孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ナイジェリア  頻発するイスラム過激派「ボコ・ハラム」によるキリスト教徒を対象にしたテロ

2012-04-30 20:33:22 | アフリカ

(イスラム過激派「ボコ・ハラム」の戦闘員 顔はベールのようなもので覆っているようです。“flickr”より By DTN News http://www.flickr.com/photos/dtnnews/6331806436/

西アフリカのナイジェリアは石油や天然ガスの産出国で、アフリカ有数の軍事力を有する地域大国ですが、北部イスラム教徒と南部キリスト教徒の間の宗教対立、油田が存在する南部デルタ地帯での武装組織のゲリラ活動、更には大規模な環境破壊による健康被害、赤ちゃんの人身売買など、政治的・社会的に問題が多い国です。
また、巨額の石油収入にもかかわらず、利権をめぐる争いや汚職など“石油の呪い”で、8割近い国民が1日2ドル以下の貧困生活に苦しんでいる国でもあります。

そのナイジェリアで、イスラム過激派「ボコ・ハラム」によるキリスト教徒を対象にしたテロが頻発しています。
ナイジェリアの南北対立については、2011年4月21日「ナイジェリア  大統領選挙後の暴動 南北対立を背景に、死者200人超の報道も」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110421)でも取り上げました。
また、昨年末のクリスマスを狙った悲惨なテロも記憶に新しいところです。
2011年12月26日ブログ「クリスマスミサ  出口が見えないパレスチナ 流血のナイジェリア」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20111226

****教会近くで爆弾積んだ車が爆発、20人死亡 ナイジェリア****
キリスト教の復活祭(イースター)の8日、ナイジェリア北部の経済・文化の中心地カドゥナの教会近くで爆弾を積んだ車が爆発し、警察によると20人が死亡、30人が負傷した。
露店でお茶を買っていたモーターサイクルタクシーの運転手や住民が爆発に巻き込まれ、現場には遺体の一部が散乱した。犯行声明は出ていない。
少なくとも1人の自爆犯が車を運転していたとみられている。ある救助隊員は、爆弾を積んだ2台の車が爆発したと述べた。

事件の報を受けて、首都アブジャなど重要地域の警備が強化された。AFP記者によると教会の近くには警察官に加え兵士も配備された。
ナイジェリア中部のジョスでも同日、袋に入れて道路脇に置かれていた爆弾が爆発し、警察によると1人が負傷した。

さらに北東部のマイドゥグリでは、軍がイスラム過激派ボコ・ハラム(“西洋の教育は罪”の意)の隠れ家を急襲し、最近発生し商人ら7人が死亡した市場の襲撃事件に関与したとされる3人を殺害し、2人を逮捕した。
この作戦はカドゥナとジョスで8日に起きた爆発とは直接の関係はないとみられるが、ボコ・ハラムは前年のクリスマスの日、アブジャ郊外の教会で44人が死亡する爆発事件を起こしている。【4月9日 AFP】
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****ナイジェリア:連続テロ8人死亡 大統領寄り新聞社標的か****
西アフリカ・ナイジェリアの首都アブジャと北部カドゥナで26日、大統領寄りの地元新聞社を狙ったと見られる爆弾テロが相次ぎ、AFP通信によると、実行犯を含む計8人が死亡した。キリスト教徒や政府への攻撃を強めるイスラム過激派組織ボコ・ハラムの犯行が疑われている。

カドゥナでは今月8日にも、キリスト教会を狙ったとみられる自爆テロがあり、少なくとも38人が死亡。ボコ・ハラムの犯行が疑われている。北部でイスラム教徒、南部でキリスト教徒が多数派を形成するナイジェリアでは、北部で勢力を伸ばし、全土へのシャリア(イスラム法)導入を目指すボコ・ハラムがテロを活発化させている。【4月27日 毎日】
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****ナイジェリアの大学で銃撃・爆発、20人死亡****
ナイジェリア北部の都市カノにある大学で29日、銃撃と爆発があり、AFP通信によると約20人が死亡した。キリスト教の礼拝に使われていた施設を狙ったテロとみられる。
カノはナイジェリア第2の都市で、今年1月にも爆破テロがあり、少なくとも185人が死亡した。このときはイスラム武装勢力「ボコ・ハラム」が犯行を認めた。【4月29日 朝日】
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上記29日の事件では、“襲撃犯らは車1台とバイク2台に分乗して現場に乗り付けた。まず医学部の外に集まっていた人たちに向けて発砲し、手製の爆弾を投げつけた。襲撃犯らは、パニックになって逃げ出した人たちを追いかけ、銃で撃ったという”【4月30日 AFP】とのことです。

こうした事態に、一体政府・治安当局は何をしているのか?という感もありますが、“汚職と無能が取り沙汰される治安機関に、今後も大した成果は期待できそうにない”とも。

****ナイジェリアのテロはアルカイダ増殖の兆し?****
キリスト教の復活祭に当たる今月8日、ナイジェリア北部カドゥナの教会へ向かう道で自爆テロが発生した。死者数は約40人とも100人超ともいわれる。
犯行声明はまだ出ていないが、イスラム武装組織ボコ・ハラムから地元政府に何度も警告があったと、ナイジェリア公民権会議の代表シェフ・サニは指摘する。「治安当局に市民の命を守る力がないのは明らかだ」

キリスト教徒が多い南部とイスラム教徒が多い北部が対立するナイジェリアで09年に反政府武装闘争を始めたボコ・ハラムは、この1年間で暴力を激化させてきた。政治学者フサイニ・アブドゥは、この組織が北西アフリカ諸国やソマリアに展開するアルカイダと結び付きかねないと危惧する。
教養も経済力もない若煮が失業して将来に希望をなくし、武装勢力に取り込まれてきたと、アブドウは語る。「彼らは虚無的になり、人を殺して喜ぶ」

復活祭テロが起こる前に、モハメド国防相はボコ・ハラム内部に情報要員を潜入させ、活動を抑止していると地元紙に語っていた。それでもテロが起きたように、汚職と無能が取り沙汰される治安機関に、今後も大した成果は期待できそうにない。【4月25日号 Newsweek日本版】
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“情報要員を潜入させ、活動を抑止”とは、随分高度な対応をしている・・・とも言えますが、テロの頻発という現実が物語るように効果をあげていません。

しかも、テロの内容は、“目的のため、あるいは主張のアピールのためなら一般市民を巻き込むこともやむを得ない”といったものではなく、一般市民の抹殺自体が目的であり、まさに“人を殺して喜ぶ”ようにも見えます。
“「ボコ・ハラム」は、ナイジェリアにイスラム法を確立することを目指し、国内のキリスト教徒をすべて殺すと宣言している”とも言われています。【2月22日号 Newsweek日本版】
キリスト教徒側の報復が広まれば泥沼です。

昨年4月に再選されたグッドラック・ジョナサン大統領の名前のような幸運が1日も早く実現することを願いますが、短期的には治安対策、長期的には若者の雇用対策という地道な取り組みを進めるしかないでしょう。
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財政緊縮策で行き詰る欧州各国の政治・経済 求められる成長戦略併用

2012-04-29 21:19:00 | 欧州情勢

(3月29日 スペイン 財政緊縮策に抗議するゼネストが一部暴徒化 25歳未満の若者世代の失業率が50%を超える状況では無理からぬところもあります。 “flickr”より By Ateak Ireki http://www.flickr.com/photos/58943551@N03/7027421569/

財政緊縮策で欧州政権交代ドミノ
EUは、財政緊縮を重視するメルケル独首相の強い意向と、これに協力するサルコジ仏大統領の“メルコジ”路線で、加盟27カ国中25カ国に財政規律強化を義務付ける協定を実現し、緊縮財政による財政再建を市場に約束する形で一応の信用不安をなだめたところですが、緊縮財政に伴う国民生活の“痛み”は大きく、EU内各国で修正を求める声が大きくなっています。

オランダではルッテ首相が緊縮策を進めるために内閣総辞職・総選挙に追い込まれています。
****オランダ首相が辞任 緊縮策で政権行き詰まり****
オランダのルッテ首相は23日、財政健全化をめぐる右翼・自由党との協議が不調に終わったことを受け、ベアトリックス女王に内閣総辞職を申し出て辞任した。地元メディアなどによると、9~10月にも総選挙となる見通しだ。

少数連立のルッテ政権が示した緊縮策に対し、閣外協力していた自由党が21日、協力を拒否。他野党も緊縮策への協力の条件として首相の辞任を挙げていたことから、緊縮策を進めるために辞任した。
オランダは2012年と13年の財政赤字が国内総生産(GDP)比4.6%と、欧州連合(EU)が求める3%を上回る見込み。ルッテ政権は10年10月に発足した。【4月24日 朝日】
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総選挙は9月12日に実施すると発表されています。
13年のオランダ財政赤字は現在、GDPの4.6%と予想されており、これをEU規定の上限である3%とするために政府は、歳出を少なくとも95億ユーロ追加削減する必要があります。社会党のエミール・ルーマー党首は、「緊縮パッケージは余りにも厳し過ぎ、経済にマイナスだ」と主張しています。【4月24日 Bloomberg.co.jp】

ルーマニアでは、緊縮財政を進めるウングレアーヌ政権への内閣不信任案が可決しています。
****ルーマニア:内閣不信任案を可決…緊縮財政批判受け****
ルーマニアの上下両院総会は27日、中道右派の民主自由党などから成るウングレアーヌ政権の内閣不信任案を可決した。バセスク大統領は同日、最大野党の中道左派、社会民主党のポンタ党首を新首相に指名した。政権交代が濃厚となった。

ウングレアーヌ政権の緊縮財政に反対する世論の高まりを背景に、社民党などが不信任案を提出していた。今年2月にも緊縮策を進めたボック政権が崩壊したばかり。欧州債務危機で喫緊の課題となった財政再建の困難さを示した形だ。

不信任案の採決では与党側議員の造反などもあり、賛成票が半数をわずかに上回った。可決後、与党側は新首相候補の擁立断念を表明。バセスク大統領から指名を受けた野党統一候補のポンタ氏は10日以内に組閣を終え、上下両院総会で承認を求める。

ウングレアーヌ政権は2月、公務員給与の大幅カットや付加価値税の引き上げなどを断行したボック政権を引き継ぎ、「改革の継続」を訴えたが、国民の不満を抑えることができなかった。ルーマニアでは今年11月に総選挙が予定されている。

債務危機に見舞われた欧州ではギリシャやイタリアなどで政権交代が続いてきた。
チェコでも27日に内閣信任案の投票が行われた。小差で可決されたものの、今後も不安定な政権運営を迫られそうだ。【4月28日 毎日】
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欧州信用不安の震源地ギリシャでは総選挙が行われていますが、国民に負担を強いる緊縮策への反発から、財政緊縮策を進める連立与党側が議席を減らすのは確実な情勢です。
連立与党自体が、緊縮策に反する公約を連発し、支持つなぎとめに必死の状況です。
危機回避のための国際公約は反故にされる可能性が高そうです。

****ギリシャ総選挙:連立与党、過半数保つか…5月6日投開票****
欧州債務危機の震源地となったギリシャの総選挙は、5月6日の投開票が1週間後に迫った。欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)の巨額金融支援と引き換えに、財政緊縮策を進める連立与党側が議席を減らすのは確実な情勢。合計で過半数を維持するかどうかが危機対応の行方を左右しそうだ。

国民に負担を強いる緊縮策への反発から、右派・左派の小政党など32も政党が乱立する選挙戦になっている。議席を占めるには3%以上の得票率が必要で、2ケタ近い政党が議会に進出する勢い。政治不信から、浮動票が増えている。

前回第1党の全ギリシャ社会主義運動(PASOK)と第2党の中道右派・新民主主義党(ND)は昨年11月、財政危機乗り切りのため暫定的な与野党大連立を組んだが、選挙は個別に戦っている。

今回はNDが第1党になる見通しだが、分裂した右派小政党に票を奪われている。焦るサマラス党首は「経済再生に必要なのは成長だ。法人・消費税率を15%下げる。社会保障費は増やし、賃金は下げない」と緊縮路線に反する公約を連発するものの、単独過半数には届きそうにない。

一方、危機を回避できずに支持者を失望させたPASOKは、ベニゼロス党首が「我々はEUにとどまる」と訴え、右派との連立継続も明言する堅実路線。徐々に支持率回復の傾向も出ている。

情勢は複雑だが、いずれにせよ選挙後は、2大政党の再連立を軸に新政権を模索せざるを得ないとみられる。ただし、合計過半数に達しても、緊縮路線への修正圧力が強まることは避けられない。新首相も両党首以外から人選される可能性があり、不安定な政権運営が続くことになる。【4月29日 毎日】
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修正を迫られる“メルコジ”路線
ドイツ・メルケル首相とともに緊縮財政路線を敷いたサルコジ仏大統領の苦戦は、連日報じられているとおりです。
現段階でも社会党オランド候補との差は縮まっておらず、更に、リビアの旧カダフィ政権から不正資金が流れていた疑惑やストロスカーン前IMF専務理事の事件への関与などが取り沙汰されている状況では、形勢挽回はほぼ不可能でしょう。

****オランド氏優勢続く=決選投票まで1週間―仏大統領選****
フランス大統領選挙は5月6日の決選投票まで1週間に迫った。世論調査では17年ぶりのエリゼ宮(大統領府)奪還を狙う最大野党・社会党の候補オランド前第1書記(57)が、右派与党・国民運動連合から再選を目指すサルコジ大統領(57)をリード。31年ぶりに現職が敗北するかどうかに注目が集まっている。

26、27の両日に各世論調査会社が公表した投票意向調査結果によると、オランド氏の支持率は54~55%で、サルコジ氏に8~10ポイント差をつけた。22日の第1回投票直後に公表された調査と比べ、おおむねオランド氏が支持を伸ばしている。【4月28日 時事】
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オランド氏は、EUの新財政協定の再交渉を求めており、また、ドイツが反発するユーロ共同債の導入なども主張しています。オランド氏当選の場合、“メルコジ”路線は修正を求められることになりそうです。
もっとも、サルコジ大統領も苦戦の選挙戦対策として不評の緊縮策を引っ込め、移民制限や中国製品関税引き上げなど、反グローバル路線を押し出していますので、サルコジ再選でも今まで通りと言う訳にはいかない情勢です。

こうした状況にドイツ・メルケル首相側も、オランド勝利を睨んでの軌道修正を行いつつあるようです。
****独、「オランド」シフト 仏大統領選*****
「メルコジ」曲がり角 新財政協定再交渉に警戒
5月6日のフランス大統領選の決選投票まで29日で1週間となった。最大野党の社会党候補、オランド前第1書記に対するサルコジ大統領の劣勢が続く中、債務危機対応で「メルコジ」と称されるほどの信頼関係を築き、サルコジ氏支持を公言していたメルケル独首相も、「オランド政権」誕生に備えて微妙に立場を変えつつあるようだ。

メルケル首相の報道官は27日、「誰とでも首相はうまくやっていく。それが特別な独仏友好の本質だ」と強調。サルコジ、オランド両氏のどちらが大統領となっても良好な両国関係を維持していく考えを示した。
メルケル首相は欧州債務危機が深刻化した後、サルコジ氏と対応を主導する中で信頼関係を構築した。2月のパリ訪問では公然とサルコジ氏の再選支持を表明し、一緒にテレビのインタビューにも出演。選挙応援のためフランス入りする可能性も取り沙汰された。

しかし、22日の第1回投票でサルコジ氏は現職として初めて首位を逃し、世論調査によると決選投票でも苦戦している。独政府は首相が第1回投票後も引き続きサルコジ氏を支持しているとする一方、応援のための訪仏の予定はないとした。

ドイツにとり、オランド氏が勝利した場合の大きな懸念は、氏が求めている欧州連合(EU)の新財政協定の再交渉だ。加盟27カ国中25カ国に財政規律強化を義務付ける協定は、財政緊縮を重視するメルケル首相の強い意向で実現した。が、オランド氏は経済成長も重視すべきだという立場を取る。メルケル首相は27日、「新たな交渉はできない」と改めてはねつけた。

だが、緊縮策一辺倒の危機対応はユーロ圏諸国の経済悪化を招いたとの批判も強く、成長を重視すべきだとの声が増加。25日には欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁も同様の認識を示した。
メルケル首相もここにきて、ドイツにとっても成長政策が財政規律に続く「第2の柱だ」と述べ、成長重視の姿勢を強調。新財政協定の再交渉ではなく、妥協策として経済成長のための新たな協定をまとめる案も浮上してきた。

ただ、オランド氏は第1回投票後、協定の再交渉以外に、ドイツが反発するユーロ共同債の導入など4項目をEU諸国に求める考えを表明しており、オランド氏が大統領となれば関係構築に向けた両国の模索が当面、続きそうだ。【4月29日 産経】
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緊縮策だけでは抜け出せないスペイン経済情勢
“選挙”という民主主義システムにおいては、国民に痛みを強いる政策を維持することは困難です。
民主主義という政治システムの限界とも考えられます。

一方、政策的にみても、経済情勢が厳しいなかでの緊縮策一辺倒では、景気悪化、税収減少の悪循環を断ち切れないという問題もあります。財政カットと併せて成長戦略が求められています。

ギリシャと並ぶ信用不安震源地のスペインの経済状況も芳しくありません。
連日、スペイン経済の不調を報じる記事が続いています。

****スペインを2段階格下げ=景気悪化で債務リスク―米S&P****
米格付け大手スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は26日、スペインの景気悪化を受けて、同国の長期信用格付けをこれまでの「A」から「BBBプラス」に2段階引き下げたと発表した。見通しは「弱含み」で、追加格下げの可能性がある。

ユーロ圏で第4位の経済規模を持つスペインが危機に陥れば、巨額の国際支援は避けられず、小康状態だった欧州の信用不安が再燃する恐れがある。
S&Pは、スペイン経済の悪化で同国の政府債務に関するリスクが高まったと指摘。特に、(1)2011~15年の財政赤字見通しが、S&Pの従来予想よりも悪化した(2)政府が銀行部門に追加支援する可能性が高まった―としている。【4月27日 時事】
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****問題融資20兆円に拡大=昨年末、総資産の60%―スペイン****
イン中央銀行は27日、国内金融機関の2011年末時点の融資残高のうち、問題のある不動産融資が1840億ユーロ(約20兆円)と、同年6月末時点の1760億ユーロから増加したと発表した。AFP通信が報じた。

問題のある不動産融資は、回収できない恐れのある融資に差し押さえた土地や不動産を加えた額で、金融機関の総資産の約60%に上る。スペインの金融機関は08年の不動産バブル崩壊後、不動産関連の問題債権が増加の一途をたどっている。【4月28日 時事】
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****スペイン失業率、25%に迫る 1996年以降最悪に****
スペイン国家統計局は27日、今年第1四半期(1~3月)の失業率が24.4%にのぼったと発表した。AFP通信によると、現在の統計方式となった1996年以降で最悪の水準。前期(昨年10~12月)は、22.9%だった。

第1四半期の失業者数は564万人で、前期と比べ36万5900人増えた。スペインの失業率は欧州連合(EU)の中で最も高く、とくに25歳未満の若者世代では50%を超え、厳しい雇用状況が続いている。【4月28日 朝日】
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若者世代では50%を超える失業率という状況では、社会不安が爆発しないほうが不思議です。
ラホイ首相は3月末、財政赤字を約270億ユーロ(約3兆円)削減する2012年度予算案を閣議決定しましたが、これに反対するゼネストは一部暴徒化する騒動にもなっています。
スペイン政府は消費税増税については「景気回復を遅らせかねない」としてこれを見送り、失業手当や学生の教育費補助にも手をつけませんでしたが、前向きな成長戦略がないと今の状況から抜け出すのは難しそうです。

選挙を前提にした政治システムと実体経済動向の両方から見て、緊縮策だけでなく“プラスα”がないと欧州経済の危機は再び深刻化しそうです。
もちろん、具体的にどうするのか・・・というのが各国見つからないのが現状です。そうなると、嵐が襲うのも時間の問題ともなります。

翻って日本経済を見ると、政治の機能不全が言われ、巨額の財政赤字を垂れ流しながらも、また、低成長から抜け出せないとは言いつつも、失業率は低く抑えられており、また、所得格差の拡大も指摘はされますが、世界的に見ればそんなにひどくはなく、一応“安定した社会”を維持しています。
そんな妙な安心感にもとらわれますが、ただ、それも巨額の財政赤字の引き起こす問題が火を噴くまでの話でしょう。今の段階でなんらかの財政再建に向けた歯止めをかけないと、将来が危ぶまれるのは日本も同じです。
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中国  薄熙来失脚事件で、天安門事件以来のタブーに挑戦した温家宝首相

2012-04-28 22:17:14 | 中国

(文化大革命の頃、修道女を批判する紅衛兵 1966年から10年間にわたり中国全土で吹き荒れた文化大革命の嵐は、毛沢東による権力闘争でもありました。“flickr”より By China in "1984" http://www.flickr.com/photos/china_in_1984/1025472638/in/photostream
“政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動という名目で開始されたものの、実質的には大躍進政策の失政によって政権中枢から失脚していた毛沢東らが、中国共産党指導部内の実権派による修正主義の伸長に対して、自身の復権を画策して引き起こした大規模な権力闘争(内部クーデター)として展開された。党の権力者や知識人だけでなく全国の人民も対象として、紅衛兵による組織的な暴力を伴う全国的な粛清運動が展開され、多数の死者を出したほか、1億人近くが何らかの被害を被り、国内の主要な文化の破壊と経済活動の長期停滞をもたすこととなった。
犠牲者数については、中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(第11期3中全会)において「文革時の死者40万人、被害者1億人」と推計されている。しかし、文革時の死者数の公式な推計は中国当局の公式資料には存在せず、内外の研究者による調査でもおよそ数百万人から1000万人以上と諸説ある”【ウィキペディア】

この時代の教育の崩壊、モラルの喪失は、今なお中国社会に大きな影を残しているように見えます。)

女性元富豪死刑差し止めは、胡錦濤グループと習近平次期主席の権力闘争?】
重慶市共産党トップ薄煕来(はく・きらい)の解任劇と、その後の妻・谷開来(こく・かいらい)の英国人ビジネスマン殺害疑惑は、胡主席率いる中国共産主義青年団(共青団)グループと元高級幹部子弟の太子党グループの有力者の間の権力闘争の側面で語られることが多くあります。

薄熙来の「軍事クーデター説」とか、盗聴疑惑などもあって、週刊誌ネタ的に大変面白いものがありますが、胡錦濤国家主席、習近平次期主席、江沢民元主席という権力中心人物が殆んど語らず、真相はよくわかりません。

先日、女性元富豪・呉英被告(30)に対する集金詐欺罪での死刑判決を最高裁が差し戻した異例の措置が報じられています。
この問題は、中国の民間金融の在り方という経済問題、あるいは世界で一番死刑が実行されている中国の司法制度に関する社会・人権問題と見ていたのですが、これも薄熙来失脚事件同様に、党中央における胡主席率いるグループと習近平次期主席の権力闘争絡みの問題であるとの指摘があります。

****女性実業家の死刑差し戻し 胡錦濤派が習氏らの「口封じ計画」阻止****
詐欺罪などで死刑判決が確定していた中国南東部の浙江省の女性実業家、呉英被告(30)に対し、最高人民法院(最高裁)が、刑執行直前に審理を高裁に差し戻すとの決定をしたことは、呉被告に同情的だった世論の勝利と受け止められている。しかし、権力闘争に詳しい共産党筋は「背景には胡錦濤(国家主席)派と習近平(副主席)派の激烈な権力闘争があり、呉被告の存在は今後の中国政局に大きく影響する」と指摘している。
                   ◇
貧しい農家に生まれた呉被告は、10代から始めた美容室の経営をもとに事業を拡大。衣服、住宅を販売する会社を次々に興し、24歳にして「中国富豪ランク」の100位以内に入り、女性経営者の成功例としてメディアに大きく取り上げられた。一方、資金繰りのため高い配当を宣伝文句に投資家らから約8億元(約100億円)の資金を集めるなど、経営手法が疑問視されたこともある。

資金が焦げ付き経営が破綻した2007年3月に呉被告は逮捕され、浙江省の地裁、高裁で死刑判決を受けた。
呉被告の事業が急拡大していた時期に浙江省のトップを務めていたのが習近平国家副主席だった。共産党筋によれば、当時、多くの習氏腹心の浙江省高官が呉被告と親密な関係にあり、呉被告から多額の賄賂を受け取っていた。その腹心らは今秋の党大会以降に中央入りして、習近平政権を支える中心的存在になるとみられており、秘密を知る呉被告の口を封じるため、死刑判決を下すよう浙江省の裁判所に圧力をかけていたという。

中国は2審制だが、死刑の場合のみ執行する前に最高裁の「承認」が必要だ。呉被告の死刑判決を受け、多くの知識人や弁護士らが「重すぎる」として最高裁に嘆願書を提出するなど、同被告の裁判は中国で高い関心を集めていた。
今月20日に発表された最高裁の決定では「呉被告が多くの公務員への賄賂を自供した」ことなどを理由に「即座に死刑を執行することはできない」と高裁に差し戻す判断を示した。これによって、呉被告は最終的に無期懲役以下に減刑される可能性が高くなった。

最高裁が高裁の死刑判決を差し戻したのは異例。共産党筋は、胡主席率いるグループが最高裁の決定を主導したと解説する。習副主席が所属する元高級幹部子弟の太子党グループの有力者、薄煕来・元重慶市党委書記を失脚させた胡グループは最近、勢力を拡大しており、今回は世論に便乗する形で、習派の「口封じ」の動きを阻止したという。

共産党筋は「呉被告は習派を牽制(けんせい)する有力なカード。習派は浙江省からの幹部抜擢(ばってき)が難しくなり、政権がスタートする前に早くも弱体化した」と指摘した。【4月28日 産経】
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“口を封じるため、死刑判決を下すよう浙江省の裁判所に圧力”というのも真実なら凄い話ですし、呉被告を生かしておけば権力闘争の強力なカードとなりえます。
ただ、こちらも真相はよくわかりません。

毛沢東主義に戻るか、民主的な未来を求めるか
中国共産党内部の対立については、上記のような胡主席率いる共青団グループと薄煕来、あるいは習近平との間の権力闘争という側面の他に、温家宝首相の主張する改革推進路線と薄煕来がリーダーであった国家統制重視のニューレフトの間の路線対立という側面があります。

温家宝首相は、薄煕来の路線を「文化大革命のごとき歴史的悲劇」の再現として厳しく糾弾しています。
この問題は3月23日ブログ「中国 文革をも想起させる薄熙来氏の解任をリードした、改革路線・温家宝首相の最後の執念」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120323)でも取り上げました。

単なる権力闘争であれば「誰が権力を握っても大差ない」とも言えますが、政治改革を含む路線問題、文化大革命の評価にもかかわる問題となると、今後の中国の路線、政治システムに大きく影響し、ひいては、日本との関係にも影響してきます。

****温家宝の逆襲が物語る路線対立****
歴史 重慶市共産党トップ薄煕来の解任劇は、降って湧いたスキャンダルではなく、30年に及んだ政治的確執の最終章だ

見えを切る割に実行力を伴わないせいで「中国で最高の役者」と揶揄されがちな温家宝首相が、一世一代の大舞台で生涯最高の演技を見せた。
3月11日の全国人民代表大会の閉幕に当たり、首相として最後の記者会見に臨んだ温家宝は延々3時間、表情豊かに思いの丈を語った。その卓越したせりふ回しで中国共産党史に残る最大の汚点に関する議論に再び火を付ける一方、宿敵・薄煕来にとどめの一撃を加え、重慶市党委員会書記の座から引きずり降ろすことに成功した。それはまた、温か師と仰ぐ人物を蹴落とした薄ファミリーヘの復讐劇でもあった。

あの日の会見で、温は重慶市で起きた諸問題に関する質問に答える形で、薄煕来の失脚を暗に予告した。これだけでも89年の大安門事件以来の政変と呼ぶに値するが、事はそれで終わらなかった。
温は間接的ながら明確に、薄を長年にわたる経済改革と開放の努力に背を向ける人物と決め付けた。そして薄の政治手法に対する闘いを、政治改革の推進か「文化大革命のごとき歴史的悲劇」の再現かの選択を遣るものだと位置付けた。毛沢東主義に戻るか、民主的な未来を求めるか。この選択を突き付けることで、温は天安門事件以来のタブーに挑戦したのである。

温家宝と薄煕来は昔から、とかく没個性的になりがちな中国共産党幹部の中で、自らの人柄やイデオロギーを伝える卓越した能力で抜きんでた存在だった。党政治局でその影響力を競い合う2人であると同時に、イデオロギー的には最も反発し合う2人でもあった。

国家統制vs改革で対立
この2人にも共通点はある。例えば天安門事件以後に中国共産党が一貫して掲げてきた路線、つまり政治的な妥協を一切拒む一党独裁の下の「改革と開放」が格差の拡大や汚職の蔓延、政治不信によって崩壊しつつあるという実感だ。しかし両人の生い立ちや人柄、その政治手法は天と地ほどにも異なる。

薄煕来はその並外れたカリスマ性と政治手腕を駆使して現状を批判し、国家の役割拡大を訴えてきた。重慶市共産党委員会のトップに君臨した4年半の間に、政治的・財政的資源を動員する巧みな手腕を発揮。犯罪組織の撲滅という名目を掲げて、自分に従わない官僚や起業家たちをつぶし、統制的な手法で同市の経済を立て直してみせた。その過程では建国の父・毛沢東へのノスタルジアを巧妙にかき立て、市職員に革命歌を歌わせたりもした。

左派すなわち国家統制派に属する薄は、天安門事件後に小平が確立した路線のうち、「改革開放」の側面に批判をぶつけてきた。一方、温厚で儒数的な価値観を体現する首相という役割を演じてきた温は、小平路線のもう片方の側面である非妥協的な一党支配に対してリベラル派の立場から挑んできた。

法の支配を確立し、民主化を通じて政府の横暴を抑えるべきだと、温は繰り返し論じてきた。自らが80年代に仕えた改革派の指導者たち、とりわけ胡耀邦の業績をたびたび引き合いに出してきたのもそのためだ。中国の政治家が自らの描く未来を正当化するためには、まず歴史の書き直しから始める必要があるからだ。

この両者の闘い、今年2月までは薄煕来が優勢に見えていた。高級幹部の子弟「太子党」の人脈もあり、「重慶モデル」の成功も評価されていた。一方の温は、注目すべき発言は多くても具体的な成果は少なかった。だから薄こそ「次の次」の世代の指導者と目されていた。2月6目に、重慶市副市長で薄の右腕だった王立軍が四川省成都の米総領事館に助けを求めて駆け込むというスキャンダルが起きるまでは。

一方の温は平凡な教師の息子として生まれ、文化大革命の時期に家族が攻撃されるのを見て育ち、自らは革命の長老たちの庇護を受けて、徐々に権力への階段を上がっていった。
逆に、薄煕来は生まれついてのエリートだ。革命第一世代の有力者・薄一波の息子で、名門の北京第4中学校に学んだ。彼が16歳のとき、党高級幹部の子息たちとブルジョア的な家庭の子たちとの対立が激化し、それが文化大革命の前触れとなった。(中略)

だがしばらくすると、毛沢東は貧しい労農階級の子供たちを新たな紅衛兵に仕立て、文革の矛先をかつての同志たちに向けた。薄煕来も彼らに捕らえられ、6年を刑務所で過ごした。父の薄一波は無慈悲な拷問を受け、母親は紅衛兵に拉致され、死亡した。殺されたのか、自殺だったのかは今も分かっていない。記録が残っているとしても、いまだ封印されているからだ。

ブラックボックスを開いた
毛沢東の死後に復権を遂げた小平らが81年に「歴史に関する決議」を出して以来、文化大革命は公式に「誤り」だったとされている。だが、何かどう誤りだったかは説明されていない。今日に至るまで、文化大革命は「何であれ、とにかく悪いこと」の代名詞とされている。

温家宝はその文革の恐怖をよみがえらせることで、共産党の歴史に風穴を開けた。結果として中国を開放路線に踏み出させることになった文革の意味と残虐さ、その断片的な真実とでっちあげを封印した巨大な「ブラックボックス」をわずかに開いたのだ。彼の発言は、中国共産党に染み付いた非妥協的で独善的な体質に挑むものだ。

温家宝にとって文化大革命が何を意味するかを真に理解するためには、彼が師と仰ぐ革命の指導者の人生をたどる必要がある。中国共産党が最もダイナミックに変化していた80年代に党総書記を務めた胡耀邦である。(中略)

80年代前半の中国共産党は、急速に統制色を弱めていた。経済成長が進み始め、国民は一定の自由を享受できるようになっていたが、党の体質は変わっていなかった。いざ重大な決定を下すべきときに、よりどころとなる法律も裁判所もなく、あるのはむき出しの権力だけだった。

今も残る胡耀邦の遺産
その頃、党幹部たちは互いを、または互いの子弟を要職に就けるのに忙しかったが、胡耀邦は一介の教師の息子である温家宝を党の要職に抜擢した。その後に起きる事態を、胡はうすうす予感していたのかもしれない。
86年頃には、市場指向を強める経済と自由主義化する社会環境は、絶対的な政治支配にこだわる共産党幹部の思いと相いれなくなっていた。

胡耀邦は太子党の腐敗を食い止めようと試み、守旧派の抵抗を無視し、学生たちの抗議行動を大目に見た。党幹部が堪忍袋の緒を切らせたのは、その年の末のことだった。
胡耀邦の失脚は、正規の手続きにのっとったものではなかった。陰の実力者たちが、胡耀邦は行き過ぎたと判断しただけだ。
文化大革命で失権してから21年後の87年1月、胡耀邦は5日間にわたって、党幹部から厳しく糾弾された。最も痛烈に批判したのが薄煕来の父だった。(中略)

胡耀邦は89年4月に死去。民主化を求める学生たちは故人の誠実さと人間性に心を打たれ、その死を悼む集会を天安門広場で開いた。やがて、この集会は一段の自由化と民主化を求め、党幹部の子弟らの横暴と腐敗を糾弾する大規模な抗議行動へと変容していった。

その頃温家宝は党中央弁公庁主任の座にとどまり、胡耀邦の後を継いだ改革派の趙紫陽を補佐していた。天安門広場を占拠した学生を説得する趙の背後に温か立つ有名な写真がある。
その直後、小平らは広場に戦車を出動させ、文化大革命に匹敵する凶暴さで世界を驚かせ、中国共産党の歴史に流血の1ページを書き加えた。

党内部の事情通によると、薄一波は温家宝の追放を目指して画策したが、他の幹部は温が趙紫陽への忠誠を捨て、戒厳令布告を支持したことに好感を抱いていた。こうして温は冷酷な体制の論理に従って行動することを選び、昇進を続けた。彼の家族、とりわけ妻と息子もビジネスで成功できた。

87年に失脚して以来、胡耀邦の存在は中国の公的な歴史から抹消された。だが党の決定に歯向かわなかったため、支持者を残すことはできた。その中には今の総書記と首相(胡錦濤と温家宝)も次の有力候補(習近平と李克強)も含まれる。全員、毎年旧正月には胡の家を訪問している。だが公の場で胡耀邦の業績をたたえているのは、温家宝だけだ。温は胡の夫人や子供たちとも温かい関係を維持している。
(中略)
「これまでのところ、(3月の記者会見での)温家宝発言が個人のものなのか、特定グループの意見なのかは定かでない」と、元閣僚級の地位にあったある人物(薄煕来の失脚を公式発表の10目前に予言した人物だ)は言う。「彼自身が80%、グループが20%かもしれない。まだ成り行きを見なくてはならない」

改革派の立場をアピール
地位と利権と人脈が複雑に絡み合う中国共産党の体質を変えられるかどうかは分からない。だが薄煕来の追放によって左派がリーダーを失い、薄による政治的・身体的な暴力の実態が日々暴かれていくなかで、薄による「赤い恐怖」政治について語る人も増えている。そして温は、そうした人たちの一部を味方に付け始めている。

「私は今まで、温家宝に対して全面的に肯定的な見方はしてこなかった。多くを語るだけで、実行を伴わなかったからだ」と、中国の指導部をよく知る大手メディアの有力者は言う。「今は、言えるということ自体がとても大事だということに気付いた。しゃべることで、彼は自分かシステムに縛られているから何も達成できないのだということを全世界に知らせている」

胡耀邦の葬儀でひつぎを墓所まで運んだ最も忠実な弟子は、文化大革命の再来を防ぐべく、胡と彼の子供たちが築いてきた基礎をしっかり固めようとしている。
温家宝は表向き、小平の「歴史に関する決議」で打ち出された文革否定の路線を守るべく左派と闘う姿勢を示した。だが言葉にしない本音の部分では、リベラル派の立場から「一党独裁の堅持」に異議を申し立てているのではないか。

胡耀邦の末息子・徳華は先頃珍しく中国のメディアの取材に応じ、この問題に明快な答えを出してみせた。「父と小平の違いは」と、明徳華は言ったものだ。「は党を救おうとしたが、父は人民を、普通の人々を救おうとした」

温は薄煕来の失脚を、自らの改革派としての立場を鮮明にする絶好の機会とみている。党内が権力争いに忙しい今なら、自分の発言を抑えることはできないと読んだのだろう。だからこそ記者会見で、国民に直接、語り掛けた。もはや党に真実を独占する力はなく、内からの改革も期待できないからだ。

温家宝が共産党の正義と透明性に希望を持てない人々を率いて、最大のライバルを追放するキャンペーンの先頭に立っているのは歴史の皮肉としか言いようがない。彼が生涯をささげたこの党は、たぶん他の方法を知らないのだ。(筆者はオーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙とエイジ紙の北京特派員)【4月25日号 Newsweek日本版】
********************

温家宝首相の政治改革に対する思いはわかりますが、激しく権力闘争が繰り広げられている党中央において、派閥を持たない彼が何らかの成果を引き出すことは、残念ながら非常に困難なように思えます。
むしろ、薄熙来失脚事件で国内的・国際的注目を集めたことへの警戒から、党中央は今後、内部の対立には蓋をして、引き締めの方向を強めることも予想されます。


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パキスタン  首相失職につながる最高裁判決で政情不安拡大

2012-04-27 21:20:46 | アフガン・パキスタン

(パキスタンのギラニ首相(中央)と国軍トップのキヤニ陸軍参謀長(左) 
昨年10月、「軍事クーデターの可能性がある」として、ザルダリ大統領が「米国の介入」を求めるメモを駐米大使を通じて米軍側に渡していた疑惑“メモゲート”で、ザルダリ政権と軍の緊張が高まりましたが、そうしたなかギラニ首相は昨年12月22日、議会で「選挙で選ばれた政府を終わりにする陰謀が進行中だ」と述べ、軍による民政政権打倒の動きがあるとの異例の軍部批判を公然と行って注目されています。
また、ギラニ首相は今年1月11日、政府と軍との間に対立を生じさせたとして、軍出身のロディ国防次官を解任しました。これは、軍トップのキヤニ陸軍参謀長と軍情報機関ISIのパシャ長官がそれぞれ“メモゲート”の「徹底調査」を求める弁明書を最高裁に提出したことへの報復とも見られています。
写真は“flickr”より By DTN News http://www.flickr.com/photos/dtnnews/6690656005/)

政局の混迷が深まるのは必至
昨日26日、三つの注目される政治家関係裁判の判決がありました。
ひとつは日本で、資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる小沢民主党元代表への無罪判決。
二つ目は、シエラレオネ国際戦犯法廷における、「血のダイヤモンド」の見返りにシエラレオネ反政府勢力に武器などを提供したなどとして戦争犯罪に問われていたテーラー元リベリア大統領への有罪判決。
三つ目は、パキスタンのギラニ首相に対する法廷侮辱罪での有罪判決。
今日は、三つ目のパキスタンの話です。

****パキスタン:ギラニ首相有罪…法廷侮辱罪 辞任避けられず****
パキスタン最高裁は26日、ザルダリ大統領の汚職問題を巡って「法廷侮辱罪」に問われたユサフ・ギラニ首相(59)に有罪判決を言い渡した。首相は最高裁から「不適格」判断を受けた形となり、辞任は避けられないとみられる。ザルダリ大統領らが率いる与党・人民党にとって大きな打撃で、政局の混迷が深まるのは必至だ。

問題となっているのは、スイス企業との政府調達契約を巡るザルダリ大統領らの汚職事件。最高裁は、ギラニ首相が捜査再開を求める裁判所決定を無視して事件を追及しなかったことが法廷侮辱罪に当たると判断した。禁錮刑は科さなかったが、「実刑」として裁判官が退出するまでギラニ首相に法廷内での「起立」を命じた。「起立」という異例の刑は、首相収監による政治混乱を避けるためとみられる。

1947年に建国されたパキスタンで、現職首相に有罪判決が下されたのは初めて。憲法の規定により、ギラニ首相は議員資格を失う見通し。人民党は後任首相を立てて政権維持を図る考えだが、来年の総選挙・大統領選挙まで持つかは流動的で、選挙の前倒しが現実味を帯びる可能性がある。

ギラニ首相は閉廷後、「不当な判決だ」とコメントした。与党側は判決を受け入れる方針だが、後任首相の承認を巡り、議会が紛糾するのは必至だ。新首相が就任した場合でも、ザルダリ大統領の汚職問題は追及しないとみられ、最高裁との対決が再燃する可能性が高い。

一方で、ギラニ首相が、パキスタン政治に強い影響力を持つ軍と対立を深めてきた事情もある。軍は「親米的」とみなされる人民党政権の早期崩壊を期待しつつ、事態を注意深く見守る方針とみられる。パキスタンでは昨秋、軍のクーデターを恐れる人民党政権が米国に協力を求めたとされるメモの存在が発覚し、軍と政権の亀裂が深まった。【4月26日 毎日】
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ムシャラフ前政権下の07年に出された国民和解令は、ムシャラフ前大統領と海外亡命中の故ブット元首相との連携を視野に入れて、首相時代の汚職容疑などに問われていた故ブット元首相と夫の現大統領ザルダリ氏らを免責としました。これによりザルダリ氏の帰国、その後の大統領就任も可能となっています。

しかし、かねてよりムシャラフ前政権とは対立関係にあった最高裁は09年12月、この国民和解令を違憲・無効とする判決を下し、ザルダリ大統領への捜査再開を政府に求めていました。

これに対し、政府は大統領には免責特権があるとして捜査再開を拒んでおり、このため最高裁は今年2月、ギラニ首相が昨年12月の判決の履行を怠っているとして、法廷侮辱罪で起訴していたものです。

“「実刑」として裁判官が退出するまでギラニ首相に法廷内での「起立」を命じた”というのもユニークですが、ことは「起立」ではおさまりません。
有罪が確定すればギラニ首相は議員資格を失い、首相の座を追われることになります。
ただでさえ政権基盤の弱いザルダリ大統領の地位にも影響してきます。

今回判決で直ちにギラニ首相が失職するものではなく、ギラニ首相の弁護側は異議を申し立てると表明しています。これにより憲法に基づいてギラニ氏の議員資格を剥奪する手続きは、いったん止まることになります。
また、ギラニ首相の議員資格を剥奪する場合、国民議会の議長や選挙管理委員会らも加わるため、手続きが長期化する可能性があるとの指摘もあります。【4月26日 AFPより】

そうした時間稼ぎをしながらも首相失職への流れは動き出すことになり、やはりザルダリ大統領への打撃は避けられないところです。
ただ、大統領側もこうした判決は織り込み済みでしょうから、何らかの対応を考えているとは思われます。
国民の支持率も低く、国軍・司法の支援もない弱体ザルダリ政権はいつ崩壊してもおかしくないとも見えるのですが、その割には粘り腰を見せていることは、2月3日ブログ「パキスタン 公認された米無人機攻撃と国軍タリバン支援 ザルダリ大統領の不思議な長期政権」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120203)でも取り上げたところです。
改めて粘り腰を見せるのでしょうか。

核保有国パキスタンの政情混乱への懸念
一種の「司法クーデター」のような効果を持つ今回判決ですが、「民政政権崩壊を狙う軍部が背後で最高裁を操っている」との見方も一部にあります。
しかし、“最高裁のチョードリー長官は、ムシャラフ前大統領の軍事政権と対立を繰り返した人物だ。このため「軍の意向と関係なく、長官が独自の判断で動いている」との観測が強い”【2月13日 毎日】とのことです。

いずれにせよ、親米的なザルダリ政権の動揺、パキスタンの政情混乱は、隣国アフガニスタンにおけるアメリカの軍事作戦、パキスタン国軍が支援していると言われるタリバンの動向にも大きく影響します。
また、核保有国インドと対立するパキスタンも核保有国であり、その政権が揺らぎ誰が決定権を持っているのかわからない状態となることは、世界全体にとっても重大な問題です。

なお、判決前日の25日、パキスタン軍は核弾頭を搭載できる中距離弾道ミサイル「シャヒーン1A」の発射実験に成功したと発表しています。

****パキスタン:中距離弾道ミサイルの発射実験に成功****
パキスタン軍は25日、核弾頭を搭載できる中距離弾道ミサイル「シャヒーン1A」の発射実験に成功したと発表した。射程は未公表だが最大3000キロとみられる。隣国インドが19日に行った長距離弾道ミサイル「アグニ5」(射程5000キロ)の発射実験から6日後で、インドが国際社会の強い非難を招かなかったことから、パキスタンも同様の実験で「もう一つの核大国」としての存在感を示す狙いとみられる。

パキスタン軍によると、シャヒーン1Aは配備済みの「シャヒーン1」を長射程化し精度を改善。弾頭はインド洋に落下した。同軍は「シャヒーン2」(2500キロ)など中・短距離核ミサイルも配備し、保有核弾頭は推定90〜110個だ。

インドのアグニ5は、中国への対抗が狙いだったため、パキスタン側は当初反応しなかった。しかし、中国の核軍拡を懸念する欧米諸国がインドの実験を事実上黙認し、今回の実験を誘発した形だ。
インドと同様、核拡散防止条約(NPT)未加盟のパキスタンは、インドの核軍備が国際的に受け入れられるのは容認できない。ただ、パキスタンは北朝鮮に核技術を拡散した過去を持つため、今回の実験は、欧米諸国の反発を招きそうだ。

インドとパキスタンは47年以降、3回の戦争を繰り返したが、この1年間は関係改善のため対話に努めてきた。今回の実験も互いに事前通告しており、関係悪化には直ちにつながらない情勢だ。【4月25日 毎日】
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ネパール  毛派兵士の国軍統合問題が解決、今後は新憲法制定論議へ

2012-04-25 17:48:49 | 南アジア(インド)

(06年5月 毛派女性兵士(19歳) 同年11月には政府と毛派は無期限停戦を誓う包括和平協定に調印しました。 “flickr”より By rangichangichha http://www.flickr.com/photos/joshklustig/144405892/

【「こんな結末になるとは思っていなかった」】
ネパールでは、ネパール共産党毛沢東主義派(毛派)が長く武装闘争を続けていましたが、王制打倒で足並みをそろえた各党と2006年に和平協定を結び、内戦終結を宣言。08年4月の制憲議会選挙では、大方の予想に反して第1党となり、翌月の議会で王制廃止を決めています。

しかし、毛派と他の政党の間では確執があり、特に、国軍を相手に武装闘争を行ってきた毛派兵士を国軍に統合する問題に関して、国軍・他政党の反対が強く、国家再建のスタートとなるべき新憲法制定論議や組閣が著しく遅滞する事態が続いていました。

その間、毛派兵士は国連監視(武器は国連が管理する形で、宿営地内倉庫に保管)のもとで、宿営地で処遇の決定を何年も待っていました。
他の政党にとっては、残存ずる毛派兵士の存在は、いつまた武装闘争に転じるかもしれない脅威でもありました。

解決が長引くなかで、監視活動を行っていた国連ネパール支援団(UNMIN)が11年1月に撤収、その後は毛派を含む主要3党の代表者による特別委員会の管理下におかれてきました。
(11年1月28日ブログ「ネパール 首相人事・毛派兵士の国軍編入など決まらないなかで国連ネパール支援団撤退」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110128)参照)

その後、あまり情報を目にする機会がなく、毛派兵士の国軍統合問題が一応の解決をみたという報道に驚きました。

****反旗降ろす毛派ゲリラ 新憲法制定へ妥協と不満****
ネパールで1996年から約10年間、武装闘争を繰り広げた共産党毛沢東主義派(毛派)の旧ゲリラ兵士が今月、和平から6年を経て国軍の指揮下に入った。最大の政治的懸案が解決したことで、2008年の王制廃止後の国のあり方を決める新憲法制定へ、機運が高まっている。

首都カトマンズから車で5時間、中南部チトワン郡シャクティコールにある毛派人民解放軍第3師団の宿営地。今月中旬、ゲートや武器庫はすでに国軍兵が管理しており、毛派の元兵士らの多くは私服で、「解放軍」の雰囲気はすっかり様変わりしていた。

元兵士らは国軍編入組と除隊組に分かれ、除隊を希望する人たちは宿営地内のテントで階級に応じた「退職金」50万~80万ルピー(1ルピー=約1円)の半額分の小切手を一時金として政府から受け取っていた。荷物を抱え故郷に向けて家路につく姿も見られた。

00年に毛派軍に加わった中隊長ジョニ・スナルさん(30)は除隊を選んだ。年齢や学歴から国軍に編入すると階級が下がるうえ、戦闘で右耳に銃弾を受け、聞こえなくなった自分を軍が必要とするか不安だったからだ。「2歳の娘のために村に帰って仕事を探したい。まずは母親の畑仕事を手伝おうと思う」

元兵士には6年間続いた宿営地での「待機」生活への疲労感が漂う。連隊長の男性(36)は「こんな結末になるとは思っていなかった。金持ちのための政府は変わっていない。革命は完遂していない」と話す。

約1万5千人が犠牲になった内戦が06年の和平協定成立で終結後、約2万人の毛派軍は国連の監視下に置かれた。毛派側は全員の国軍との併合を要求したが、共産主義思想の影響を受けた元ゲリラの編入に消極的だった他の政党や国軍側と交渉が難航した。

毛派側は新憲法制定で議論を有利に進めるため、武装組織の温存を図る狙いもあったとされる。ネパール会議派や統一共産党といった主要政党は「憲法議論より統合問題解決が先だ」と主張。「政党対立で憲法制定作業が遅れる事態が続いた」(ネムバン制憲議会議長)

だが、昨年8月、毛派幹部のバタライ氏が3年間で4人目の首相に選出されると、同11月には編入人員を最大6500人とすることなどで主要政党間で合意。今月10日に国軍が毛派軍の15宿営地を指揮下に置いき、除隊作業は19日にすべての部隊で完了した。最終的に国軍編入を希望し、宿営地に残ったのは約3100人にとどまった。

これまで4度延長された制憲議会の任期について昨年11月、最高裁がこれ以上延長を認めないとの判断を下していた。任期の満了が5月27日に迫る中、毛派が折れた格好になった。
これを受け、主要政党は党首間の非公式協議を開始。連邦州の数や大統領制とするか議院内閣制とするかなどで意見の隔たりがあるが、各党とも妥協の姿勢を見せている。毛派のクリシュナ・マハラ国際局長は「協議によって合意できる」と自信を見せた。

ただ、現金を渡すだけで大半の元ゲリラを社会に帰したやり方には批判がくすぶる。野党・統一共産党のシャンカル・ポカレル議員は「政治思想を捨てずに社会に戻った彼らが不安定要素になる可能性がある」と指摘した。【4月23日 朝日】
************************

現場の混乱、毛派内部の対立も
全員の国軍との併合を要求していた毛派側が譲歩を示した結果のようです。
しかし、作業を急ぐ政府方針に対し、現場での混乱も一部あったようです。

****毛派が突然の武装解除****
マオイスト(ネパール共産党毛沢東派)が武装解除をして国軍の管理下に入ることになった。

バブラム・バッタライ首相が主催する軍統合に関する特別委員会は、4月10日、主要政党の党首らと合同会議を開き、急きょ、マオイストの武装組織「人民解放軍」の戦闘員と武器を、10日中に国軍であるネパール軍の管理下に置くことを決定した。
この決定により、マオイストは、正式に武装解除をして武器を国軍に引き渡すことになり、6年にわたって続いてきたネパールの和平プロセスの主な作業がようやく終了することになった。

1996年から10年にわたって反政府武装闘争を続けたマオイストは、2006年11月21日にネパール政府とのあいだで包括和平協定に調印し、ネパール内戦は正式に終了。「人民解放軍」は、全国の28か所に設置された宿営地に滞在してきた。

その後、「人民解放軍」をネパール軍に統合する作業が、ネパールの和平プロセスの主な柱となっていたが、相次ぐ政権交代やマオイストの党内抗争などが原因で、なかなか作業が進まずにいた。
しかし、2011年8月にマオイストのバブラム・バッタライ副議長が首相に就任したあと、和平プロセスはようやく進みだし、今年2月には引退を希望した約7500人の戦闘員の除隊が完了した。
その後、13の宿営地が閉鎖され、残り15の宿営地にネパール軍への統合を希望する約9700人の戦闘員が滞在していた。

野党のネパール会議派と統一共産党は、最大与党であるマオイストとの信頼醸成のために、早期に「人民解放軍」の武装解除をして、すべての宿営地を閉鎖することを要求してきた。しかし、ネパール軍に統合したあとの戦闘員の階級や、統合されたあとの訓練の問題で政党間の意見の調整がつかず、軍統合の作業の開始が遅れていた。
新憲法制定の期限が迫っていることや、政権交代の圧力がかかったことから、3月30日、バッタライ首相が率いる特別委員会は、4月12日までに軍統合を終了させて宿営地を閉鎖することを決定した。

4月8日には特別委員会の作業要員が7つの師団に派遣されて作業を開始することになっていた。
しかし、ネパール軍に統合される戦闘員の数が最大で6500人までと決まっており、「人民解放軍」の師団コマンダーらが、統合される6500人の選抜を一方的に始めたことから、複数の宿営地でコマンダーや党指導部に不満をもつ戦闘員が、作業への不参加を表明して抗議の声を上げ始めた。10日には、コマンダーの車を焼き討ちする戦闘員まで現れた。
事態を重く見た特別委員会は、宿営地におけるコマンダーや特別委員会のスタッフの安全確保を理由に、作業が終わるのを待たずに10日からマオイストの戦闘員と武器をネパール軍の管理下に置くことに決めたものである。

この決定のあと、最大野党のネパール会議派のラム・チャンドラ・パウデル副党首は、
「これでようやくマオイストに対する信頼醸成ができた」(カンティプル・テレビへのインタビュー)と話した。
野党のネパール会議派と統一共産党は、軍統合が終わるまで憲法制定の作業を進めないという方針をとってきた。
新憲法制定の期限が5月27日に迫っているが、軍統合の作業の遅れのために、憲法制定のプロセスも遅れている。
マオイストが武装解除をしたことで、和平プロセスの主な作業が終わり、議会政党が新憲法制定に集中するものと期待されている。

一方で、マオイストの「強硬派」であるモハン・バイデャ副議長が率いる一派は、「この動きは降伏行為だ」として、4月11日から抗議の運動を始めることを決めた。【4月11日 ASIAPRESS NETWORK】
*************************

上記記事最後にあるように、毛派内部でも今回措置に反対する勢力があるようです。

****マオイスト党内分裂決定的*****
ネパール共産党統一毛沢東主義派(マオイスト)議長P.K.ダハール(プラチャンダ)は、ハッティバン・リゾートで行われている政治会議を中座して、ドゥリケルで行われている党員研修に駆けつけ、党員たちに向かって、同党副議長のモハン・バイディア派の研修会に参加しないよう呼びかけた。
バイディア派は、この研修会をボイコットし、来週同様の研修会を同郡内で行う予定である。【4月18日 日本ネパール協会】
*********************

「こんな結末になるとは思っていなかった。金持ちのための政府は変わっていない。革命は完遂していない」という、兵士としてしか生きる道を知らない毛派兵士の言葉には同情もしますが、いつ果てるともしれない対立状態から、ようやく新憲法制定に向けた動きが可能となったことには安堵もします。
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フランス大統領選挙で広がるポピュリズム  選挙は民意を正しく反映するか?

2012-04-24 23:17:39 | 欧州情勢

(「フランスの自由と主権と誇りを取り戻そう。闘いは始まったばかりだ」と“勝利宣言”する、極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペン氏 “flickr”より By Laure Baron http://www.flickr.com/photos/71627575@N03/7105465783/)

【「勝者」は、決選投票に進まなかった3、4位の候補
22日に行われたフランス大統領選の第1回投票では、社会党のオランド氏(57)が首位、民衆運動連合(UMP)の現職サルコジ大統領(57)が2位という予想された結果で、いずれも過半数に届かず、2大政党の候補が5月6日の決選投票に進むことになっています。

今回選挙結果については、決選投票に進む2候補以上に、これまでの最高の得票率を集め躍進した極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペン氏、2桁の得票率で4位につけた左翼戦線のメランション氏(60)の、極端な主張を掲げる左右小政党の善戦が注目されています。

****仏大統領選、3・4位で得票3割 反EUの小党躍進****
仏大統領選の第1回投票の「勝者」は、決選投票に進まなかった3、4位の候補かもしれない。「右」の国民戦線と「左」の左翼戦線の得票は計3割近い。2大政党の各候補を超えた。
欧州連合(EU)への反発をむき出しにし、大衆の不満を刺激するポピュリズム色が強い政党の台頭は、EUや市場が求める財政健全化にも影響しかねない。

「フランスの自由と主権と誇りを取り戻そう。闘いは始まったばかりだ」
22日午後9時。パリ南西部の集会場で国民戦線のルペン氏(43)が叫ぶと、約600人の支持者は「マリーヌ、マリーヌ」とルペン氏の名を連呼。党として過去最高の得票率を記録し、さながら勝利集会だ。
ルペン氏の主張は、経済的に苦しい立場にある人たちに浸透した。初めて選挙で投票したドゥブスさん(22)は各候補の政策を見極めたうえで、「失業者のためになってくれそう」とルペン氏に投票した。水道修理などの資格を持つが、仕事は見つからない。「先が見えない時代だからこそ彼女に大統領になってほしかった」

仕事が少ない不満の矛先は移民に向かう。学生のオレリさん(21)は「手厚い社会保障など、いいところ取りだけする移民の大量流入を許したサルコジに失望した」。
サルコジ政権のEUとの協調姿勢を「フランスの独自性や権利が奪われた」と批判する人も。事務員のアクスさん(41)は「ブリュッセルの官僚の言いなりになり、チーズのつくり方すら自分で決められなくなった」と憤る。「(EUやユーロ圏を脱退しても)物価高や失業はフランスだけで解決できる。各国もフランスにならってEUから脱退するだろう」と話した。

同じころ、パリ北部の広場では赤い旗が振られ、革命歌インターナショナルがこだました。左翼戦線のメランション氏(60)が「大衆はサルコジ時代のページを閉じる決断をした」と演説。「左派の勝利」をたたえた。
立候補表明は1月下旬と遅れたが、最低賃金の大幅な引き上げなど財政緊縮を真っ向から否定。市場経済への歯切れの良い批判が、雇用不安を抱く人々の支持を集めた。投票前の世論調査よりは減ったものの、得票率は2桁。「6月の総選挙で左派の議員を送り込もう」と力を込めた。

サルコジ氏(57)と同じように財政規律優先を続けるのでは――。社会党内の右派であるオランド氏(57)への、そんな不信がぬぐえない層も引きつけた。「経済のグローバル化を支持するオランド氏はサルコジ氏と変わらない」とベルナールさん(68)はみた。

国民戦線が掲げる反移民、反イスラムは退けるものの、EUへの反発や警戒心では共通する。メランション氏は「サルコジとメルケル(独首相)の枢軸支配から脱しよう」と演説を締めくくった。学校教師のアンジェリクさん(43)は「文化や生活様式など国ごとに異なる欧州に一つのモデルを押しつけるのがそもそも間違いだ」と話した。

左右両派で「反EU」が勢いを得たことは、サルコジ、オランド両氏の決選にも影響を与えそうだ。劣勢のサルコジ氏はルペン氏の支持層を相当取り込まねば再選は厳しい情勢だ。社会党の大統領誕生への市場の警戒を拭いたいオランド氏にも足かせとなる可能性がある。(パリ=野島淳、沢村亙) 【4月24日 朝日】
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雪だるま式に膨らむ排他的主張
大衆の不満を刺激して政治目的の実現を図る「ポピュリズム」が目立つのは、極右政党・国民戦線のルペン候補や左翼戦線のメランション候補だけでなく、2大政党のサルコジ、オランド候補も同様でした。
特に、サルコジ大統領は、国民戦線のルペン候補の支持層への浸透を狙って、反移民・反イスラム的な主張を強めています。

****不満利用、支持訴え 右翼が先導、左派も利用****
今回の仏大統領選では、大衆の不満を刺激して政治目的の実現を図る「ポピュリズム」の手法が際立った。失業不安を利用して、厳しい移民規制を求める右翼・国民戦線のルペン氏に押されて、現職サルコジ氏は合法移民の半減を公約した。排他的主張が雪だるま式に膨らんだ。

ルペン氏がやり玉に挙げたのは、イスラム教の教えに従い処理された食肉(ハラル肉)。2月中旬、「パリ周辺で流通している食肉はすべてハラル肉だ」と口火を切り、非イスラム教徒の消費者への背信行為だとして告訴した。
その翌日、サルコジ氏はパリ近郊の中央市場に出向き、「(ハラル肉のような処理をした食肉は)2・5%に過ぎない」と反論。だが、右翼対策を仕切る選挙参謀に説得され、1カ月後には「フランス人が最も心配している課題だ」として大きく軌道修正した。

国民戦線の支持層は、キリスト教の価値観を重んじる年金生活者や高学歴社会から取り残された若者。旧植民地の北アフリカなどから移り住んだイスラム教徒やその家族が増えれば、暮らしを脅かされると受け止める人も多い。ルペン氏はハラル肉の論戦を入り口に移民の家族呼び寄せ禁止や失業中の移民の帰還促進という公約を矢継ぎ早に打ち出し、支持を広げた。

失地回復を急ぐサルコジ氏は、合法移民の受け入れを半分に減らし、移民が家族を呼び寄せる条件としてフランス語の習得などを義務づけると約束。「国民投票で民意を問うことも辞さない」と、主張を先鋭化した。

パリ政治学院のノナ・マヨール教授は「主要政党の候補が右翼の土俵で争えば争うほど、右翼の訴えにお墨付きを与えてしまう。有権者は(サルコジ氏の)まね事よりもオリジナルを好むため、結果的に右翼が勢いづく」と指摘する。

一方、左派政党も、ポピュリズムの手法を使って支持拡大を目指した。右翼のような排他的主張とまではいえないものの、社会党のオランド氏や左翼戦線のメランション氏が「金融界」を経済危機を助長した仮想敵と見立てて攻撃し、低所得者や若者を取り込もうと試みた。

社会学者のピエールアンドレ・タギエフ氏は「危機の渦中ではポピュリズムが深まり、衆愚政治に陥りやすい。それを阻むのは難しい」と警告した。(パリ=稲田信司) 【4月23日 朝日】
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大衆の不満を刺激して政治目的の実現を図る「ポピュリズム」の広がりが、選挙による民意の反映に、突き詰めれば民主主義の機能そのものに、どういう影響を与えるのかが注目されます。

【「子育て中の母親には、2票を与える」】
「ポピュリズム」の問題以外にも、現在の選挙が民意を反映していると言えるのか、また、選挙がもたらした政治情勢が民意に沿うものなのか、朝日が面白い記事を特集しています。

ハンガリーでは、与党が「子育て中の母親には、2票を与える」という改革を試みたそうです。
これは、現在の選挙制度が18歳未満の将来世代の利益を反映していないという考えに基づくものです。

****1人1票」ボクにはないの?〈カオスの深淵****
「一人一票」。この選挙の常識を覆そうとした国がある。欧州の真ん中のハンガリーだ。
与党フィデス・ハンガリー市民連盟は昨年3月、「子育て中の母親には、2票を与える」という項目を憲法改正案に盛り込んだ。選挙権を持たない18歳未満の子どもの代わりに、母親が投票するのを認めようというのだ。ただし子どもが何人いても、追加は1票。ねらいはなにか。

「いまの制度では、18歳未満の意見はまったく反映されない」。フィデス幹部のヨーゼフ・サーイェル欧州議員(50)は、そうまくしたてた。オルバン首相の盟友で、憲法改正案をまとめた委員会のトップを務めた。「この数年で政治のテーマは年金や社会保障が中心になり、高齢者の意見ばかりが通るようになってしまった」
「一人一票」の選挙では、高齢者が増えれば、政治家はその声を重視しがちだ。いまの受益者の立場が優先され、痛みを伴う選択は先送りされる。もっと将来のことを考えるには、若い世代の声を反映させなければならない。それがフィデスの考え方だ。

予想されたことだが、国会では激しい反発を生んだ。野党「新しい政治の形」のアンドラーシュ・シッフェル議員(40)は「将来世代が代表されていないのは事実だが、選挙のルールを変えてその声を反映しようというのはおかしい。有権者は平等だ」と言う。ほかにも「なぜ母親なのか」「高齢者だって将来を考える」「若者が選挙に行けばいいだけの話」などの意見や、「子どもを持つ人が多いロマ人の発言力が強まる」という少数民族への警戒感からくる反発もあった。

フィデスは郵送アンケートで全有権者に問うた。だが結果は歴然だった。回答した4分の3が反対。母親からも厳しい意見が目立った。1男3女を持つイルディコ・ネベローシュさん(35)は「フェアではないし、世代間の対立をあおる」と話した。

オルバン首相は「母親にもう1票」を断念した。
「一人一票」を覆すなんて、やはり荒唐無稽だったのだろうか。
ハンガリーの社会分析が専門のロバート・ガル博士は言う。「今の政治家の決断が、今は投票できない将来の世代の負担となる可能性が大きい。これは民主主義の最大の疑問だ」

選挙の歴史は、「一票」を持つ「一人」を広げる歴史でもあった。財産のある人や身分の高い人だけが参加する「制限選挙」から、貧しくても投票できる「普通選挙」へ、男性だけから女性へ。社会の行方を選ぶ「一票」を将来の市民へとさらに広げる方法はないのだろうか。【4月23日 朝日】
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与党フィデス・ハンガリー市民連盟の右傾化路線は欧州でも評判がよくありませんが、年金問題のように痛みを伴う選択が先送りされる現行政治の改革としては、議論の余地がある問題のように思えます。
日本でも、平均余命も考慮した「年齢別選挙区」という考え方もあるそうです。

****日本では「年齢別」研究も ****
日本では「年齢別選挙区」を提唱する研究者がいる。選挙区を「青年区」(20~30代)、「中年区」(40~50代)、「老年区」(60代以上)に分け、有権者数に応じて各区に議席を割り振る方法だ。

この場合も、高齢化が進めば老年区の議席数が増える。一橋大の竹内幹(かん)准教授(実験経済学)は、年齢別選挙区を前提に、各世代の平均余命に応じて議席を配分すべきだと提案する。例えば、平均寿命が80歳なら、余命60年の20歳は60歳に比べて3倍の余命があるため、20代に配分される議席を60代の3倍とする、という具合だ。竹内准教授は「年を取るにつれて一票の価値は下がるが、生涯を通じて見れば『投票価値の平等』は担保できる。長期的な視点から社会の資源を公平に分配するためにも、選挙制度に年齢を加味すべきだ」と話す。

一橋大の青木玲子教授(経済学)が昨年12月に行ったインターネット調査では、子どもがいる有権者は子育て支援が重要と考え、子どもがいない有権者は年金が重要と考える傾向が強かった。「世代間の再分配が政治課題である以上、選挙制度に次世代を反映する必要がある。財政赤字を食い止める方法として、子どもの代理で親が投票したり、子どもに投票権を与えたりする方法があるのでは」と青木教授は話す。

子どもを持つ親に追加で投票権を与える投票法は、1980年代にハンガリー系アメリカ人学者のポール・ドメイン氏が考案し、「ドメイン投票法」と呼ばれる。青木教授によると、ドイツでも03年と08年に導入に向けた提案があったが、国民投票などを経て、「一人一票に反する」としていずれも実現しなかった。 【4月23日 朝日】
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1議席の政党の意向で、2大政党に託された民意がほごに
一方、オーストラリアでは、2大政党の獲得議席が拮抗した結果、キャスティングボードを握る1議席しかもたない少数党や無所属議員の意向で、2大政党が公約したものとは異なる政策が実現する・・・という“奇妙な”政治状況が生まれているそうです。

****2大政党の谷間 風に乗る〈カオスの深淵****
与党と野党最大勢力がともに公約で反対していた政策が進められる。そんな例がオーストラリアであった。
実現したのは「炭素税」の導入。温室効果ガスを出す企業に課す税金だ。2010年8月の総選挙前、この国の2大勢力である労働党と保守連合はともに反対。ところが、下院(定数150)の獲得議席が労働党72、保守連合73だったことが、波乱を巻き起こした。

主役は環境保護を掲げる「緑の党」。大都市メルボルンで、総選挙では初めて下院で1議席を獲得した。
「やっと機会が来た、と思った」。緑の党のクリスティン・ミルン党首(58)は選挙をそう振り返る。小選挙区制の下院は小政党に不利とされるが、緑の党は弁護士出身の若手を立てて、労組票も取り込んだ。多額の資金をつぎ込んだとされる。それが成功した。

そして選挙後、多数派工作を始めた2大勢力に突きつけたのが「炭素税」。「12年7月までの導入を約束しなければ、協力はしない」
受け入れたのは、政権維持をめざす労働党のギラード首相だった。党の方針を転換。無所属も取り込み、炭素税の関連法は昨年11月に成立した。

首相には「公約違反」の批判が集中し、支持率も伸び悩む。労働党などで連邦議員を10年余り務めたニューサウスウェールズ大のシェリル・カーノウ准教授は「多数派確保のためには仕方なかった、というのが首相の本音だろう」と同情する一方で、2大勢力の方針に託された「民意」がほごにされた点については「今、現実に力を持っているのは緑の党ということだ」。

緑の党はさまざまな政策で労働党と合意書を交わし、実現を図る。歯の治療への保険適用、シドニーとメルボルンなどを結ぶ高速鉄道の建設、政治家の歳費や国会質疑のあり方の見直し……。
インドネシアへの生きた肉牛の輸出を一時差し止めるという騒ぎもあった。現地の処理方法が残酷だ、との批判に緑の党も同調したからだ。

小選挙区は各党の候補者が1人だから人柄より政策で選ぶことになり、政権選択を容易にする。そして二大政党制が定着すれば、「決められる政治」につながる。そういわれてきた。けれど、オーストラリアの「決められる政治」は有権者が思いもよらない政策を決めてしまった。(後略) 【4月24日 朝日】
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問題は多々ある選挙制度よる民主主義ですが、そうしたものによらない政治に比べればまだましで危険も少ない・・・といったところでしょうか。

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アフガニスタン  戦場の兵士にモラルを要求する社会の「偽善」

2012-04-23 23:18:31 | アフガン・パキスタン

(アフガニスタンの首都カブールなどで15日起きたタリバンによる同時襲撃を受けて、警戒にあたるアフガニスタン兵士。“”より By DTN News http://www.flickr.com/photos/dtnnews/6938263370/in/photostream
なお、この襲撃では、日本大使館にもロケット弾計4発が着弾し、建物の一部が破損しました。タリバンの報道担当者は攻撃対象は欧米の大使館だったとして、「日本大使館は標的ではなかった。もし着弾したのなら、戦闘中の誤りだ」と、誤爆であると強調しています。)

パネッタ国防長官「撮影された行為を断固として拒絶する」】
昨日、中国(新疆ウイグル自治区トルファン)の観光旅行から帰国しました。
旅行中に目にした記事に、アフガニスタン駐留米軍のモラルを問うものがありました。

****アフガン駐留米兵:自爆テロ犯遺体と記念撮影 米紙報じる****
18日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは、アフガニスタンに駐留する米兵らが10年に自爆テロ犯らとみられる遺体と記念撮影していたと報じた。複数の写真も掲載した。

米国防総省のリトル報道官は18日、「パネッタ国防長官は撮影された行為を断固として拒絶する」と指摘。米軍として調査を開始したと明らかにした。

アフガン駐留米軍をめぐっては、今年に入ってイスラム教の聖典コーランの焼却事件や住民を狙った無差別銃乱射事件があり、反米感情がさらに広がるのは必至だ。

同紙によると、10年2月に米兵部隊がアフガン南部ザブール州の警察署に遺体の検証のために訪れた際に撮影されたという。写真は計18枚あり、中には遺体の手を米兵の肩に乗せておどけたものや、遺体の足を持ち上げている写真があった。
同部隊とともに任務に当たった兵士が米軍の統率や規律の乱れを示すものとして同紙に提供したという。【4月18日 毎日】
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同種のものとしては、タリバン兵遺体への放尿シーンがネット上に流出した事件が1月に問題になっています。

****アフガニスタン:タリバン遺体に米兵放尿? ネットで流出****
アフガニスタン駐留米軍兵士とみられる戦闘服姿の白人男性が、地面に横たわった男性3人に小便をかけている映像が11日、複数のウェブサイトに流出した。横たわっているのはアフガン反政府武装勢力タリバンの戦闘員の遺体とみられる。

米海兵隊は声明で、映像に示された行為は「われわれの価値観に反している」とし、「徹底調査」を約束した。
掲載したサイトの一つによると、映像には「海兵隊の狙撃兵が死んだタリバンに小便をかける」場面との説明が付いていた。戦闘服姿の男性ら4人は放尿しながら英語で「金色のシャワーだ」などと冗談を口にし、カメラに笑顔を見せている。(ワシントン共同)【1月12日 毎日】
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このときもアメリカ側は、反米感情拡大を恐れて火消しに躍起となりましたが、アフガン軍兵士が国際治安支援部隊(ISAF)傘下の仏軍兵士4人を射殺する事件などもおきました。

この類の問題が、ただでさえ強い反米感情を刺激して、駐留外国兵士の生命を危険にさらし、これまでの成果を台無しにする形で、米軍撤退計画などに悪影響を与えることは言うまでもないことです。

彼らを戦場に送ったのは私たち
そうした現実面への影響はもちろんありますが、そもそも論として、こうした“モラルに反した行為”は戦場における兵士にとっては“日常”であり、「戦場に兵士たちを送っておきながら、彼らなりの現実を表現した私的なものが問題を引き起こした時に個々の兵士を責めるのは、社会の「偽善」だ」との指摘があります。
もっともな指摘です。

****戦場の兵士たちが写した「戦利品」写真、デジタル技術で公にも拡散****
18日付の米紙ロサンゼルス・タイムズが掲載した写真で、アフガニスタン駐留米兵が旧支配勢力タリバン戦闘員の遺体とともにポーズをとって撮影していたことが明るみに出され、物議を醸している。

専門家らによれば、兵士が「戦利品」としてその成果を写真撮影することは今に始まったことではない。今回の事件で新しい現象と言えるのは、テクノロジーの発達で戦地で写されたデジタル画像が瞬時に広まった点だと、彼らは指摘する。

■デジタル技術で公の目に触れる戦場
バラバラになったタリバン兵の遺体の手脚を持って撮影した米軍兵らの写真は、戦争の残虐な側面を暴くものだ。一般市民にとっては非常に衝撃的だが、戦闘員たちにとっては珍しくもない光景だ。
「(こうした)スナップ写真は、ボーア戦争(19世紀末)の時代からある」と美術キュレーターのアン・ウィルクス・タッカー氏は述べる。

タッカー氏は米テキサス州のヒューストン美術館で11月に開催される写真展「War/Photography: Images of Armed Conflict and Its Aftermath(戦争と写真撮影:武力紛争の画像とその影響)」の監修者だ。これまで8年をかけて過去165年分の戦争写真を調査、厳選してきた。
「第1次と第2次世界大戦中にドイツ人兵士たちが撮影したスナップ写真のアルバムには、処刑の場面を撮影したものがあった。兵士たちが持ち帰って母親に見せるような類の写真だったと思う」(タッカー氏)

しかし当時の写真は現像やプリントに時間がかかり、こうした写真を目にするのは通常、少数の内輪の人たちだけだった。他人の目には長年触れることがないか、あるいは全く目にする機会がなかった。
それが今日では、携帯電話やポケットサイズのデジタルカメラで気楽に写真を撮影し、同僚の兵士や家族にメールで送ることができる。そうした写真が意図せずして公の場に出てしまうこともある。「配信技術の進化が、このような変化をもたらした」とタッカー氏は分析する。

「兵士たちのほとんどがなんらかのインターネットアクセス手段を持っており、戦場で撮影した、彼らにとって「とっておき」の写真を瞬時にダウンロードすることが可能だ」と指摘するのは、民間の米軍史保存団体「Army Historical Foundation」の主任歴史研究員、マシュー・シーリンガー氏だ。

■戦場の残虐な光景、兵士には日常
米ホワイトハウスと北大西洋条約機構(NATO)は18日、そろってロサンゼルス・タイムズ紙に掲載されたスナップ写真を非難した。

その一方で、NATOのアナス・フォー・ラスムセン事務総長は「単発的な出来事だ」と発言した。だが今回の写真の件で、アフガニスタン人戦闘員の遺体に放尿する米海兵隊員たちの動画がインターネット上で公表された1月の出来事を再び思い起こさずにはいられない。

イスラエル軍兵士が前線で直面する問題への社会的認識を高めることを目的とする元兵士らによる団体「ブレーキング・ザ・サイレンス(Breaking the Silence)」の共同設立者、ヤフダ・ショール氏は、「誰もが日常生活を写真に撮るように、私たち(兵士)も自分たちの日常を写真に撮っている」と、AFPの電話インタビューでイスラエルから語った。
「登山家がエベレストの頂上に到達すれば、写真を撮るだろう。戦闘兵としての訓練とは敵を殺す訓練だ。その任務を達成した時に『みやげ』を持ち帰るのは自然なことだ」(ショール氏)
 
ショール氏はそうした行為を容認しているわけではない。だが、戦場に兵士たちを送っておきながら、彼らなりの現実を表現した私的なものが問題を引き起こした時に個々の兵士を責めるのは、社会の「偽善」だと主張する。

キュレーターのタッカー氏も、写真が撮影された瞬間が「その時、兵士たちが生きている人生なのだ」と指摘する。「こうした写真を目にする時、彼らを戦場に送ったのは私たちであり、その彼らがそうした行為をしているということを、私たちも自覚しなければならない」【4月23日 AFP】
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旧日本軍兵士のその類の写真を目にしたことがある方も少ないのではないでしょうか。
“正義の戦争”とは言っても所詮は殺し合いであり、兵士に要求されるのはいかに多くの敵を殺すかで、敵兵の遺体は兵士にとっては自分の仕事の成果を証明するものでもあります。

そうした“殺し合い”を行うことをやむを得ないとするのもひとつの立場ではありますが、その場合、兵士を送り出している社会全体がそうした残虐行為の一端を担っていること、自分たちの手も血で汚れていることを自覚したうえでものを言うべきでしょう。

駐留兵士の間で麻薬の害が広まっているとの報道もありました。
狂気が支配する極限状態の戦場にいる訳ですから、その是非は別として、麻薬使用が広まるのも当然のことと思われます。

****アフガン:駐留米兵8人死亡 麻薬過剰摂取で****
2010、11年の2年間にアフガニスタン駐留米兵8人が麻薬の過剰摂取により死亡していたことが分かった。米陸軍はこの間、麻薬を使用した疑いなどで駐留米兵56人を捜査していた。AP通信が21日、報じた。

米監視機関が陸軍に照会した記録で明らかになった。開示されたのは捜査対象になった案件だけで陸軍しか含まれていないため、実際に駐留米兵が麻薬を使用しているケースはさらに多いとみられる。

アフガンは世界最大のアヘン生産国で、APによると、世界中に出回っているアヘンの9割を供給している。【4月22日 毎日】
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NATO 資金拠出を日本に期待
日本は2009年に「概ね5年間で最大約50億ドル程度までの規模の支援」を行うとの公約を発表。これまでに、①治安能力向上、②元兵士の社会への復帰・再統合、③開発の3分野を柱として約26億ドルの支援を実施しています。
主な具体的支出としては、アフガニスタン警察の給与支払い支援や警官の識字教育・訓練などです。
今後、米軍などの撤退を受けて、更に資金拠出が求められています。

****アフガン支援期待、野田首相にNATOが招待状****
北大西洋条約機構(NATO)が、野田首相に対し、5月20、21両日に米シカゴで開くNATO首脳会議への出席を要請することを決めた。

NATOは、2015年以降のアフガニスタン治安部隊の活動を支えるための資金拠出を日本に期待しており、首相は会議の場で拠出表明を求められる可能性がある。
首脳会議では、NATO主導の「国際治安支援部隊」(ISAF)が14年末にアフガン政府への治安権限移譲を完了するのを見据え、その後の年間約41億ドル(約3300億円)とされる財政支援計画の取りまとめが主要議題となる。

ラスムセンNATO事務総長は19日の記者会見で、「ロシアや中国など各国の財政的な貢献を歓迎する」と発言。2月にはパネッタ米国防長官が日本と韓国を名指しして資金拠出を呼びかけた。【4月21日 読売】
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アフガニスタンの治安部隊を強化・運営していくのに必要な15年以降の財政負担について、今月初めに国連、アフガニスタン政府、アメリカ政府が年41億ドルを提案しています。
アメリカに加え、日本など非派兵国が23億ドル、国際治安支援部隊(ISAF)への派兵国約50カ国が13億ドル、アフガニスタン政府が5億ドルを負担すると想定されているそうです。
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ミャンマー  民主化・制裁緩和の流れを止めない「憲法宣誓拒否問題」対応を

2012-04-22 22:21:40 | ミャンマー

(4月1日 スー・チーさんの選挙勝利を喜ぶ人々 彼らも民主化の着実な進展を期待しており、過度の政治的緊張は望んでいないのではないでしょうか・・・ “flickr”より By Nicolas Jouhet http://www.flickr.com/photos/nicolas-jouhet/6927763038/ )

【「23日に初登院しない可能性は高い」】
ミャンマー民主化運動指導者スー・チーさんの「憲法宣誓拒否問題」がクローズアップされています。

****ミャンマー:スーチー氏ら初登院見送りも 憲法宣誓拒否で****
下院議員に初当選したミャンマーの民主化運動指導者アウンサンスーチー氏が議員就任時に「憲法を守る」と宣誓することを拒否している問題で、憲法裁判所が宣誓内容を変更するよう求めたスーチー氏の要求を却下したことが分かった。スーチー氏率いる「国民民主連盟(NLD)」のニャンウィン報道官が20日、報道陣に明らかにした。スーチー氏は宣誓を断固拒否しており、スーチー氏らNLDの当選者が23日の国会初登院を見送る可能性が高まった。

宣誓は憲法改正を訴えて当選したスーチー氏の公約と矛盾する。このため、スーチー氏はテインセイン大統領との会談などで政府側に内容の変更を求めていたが、文言は憲法の条文に定められており、要求は認められなかった。ニャンウィン報道官が19日に首都ネピドーの憲法裁判所を訪れ説明を受けたという。

NLDはテインセイン大統領に変更を求める文書を提出する予定だが、大統領は24日まで訪日中で、初登院までに変更が実現するのは難しいとみられる。
報道官は「憲法裁判所の判断には納得できない点がある。スーチー氏らが23日に初登院しない可能性は高い」と話した。

現憲法は旧軍事政権下の08年に制定。議員の4分の1を軍推薦枠とするなど軍人優位の政治体制を「恒久化」し、民主化勢力からの批判が根強い。このため、スーチー氏は現状を「軍に支配された見せかけの民主主義」と批判し、選挙期間中も憲法改正を訴えてきた。スーチー氏にとって自身の選挙公約に反する宣誓は受け入れられないが、一方で憲法の条文を変更するのは容易ではない。スーチー氏とテインセイン政権との間で妥協点が見いだされるかどうかは不透明だ。【4月20日 毎日】
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この問題はスー・チーさんが立候補を決めた時点で分かっていた問題ですが、なんとか玉虫色の政治的妥協はないものでしょうか。
スー・チーさん側の言い分は正論でもあり、さすがに“信念の人”といったところですが、現実問題としては、ミャンマー情勢がここまで好転したのは、テイン・セイン大統領側の変革・譲歩の姿勢があってのものです。

もちろん、政権側には経済制裁解除へ向けた思惑が背景にあってのことではありますが、やはりテイン・セイン大統領の柔軟な対応による部分が大きいように思われます。
ただ、政権内部には民主化勢力への柔軟姿勢を快く思わない勢力も根強いのではないでしょうか。

先の補選圧勝に加えて、今回の「憲法宣誓拒否問題」の頑なな姿勢が、そうした保守派を刺激する事態を憂慮します。
議員資格の保留、登院ボイコットという政治的緊張の事態は、民主化の進展にとって好ましいものとは思えません。
スー・チーさん、NLD側にも、議会活動に参加して改憲への道を開く、“実をとる”柔軟な対応を期待します。

【「一時代に一度きりかもしれないチャンスで、支援の機会を逃したくない」】
スー・チーさんについては、国外訪問も認められたようです。

****スー・チー氏24年ぶり国外へ…6月ノルウェー*****
ノルウェーからの報道によると、同国外務省報道官は18日、ミャンマー民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏が6月にノルウェーを訪問することを明らかにした。
英国も同時に訪問する見通しで、ミャンマー国外に出るのは1988年以来となる。

ノルウェーは、反軍政組織「ビルマ民主の声」の本部を首都オスロに置くことを認めてきたほか、同国のノーベル賞委員会が91年にノーベル平和賞をスー・チー氏に授与するなど、ミャンマーの民主化運動を側面支援してきた。
英国は、スー・チー氏が88年にミャンマーに帰国するまで在住し、99年に病死した夫マイケル・エアリス氏の故郷だ。スー・チー氏は13日、キャメロン英首相から訪英を要請され、応じる意向を示していた。【4月19日 読売】
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こうした政権側の姿勢を評価して、アメリカはミャンマー外相の訪米を招請しています。

*****ミャンマー外相の5月訪問招請=スー・チー氏外遊を歓迎―米政府*****
キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は18日、訪問先のニューデリーで記者団に対し、ミャンマーのワナ・マウン・ルウィン外相に5月の訪米を招請したことを明らかにした。国務省が会見録を公表した。

同次官補は「改革のあらゆる要素を支援し、さらなる措置を促すことを目指している」と説明。ミャンマーの民主化進展を受け、「一時代に一度きりかもしれないチャンスで、支援の機会を逃したくない」と語った。【4月19日 時事】
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民主化の流れを後押しする制裁緩和
また、ミャンマーに対するアメリカ・EUの制裁緩和も進展しています。
*****ミャンマーへの金融制裁緩和=NGO活動を支援―米******
米財務省は17日、声明を出し、ミャンマーにおける民主化支援や人道・開発援助、宗教振興などを目的とした非営利活動に対する金融規制を解除したと発表した。クリントン国務長官が先に発表した対ミャンマー制裁緩和の一環で、同国内での米NGOの活動拡大が可能になる。

声明によると、ミャンマーに対する災害救援や難民支援、食料援助などの人道支援、教育・保健・農業分野の開発援助、スポーツや宗教の振興活動について、米国の金融サービスの提供を許可する。【4月18日 時事】
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****EU、ミャンマー制裁を一時停止へ 武器の禁輸は継続*****
欧州連合(EU)がミャンマーに対する制裁を、一部を除いて1年間停止することで基本合意した。EU当局者が19日、明らかにした。23日の外相理事会で正式決定する。民主化への取り組みを評価しつつも、動きが後退しないか見極めるため、期限付きとした。

加盟27カ国の事務レベルの協議で基本合意した。現行の制裁のうち、武器や警備などに関わる装備の禁輸は継続する。当局者は朝日新聞の取材に「民主化が維持・進展すれば制裁停止を続けるだろうが、後退すれば制裁を再開する可能性はある」との見方を示した。

EUによるミャンマーへの制裁は1996年から本格化。武器禁輸のほか、資産凍結やEU域内への渡航禁止、木材や鉱物などの取引の禁止を実施しており、対象は計約500人、約900企業・団体に上る。【4月19日 朝日】
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テイン・セイン大統領の訪日を受けて、日本も支援の方向を明確化すると報じられています。
****ミャンマーに円借款再開=21日の首脳会談で表明へ―首相****
野田佳彦首相は21日夕、都内でミャンマーのテイン・セイン大統領と会談する。日本政府は、2011年3月に民政移管したミャンマー政府の民主化の取り組みを評価しており、首相は経済支援強化のため円借款を再開する意向を大統領に表明する。今後、年内の実施を目指し、具体額を検討。欧米に先駆け、ミャンマーへの有償資金協力に踏み切る考えだ。【4月20日 時事】 
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制裁緩和を急ぐことへの警戒もありますが、民主化への流れを定着させるためには制裁緩和を進めることがベターかと思います。
その流れを止めかねない「宣誓拒否問題」の穏便な対処を政権及びスー・チーさん双方に望みます。
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アフガニスタン  イスラム保守派による女子教育妨害

2012-04-21 00:48:56 | アフガン・パキスタン

(写真は旅行中の中国新彊ウイグル自治区・トルファンのバザール ウイグル族はイスラム教徒ですが、アジア世界の市場同様、売り手も買い手も女性が目立ちます。男性は何をしているかといえば、バザールの片隅でゲームに興じています。)

【「女子教育に反対する者の犯行だと思う」】
中国旅行中ですが、国際面のニュースにざっと目をとおしたところ、シリア情勢の膠着など、あまり大きな変化はないようです。
そんななかで一番気になったのは、アフガニスタンの女子教育に関する下記の記事でした。

****給水器に毒物? 女子生徒100人が中毒症状 アフガン*****
アフガニスタンからの報道によると、北部タカール州の女子学校で17日、給水器の水を飲んだ生徒100人以上が中毒症状を訴えて入院した。地元知事はAFP通信に対し、毒物が混入されていたとの見方を示し、「女子教育に反対する者の犯行だと思う」と述べた。

地元保健当局者によると、女子生徒らは頭痛や吐き気を訴え、多くは回復して退院したものの、重い症状の生徒もいるという。学校には10~18歳の生徒が通っていた。

アフガンでは、女子教育を禁じたタリバーン政権が2001年に崩壊した後、女子教育は再開された。しかしその後も、女子教育を嫌う保守派や過激派による女子生徒や学校に対する嫌がらせや攻撃が相次いでいる。【4月19日 朝日】
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アフガニスタンの15歳以上の女性の識字率は2割程度とみられており、女性の地位向上に直結する識字教育は急務とされています。
しかし、そうした社会変革を好まないタリバン支持勢力などによる毒物や酸を使った女子教育妨害は、これまでも頻繁に報じられています。

タリバンの方針は?】
昨年夏には、タリバンも女子教育に関して方針を変更したとの報道もありましたが、実情は変わっていないようでいささか落胆しました。

*****アフガン東部 女子教育推進に方針転換 タリバン、政治力誇示*****
パキスタンに隣接するアフガニスタン東部クナール州で、イスラム原理主義勢力タリバンが女子教育も含めた学校の再開や、外国政府の支援も入った開発計画を支持するだけでなく、積極的に推進していることがわかった。
                   ◇
女子教育を否定してきたタリバンが方針を転換したことが具体的に確認されたケースは珍しい。外国部隊撤退やアフガン政府との和解が実現すれば、タリバンの政権参加もありうることから、政治的な“力量”を住民に見せる狙いもあるようだ。

「ここの子供たちはちゃんとした教育を受けている。いま、目の前で子供たちが遊んでいるよ」。タリバンのメンバーで、クナール州の“影の政府”に勤めるラフマトゥラ・カシミ氏は、電話の向こうで声を弾ませた。
“影の政府”は、ほぼ全州に設置されているタリバンによる非合法政府。汚職や機能しない行政府にかわって、税金を徴収したり裁判所や警察署を運営したりすることもある。最近はタリバンの拠点であるアフガン南部にかわって、影響力が強まっている同国東部の“影の政府”が力を持つ傾向が広がっている。

カシミ氏によると、クナール州の“影の政府”は今年に入ってから、州内14地区にある州政府の教育担当者に学校再開を“通達”。以降、女子教育に反発する武装勢力が学校運営を妨害しないよう、タリバン兵による警備を行うだけでなく、教師の質や勤務態度も監視しているという。
州知事報道官のワシフラ・ワシフィ氏に確認したところ、「タリバンから女学校も含めて学校の再開のお墨付きを得たおかげで、州内の全419校で授業を行っている」と述べ、タリバンの方針転換を歓迎した。

1990年代後半から2001年までアフガンのほぼ全土を支配したタリバンは女子教育を否定してきた。各地で女子学校だけでなくさまざまな教育施設の爆破や、教員の殺害を行ってきたタリバンが、まだ全土的な動きにはなっていないとはいえ、なぜ方針を変えたのか。

カシミ氏は「人々に奉仕するのはタリバン指導層(パキスタンにある最高機関クエッタ評議会)の指示」で、新たなものでないと強調。これまで指示を実行できなかったのは「タリバン政権は国家を運営していくには未熟で、政権がアフガン国民のためになる政策を行うことを(タリバンを支援する)パキスタン当局の一部が良しとしなかったからだ」と説明する。

クナール州の政治アナリスト、シュジャ・ウル・ムルク氏は「この州のタリバンのメンバーは地元住民が多いだけに、自分の子供たちの教育の重要性に気づいたのだろう。また、外国部隊の撤退後、タリバンが住民のために奉仕できるというアピールの意味もあるのでは」と解説している。【11年7月14日 産経】
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援助は治安作戦に地元の協力を取り付ける手段の側面が強かった
実際、“まだ全土的な動きにはなっていない”ようです。
タリバンの女子教育に対する無理解の他、民生面への支出を担ってきた米軍などの撤退後に、国際支援が先細りすることも懸念されています。

****細るアフガン援助 「米軍撤退後」巡り、独で国際会議*****
アフガニスタンに対する国際社会の長期的支援について話し合う国際会議が5日、ドイツのボンで開かれる。7月に始まった米軍の撤退に伴い援助も大幅に減り、経済や財政が行き詰まる可能性があるとの懸念の高まりが背景にある。
国際治安支援部隊(ISAF)からアフガン側への治安権限移譲は2014年末の完了を目標に進められ、同時に外国部隊の撤退も進む見通しだ。

だが、部隊撤退で援助も減少すると見られている。最大援助国・米国などにとって、援助は治安作戦に地元の協力を取り付ける手段の側面が強かったからだ。道路や学校などの小規模インフラ整備もかなりの部分を、司令官の裁量で行う軍予算や軍民一体型の地域復興チーム(PRT)を通して実施してきたとされる。

世界銀行の報告書によると、昨年度のアフガンへの各国の援助総額は国内総生産(GDP)に匹敵する157億ドル(1ドル=約78円)で公共支出の9割に上る。世銀は「援助額は極めて大きく、持続は困難だ」と指摘する。米国の開発援助機関、国際開発局(USAID)を通じた援助も昨年度の34億ドルがピークで、今年度は21億ドルにとどまった。
世銀の試算では、治安確保のため計35万2千人までの増員を目指す軍・警察の支出が負担となり、10年後でも72億ドルの財政赤字が見込まれる。世銀は「急激な援助の減少は国の破綻(はたん)を招きかねない」と警告する。

そのためアフガン側はボン会議で「14年以降の長期的な国際社会からの支援を取り付けたい」(ムサザイ外務省報道官)考えだ。だが、欧州や米国は債務危機や経済停滞に見舞われており、具体的な議論が深まるかどうかは不透明だ。

第2位の援助国日本は09年に5年間で最大50億ドルの支援を表明。最貧国への援助としては異例の額で、米国への協力の意味合いが強い。だが、欧米のアフガンへの関与が低下しつつある中で、15年以降の日本の立ち位置も定まっていない。

会議は01年12月にタリバーン政権後の新生アフガン国家の枠組みを決めたボン合意から10年の節目にドイツ政府が準備。カルザイ大統領が議長を務め、クリントン米国務長官など約90カ国の外相らや潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が参加する。
当初は反政府武装勢力タリバーンの代表を出席させる案もあったとされるが、実現しなかった。(後略)【11年12月4日 朝日】
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米国の開発援助機関、国際開発局(USAID)の現地代表、S・ケン・ヤマシタ氏は、この10年間の成果について、「灌漑(かんがい)面積や女子の生徒数、保健サービスを受けられる女性の数など進展は顕著だ。ただ継続する戦争の陰に隠れてしまっている。一方でアフガンが必要とする支援は多い」と語っています。
今後については、「軍の撤収は始まるが、開発支援は続ける。米国の財政危機から予算面で何かを犠牲にすることはやむを得ないが、アフガンへの関与が薄まるわけではない。アフガン政府を通じた支援の割合を増やすなどして影響を最小限にとどめたい」とも。

【「自分たちの経験を役立てようと考えた」】
国家支援だけでなく、NGOによる教育支援活動も行われていますが、以前もこのブログで取り上げたように、その中にはアフガニスタン同様の途上国バングラデシュのNGOもあります。

****途上国NGO、海外支援〈アジアンパワー*****
■バングラデシュ発
積もった雪と泥が混じった坂道を上がり、周囲の家々と変わらない一軒家に入ると、小さな教室で少女たちが並んで迎えてくれた。クラスは一つだけだが、身長も年齢もまちまちだ。
アフガニスタンの首都カブール西郊の丘陵地。貧しい家族が多く暮らす住宅地にバングラデシュのNGO「BRAC(ブラック)」が運営する小学校がある。近くに通える小学校がないなどの理由で、入学機会を逸した10歳から18歳までの女子25人が通う。

マスマさん(18)は女子教育を禁じたタリバーン政権が2001年に崩壊した頃に就学年齢になったが、家から歩いて30分かかる小学校に通うのは危ないとの理由で両親が入学させず、代わりにじゅうたん織りの内職を手伝っていた。だが、3年前にNGOが女子学校をつくると友達から聞きつけ、親を説得。年下の子に交じって学んできた。

BRACの学校では、夏休みや冬休みなど長期休暇がなく、3年間で5年生までの課程を一気に教える。アフガンの教育省と連携し、卒業後は能力と年齢に応じて公立学校の6年生以上に編入できる。マスマさんは「勉強を続けて医者になりたい」と夢を語った。

BRACはアフガンでこうした小規模の小学校を約2300校運営し、少女を中心に約7万人が通う。
BRACはバングラデシュが内戦を経てパキスタンから独立した翌年の1972年に設立された。貧困の削減を目的に活動し、現在、バングラデシュ国内だけでスタッフが10万人、全国に事務所があり、国民の75%に当たる1億1千万人をカバーする。年間の支出は4億9500万ドル(約411億円)で、銀行や大学も経営する世界最大規模のNGOだとされる。

BRACが初の海外支援先として、アフガンでの活動を始めたのは02年。事務局長のマハブブ・ホサインさん(66)は「戦乱後の復興という部分は私たちの歴史と似通っていた。自分たちの経験を役立てようと考えた」と説明する。

実際、アフガンでの活動はバングラデシュで培った手法を主に使っている。小規模の学校は85年に始めた活動。教師を1人とすることでコストを抑え、きめ細かな指導ができるよう生徒を30人程度に絞る。こうした学校はバングラデシュ国内に約3万校ある。(後略)【3月19日 朝日】
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国家的な支援、NGO活動なども期待されますが、当然ながら今後のアフガニスタン情勢次第でもあります。
そのうえで、タリバンの女子教育に対する姿勢、アフガニスタン政府の取り組みが、アフガニスタン女性の地位向上を左右します。
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中国・トルファン  変わったもの、変わらないもの 中国今昔あれこれ

2012-04-19 22:29:38 | 中国

(新彊ウイグル風のピラフ「ポロ」 「ラグ麺」(野菜ソースぶっかけうどん)や「シシカバブ」(羊肉の串刺し焼き)と並んで新彊を代表する料理です。 その土地で有名な料理が必ずしも日本人の口にあう訳ではありませんが、「ポロ」「ラグ麺」「シシカバブ」は日本人的にもとてもおいしい料理です。)

シーズンオフのトルファン
中国の新彊ウイグル自治区・トルファンを観光しています。今日で4日目。
(ネット環境が不調で、昨夜アップできず、「5日目」に入っています)
トルファンの観光シーズンは5月からで、この時期は観光スポットもホテルも閑散としています。

中国の観光は完全に国内観光客中心になっていますので、相対的に外国人観光客の影は薄くなっていますが、シーズンオフのこの時期、特に、欧米人の観光客を見かけることは殆どありません。
日本人の私は、外見的には中国人と変わりませんので、中国国内観光客として声を掛けられたり、注意を受けたり
とまどうことも多々あります。

シーズンオフのトルファン旅行の残念なことは、先ず、トルファン名産のブドウがまだ実をつけていないことです。
街を和ませる歩道を覆うブドウ棚もいまひとつの状態です。
観光スポットになっているブドウ園も同様です。

また、シーズンオフということで観光客が少ないため、観光客相手のイベント、例えばホテルなどでのウイグルダンスショーなども開かれていません。その手のものが好きな私としては残念です。

しかし、この時期の利点もあります。
まず暑さ。今は日中でも二十数℃ですから、なんとか歩いてまわれます。
夏場になると40℃を超える日もありますので、遺跡や砂漠など歩く必要があるスポットの観光は大変です。
街中を歩いていても、頭がくらくらしてきます。
そのことを考えると、観光的にはむしろ今がちょうどよい時期なのではないでしょうか。

観光客が少ないため、日本では想像もできないぐらい広い遺跡内部をひとりでゆっくりと歩いてまわれます。
自分の足跡しかない砂漠も楽しむことができます。(一人ですから、方角を見失わないように気をつけないと大変なことにもなりますが)

電動バイクに新ロッカーシステム
久しぶりの中国(トルファンは21年ぶり)で、いろいろ変わったもの、変わっていないものも。
街並みが一新され大都会に変貌しているのは、昨日も触れたところです。
昔は街に溶け込んでいたロバ車も全く姿を消し、バイクを改造したような荷台を引く三輪車にとって変わられています。(今日、はじめて郊外でロバ車を見かけました)

ふた昔前は、自転車が溢れていた中国も今は完全な車社会で、トルファンも同様です。
銀川でガイド氏の運転する車に乗っていて、車内でしきり情報を流す装置が目につきました。
GPSを利用して、今走っているところの制限速度、渋滞情報などを知らせてくれるそうです。
こうした装置で気をつけていないと、高い罰金を科せられてしまうそうです。

交通マナーの悪さは中国に限った話ではなく、東南アジアやインド圏に共通したことですが、以前の中国旅行では危うく大事故に巻き込まれそうになったこともありますので、制限速度遵守のコンプライアンスが浸透としてきているのは意外でした。

もちろん、クラクションを鳴らして「そこのけ、そこのけ」の運転振りは相変わらずでもあります。
怖いのは、歩行者優先のルールがないようで、歩いていると車のクラクションに驚かされることがしばしばあります。
特に、横断歩道を青信号で渡っているとき、右折・左折の車がクラクションを鳴らしながら突っ込んでくるのには驚かされます。
車のほうも青になっているということで、自分の権利は決して譲ろうとしない風潮のあらわれでしょうか。

一方、妙に静かになったのがバイク・スクーターです。
殆どが電動になったようで、中国社会には似つかわしくないぐらい、音も無く静かに走っています。
私が日本で利用している屋根付き三輪スクーターはマフラーの具合が悪いこともあって実に騒々しい音をたてます。
中国では恥ずかしくてとても走れません。

相変わらず騒々しいのは、中国人団体観光客。
ホテルに到着した彼らの騒々しさには辟易します。
どうしてあんな大声で話すのでしょうか?周囲の他人に気をつかうという配慮はないようです。

観光地でも、中国団体観光客の一行の騒々しさは同じですが、周囲に響き渡るハンドマイクで説明するガイド氏もいて、せっかくの雰囲気が台無しになることもあります。

トルファン中心部のスーパーを覗こうとして、バッグをロッカーに預けるように注意されました。
店内に入る前にバッグ等を預けるのは以前からのことですが、変わったのはロッカーの仕組み。
コイン式でもカギ式でもなく、ボタンを押すと自動的に空いているロッカーが開き、バーコードを印刷したレシートが出力されます。荷物を取り出すときには、このバーコードをセンサーにかざす・・・という仕組みです。(後で、博物館でも同様ロッカーがあり、係員に使い方を教わりました。)
日本でも東京・大阪などでは当たり前なのかもしれませんが、鹿児島の田舎暮らしの私は初めて見るシステムで、そのときは使い方がわからず、「別に買うものもないし・・・」と負け惜しみをつぶやきながら退散してしまいました。

昔の中国でよく見かけた光景は、切符などを販売する窓口に、列をつくることなく我先に押し寄せる大勢の人々。
列を作っている外国人観光客が腕を組んで割り込みを阻止する、外国人観光客と地元住民の攻防戦もありました。
上海などのバス停でも、まだ止まりきっていないバスに乗客がわっと押し寄せていました。
最近はさすがにそんな光景は目にしません。
マナーの改善もあるでしょうし、著しい需給アンバランスが解消されたこともあるのでしょう。
もっとも、春節の時期などの駅やバスターミナルの状況がどんな具合なのかは知りません。

誰も望まない2人目 はした金は拾わない子供
中国と言えば「一人っ子政策」が有名ですが、現在では、全国すべての省で一定条件の緩和がなされているようです。
そのあたりについて、銀川のガイド氏に尋ねると、「いまどき誰も2人目なんか希望しません。子供を育てるのにお金がかかるので。昔は政府が強制することもありましたが、今はみんな望んで一人っ子にしています。」とのことでした。

もちろん、そうした事情がすべてを表している訳でもありませんが、社会的風潮の大きな変化は間違いなくあるようです。
なお子供が「小皇帝」として家族から甘やかされる風潮もかねてより報じられているところですが、「最近の子供は何でももらえるので、1元(13~14円)や2元のお金は、落ちていても拾いません。大人は拾いますが」とのことです。誇張した言い様でしょうが・・・私は拾います。

なお、このガイド氏によると、悪評が高い男児優先の風潮(女児は中絶するとか、売ってしまうなど)も今は様変わりしているとか。子供が結婚すると正月などはお嫁さんの実家にもどるので、男の子を育てても老後が寂しいだけだとのことです。
そのため、最近では女の子が生まれたときの方が、派手なお祝いをするそうです。

【価値観の共通化で相互利用の関係を】
旅行者の間では有名だったトイレの汚さ、習慣の違いなども、最近は都市部では見かけなくなってきているようです。
商品を投げて渡す店員、何を聞いても「没有(ない)」ですませる店員・・・といったサービス感覚のなさも昔の話です。
私が最初の中国を旅行したのは25年ぐらい前ですが、当時はまだ一般国民が使う貨幣とは別に、外国人専用の兌換券があって、市内でそんな兌換券で買い物しようとすると、「偽札」ではないかと人だかりができるような時代でした。
そんな時代からすれば、中国社会も大きく変わったものです。

日本との間では、歴史認識の違いや尖閣諸島などの領土問題などもありますが、自信をつけ世界に打って出ようとする中国としては基本的には日本と事を構えるというよりは、どうしたら日本の経済力・技術力をその戦略に利用できるかに関心があるのではないでしょうか。
日本としても中国の経済力を利用したいのは同じです。

人々の価値観や社会の風潮などで共通の側面が増すほど、そうした相互利用の関係は築きやすくなるのではないでしょうか。
そうした相互利用のなかで、相互信頼が醸成できれば言うことはないのですが。
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