孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

チベット  ラサで暴動 問われる中国政府の対応

2008-03-15 14:40:51 | 国際情勢
チベットでの僧侶を中心にした暴動とその鎮圧は、昨年のミャンマーの民主化運動のデジャ・ヴュのよう。
情報が錯綜しているので正確なところはよく分かりません。

警察車両や漢族経営商店への放火・襲撃も行われたとか。
治安当局による発砲で少なくとも2名が死亡したとの報道【AFP】や、14日だけで少なくとも14名したとの情報もあると伝えるもの【朝日】も。
“デモに参加した住民らのほとんどが15日未明までに帰宅、市内は落ち着きを取り戻した”【共同】というものから“(中国筋は)「制圧するには数日間を要する」との見方を示した。”【朝日】というものまで。
なお、中国国営新華社通信は15日未明、ラサで14日発生したチベット仏教僧らによる大規模な暴動で市民7人が死亡したと伝えるとともに、14日夜に沈静化したと報じています。【毎日】

チベット自治区のピンツオ主席は15日、治安部隊は発砲しておらず、群衆を排除するために最低限の催涙弾と警告射撃を行っただけだと述べています。【3月15日 AFP】

インド亡命中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は14日、「ラサを含むチベット各地で起きている事態を深く憂慮している」とする一方、「(今回の)抵抗運動は、チベット人民が現在の統治に対して抱く根深い憤りの表明である」と、中国のチベット政策を非難する声明を出しています。【3月15日 読売】
なお、チベット自治区の当局者は14日、国営新華社の取材に対し「ラサで起きた破壊行為をダライ・ラマ(14世)一味が組織、計画し背後から操った十分な証拠がある」と述べ、ダライ・ラマを非難したそうです。【3月15日 共同】

海外の反応は、マコーマック米国務省報道官の「中国政府に対し、チベット文化を尊重し、武力を使用しないよう要請した」という14日会見のように、欧米諸国は中国政府に自制を求めています。

一方、2万人近くの亡命チベット人がいるとされるネパールでは、ネパール政府が14日、ネパール側へ亡命するチベット人たちの越境ルートがあるネパール側からのエベレストへ登頂するルートを5月(オリンピック聖火リレーで使用)まで閉鎖すると発表。中国政府からの要請によるものだそうです。
また、ダライ・ラマ14世の亡命政府が置かれるインドでは、インド政府は「チベット人がインド国内で中国に対する政治活動を行うのは認めていない」として、暴動発生を受けた抗議行動の発生に各地で警戒を強めており、13日にはデモを行った100名を、14日には中国大使館への突入を図ったチベット人デモ隊約30人を身柄拘束しています。
周辺国は総じて中国政府を支え、混乱を拡げたくないという意向のようです。

チベットでは1980年以降、ダライ・ラマ14世の特使団が中国政府と断続的に交渉、同氏の帰国やチベット情勢などを協議してきました。
ダライ・ラマも敢えて“独立”は主張せず、中国政府に「高度な自治」を求めていますが、交渉は成果を挙げてきませんでした。

北京の全人代で、チベット自治区の代表者らが「チベットは目覚ましく発展し安定している」と強調した矢先の今回の抗議活動の背景には、「自治」が足踏み状態の中で「中国化」が進む一方という状況に対するチベット人の焦りと不満が横たわっており、オリンピック開催に向け、チベット問題を国際社会にアピールするねらいがあるとみられています。【3月15日 産経】

「中国化」に関しては、ダライ・ラマ否定の思想教育、昨年10月8日にもとりあげた「活仏証明書」なる宗教の国家管理など。
また、青海省西寧とラサを結ぶ“青蔵鉄道”開通をはじめとする、漢族の人員・資本の流入も激しいものがあります。

その一方で、ネパール経由でインドに向かうチベット難民に対し、中国国境警備部隊が銃撃を加える映像が公開されて国際問題となったような、厳しい弾圧も行われています。

そもそも、中国側の旧チベットに関する認識は次のようなものです。
“旧チベットは等級の厳格な社会であり、社会は農奴主と農奴という二大等級に分けられていた。人口の約5%を占める農奴主(主として寺院、貴族、役所の三大領主)はチベットのほとんどの耕地、牧場、森林および大部分の家畜、農具を擁していた。他方、人口の95%を占める農奴は耕地、草原など基本的生産手段がないだけでなく、自分の体さえも農奴主に属し、無条件で農奴主のために労役に服し、小作料を納めなければならなかった。
(中略)「法典」は、上等上級の人の命の価値は同じ重さの金に等しく、下等下級の人の命はわら縄一本の価値しかないと規定した。1950年代になってもチベットは依然として僧俗、領主が吐蕃時期から踏襲してきた厳しい等級抑圧の法律と残酷野蛮な刑法に基づいて支配する社会であった。当時チベット人の寿命はわずか36歳で、人口の非識字率は90%に達していた。”(http://spanish.hanban.edu.cn/ri-xizang/4.htm
この封建体制下で苦しむチベット人民を解放したのが中国共産党による民主改革である。
しかも、チベット上層部に対する今一度の譲歩として「6年間改革を行わない」という方針をとったにもかかわらず、チベット上層部、海外傀儡勢力が改革に抵抗し旧体制を守ろうとし、中央機関を襲撃し暴動を扇動した。
そこで、やむを得ず軍事的に介入した・・・。

なお、中国共産党は、発足当初、ソ連のコミンテルンの強い影響をうけ、「少数民族政策」としては、諸民族に対し、完全な民族自決権を承認していたそうです。
たとえば、中華ソビエト共和国の樹立を宣言した際には、その憲法(中華ソビエト共和国憲法)において、各「少数民族」に対し、それぞれ「民主自治邦」を設立し、「中華連邦」に自由に加盟し、または離脱する権利を有すると定めていました。
しかしながら、国共内戦に勝利し1949年に中華人民共和国を設立した直前には、政治協商会議の「少数民族」委員たちに対し、「帝国主義からの分裂策動に対して付け入る隙を与えないため」に、「民族自決」を掲げないよう要請、さらに現在では、各「少数民族」とその居住地が「歴史的に不可分の中国の一部分」との立場に転じ、民族自決権の主張を「分裂主義」と称して弾圧の対象にするようになっているそうです。【ウィキペディア】

チベットの実情は知りませんが、恐らく旧チベットの体制が宗教権力と結びついた封建的な体制であったうだろうことは推測されます。
そのような厳しい体制下で暮らす住民は、ときにそのこと当然のことと受け入れ、変革しようとする力に対し抵抗することもあるでしょう。
社会を変えようとするとき、“革命”から、日本のような社会での微温的な“痛みを伴う改革”に至るまで、どちらの側に立つかによってその評価は180度異なります。

ただ、旧体制の評価、改革・介入のいきさつはさておいても、すでに半世紀近くが経過する訳ですから、その後の改革の結果については評価を下されるべきでしょう。
その評価は、中央政府でも国際世論でもなく、地域住民が下すべきものです。
半世紀を経て、地域住民が否定的な評価を下すのであれば、当初の民族自決の理念に立ち戻った対応が必要かと思います。

オリンピックを人質に取られた状態の中国ですが、いたずらに追い込み、反動的な方向で殻に閉じこもらせるのも
愚策かと思います。
少しでも事態が住民の生活改善に繋がる方向に動くように誘導することを、国際世論も心がけてほしいと考えます。
それにしても、胡主席はチベット自治区党委書記時代の89年、ラサ暴動を鎮圧(死者16人、負傷者100人以上)し、その功績が故小平氏に評価され昇進につながったそうで、チベットとは縁が深いようです。

コメント
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