら生活していました。
アフガンの現状・今後についてどう思っているのか、ブッシュでもなく、カルザイでもなく、アフガンの人々、女性たちの本当の声を聞きたい、そんな思いがします。

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ヨーロッパ  進むEU統合、残る心の壁

2007-11-27 17:45:49 | 世相

(ルーマニアに暮らすロマ人の少女とその家 “flickr”より By Blueconitza )

デンマークは00年の国民投票でユーロ圏参加を否決しましたが、ラスムセン首相は欧州単一通貨ユーロ導入の賛否を決めるため、国民投票を実施する意向を表明しました。
実施時期は明言されていませんが、来年後半ともみられています。
なお、最近の世論調査ではユーロ支持派がわずかに上回る結果が出ているそうです。【11月23日 毎日】

先日の選挙で政権交代したポーランドのトゥスク新首相は23日、下院の施政方針演説で、欧州単一通貨ユーロを「できるだけ早期に導入したい」との考えを表明しました。

ユーロ導入国は現在、ドイツやフランスなど13カ国、08年1月からキプロスやマルタが加わります。
欧州統合への“流れ”は、今後も更に確実なものになるように見えます。

統合の背景には、政治的・経済的メリット、それを可能にする共通基盤、文化的・社会的共通性、歴史的な関係等々いろいろあるのでしょう。
先日、「英ロンドンとフランスのパリ間を従来より20分短縮した2時間15分でつなぐ高速列車ユーロスターの新路線開通が、いよいよ翌14日に迫った。ロンドンとベルギーのブリュッセル間も1時間51分に短縮される。」というニュースを見て、“ヨーロッパというのは単純地理的に各国が随分近い位置関係にある”ということを改めて実感しました。
こういう物理的・地理的一体感も統合が進む背景にはあるのでしょう。
フランス南部Boulouでは23日、ピレネー山脈を貫き、フランス-スペイン間を結ぶ「ダブルチューブ」トンネルの工事が完了。
トンネルには高速鉄道TGVの路線が設置されるそうですから、ますますヨーロッパはコンパクトになります。


(統合の期待を担って疾走するユーロスター “flickr”より By Juliang's Pix )

しかし、当然の話ではありますが、このような距離が縮まり、制度が統合されても、長く人々の心を分かってきた国家・民族の壁はそう容易には解消しません。
人・物の往き来が増えるに従って生じる摩擦・軋轢もあります。
11月12日にはポーランドからイギリスへの移民増加の問題をとりあげました。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071112

イタリアの外国人移民は06年統計で約370万人と、前年に比べ2割強増え、出身国別ではルーマニア人が約55万人と最多で今年、EUに加盟後はさらに増えているそうです。
(イタリア国内のルーマニア人をおよそ100万人と推定する団体もあります。【11月24日 IPS】)

これに伴ってイタリアでルーマニア人移民の犯罪が多発し、イタリア政府は11月2日、EU加盟国市民でも前歴などを参考に警察当局が危険人物とみなした外国人移民を、裁判なしで即座に国外へ強制退去できる緊急法令を発布しました。
ベルトローニ・ローマ市長は「7月までにローマで逮捕された殺人、強姦(ごうかん)、強盗犯の75%はルーマニア人」と厳しい対策を求めていました。【11月4日 毎日】
また、ローマ市長は「今年1月から9月中にローマで逮捕された外国人およそ8000人中4700人がルーマニア人である。」とも発言しています。【11月24日 IPS】


ルーマニア政府からは「イタリアは特異な事件を取り上げて我が国と国民のイメージを損なっている」「イタリア政府の法令は、移民と犯罪というまったく異なる2つのカテゴリーが混同されたもの」と懸念する声も出ています。
法令制定後3日間でイタリアの7都市から39人のルーマニア人が追放処分となっています。

しかし、このようなルーマニア側の反論の本音部分には「犯罪を犯しているのは“誠実”“勤勉な”一般ルーマニア人ではなく、ロマ人の連中だ。」という意識があるようです。
ルーマニアはふたつの少数民族問題を抱えています。ひとつはトランシルヴァニア先住民としてハンガリー人(約6%)、もうひとつが、ある意味ヨーロッパ共通問題でもあるロマ人(2%:ウィキペディア)です。

「ロマ民族とルーマニア~ルーマニア経済発展の影で~」(牧哲太)によると政府の公式統計ではロマ人は40万人、1.8%ですが、推計では140万人~250万人の6.2%~11%にのぼるそうです。
公式統計で数字が低くなる背景には、ロマ人自身がその出自を隠したがることや、調査側に“ロマ人が多いと印象が悪くなる”という思惑が働くことがあるそうです。
すでにこの数字自体に、ロマ人の置かれた状態・問題が窺われます。
http://pweb.sophia.ac.jp/~m-shimok/zemi/2005doc/makiful.pdf 

インド起源の“流浪の民”ロマ人(英語ではジプシー、フランス語ではボヘミアン)は、移住先民族と一体化することなく社会の最下層を形成し、犯罪に関与することも必然的に多く、長く各地で迫害と差別の対象となってきました。
差別・偏見が彼らの不安定な雇用・粗末な住環境、貧困、犯罪への関与を生み、そのような環境や犯罪関与が差別・偏見を強めるという何百年と続く悪循環・・・これは全ての差別に共通することでしょう。

ルーマニアのチョロイアーヌ外相が「エジプトの砂漠に土地を買い、彼らを送り込むことはできないかと思う」と発言。
外相はロマ人に言及したものではないと否定したものの、ルーマニアのロマ人やユダヤ人団体から差別発言として公式な非難を呼んでいるそうです。【11月24日 IPS】
イタリア人がルーマニア人を蔑み、ルーマニア人はロマ人を蔑む・・・悲しい構図。
ロマ人については、また改めて別の機会に触れたいと考えています。

明確な差別のほかに、文化的な差による思わぬ軋轢もあります。
オランダでは、ポーランド人出稼ぎ労働者の多くが国内の湖で釣をし、釣った魚を食べることに対して不満の声が上がっているそうです。
オランダでは、あまり釣った魚を食す習慣がなく『キャッチアンドリリース』が一般的で、カワカマス、スズキ、ウナギが釣れた時だけ食用として家へ持ち帰るそうです。
そんなオランダ人には、オランダ人が食べないようなブリームやロックバスなどの淡水魚を好んで食べるポーランド人が「オランダの規則を順守していない」と感じられるようです。
 
異なる国家・民族・文化の人々が一緒に暮らすということは非常に大変なことです。


(ルーマニアに暮らすロマの子供達 “flickr”より By skingmedia )
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ベネズエラ  チャベス政権永続をねらう憲法改正

2007-11-26 15:44:23 | 国際情勢

(2007年10月23日 チャベスが無制限に再選可能になる憲法改正に反対する学生集会 催涙弾に逃げ惑う学生 “flickr”より by BHowdy )

毎度の“お騒がせ”言動で露出機会の多いベネズエラのチャベス大統領。
最近ではイベロアメリカ首脳会議でのスペイン国王とのやりとりの他、コロンビアの左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」の人質交換問題で揉めています。

人質交換の仲介役に隣国ベネズエラのチャベス大統領が仲介に立っていたのですが、不思議な組み合わせです。
コロンビアのベレス政権はアメリカの強力なサポートを受けている親米政権で、ベネズエラがFARCを支援していると懸念しています。
ベネズエラのチャベス政権は、コロンビアがアメリカの手先となってベネズエラの体制転覆を狙っていると疑っています。
恐らく、両者の疑念はそれぞれある程度当たっているのでは。
そのベレスとチャベスが連携してうまくいくのかな・・・と思っていると、やはりと言うべきか、決裂したようです。

チャベスが交渉からはずされたのは21日で、その時のベネズエラ外務省の声明は、コロンビア政府の決定を「尊重する」としつつも「これまでの努力と進展を無に帰すものであり、遺憾に思う」という不思議なくらい冷静な対応でした。
あまりの冷静さに、「チャベス大統領は相当に後ろめたいところがあるのだろうか?」という感じでした。

しかしここに来て、チャベス大統領は「わたしはベネズエラとコロンビアの関係を"冷凍庫”に入れることを世界に宣言する。コロンビア政府の人間は1人も信じられない。全身全霊をかけて平和への道を模索したというのに、(コロンビア政府は)われわれの顔に容赦なくつばを吐きかけた」と怒りを表明しており、“彼らしい”対応に戻っています。【11月26日 AFP】

(追記 26日17:34 「チャベス大統領は反米左派、ウリベ大統領は親米右派だが、これまで、互いに「親しい友人」として比較的良好な関係を維持していた。憲法改正の是非を問う国民投票について、世論調査では「改正賛成」のチャベス派が敗北するとの予想もある。大統領が対コロンビア強硬姿勢を示した背景には、国民に存在感をアピールする狙いもありそうだ。」【11月26日 毎日】・・・だそうです。)

チャベス大統領がはずされた理由は、チャベス大統領が人質の情報を得るためにベレス大統領の頭越しに、コロンビア陸軍総司令官のモントーヤ将軍に直接接触したためとされています。
これがどういう意味なのか、モントーヤ将軍が何者なのか、私は知りません。

また、核開発にからんで、チャベス大統領は15日、フランスTVのインタビューで、「ブラジル、アルゼンチンのように、ベネズエラも平和利用目的の核開発を始めるつもりだ」と語ったことも報じられています。
“同大統領が核開発の方針を明確にしたのは初めて”【11月18日 毎日】とされていますが、05年5月にはTV・ラジオでブラジル、アルゼンチンなど中南米諸国と共に核研究を開始したい意向、及び、イランに協力を求める意向を表明し、翌06年2月ベネズエラを訪問中のイラン国会議長が、ベネズエラが計画している核開発に協力する用意があることを明らかにした・・・というようなこともあります。
(このあたりは、チャベス大統領の経歴・思考・実績を詳しく論じているサイト「待避禁止!」で詳細に紹介されています。
http://kei-liberty.mo-blog.jp/taihikinsi/2006/05/post_af3f.html

それはともかく、原発ドミノが広がるなかでチャベス大統領のようなエキセントリックな指導者が核に手を出すことに不安を感じてしまいます。

そのチャベス大統領は今、憲法改正に臨んでおり、ロシア下院選挙と同じ今週末の12月2日が投票日です。
改正点は、大統領再選禁止規定の撤廃、中央銀行の自立性剥奪(はくだつ)、非常事態が発生した場合の大統領による報道規制など69カ所にのぼっています。
一言で言えば、チャベス政権がこのままずっと継続し、より強力・自由に行動できるようにするための改正にも見えます。

権力者というのは、どうしてこうもその地位に固執するのか不思議な気はしますが、そのような資質を持っているからこそ権力者になりたいと思うし、また、その地位に登りつめることも可能なのでしょう。
凡人には想像しかねるところです。

そういう国内事情、それと最近の露出の多さもあったのでしょうか、昨日NHKでチャベス政権について紹介していました。
「21世紀の社会主義」建設を掲げて、貧困層を対象とした各種事業を行ってきたチャベス大統領は、その恩恵を受ける貧困層には絶大な支持があるようです。
さきに紹介したサイト「待避禁止!」によると、キューバからの大量の医療スタッフ派遣も受けて、貧困層への医療提供を行い人気を博しているそうです。(でも、医療スタッフを送り出したキューバ自身の医療はどうなっているのでしょうか?見返りに石油をベネズエラからもらっているようですが。かつてカストロ・キューバはソ連の要請をうけて自国民を各地の紛争に送り出していたような記憶もあります。国家的人材派遣業でしょうか。その結果、多くの兵士が手足を失ったり、自国の医療水準が下がるようなことは・・・)

ベネズエラに話を戻すと、チャベス政権は企業家には評判がよくありません。
製品価格を強制的に凍結し、最低賃金は引き上げ・・・これではまともな企業経営はできなくなります。
「資産に対する戦争」を標榜して私企業を国有化し、また、大規模農園を接収するチャベス政権としては、そんな企業家の困難などお構いなしでしょう。

ただ、市場メカニズムですべてうまく行くとも思いませんが、あまりにこれを無視し、短期的な“貧困層バラマキ政策”に走ることは、長い目で見ると国の経済を疲弊させ、国民生活を停滞させることになるのではないかと危惧します。
今、ベネズエラ経済、国家財政がうまく回っているとしたら、それは莫大な石油収入のおかげでしょう。
昨今のアメリカのサブプライム・ローン問題による株式市場からの短期資金の流出、原油市場への流入による原油価格高騰はベネズエラにも莫大な利益をもたらしていると思えます。
(原油価格の実需部分は50ドル程度、ヘッジファンドの短期資金流入による高騰部分が30ドル程度、残りは長期の年金運用資金流入によるもの・・・とも聞きます。)

それを考えると、ゴリゴリの反米主義者チャベス(02年4月にアメリカが背後にいると思われる軍部のクーデターでチャベスはカリブ海の孤島に幽閉されたことがあることも、彼の反米路線をより強固にしているのかも・・・)もアメリカに感謝すべきでは。
(同様にイラン、ロシアも)

いずれにしても、これを“人気取り”と呼ぶかどうかは別としても、石油の利益を貧困層にばら撒く政策は、やはりやがて歪を大きくするのではないでしょうか?
経済政策以上に問題なのは、権力維持のための政治姿勢です。
反政府運動に対しては治安部隊が発砲をためらわないこともありますが、一番昨日のTV番組を観ていて印象的だったのは国家による国民の情報管理の手口です。

かつて、石油公社を中心とする反チャベスのゼネストによって窮地におちいったチャベス大統領は、04年に信任の国民投票を実施してこの危機を乗り切ったことがあります。
このとき大統領信任に賛成したか、反対したかという個人情報が国家的にデータ登録されており、かつ、反対者に対しては、その家族を軍隊から“能力不足”という理由で追い出す等の圧力がかけられているとのことです。

どうやって投票行動が把握されているのかはわかりませんが、この国家管理個人情報の一部が流出して、その実態が明らかになったそうです。
これはやはり“禁じ手”でしょう。
今回の憲法改正に関する国民投票も、反対が賛成を大きく上回っている事前調査もある(逆の結果を報告する調査もあるとかで、投票結果にしても、数字が必ずしも額面どおりに信用できないところがあります。)そうですが、反対者はその後の国家からの報復を恐れて投票所に足を運ばない恐れもあるとのこと。
こうなると、恐怖政治、強権政治以外の何ものでもなく、“貧困層のための・・・”と言っても許容できません。

仮に選管発表で賛成票が51%だったと言われて、それが信用できるか?
反対が上回ったとき、チャベス大統領はその結果を受け入れるだろうか?
12月2日、すっきりした結果が出るといいのですが。


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ロシア  批判を抑え、強まるプーチン礼賛

2007-11-25 12:59:40 | 国際情勢

(2007年4月15日 サンクトペテルスブルグでの反対集会 “”より By 5hark)

12月2日が投票日のロシア下院選挙は、プーチン大統領率いる与党「統一ロシア」の圧勝が確実とされています。
プーチン大統領は来年5月の退任後をにらんで、「統一ロシア」の比例名簿1位に登録し、さらに今月15日にはプーチンに「国民の指導者」として国家運営を続けるよう求める組織「プーチン支持」が設立され、プーチン礼賛ムードを高めています。

プーチン自身も「国民が統一ロシアに投票するとすれば、彼らが私を信じているということだ。私は道義的にも、議会や政府の仕事ぶりをただす権利を得ることになる」と述べ、下院選を自身に対する信任投票と位置づける考えを鮮明にして、大統領退任後も政権に影響力を維持する考えを明言しています。【11月13日 朝日】

ロシア下院は、プーチン政権下での選挙制度改変により比例代表制に一本化され、議席獲得に必要な最低得票率が5%から7%に引き上げられたことで、小政党や無所属議員は事実上下院入りの道をふさがれた形になっています。 独立系世論調査機関「レバダ・センター」によると、議席獲得が確実視されるのは、「統一ロシア」とプーチン批判は避けている共産党だけで、あとは親政権の2つの政党がかろうじて望みをつなぐ状態だそうです。
民主系野党は議席すら得られずに壊滅的打撃を受けるとみられています。【11月21日 産経】

その民主党系野党に対するプーチン側の攻撃の手は緩まることはないようです。
プーチン大統領は21日、モスクワ市内のスタジアムに集まった若い支持者らに演説し、野党については欧米の支援を受けて国内の混乱を図っていると批判し、「残念なことに、わが国には大使館の外にも外国の飼い犬のような人々がいる。彼らは海外の資金をあてにしている」とこきおろしました。 
さらに旧ソ連のグルジアやウクライナに触れ、「欧米の専門家から学び、周辺諸国で教育を受けた彼らは今、われわれを挑発しようとしている」、「彼らはロシアが病弱になること、混乱し、分裂することを望んでいる」と非難しました。【11月22日 AFP】

5月の大統領退任後は“首相就任説”以外に、上院議長の考えとして、憲法改正なしで3選もありうる(いったん大統領を辞任し議員となり、その後3月の大統領選挙に立候補して大統領に“復帰”する)という話まで出ています。【11月21日 毎日】

選挙実施については、大統領の旧友である中央選管のチュロフ委員長は今回、外国選挙監視団を前回の3分の1となる約330人に制限。また、欧州安保協力機構(OSCE)がビザ発給を受けられず監視団70人の派遣を断念したこともあって、“密室選挙”の様相を呈しています。
そのチェロフ選挙管理委員長は、今年初めに「ルールその1、プーチンは常に正しい」との発言を行っています。【11月23日 AFP】
どこまで公正な選挙が行われるのか疑念がのこります。

国内情勢については、チェチェンは相当に押さえ込んだようですが、テロはその周辺に拡散して収まっていません。
22日には北オセチア共和国で路線バスが爆破されて18人が死傷、先月にもダゲスタン共和国で乗り合いタクシーが爆発して9人が死傷しました。イングーシでは共和国政府や治安当局を狙ったテロ攻撃が急増する一方、ロシア政府が連邦内務省軍を増派して「反テロ作戦」を強化。小規模な戦闘や民間人の殺害、拉致が頻発しており、「第2のチェチェン」と化す可能性が指摘されているそうです。【11月25日 産経】
ただ、「ロシアでは、03年12月の下院選挙と04年3月の大統領選挙の前後にテロ攻撃が相次ぎ、こうしたテロ事件が起こるたびにプーチン大統領は支持率を高める傾向が強い。」【11月23日 毎日】そうですから、選挙でのプーチン支持は更に高まりそうです。

直近のニュースとしてはこんなものも。
「モスクワの裁判所は24日、ロシア・プーチン政権に反対する野党連合勢力の集会を率いたチェス元世界王者カスパロフ氏に対し、拘禁5日間とする決定を言い渡した。」【11月25日 毎日】
「ロシア南部ダゲスタン共和国で、12月2日実施のロシア下院選挙に反プーチン派野党「ヤブロコ」から出馬していたファリド・ババエフ候補が21日、自宅近くで銃で撃たれ、24日、搬送先の病院で死亡した。」【11月25日 毎日】

一連の“プーチン個人崇拝”の動きに、「プーチン政権は今回の選挙を通じ、かつてのロシア皇帝(ツァーリ)にも似た独裁的な権力者を再び誕生させようと躍起になっている」【11月21日 産経】との批判があります。
個人的にも同様の感想を持っています。
同記事が指摘するように、「プーチンの治世下で、言論弾圧や反対派の封殺、警察国家化による国家統制の強化、エネルギー分野の再国営化に始まる国家資本主義の建設と、その発展の方向を強権体制へと転換した。」という印象は否めません。

しかし、ロシアの混乱をおさめ、“強いロシア”を再建しつつあるプーチンに対し国民の支持が集まっていることは事実で、「統一ロシア」の比例代表名簿1位に登載されることをプーチンが承諾すると、党の支持率は約12%はね上がったとも言われています。【11月21日 産経】

わからないのは、これだけ圧勝が確実視されており、国民の支持が高いプーチン大統領が、なぜ“あの手この手”で更に支持の上乗せ、野党の押さえ込みをはかっているのか?ということです。
選挙大勝にこだわるプーチンについて、「議席の4分の3以上を確保すれば、弱い後継大統領が謀反を起こさないよう、大統領弾劾手続きや憲法改正カードをちらつかせられ、いつでも大統領職に復帰できる態勢も整えられるからだ」【11月21日 産経】といった見方もあります。

恐らく、批判勢力が実際どれだけ実効をもちうるかに関わらず、たとえわずかであっても批判勢力が存在すること自体が我慢できない・・・そういう心理状態ではないでしょうか。
まさしくそれは“独裁者”の心理であり、社会を危険な方向に引っ張るものではないかと危惧します。
批判勢力・野党はあってしかるべきだし、それによって自らの姿勢も正しく保たれるという考えを否定した時点で“民主主義”は終焉します。

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バングラデシュ・インド・タイ  宗教的不寛容

2007-11-24 16:52:55 | 世相

(アヌポン氏の作品 刺青をしてくちばしをつけた僧侶が食べ物をむさぼっているという刺激的な作品 “flickr”より By Y-Not ?)

最近、宗教的冒涜に対する不寛容に関する記事をイスラムと仏教で目にしました。
*******
イスラム教を冒涜する小説を出版したとして、バングラデシュのイスラム原理主義組織から「死刑判決」を受けた同国の女性作家タスリマ・ナスリン氏(45)に対し、避難先インドのイスラム教徒が国外追放を求め、抗議行動を激化させている。
ナスリン氏は逃避行の途中、PTI通信に電話で「私は精神的に参り、打ちひしがれている」と語った。
【11月23日 時事】
*******
 
93年に出版した、バングラデシュのイスラム教徒によるヒンズー教徒迫害を告発する「ラッジャ(恥)」という本がイスラム教徒の怒りを買い「死刑判決」となったそうです。
逃避先のインドのコルカタでは21日、同氏の追放を求める群衆が暴徒化して外出禁止令が敷かれ、コルカタからジャイプール、更にニューデリーと転々と避難しているとのこと。

一方、仏教の方はタイからの記事。
*******
タイでは、画家のアヌポン・ジャントン氏が描いた絵画『 Bhikku Sandan Ka (Monks With Traits of a Crow)』が、仏教を侮辱しているとして僧侶らの反発を買っている。
同作品はその美術的価値が認められ、9月には国民芸術賞を受けた。この作品には、口がカラスのくちばしのようになった2人の仏教僧侶が食べ物をついばむ姿が描かれている。
約100人の仏教僧侶・信徒らは9月末、作品が展示されているシラパコン大学の前に集まり、「同絵画は国内の仏教僧侶を侮辱している」と述べ、アヌポン氏に授与された賞の取り消しと展示の撤去を求めた。
【11月22日 IPS】
*******

近年、タイでは汚職や性的虐待など僧侶による不祥事が相次ぎ、社会問題になっていることから、この絵も描かれたようです。
アヌポン氏は僧侶らの要求には応じない姿勢を見せており、「この絵を通じて、国民が安らかな心を取り戻してほしいのだ」と語っています。

葬式仏教の日本ではなかなかイメージできませんが、スリランカ、タイなどの上座部仏教の国では僧侶は人々から敬愛されています。
(“スリランカ、タイ、ミャンマーなど”と書こうとして、「必ずしもそうとも言い切れないのか・・・」と思ってしまいましたが。)

初めてスリランカを旅行したとき、僧侶の足元で地面にひれ伏し、頭を僧侶の足につけんばかりに拝んでいる女性の姿を見て、そのあたりの日本との差を実感したのですが、一方で「僧侶はなんであんなに偉そうにしているのだろうか?あんなに人々から敬われることはかえって僧侶自身の人格・修行に悪影響しないのだろうか?」なんてちょっと思ったりもしました。

山にこもって修行する訳ではなく、人々の日々の暮らしと濃密な関係をもっているだけに、社会問題とされるような事柄も起きてくるのでしょう。
そのことを批判すること自体は、多くの仏教徒はそれほど抵抗はないのではないかと思いますが、絵画という形でつきつけられて一部の僧侶が激怒したようです。

もっとも、作品が“国民芸術賞”というかたちで社会的には高く評価されていること、(“地獄に堕ちろ!”ぐらいは言うかもしれませんが)“死刑宣告”などという物騒なことは僧侶達も言わないことで、イスラムの場合と差異はあります。
殺生を忌む仏教ですから、生命にかんしては他宗教とは若干の差があるのかも・・・葬式仏教とはいえ、仏教徒のはしくれとしてはそのように期待するのですが、どうでしょう。

イスラムも本来は他宗教と比べてんなに宗教的不寛容の強い宗教ではなかったように理解しています。
「右手にコーラン、左手に剣」という言葉もありますが、ジズヤを収める形で他宗教を認めることも一般的だったように聞いています。
もちろん、近代的な人権意識が確立する以前の世界では、イスラムであれ、キリスト教であれ、宗教や民族の異なる者への扱いはときに残虐をきわめたことは言うまでもないことですが。

近年のイスラム世界でのこの種の問題の多発はどのように理解すべきものでしょうか。
経済的に遅れた立場に置かれていること、アメリカを中心としたアフガニスタン、イラク、あるいはイランへの露骨な圧力への反抗・・・そういった面が強いのでしょうか。

扱う方も、この種の問題が非常に“取り扱い注意”であることを強く意識して、不用意に宗教的、ひいては政治的軋轢をひきおこさないように留意することは、やはり現時点では現実的対応として求められることかと思います。

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インド  国境警備隊のラクダ部隊

2007-11-23 12:01:18 | 国際情勢

(インド国境警備隊のラクダ部隊 “flickr”より FriskoDude )

昨日面白い記事を目にしました。
********
スーダン西部ダルフール地方の紛争地域へ国連とアフリカ連合の合同平和維持部隊を派遣する計画について、インドがラクダ部隊を提供し同部隊の輸送面を支援することが分かった。インド国境警備隊(BSF)によると、前週、国連から派遣要請があったという。
BSFのラクダ部隊は、インド西部ラジャスタン州およびグジャラート州での偵察任務に就いている。その任務はパキスタンからの武器・麻薬密輸追跡や夜間巡回など広範囲にわたる。
現在、軍事目的でラクダを利用する国は、インドと南アフリカの2か国だけだ。【11月22日 AFP】
********

この記事によると、BSFが徴用するラクダは、銃声に反応しないよう訓練されているほか、「ほふく前進」など軍隊特有の動作にも従えるよう調教されているそうです。
ラクダ自身がほふく前進するのでしょうか?
また、ラクダは武器を背負ったまま、1日で最長80キロの距離を移動できる完ぺきな輸送手段で、休憩時間も短くてすむとのこと。

スーダン・ダルフールについてはこのところ、リビアでの和平会議の失敗、南部の統一政府からの離脱など将来を懸念させるニュースばかりですが、現地実情に対応したラクダ部隊の活躍を期待します。


(ワガでの印パのフラッグセレモニー “flickr”より By Sapna Kapoor )

BSFが管理するインド・パキスタン国境は緊張地帯のひとつですが、パキスタンのラホール近くの国境“ワガ”という場所で毎日行われる両国国境警備隊のフラッグ・セレモニーは、観光的に人気を博しています。
その様子を旅行会社「西遊旅行」のPRサイトから引用すると次のとおりです。

『この国境では、毎日毎日、夕刻になると、両国の群集による応援合戦のようなセレモニーが行われています。
 パキスタン側からは「フレーフレーパキスタン!」インド側からは「インド万歳!」という自国をたたえる歓声が応援歌と共に30分以上続き、さらに衛兵による行進が行われます。盛り上がりが最高潮に達した後、両国の国旗がゆっくりと降ろされ、セレモニーは終わりを迎えます。イメージとして持っていた印パの関係とあまりにもかけ離れた、思わず吹き出してしまうような楽しい応援合戦。
「世界中の国境でこのセレモニーをすればいいのに・・・・。」「実際に来て見ないと、世界の現実はわからないわね。」「ニュースを見る目が変わった。」お客様からいただいた言葉です。』


(“flickr”より By Sapna Kapoor )

刺々しい国際ニュースだけに縛られない複眼的視野もまた有用では。
しかし、このセレモニーの衛兵は、黒澤映画の中のようにビジュアルです。
頭の飾りはどういう由来なのでしょう?
インド側が赤い頭飾りなのに対し、パキスタン側衛兵は黒の飾り・軍服で対抗しています。
周囲はインド側、パキスタン側それぞれ黒山の人だかりです。(女性はスカーフなどを被っていますので、“黒山”ではなくカラフルですが・・・)
非常事態宣言下の今もやっているのでしょうか?

印パ国境というと“カシミール”ということになる訳ですが、ムスリムのための国家として建国したパキスタンとしては、ムスリム住民が過半をしめるこの地方を併合したい。
多宗教の共存を国是とするインドとしては、ムスリムが多いからといってパキスタンに渡したのでは建国の趣旨に反する・・・ということで互いに建国の理念がかかった問題でなかなか妥協が困難なようです。

そのカシミール地方でも、インド領とパキスタン領とに分割し事実上の国境となっている「実効支配線」沿いでは3年前から停戦状態が続いており、支配線の両側に分かれて住む家族の再会支援を目的に、06年6月の同意で、支配線をまたぐバスが運行されています。
ただし、ビザ発給や通信などの制限はまだまだ多いようですが。

インドは北部で中国にダイレクトに、またはネパールを介して接していますが、中国から毎年平均2,500人のチベット人が亡命したダライ・ラマの率いるチベット政府があるインドのダラムサラへと、ネパール国境越えを試みているそうです。【2006年10月18日 IPS】
89年にネパール政府とUNHCRはいわゆる紳士協定を結び、チベットからの難民に第3国への中継地としての通過は認めることになっています。
このネパール経由でインドに向かうチベット難民に対し、中国国境警備部隊が銃撃を加える映像が公開されて国際的に批判が高まったこともあります。

インド国境を西に向かうと隣はバングラデシュ。
バングラデシュとの国境をめぐる話題としては、このな記事も。
******
インド東部の村では、隣国バングラデシュへの密輸を防ぐため、牛に写真付きIDカードを発行している。現地当局者らが明らかにした。
インドの国境警備隊(BSF)の職員はロイターに対し「少し奇妙に思うかもしれないが」と前置きした上で、牛とその持ち主が特定されることにより、警備隊だけでなく現地警察当局の助けにもなると説明した。
ヒンズー教徒の多いインドでは、神聖な存在として扱われている牛の輸出は禁止されている一方、イスラム教徒の多いバングラデシュでは牛肉を食すため、インド牛に対する需要は高い。
当局の調査によると、昨年にインド東部にある西ベンガル州からバングラデシュに密輸された牛は約43万5000頭に上る。
【7月29日 ロイター】
******


(BSF兵士と女 “flickr”より By salman nizami !!! Journalist From India(J&k))

最後にBSF関連の写真を探していて見つけた1枚。
たくましい兵士の腕に、安全を祈る紐“Rakhi”を巻く女・・・
いかにもステレオタイプではありますが、いかにも“やらせ”写真のようですが、それでも男心をフニャフニャにしてしまう1枚です。
国境の向こう側でもこちら側と同様にこのような人々の情愛が存在することに、政治に携わる者が少しでも想像力を持ってもらえば・・・なんて考えてしまいます。

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フランス  サルコジ改革路線に対する大規模ストライキ

2007-11-22 17:47:45 | 世相

(11月20日 フランス “flickr”より By IES Nantes Fall 07 )

「今春のフランス大統領選と総選挙で20年ぶりの大敗を喫した仏右翼「国民戦線」(FN)の党大会が18日まで仏南西部ボルドーで開かれた。求心力の低下と財政難にあえぐ党内情勢を反映して、結党以来35年間党首の座にあるジャンマリ・ルペン氏(79)は3年後の退任を示唆。党は大きな転換点を迎えている。」【11月19日 朝日】

80年代15%前後の支持率があったFNですが、6月総選挙では4%台に落ち込んだそうです。
「移民問題などで右傾化しているのかと思ったのだけど・・・」と感じたのですが、記事に“右派のサルコジ大統領に支持層が流れたため”との説明があり納得。

その仏サルコジ政権が直面しているのが、制度改革路線に反対する大規模なストライキ。
仏国鉄職員による13日夜からの全国無期限ストを皮切りに、パリ市交通公団、フランス電力公社なども14日からストに突入しました。
このほか、オペラハウス、教員組合、学生組合、郵便・通信組合、公務員組合、司法関係者組合などがストを決行または予定しています。

昔、日本にも国鉄労働者(国労、動労)を中心にした大規模なストがありました。
1975年の、いわゆる“スト権ストです。
公労協(三公社五現業の組合で、国労、動労、全電通、全専売、全逓、全林野、全印刷、全造幣、アル専)がストライキ権を求めて行なった統一ストライキで、11月26日から12月3日まで続きました。
このため国鉄の列車はほぼ全てストップしました。

これに対し、政府は福田副総理(今の福田総理のお父さんです。)を本部長とする「生活物資等確保緊急連絡本部」を内閣に設置しました。
また貨物列車のストップに備えて全日本トラック協会は、「緊急輸送プロジェクトチーム」を結成し、大型トラック2200台を動員できる体制を準備しました。
運輸省は道路運送法に基づく「緊急輸送命令」(トラック運賃と国鉄の貨物運賃との差額を政府が補助する制度)を出しました。

“ストライキ権を求めるストライキ?”という疑問はあるでしょうが、当時は“順法闘争”などが頻繁に行われていた時代で、今日の本旨ではないので説明は省略しますが、当然政府からすれば違法ストライキとなりますので、この闘争によって公労協は大量の処分者を抱えることになります。

ストライキは、通勤の足を奪われた、また、度重なる“順法闘争”などでうんざりしていた一般国民の支持を得ることができず、組合側の完敗でした。
組合側は大量の処分者以外、何も獲得できないまま終息しました。

当時私は、大学キャンパスに張り出された休講の掲示を見て喜んでいただけでしたが、日本の労働運動の歴史を振り返ると、この“スト権スト”の組合敗北がおおきな節目にもなったようです。
このあと、組合側は総評を中心とした春闘に連戦連敗を重ね、組織率は低下し、ストライキを打つこともままならないほど弱体化しました。
また国鉄、電電公社はJR,NTTとして民営化されていくことになります。

“おまけ”的なところでは、このとき組合側と渡り合った海部俊樹内閣官房副長官が自民党若手のホープとして注目をあつめ、後の総理就任の足がかりを得たようなこともあります。

日本ではいまや死後となった“全国的ストライキ”というフランスのニュースに、“三丁目の夕陽”的な懐かしさを感じたのですが、NF支持者をも取り込んだ保守増に基盤を置くサルコジ相手には“難しいのでは・・・?”とも感じました。

サルコジ政権が目指すもろもろの新自由主義的制度改革・構造改革に対する不満が今回のストライキになったようですが、国鉄組合が問題にしているのは“特別年金制度”の改革です。
これは種類の異なる職種を合わせた複合的制度で、公的機関やその他で働く人(国鉄、パリ交通公団、フランス電力、フランス・ガス、船員など)が加入しています。
一部の辛い労働に酬いる目的で設置された制度だそうです。
特別年金制度は特典も多く、多くの場合、37.5年保険料を払えば年金受取資格が得られ、大概50才から60才の間に年金生活に入ることが出来ます。
一般年金制度の場合は40年保険料の支払いが必要で、年金が受け取れるのも60才から65才になってからです。この制度は大幅な赤字で公的資金が注入されており、サルコジ改革で一般年金制度への統合が計画されています。
やはりこの問題に手をつけようとしたシラク前大統領は3週間のストライキの抵抗にあって、結局断念しました。

交通ストライキについては、21日、事態打開に向けた政府、労組間の交渉が再開し、事態は徐々に沈静化に向かっています。
サルコジ大統領は「社会的公正の観点から」納入期間を他の公共企業や一般企業と同じ40年に延長する方針を貫く姿勢ですが、一方で、昇給と年金制度の追加を提案して反発を和らげようとしているということです。
仏フィガロ紙が行った世論調査では、ストを「正しくない」とみる意見が68%、政府が「労組に譲歩することに反対」する意見が69%となっており、政府側を支持する意見が多数を占めたそうです。【11月22日 AFP】
左派が敗北した大統領選挙のリターン・マッチのようにも見えますが、サルコジペースで今後も展開するのではないでしょうか。

政府を相手にしたストライキは一般国民の支持を得ない限り目的達成は困難です。
フランスはどうかしりませんが、日本社会で考えると、他者に対する不寛容が一般的で、“連帯”とか“支援”などは期待できない社会ですから、まずこのような利用者に痛みを伴うような企てに望みはありません。

それはそうとして、多くの不満があっても具体的な政治的行動になかなか結びつかない日本社会からすると、自分達の主張をダイレクトに政府にぶつけるという意味での民主政治のダイナミズムにはうらやましいものも感じます。
もちろん“この混乱でどれだけ迷惑しているか・・・”と言われればそうなんですが。

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ASEAN  “憲章”で合意、そしてミャンマーは?

2007-11-21 17:35:54 | 国際情勢

(9月24日 ヤンゴン 道路を埋め尽くした僧侶と市民 “flickr”より By Forest of Orchids )

シンガポールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議は20日午後、2015年の完全統合(約5億7000万人が住む域内の自由貿易による経済共同体、安全保障共同体、社会文化共同体の形成)に向けて最高規範となる「ASEAN憲章」、気候変動・環境問題に関する宣言など一連の文書に調印して閉幕しました。

緩やかな地域協力の対話フォーラムあるいは冷戦時の反共同盟として発足したASEANは創設40周年を機に、欧州連合(EU)と同様に「法人格」を持つ地域機構へと移行することになります。
従来“ASEAN方式”とも言われる、内政不干渉を前提にした曖昧で緩やかな合意を全会一致で得る方式をとってきました。
これは、社会体制・経済状態に大きな差が存在する各国をまとめていくうえで必要とされたとも言えます。

しかし、これでは何を話し合っても結局は実行されないということにもなり、賢人会議でASEAN憲章の草案が検討されてきました。
賢人会議報告では、安全保障や外交政策のようなセンシティブな分野以外については、全会一致が得られない場合は投票によって多数決で決定することや、重大な違反や不履行に対しては除名を含む権利・特権の停止などの措置をとるといった罰則規定も設けられました。
これによって、実効が期待できるようになると考えられました。

最終的に合意された憲章の骨子は以下の内容です。
一、ASEANは法的地位を付与される。
一、加盟国は民主主義や法の支配を守り、人権と自由を高める。
一、各国の国内問題への不干渉原則。
一、ASEAN人権機構を設置。
一、首脳会議は最高意思決定機関。年2回開催。
一、決定はコンセンサス(全会一致)による。全会一致に至らない場合は、首脳会議が意思決定の方法を決める。

人権機構の設置はあるものの、内政不干渉を前提にした全会一致方式は基本的には変わらなかったようです。
“全会一致に至らない場合は、首脳会議が意思決定の方法を決める”と言う部分がどのように運用されるかにもよりますが。
また、加盟国が順守すべき基本原則として民主主義や人権の保護、法の支配などを列挙し、具体的な条文では「重大な侵害があった場合には首脳会議に付託される」との明確な規定を設けられたそうです。

議長国シンガポールのリー首相は会議開会に当たり、「ASEAN統合に向けて我々がこれまでに成し遂げたものは、理想とはまだほど遠い。本日午後のASEAN憲章への署名は今後の長い道程の端緒であり、地域統合プロセスの重要な一歩となる」と憲章の意義を強調しました。
マレーシアのサイドハミド・アルバル外相はこの憲章によって「設立から40年目にしてASEANに実体が備わる」と語っています。

そして、早速その新ASEANの真価が問われることになったのが、ミャンマー問題でした。
ミャンマーに対しては各国首脳から意見・不快感は出されましたが、結局のところ今後の民主化対応の変更を促すに足る成果は得られませんでした。
それどころか、ガンバリ国連事務総長特別顧問(特使)の東アジアサミット招待をミャンマーのテインセイン新首相は阻止しました。

ガンバリ特使は「失望した。報告のために私はここへ来たのに」と落胆を口にしたそうです。
フィリピンのアロヨ大統領は、ミャンマーがアウン・サン・スー・チーさんを解放しない限り比議会が憲章を批准することは困難だと語っています。
米通商代表部(USTR)のシュワブ代表は「ASEANの指導者は真剣に受け止めている。問題は結果がどうなるかだ」と、ミャンマー軍事政権の取り扱いをめぐってASEANの信頼性が問われていると語ったそうです。

シンガポールのリー首相は議長声明で「ASEANは、国連や国際社会と直接対応するというミャンマーの希望を尊重する」と述べ、ASEANとしてミャンマーの民主化問題への関与から一歩退く姿勢を示しました。
ASEANがミャンマーに翻弄されるのは今に始まった話ではありません。

97年に「家族の一員に取り込むことで民主化を促す」との判断で加盟承認に踏み切りましたが、民政移管のポーズだけは見せながら手続きを引き延ばすミャンマー軍事政権に対し、03年にはマレーシアのマハティール首相が、「もしスーチー氏を釈放しない場合、ASEANから除名する」と警告したこともありました。
このときはタイなどが「孤立より歩み寄りを」と宥和策を主張しました。

もっとも、そもそも97年のミャンマー加盟を推し進めたのはマハティールだったという話もあります。
 「ミャンマー加盟を実現させた黒幕は、マレーシアのマハティール前首相だった。ASEAN創設30周年を迎える97年は、マレーシアが議長国を務めることになっていた。当時首相だったマハティール氏が『ASEAN10』をその目玉にしようと働きかけたのだ」【11月16日 産経】
ミャンマー軍政は06年、ミャンマーを訪問したASEANの特使(マレーシアのサイドハミド外相)にはスー・チーさんとの面会を認めなかったが、国連の特使には面会を許しました。
これにより「軍政はわれわれより国連と話がしたいようだ」(サイドハミド外相)と、面子を潰された格好のASEAN域内にあきらめムードが広がり、以後、国連に加盟国ミャンマーの取り扱いを委ねるという現在の基本姿勢が定着しました。

ミャンマー除名については、シンガポールのジョージ・ヨー外相は10月22日、「(ミャンマーの)ASEANからの除名は選択肢となり得ない」と述べ、理由として「ASEAN諸国が分裂すれば地域が不安定化し、自衛の名の下に大国の介入を招く」ことをあげています。【10月24日 しんぶん赤旗】
“大国の介入”とは、アジア地域でプレゼンスを高める、また、ミャンマーの後ろ盾となっている中国への警戒でしょうか?

ミャンマー以外の他のメンバーも国内に反政府組織や少数民族の問題を抱えている国が多く、決して“民主的”に国内が運営されているとは言いがたい実情はありますが、今のミャンマーに対して腰が引けるようでは“人権機構”も“将来的な共同体”も絵に描いた餅でしょう。
差異がある分子を組織から追い出せばいいというものではないですが、そうは言っても政治の基本理念で一致できない以上、脱退を勧めるぐらいの覚悟を持った強気の交渉が必要ではないでしょうか。

もちろんこの地域で“共同体”というのはいかにも想像し難いものがありますが、地域に暮らす5億7000万人のために言うべきことは言わないと。
ミャンマー自体はASEANから非難されようが除名されようが当座は意に介しないでしょうが、それによって新ASEANの方向性が固まるならそれはそれで。

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