孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

スリランカ・ゴール  LTTEからの戦利品展示会

2009-12-31 13:48:21 | 国際情勢

(Galle in Sri Lanka 12/30)

【植民地の歴史を今に残す街 ゴール】
スリランカを旅行中です。
29日、福岡を午前10時半に発ち、台北でトランジット、香港で乗り換え、バンコクで再びトランジット、コロンボに着いたのは真夜中12時前。
時差が3時間半ありますので、16時間半もかかった“各駅停車”の長旅でした。
空港からニゴンボのホテルへ。チェックインをすませたのは深夜1時過ぎでした。

翌30日、早朝ニゴンボの海外を散策した後、車をチャーターして南西海岸沿いに南下。
「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)との内戦が5月に終結したスリランカですが、最大都市コロンボや空港の警備は厳重です。
コロンボ市内では自動小銃を持った兵士が100mおきと言ってもいいぐらいに、街中に配備されています。
また、空港の出入り口や重要な橋などには、土嚢を積み上げた監視所みたいな小屋が配置され、中の兵士が外に向かって銃を構えています。

4時間半のドライブ(コロンボの渋滞を抜けるのに時間がかかりました)で、今回の目的地、世界遺産の街、ゴールへやってきました。
16世紀末にポルトガルが砦を築き、17世紀中頃にはオランダが砦を拡張し、その後イギリスの支配下に入り・・・と、スリランカの植民地としての歴史を今に残す街です。

ただ、正直なところ、疲れました。
長旅の疲れだけでなく,腕時計を車の中に忘れてしまったみたいとか、曇り空で海岸の景色がいまいちとか、部屋からネットが無線で繋がるという話だったのに実際は繋がらなかった(無線が弱すぎて、私のPCでは検知できないようです)とか、お昼のシーフード・フライドライスがおいしくなかったとか、ホテルの門で手を軽く怪我したとか・・・いろんなことが重なって、“今回の旅行は失敗だったかも・・・”と気も沈みがち。

【LTTEからの戦利品】
そんな思いも引きずりながら、海に突き出た砦の城壁沿いに街を歩くと、時計塔付近の旧市街と新市街を隔てる城壁の上にたくさんの兵士がいます。
城壁から外を見下ろすと、隣接する広場で何やら催し物をやっているようで、夥しい数の人が集まっています。
広場には、軍関係のボートや飛行機、兵器なども置かれており、それらをバックに子供たちの写真を親たちが撮ったりしています。

日本でも自衛隊主催の催しなどがありますので、その類だろうか・・・とも思いました。
ただ、LTTEも海軍と称するスピードボートや、空軍と称する飛行機を有していたのを思い出し、“もしかして、LTTEの武器を市民に見せていたりして・・・まあ、それはないか・・・・多分、年末・年始の催しだろう”なんて考えたりも。
それにしても、すごい人だかりでした。

城壁を降りて、少し歩くと長い行列が。
なんだろう・・・と思いつつ先に進むと、冒頭の写真の光景。
横断幕には「テロリストから捕獲した兵器・装備」とあります。

城壁の上で冗談として思った想像があたりでした。
LTTEからの戦利品を展示した催しだったようです。

政府や多数派シンハラ人からすれば、LTTEはテロリストそのものですから、LTTEとの内戦勝利がお祭り騒ぎになるのは当然と言えば当然です。
ただ、少数派タミル人はこれをどのように見るのでしょうか?
そもそも、タミル人がLTTEをどのように思っているのかわかりません。
一般のタミル人にとっては、子供を誘拐して兵士に強制徴用したり、金品を脅迫まがいに集めたりと、厄介な存在であったようにも思います。
しかし、そうは言っても、タミル人国家建設を目指してシンハラ人政府と戦ったLTTEの兵器がこのようにさらされるのは、あまり快いものではないようにも思えます。

スリランカは、これからシンハラ・タミル両民族の共存を目指して取り組むべき大切なときです。
LTTEからの戦利品を公開してお祭り騒ぎするというのは、あまりに無邪気に過ぎるように思えました。
LTTEのような過激な集団を生んだ大きな原因のひとつは、政府のシンハラ至上主義にあったとも言われています。
こうした思いは、実情を知らぬよそ者の勝手な憶測でしょうか。

そんなことを言いつつも、LTTEの装備、特に飛行機には興味があります。
“空軍”とは言っても、反政府武装勢力のそれですから、実戦能力というより、政府軍施設に爆弾を落とすことで政府軍の鼻をあかす、プロパガンダ的な役割でした。

明日、会場をのぞいてみようかとも思っています。
言ってることと違うじゃないか!と怒られますが。
言動不一致はいつものことです。



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スリランカ  日本で初の難民認定

2009-12-29 00:17:01 | 国際情勢

(今年5月頃のスリランカ難民キャンプ “flickr”より By tamil 4
http://www.flickr.com/photos/38203728@N05/3571124545/)

【難航も予想される国内避難民の再定住】
スリランカでは、今年5月、少数民族タミル人武装組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」支配地域を政府軍が壊滅させる形で、25年にも及ぶ内戦が終結しました。
当然、この間多くのタミル人避難民が発生しています。

スリランカ政府は、内戦終結後も、タミル人避難民の中にLTTEの残党や親族が紛れ込んでいる可能性があるとみて、避難民13万6000人を収容した政府の難民キャンプについて、その周囲に有刺鉄線を張り巡らせるなど、厳重な監視下で収容を続けてきました。

内戦終結から半年あまり、多くの避難民が依然、移動の自由を制限されていることには国際社会の批判が強く、11月19日には、国連人道問題調整事務所(OCHA)のジョン・ホームズ所長(国連事務次長)が、避難民の移動の自由を政府に改めて要請
こうした批判を受けて、スリランカ政府は11月21日、12月1日から避難民の移動制限を解除することを発表しました。【11月21日 読売より】

避難民問題でラジャパクサ大統領の顧問を務める実弟のバシル・ラジャパクサ国会議員は、「避難民は今後、内戦中に敷設された地雷除去の済んだ地域に再定住できる」と述べていますが、戦場となった北部のタミル人居住地は荒廃、地雷が残る地域もあります。
国内避難民の再定住は、25年以上に及んだ内戦処理の最重要課題で、スリランカ政府は来年1月末までに全員の帰還を完了させる方針ですが、難航も予想されています。

【難民鎖国日本で初のスリランカ難民認定】
避難民の一部は海外にも向かいます。日本にも来ていますが、海外から“難民鎖国”とも呼ばれる日本での難民認定は非常に難しいのが実態です。
その日本で、スリランカ出身としては初めて難民認定された男性がいることが報じられています。

****スリランカ難民:日本政府、初認定 国情不安で申請急増****
茨城県に住む50代のスリランカ人男性が今年8月下旬、同国出身者で初めて日本政府に難民認定されたことが分かった。内戦激化で同国出身者の申請は昨年までの3年で急増しているが、過去一人も認定されず、国際的には「閉鎖的な難民行政の象徴」とされてきた。国際貢献の拡大につながるか注目される。(中略)
男性はタミル人で、LTTEへの協力を拒否して脅され、06年7月に日本へ逃れた。

同国出身者の申請は、06~08年に各27、43、90件と急増。昨年はミャンマー、トルコに次いで多かった。入国管理局(入管)は06年以降、難民の出身国についてプライバシー保護と外交関係を理由に、ミャンマー以外は公表していない。昨年は申請1599人に対し、ミャンマーの54人を含む57人を認定した。
だが認定率の低さと近年のミャンマーへの偏りについて、グテーレス国連難民高等弁務官は先月の来日時に日本政府に改善を申し入れた。近年はスリランカ難民への対応が国際問題となり、国際人権団体がタミル人への人権侵害を告発している。【12月21日 毎日】
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今回難民認定された男性は、「タミル人は、脅迫されても被害を警察に申告できない状況だ。内戦終結後も民族対立が終わる見通しはない」と語り、受け入れに尽力した支援者や日本政府への感謝の気持ちを表しています。

****スリランカ難民:日本政府初認定 家族を呼び寄せるのが夢 支援者、日本政府に感謝*****
男性は元公務員で、コロンボ近郊に多数派シンハラ人の妻と、今は10代の長女、長男と4人で暮らしていた。シンハラ人中心の政府軍と、タミル人中心の反政府組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の民族紛争が激化した06年4月ごろから、食料や隠れ家などをLTTEに要求されるようになった。断ると「家族ともども殺す」と脅された。「タミル人はLTTE協力者だ」という偏見が強まっており、警察に被害を申告できなかった。
同年7月、1人で短期滞在ビザを取得し、日本に入国した。ブローカーが用意した千葉県の農家に住み込み、働いた。日本での難民申請方法を調べ、入国管理局に出頭しようとした矢先の07年6月、不法滞在を理由に警察に逮捕され、入管施設に収容された。不眠や頭痛、高血圧に苦しみながら、翌月に難民申請した。

認定で在留特別許可(定住)を得て、健康を取り戻した。今も母国ではタミル人がLTTEの残党に金を要求される事態が続いており、「二度と戻れない」と残念がる。「家族を呼び寄せるのが楽しみ。平和な社会で子供たちに教育を受けさせたい」と夢みている。【12月21日 毎日】
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スリランカでは、ラジャパクサ大統領が任期を約2年残しているものの、戦勝ムードに乗って選挙を前倒しする意向が伝えられています。
対立候補としては、05年12月に陸軍参謀長に就任して以来、少数派タミル人の武装組織LTTEに対する強硬策を指揮したフォンセカ氏の名前があがっています。
フォンセカ氏は、内戦終結を自らの政治的成果として誇示するラジャパクサ大統領との関係が悪化し、名誉職的な新設ポストの政府軍参謀長に異動になり、その後辞任しています。

どちらが大統領になっても、タミル人にとっては厳しいものがありそうです。
そうした政治状況から、日本への難民申請がさらに増える可能性があることも指摘されています。

【1~9月は15人】
日本の難民認定については、これまでも“難民鎖国”と呼ばれる状況でしたが、今年は更に厳しくなっていることが報じられています。

****難民認定3分の1に激減 1―9月、申請は最多に****
日本で難民認定を申請する外国人の数が今年1月から9月まで、過去最多だった昨年同期を上回ったのに、認定された人数は約3分の1にとどまったことが20日、分かった。難民支援者は「海外から“難民鎖国”といわれてきた状態がさらに悪化しているのでは」と懸念する。

法務省の資料によると、1~9月の難民申請者は計1123人で、2008年同期の1100人を超えた。これに対し、法務省に難民と認められたのは1~9月は15人と、08年同期の46人を大きく下回った。一方、難民とは認定されなかったが、人道に配慮して在留を特別に許可されたのは1~9月は399人で、08年同期の293人から急増している。
関係者によると、10月以降は申請者数の伸びにブレーキがかかる一方、認定者数は増えているもようだ。
認定者数の減少について、法務省入国管理局は「難民に該当するかは個別に判断しているので、多くなる年も少なくなる年もある。認定・不認定の結果が出るまでに平均1年以上かかっており、申請者数が増えてもすぐに認定者数に反映されるわけではない」と話す。

人権団体のアムネスティ・インターナショナル日本は「認定者数があまりにも少ない。(認定者15人のうち)不認定処分に異議を申し立てて認められたのはわずか3人で、制度が機能していない」と批判している。
難民申請者は08年、07年の約2倍の1599人に激増。外務省による生活支援の予算が一時底を突き、申請者が収入源を失うなど混乱した。増加の主な原因は、申請者が多いミャンマー(旧ビルマ)などの治安情勢の悪化とみられる。【12月20日 中国新聞】
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文化を異にする難民受け入れが様々な難しい問題をもたらすことは間違いありませんが、さりとて、ほとんど門戸を閉ざしたような現在のあり様は、人道的にも、国際社会の中で生きる日本の国益の観点からも、改善が望まれます。

難民受け入れにあたっては、日本語教育が日本社会に溶け込めるかどうかのカギになります。
****日本語教育不十分で困窮 インドシナ難民調査****
日本が受け入れたインドシナ難民は、来日後の日本語教育が不十分だったため、今も厳しい生活を強いられているという実態が27日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所が研究者グループに委嘱した調査で明らかになった。
政府は2010年秋からタイの難民キャンプで暮らすミャンマー難民の受け入れを始めるが、研究者グループは「定着には十分な言語教育が不可欠」と訴えている。
日本は1978〜2005年にインドシナ難民計約1万1千人を受け入れた。調査は08年、ラオス、ベトナム、カンボジア出身の1世を中心に217人に面接した。
調査報告書によると、大多数は欧米への移住を希望していたのに日本行きが決まり、日本語を学ぶ意欲が弱かった。来日後の政府による支援も3〜4カ月の日本語教育などだけで、しゃべれるようにはならず、低賃金の仕事にしか就けなかった。現在も日本語が不自由なことから帰化をあきらめる人がいるという。【12月27日 秋田魁新聞】
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【スリランカに行ってきます】
今日から年末・年始の6日間、スリランカの南西海岸・ゴールを旅行します。
今日の深夜、日付が変わる頃コロンボ到着の予定です。
6日間とは言っても、現地に滞在できるのは4日ほど。ほとんど“弾丸トラベル”です。
それでも、海辺のヤシの木陰で風に吹かれれば、少しは気分も変わるかも・・・と思った次第です。
そんな訳で、しばらくブログ更新が難しいかもしれません。


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ミャンマー  来年総選挙直前にスー・チーさん解放か?

2009-12-28 19:58:24 | 国際情勢

“flickr”より By Breff
http://www.flickr.com/photos/breff/3595468038/)

【反対23、棄権39】
国連総会で24日、ミャンマー非難決議が採択されました。
****政治犯解放求め、国連がミャンマー非難決議*****
国連総会は24日、ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんを含む政治犯の解放などを求めるミャンマー非難決議案を賛成86、反対23、棄権39で採択した。
決議は、「ミャンマーで組織的な人権侵害が行われ、国民の基本的な自由が侵されている」と強く非難。2000人とされる政治犯の無条件解放や、スー・チーさんと軍事政権との対話を求めている。【12月25日 読売】
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採択されたことよりは、反対23、棄権39と、全体の4割以上の国が賛同していないことに目がいきます。
日本や欧米の価値観では、ミャンマー軍事政権の人権侵害は非難されて当然という感がありますが、世界全体で見ると、必ずしもそういう訳ではないようです。
同じような人権問題を抱える国も多く、外国、特に欧米からの地域実情を考慮しない“上から目線”の非難に抵抗感を持つのでしょうか。

【欧米対話路線とスー・チーさん問題】
ミャンマーでは、スー・チーさんの問題に関しては、軍事政権とスー・チーさん側双方に、若干の歩み寄りの気配は見えます。
オバマ政権が軍事政権との対話路線を見せ始めたことが、双方の姿勢に影響していると思われます。
アメリカに続き、EUも今月3日、軍事政権との「継続的な政治対話」を開始するとの見通しを表明しています。

12月9日には、スー・チーさんと軍事政権のアウンチー連絡担当相の10月以来の会談がもたれました。
****ミャンマー:スー・チーさんが連絡担当相と会談****
会談内容は不明だが、スー・チーさんは11月、政権トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長に会談を求める手紙を出しており、この問題について話し合われた可能性がある。
一方、軍事政権の支配下にある国営紙「ミラー」は同日、スー・チーさんがタン・シュエ議長に出した手紙について「議長の手元に着く前に海外メディアに内容が公表されている」と指摘。スー・チーさん側が海外メディアを利用して政権に圧力をかけているとして、「その誠意を疑わざるを得ない」と強く批判する記事を掲載した。
政権への協力を表明したスー・チーさんの手紙発送から1カ月近く過ぎたが、政権側はこれまで回答を示していない。来年の総選挙へ与える影響などを慎重に測っているとみられる。【12月9日 毎日】
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12月16日には、スー・チーさんと彼女が率いる最大野党、国民民主連盟(NLD)のアウン・シュエ議長ら党幹部3人と会談が実現しました。
会談は、スー・チーさんが先月、軍事政権トップのタン・シュエ議長にあてた書簡の中で求めていたものです。
この幹部3人とスー・チーさんが面会するのは2003年以来とか。

5月、軟禁中にもかかわらず米国人を自宅に入れたとして起訴されたスー・チーさんの裁判については、現在最高裁で審議中ですが、今日、“来年の総選挙直前にも解放へ”と報じられています。

****ミャンマー:スー・チーさん解放へ 来年の総選挙直前にも****
軍事政権下のミャンマーで来年予定される総選挙直前に、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウンサンスーチーさん(64)が解放される可能性が高まってきた。複数の情報筋が毎日新聞に明らかにした。スーチーさん率いる最大野党「国民民主連盟」(NLD)も総選挙に参加する可能性が強まっている。
軍政は国際社会が求めるスーチーさん解放に応じた場合の総選挙への影響を慎重に検討してきた。解放しても選挙結果に大きな影響はなく、軍による実質的な支配体制は揺るがないとの自信を深めている模様だ。

軍政は今年8月、スー・チーさんに対し、米国人がスー・チーさん宅に侵入した事件を利用して軟禁措置を1年6カ月間延長、総選挙終了までスー・チーさん「拘束」を継続する姿勢を鮮明にしていた。
一転してスー・チーさん解放に応じる可能性が高まったのは、今年1月発足したオバマ米政権が制裁一辺倒の対ミャンマー政策を対話路線に大きく転換させたことが契機となった。
米国のキャンベル国務次官補は11月初め、米高官として14年ぶりにミャンマーを訪問し、軍政のテインセイン首相、スー・チーさんと相次いで会談。双方に当事者間の「対話」を要請し、総選挙へ向けた一連のシナリオを提示した可能性がある。
特に軍政に対しては、国際社会が総選挙に求める「自由、公正かつすべての関係者が参加する」との条件を満たすよう、国民民主連盟の参加を強く求めたとみられる。

軍政に近い筋によると、軍政は「スー・チーさんを解放し、国民民主連盟を選挙に参加させたとしても、国民民主連盟の獲得議席は全体の4分の1程度にとどまる」と分析。解放のタイミングについて「投票日直前」で固めつつあるという。一方、軍政と太いパイプを持つ中国政府関係者も「選挙前にスー・チーさんが解放される可能性が高い」と語った。
一連のシナリオが実現すれば国際社会は「ミャンマー民主化で進展が得られた」と評価できる。
一方の軍政側も「選挙の正統性」をアピールし、選挙後の国際社会への本格復帰への足がかりを築くことができる。
選挙の時期は来年3~4月、もしくは秋ごろとみられている。【12月28日 毎日】
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【高まる少数民族との緊張】
ミャンマーで、スー・チーさんの問題以外で報じられているのは、東部少数民族と軍事政権の緊張が高まっている問題です。

****ミャンマー:東部避難民47万人超 NGO「軍政弾圧で」*****
タイ・ミャンマー国境で難民支援に当たる複数の欧米NGOによる連合組織「タイ・ビルマ国境支援協会」は、ミャンマー東部で96年以降、3500以上の集落で破壊や強制移住が行われ、現在47万人以上が国内避難民になっているとの報告書をまとめた。
ミャンマー東部には多くの少数民族が住むが、報告書は「少数民族武装組織の抑え込みを図るミャンマー軍事政権側の弾圧」が原因だと指摘している。この調査結果などを基に、日本を含む29カ国442人の国会議員は10日、軍事政権の戦争犯罪を調べる調査委の設置などを求める書簡を国連安保理に送付した。(中略)

ミャンマーは、人口の約3分の2をビルマ族が占め、残りを少数民族で構成。同国東部は、軍政と停戦合意した上で兵力を温存する武装組織の勢力圏や、戦闘継続中のカレン族組織の拠点などが入り組む地帯だ。
報告書では、軍政側の常とう手段として、少数民族組織の弱体化のため、住民を政府支配地域に移住させて組織とのアクセスを絶つ方法を指摘。住民の強制労働、住民からの食料強奪や土地没収などを避難民発生の要因に挙げている。
軍事政権は来年予定の総選挙を前に、少数民族組織の国軍への編入を狙うが反発は強く、タイや中国との国境地帯は緊張が高まっている。今後大規模な戦闘が起きる可能性もあり、さらなる避難民の発生も懸念されそうだ。【12月17日 毎日】
*************************

【中国との関係修復】
この少数民族問題は、今年8月、漢族系少数民族が政府軍と衝突して中国領内に逃げ込む事態となり、米欧の経済制裁下にあるミャンマーにとって国際的後ろ盾である中国との関係にも影響しています。
日本では天皇陛下会見問題で話題となった中国の習近平国家副主席は、その後ミャンマーを訪問しており、両国関係修復をはかっています。

****中国:ミャンマーと国境安定化で協力 習副主席が会談*****
アジア歴訪中の中国の習近平国家副主席は20日、ミャンマー軍事政権トップのタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長と首都ネピドーで会談し、ミャンマー国軍と少数民族の武力衝突が起きた両国国境地帯の安定化に向け協力していくことで一致した。
中国中央テレビによると、習副主席は「国境地帯の安定を擁護することは両国国民の幸福を増進する」と述べ、ミャンマー側に対応を促した。タン・シュエ議長も「中国側と共同で国境地帯の安定と発展を擁護していきたい」と応じた。(後略)【12月21日 毎日】
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会談では、両国を結ぶ天然ガスのパイプライン建設など経済協力に関する10以上の覚書が交わされた模様です。
中国も、ミャンマーでのパイプライン建設を自国経済発展に不可欠と考えており、今回の経済関係強化の動きとなったようです。

【体制内か枠外か】
欧米との対話路線の機運が出てきて、中国との関係も修復した軍事政権が、来年の総選挙を控えて、今後スー・チーさんの問題でどう動くのか。今日の毎日報道のように、選挙直前解放に踏み切るのか。
新憲法が定める民政移管は実質的な軍政継続を意味するものではありますが、スー・チーさん、国民民主連盟(NLD)の側にしても総選挙後の新体制内に入っていかないと、枠外からの政治運動だけでは限界があるのではないでしょうか。
ただ、もし今後、少数民族弾圧が表面化すると、欧米との関係がまた悪化する事態もあり得ます。

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インド洋大津波から5年  国際支援の問題・・・援助依存症、使途不明金など

2009-12-27 15:00:56 | 災害

(大津波後、インドネシア・アチェで被災した子供のおもちゃを渡すアメリカ海軍兵士
こういう支援は心温まるものです。
“flick”より By simminch
http://www.flickr.com/photos/chucksimmins/2947957298/

インド洋大津波から5年を迎えた26日は、各地で追悼式典が行われました。

****インド洋大津波5年、冥福祈る インドネシアなど各地で式典*****
大津波でインド洋沿岸諸国の計22万人以上が死亡・行方不明となった04年のスマトラ沖地震から26日で5年を迎え、インドネシア・アチェ州やタイ、スリランカなど各地の被災地では犠牲者の冥福を祈る追悼式典が開かれた。約17万人が犠牲になった最大被災地アチェ州では、州都バンダアチェの海岸近くでの追悼式典に副大統領らが参加。復興への誓いを新たにした。
***********************

【「援助依存症」】
総体的には、インドネシア・アチェなど被災地では、日本を含めた各国・国際機関・NGOなどの支援で復興が進んでいます。こうした大規模災害においては、国際支援は絶対に必要不可欠なものですし、それによって復興が進展するのは喜ばしいことです。

ただ、細部を見ていくと、いろいろな問題点も浮かんできます。
ひとつは、巨額の支援金に住民が頼りきってしまう「援助依存症」とも言うべき現象です。
援助を期待することで、自主的・自立的な生活再建が阻害されてしまうこともあるようです。

こうした「援助依存症」は災害援助だけに限らず、例えば紛争地における難民支援などでも、国際支援が行き届いた難民キャンプの生活に満足してしまい、なかなか難民キャンプからの帰還が進まないといったこともよくあります。

3年ほど前、スリランカ旅行中、ニゴンボの海岸で自称ガイドの男性から津波被害への寄付をせがまれたこともあります。
現実生活の厳しさを考えると、人間心理から十分に理解できるところですが、支援・援助はいつまでも続くものではないので、依存に陥らないような観点からの支援が必要になります。

【半分近くが「使途不明金」】
支援する側からすると、巨額の支援金が本当に住民のために使われているのだろうか?・・・という疑念もあります。
****インド洋大津波から5年、汚職に消える義援金と進まぬ復興*****
2004年に発生したインド洋大津波から、26日で丸5年を迎える。
被災国の1つであるスリランカは、国際社会から数十億ドルの復興支援を受けたが、その半分近くが「使途不明金」となっているという。

ヤシの木に覆われたラトガマ村に住む漁師の妻で、2児の母親でもあるプラデーパさん(26)は、いまだに家を再建する資金を受け取っていない。「義援金はわたしたちには一銭も回ってこない。政府は約束を破った」
津波が襲ってきた時、プラデーパさんは家がつぶされる直前に、寝間着姿でいくつかの宝石類だけをつかんで逃げた。仕方なくプラデーパさんはこれらの宝石を売り、援助金で家を建てることのできた津波生存者からレンガ造りの家を35万ルピー(約70万円)で購入した。
こうした話は、スリランカではありふれている。

■多額の使途不明金、口つぐむ役人ら
3万1000人が死亡し100万人が家を失った津波の復興資金として、スリランカ政府は、日本や世界銀行、国連機関などによる支援22億ドル(約2000億円)に加え、慈善団体や個人などからも多額の寄付金を受けた。
しかし、世界各国の汚職実態を監視する非政府組織(NGO)「トランスペアレンシー・インターナショナル」は、このうち10億ドル以上が「使途不明」になっていると指摘する。
復興初年度に行われた初回の政府監査では、援助額のうち実際に使用されたのは13%以下という結果が公表されたが、それ以後、公式な会計検査は一切行われていないという。「政府が他の目的に使用したとみられるが、役人は報復を恐れて口を閉ざしている」(担当者)

■復興に地域格差、紛争の傷深く
スリランカ国家住宅開発庁によると、前回07年に行われた国勢調査では、仮設住宅に暮らす人は8865人、住宅再建件数は当初の予想を2万軒上回る11万9092軒だった。
だが、多数派のシンハラ人が多く居住する南部では住宅が供給過多なのに対し、反政府武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)と政府軍との紛争が絶えなかった北部と東部では、ビニールで覆っただけの仮小屋に暮らす少数派タミル人の姿がよく見られる。
37年間続いた激しい武装闘争は今年5月に終結したものの、紛争は復興の遅れをもたらした。(後略)【12月25日 AFP】
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災害地・紛争地への国際支援が、一部権力者の懐に消えていくというのは論外ですが、残念なことに、そうした論外なことが広く散見されるのも現実です。

【復興で共存へ】
スリランカにおける復興の支援格差は、意図的に北部・東部のタミル人居住地域が遅らされたというよりは、LTTEとの紛争で、そこまで配慮できなかったと好意的に解釈しておきましょう。
内戦も5月に終了し、政府の難民キャンプからの移動制限も12月に解除されましたので、これからは本格的な復興・共存への取り組みがスリランカ政府には求められます。

大津波災害、紛争被害からの復興を強力に推し進めることは、長年の紛争で生じたシンハラ・タミル両民族の心の垣根を取り除く、共存に向けた第一歩となるはずです。
恐らくそれは、LTTEとの武力闘争以上に、困難な闘いでしょう。
現政権・次期政権に、この戦いを行う意思と能力があればいいのですが。

インド洋大津波で最大被害を出したインドネシア・アチェでは、それまで長年続いていた反政府勢力と政府の抗争が、津波からの復興を目指して、和平合意に転じたという事例もあります。

【技術支援のメインテナンス】
物による支援を行う場合、その技術が現地でメインテナンスできるものでないと、結局、故障したらそのまま打ち捨てられることにもなります。
そうした無駄になった援助事例もよく耳にするところです。

****タイの津波観測用ブイ、電池切れで稼働せず*****
23万人以上の死者・行方不明者を出したインド洋大津波の後、タイ南部のアンダマン海沖に設置された津波観測用のブイが、電池切れのまま放置され、今年9月のインドネシア・スマトラ島沖地震でも感知できなかったことが分かった。
ブイは、26日の津波5年を前に急きょ交換されたが、ずさんな防災管理体制が露呈した。

ブイは2006年12月、米国の協力を得たタイ政府が、プーケットの西約1000キロの海上に設置した。津波を感知すると、衛星通信経由で米ハワイの太平洋津波警報センターに信号が送られ、連絡を受けたタイの国家災害警報センター(NDWC)が、海岸沿いに100基以上ある警報サイレンを鳴らす仕組みだ。
だが、政府筋によると、NDWCは、電池に寿命があること自体を把握しておらず、今年7月を最後にブイは全く稼働しなかったという。NDWCの担当者、サラン・タパサット氏は、「維持管理が必要だった」と認めた。
観測ブイは、早期の津波探知と住民避難のカギとなる装備と見なされていただけに、おざなりな管理体制は5年前の大津波の記憶が早くも風化しつつある状況を浮き彫りにした。【12月26日 読売】
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“電池に寿命があること自体を把握しておらず”というのは、いかにもお粗末です。

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ロシア  「統一経済圏」、「不良警官」大リストラ計画、そしてまたウクライナ・ガス問題

2009-12-26 21:58:05 | 国際情勢

(モスクワ・赤の広場の交通警官 賄賂か何かの相談・・・というのは偏見です。
まあ、悪徳警官はロシアに限った話ではありません。
“flickr”より By aperrypic
http://www.flickr.com/photos/aperrypic/3056433780/)

【「将来的に参加国は増える」】
たまたまロシア関連の記事がいくつか目についたので、今日はロシアの話。
政治統合を目指すEUから、実態の明らかでない鳩山首相の提唱する東アジア共同体まで、“統合”の動きには様々なものがありますが、ロシアも旧ソ連圏の国々との関係構築に動いているようです。

周辺国や旧ソ連圏の国々からも、過去の経緯やその政治体質から警戒感を持って見られことが多いこともあって、EUの東方拡大政策や増大する中国の存在感の一方で、周辺地域においてもロシアの影響力は限定的なものになりつつあります。
先ずは、旧ソ連圏の国々との経済統合によって、力強さに欠ける経済のてこ入れと、国際的影響力の拡大を目指すというところでしょうか。

****ロシアなど3カ国、「統一経済圏」創設へ まず関税同盟******
旧ソ連のロシアとベラルーシ、カザフスタンの3カ国首脳は、2012年1月1日までに「統一経済圏」を創設することを決めた。まず来年1月から関税同盟を発足させ、経済統合を強化する。ロシアは「ソ連崩壊後で最も重要な決定の一つ」と位置づけており、旧ソ連圏への影響力回復の動きを本格化させている。

ノーボスチ通信などによると、ロシアのメドベージェフ、ベラルーシのルカシェンコ、カザフスタンのナザルバエフ3大統領が19日に旧ソ連構成国でつくる独立国家共同体(CIS)非公式首脳会議が開かれたカザフスタンのアルマトイで会談。統一経済圏作りに合意した。
3大統領は11月末、ベラルーシの首都ミンスクで関税同盟創設の合意文書に署名。来年1月から域内の関税率を統一し、約9割の品目でロシアの関税に合わせる。同7月からロシアとベラルーシ国境での税関検査をなくし、1年後にロシアとカザフ間でも廃止する。ロシア国民経済予測研究所の調査では、関税同盟による経済効果を4千億ドル(約36兆円)と見込んでいる。

ソ連崩壊後、欧州連合(EU)の東方拡大に伴い旧ソ連諸国への影響力を落としたロシアが、欧米に対抗して影響圏の再編を狙った具体的な動きに出た形だ。関税同盟には中央アジアのキルギスも参加の意向を示しており、メドベージェフ大統領は「将来的に参加国は増える」と述べている。【12月26日 朝日】
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ただ、ベラルーシは欧米との関係も天秤にかけていますし、中央アジア各国は欧米だけでなく中国の影響も強まっています。どこまでロシア主導の「統一経済圏」が機能するか注目されます。
北方領土の問題を前進させることができれば、周辺国のひとつ、日本との政治・経済関係も強めることができるはずですが、昨今の情勢ではその方向は期待できません。
ロシアにとってはもったいない話のようですが、領土問題となると民族意識の方が先行するようです。

【「根本的な変化が必要だ」】
2件目の話題は内政問題。
以前、ロシア警察の内部告発ビデオが話題になったことがありました。

****警察の内部告発ビデオが大反響=プーチン首相に直訴-ロシア*****
ロシア南部の警察幹部が上層部の腐敗や職権乱用の実態をプーチン首相に直訴するビデオをインターネットで流し、大反響を呼んでいる。ヌルガリエフ内相は9日までに調査を命令したが、実態解明には早くも暗雲が立ちこめている。

直訴したのはクラスノダール地方ノボロシースク市の警察中堅幹部、アレクセイ・ディモフスキー氏(32)。自作のビデオで、上司に無実の人間の逮捕を命じられたなどと告発。また、1万4000ルーブル(約4万2000円)の月給で土日、祭日も働かされるため、2人の妻に逃げられたとし、「すべてにうんざりした。仕事を辞めたい」とプーチン首相に訴えている。
ビデオはロシア国内で大反響を呼び、8日までに40万人以上が視聴した。
ヌルガリエフ内相は調査を命じるとともに、ディモフスキー氏については結果が出るまで一時職務停止処分にすると発表。しかし、クラスノダール地方警察当局は8日、同氏が虚偽を流布したとして解雇を決定、臭いものにふたで幕引きを図る流れが強まっている。【11月10日 時事】
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この内部告発も影響したのでしょうか、不良警官を大量リストラする改革に乗り出すことをメドベージェフ大統領が発表しています。

****ロシアの「不良警官」リストラへ 18万人対象*****
ロシアのメドベージェフ大統領は24日、2012年1月1日までに国内の警察官の数を2割減らす大統領令に署名した。わいろの強要などで市民からの不平が絶えない警察の規律を取り戻すため、内務省のスリム化に乗り出す。ただ、多数の失業者を生む懸念と背中合わせだ。
同大統領は24日に生放送されたテレビ局3社の社長との懇談で、「不満はもっともだ。根本的な変化が必要だ」と発言。その数時間後にクレムリンが署名を発表した。
ロシア国営テレビ「ベスチ」によると、国内の警察官約92万人のうち約18万4千人がリストラの対象になる。「不良警官」など解雇相当とみなされた人員を減らす一方、それを財源に警察官の待遇改善を図るという。
ロシアでは11月、「警察内部の真相をばらす」と地方の警察官がプーチン首相あてのビデオメッセージをネット上で公開し、大騒ぎになった。これが今回の大統領令につながったとの指摘もある。【12月26日 朝日】
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5人に一人をリストラするというのは大改革です。
失業者の増大だけでなく、政権に恨みを抱く旧警官の存在は社会不安の種になりそうな懸念もあります。
それだけ腐敗が根深いということでしょうし、また、財政状況が厳しいということでもあるのでしょう。

「統一経済圏」にしても、警官大リストラにしても、意欲的な取り組みではあります。
アメリカ・オバマ大統領も、国論を二分しながらも医療保険制度改革を進めています。
日本の鳩山政権も、違法献金問題のような話に終始せずに、大胆な改革に取り組んでもらいたいものですが・・・。

【「契約に従う」】
3件目は、ロシア“恒例”の話題です。
天然ガスをめぐり、ウクライナとのトラブルの気配がまたあるようです。

****ウクライナ、ロシアへのガス料金支払いで深刻な資金難 ガスプロム社長*****
ロシアの政府系天然ガス企業ガスプロムのアレクセイ・ミレル社長は25日、ウクライナが12月半ばからロシア産ガスの購入量を減らしており、深刻な資金難にある模様だと述べた。

ロシア通信によると、ミレル氏は露テレビ局Vesti 24に対し、「12月のガス料金の支払いについて、ウクライナが非常に深刻な状況にあることを見聞きしている」と述べた。
ミレル社長によると、ウクライナは1月11日までにガス料金を支払う必要がある。
ガスプロムの広報担当は、ウクライナが期限までに支払いができなければ「契約に従う」と、以前に供給を停止したときと同じ言葉を使って説明した。ガスプロムはこれまでにウクライナの不払いにより、何度もガスの供給を停止している。
今年1月、ロシアとウクライナのガスをめぐる激しい対立により、ウクライナ経由の欧州向けガスの供給が、厳寒の中、2週間にわたって停止された。【12月26日 AFP】
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深刻な経済危機にあるウクライナは、今年1月に結んだロシアとの天然ガス輸出合意の中で約束した分量のガス購入ができなくなって違約金問題が浮上していましたが、先月19日、ロシアのプーチン、ウクライナのティモシェンコ両首相がヤルタで会談し、天然ガス輸出合意を一部修正することで同意しています。
“プーチン首相は共同会見で「従来の合意に融通を利かせることができる」と発言。ティモシェンコ首相も同国を経由するロシア産ガスを支障なく供給すると約束した。”【11月21日 毎日】と報じられていましたが、事態がまた悪化したのでしょうか。

ウクライナ経由の欧州向けガスの供給が再び停止するようなことがあれば、欧州におけるロシアの信用失墜、脱ロシア依存の動き加速など、ロシアにとってのマイナスは非常に大きなものがあります。

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ガザ侵攻から27日で1年  ハマスの思惑 アッバス議長の去就

2009-12-25 23:09:13 | 国際情勢

(ベツレヘムの教会で24日深夜から25日未明にかけ行われる恒例のクリスマスミサ(写真は去年のミサ)
“flickr”より By Directions to Orthodoxy
http://www.flickr.com/photos/directionstoorthodoxy/3141604212/)

【ハマスの「菓子折り」訪問】
今月27日で、イスラエルのガザ侵攻から1年が経過します。
3週間にわたる攻撃で、ガザ地区では1400人の死者が出たといわれています。
1月17日にイスラエルが一方的停戦を発表、ガザ地区を実効支配するハマスも翌18日は停戦を発表する形で戦闘は停戦状態となりましたが、停戦以降もガザ地区からイスラエル領内に撃ち込まれたロケット弾は280発、これに対する報復措置として、イスラエルからのガザへの攻撃は150回ほどあったとのことですので【12月20日 時事】、全く沈静化している訳ではなく、一触即発の緊張状態が続いていると言えます。

ただ、ハマスとしても、境界封鎖が長期化してガザ住民の生活が困窮する状態で、住民からの支持つなぎとめと武力衝突以外の打開策を模索しているようです。

****「菓子折り」で支持つなぎ止め=ガザ24万世帯を戸別訪問-ハマス*****
パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスが先月中旬から下旬にかけ、ガザの全住民150万人の大半が含まれる24万5000世帯に「菓子折り」を配って回ったことが、21日までにハマス関係者の話で分かった。ガザではイスラエルによる境界封鎖などで混乱が長期化しており、住民の支持離れを防ぐのが狙い。
ハマスは約2500人を動員。境界封鎖下のガザでは高級品とされるチョコレートなどの袋詰め(重さ1キロ)を、ハマスの紋章や時候のあいさつが印刷された上質の紙袋に入れ、一軒ずつ戸別訪問した。【12月21日 時事】
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ハマスは、停戦時も、自宅を失ったガザ住民に対して5200ドル(約46万円)を支給するなど、住民支持を得るための対応をとっています。
イスラム過激派武装勢力と言え、住民の支持がなくては、その力も維持できません。

密輸トンネルが生活物資を運び入れるための生命線になっているガザ地区では、ガザ市民からも「ハマスのロケット弾攻撃はイスラエルに(トンネルへの)空爆の口実を与えるだけ」と、武装勢力を批判する声も上がっています。
こうした不満を和らげるため、ハマスは11月21日には、ガザで活動するパレスチナ武装勢力が、イスラエルへのロケット弾や迫撃砲弾による攻撃を停止することに合意したと、ロケット弾攻撃の停止を発表しています。

生活困窮が続き、資材もなく復興も進まないガザ地区の状況は、「菓子折り」ですむような状態ではありませんが、ハマスの存在を改めて住民に確認させる手段とはなるでしょう。

【次期議長候補を含む捕虜交換交渉】
ハマスと対立するファタハ主導のパレスチナ自治政府アッバス議長が、アメリカのイスラエル寄り路線への転換を非難する形で議長選への不出馬を表明して、パレスチナ全体のかじ取りを今後どうするのかが懸念されています。
その次期議長候補に絡んで、イスラエルとハマスの捕虜交換交渉が注目されています。

****捕虜交換のジレンマ*****
イスラエルと、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスとの「捕虜交換」交渉の行方に注目が集まっている。ハマス側が釈放を要求している中に、自治政府次期議長として有力視されるマルワン・バルグーティ氏(50)も含まれており、もし釈放が実現すれば中東和平交渉の行く末をも左右しかねないためだ。
交渉はエジプトやドイツが仲介しているもので、イスラエル側は、約3年半前に誘拐された男性兵士の解放を要求し、ハマス側は、イスラエルで収監中のパレスチナ人数百人の釈放を求めている。11月下旬に「両者が捕虜交換で近く合意する」と報じられたが、その後、釈放人数などをめぐり交渉は再び難航している。

焦点のひとつが、バルグーティ氏の処遇だ。
パレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハで頭角を現したバルグーティ氏は96年、パレスチナ評議会選で当選。2000年の第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)で指導的な役割を果たし存在感を高めた。02年にイスラエルに逮捕され、終身刑を下された後も、獄中から携帯電話で自治政府の重要決定にかかわるなど、影響力は衰えていない。
ハマス側が対立組織の幹部であるバルグーティ氏の釈放を求めているのは、バルグーティ氏が、イスラエル側やハマス幹部ともパイプを持っているためだ。イスラエルによる経済封鎖で困窮する中、バルグーティ氏を通じて事態を打開したいとの狙いが、そこににじむ。ただ、釈放の人数で譲歩すれば住民の信頼を失う恐れもあり、交渉のハードルを下げられない状況だ。

イスラエルも、男性兵士の早期解放を求める世論に配慮する一方、兵士1人に対して多数のパレスチナ人を釈放することへの批判に目配りする必要がある。来年、予定される自治政府議長選でバルグーティ氏が勝てば、「マハムード・アッバス議長が進める(穏健な対イスラエル)外交手法にハマスが好む武装闘争を加味するのではとの不安がある」(11日のロイター通信)ことも、合意をためらう要因となっている。
自治政府も複雑だ。バルグーティ氏が表舞台に再登場すれば自治政府の求心力回復が期待できる半面、現指導部の影響力の低下は避けられない。ハマス、イスラエル、自治政府は、三者三様のジレンマを抱えながら、身動きがとれない状態が続く。【12月22日 産経】
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“獄中から携帯電話で自治政府の重要決定にかかわる”というのも、素人にはよくわからない世界です。
捕虜交換については、11月25日ブログで、“協議が大詰めを迎え、11月27日にも捕虜交換が実現する可能性がある”【11月23日 読売】との報道を紹介したところですが、上記産経記事にあるような状況で、なかなか進展していないようです。

【ペレス・イスラエル大統領、アッバス議長を慰留】
不出馬を表明したアッバス議長の本音はよくわかりませんが、中東和平に積極的なイスラエル・ペレス大統領は電話で「長く政界にいれば失望は人生の一部だ。辞めては何も得られない」とアッバス議長を励ましたそうです。
もっとも、イスラエルの政治の実権は大統領ではなく、和平に消極的な右派ネタニヤフ首相にあります。

****イスラエル大統領「交渉再開望む」 パレスチナ議長に****
ノーベル平和賞受賞者のペレス・イスラエル大統領は23日、昨年末のガザ攻撃から1年を前に朝日新聞と単独会見した。ペレス氏は、ガザ攻撃で止まったままの和平交渉について、パレスチナ自治政府のアッバス議長(大統領に相当)と電話で話し、交渉を早期に再開するよう希望を伝えたことを明らかにした。
オバマ米政権の掲げる中東和平の推進にとっても、穏健派のアッバス氏が不可欠だとの認識を示したものだ。

イスラエル政府がユダヤ人入植の完全凍結などパレスチナ側の要求を拒否するなか、アッバス氏は先月、次の議長選への不出馬を表明した。
これを受けてペレス氏はアッバス氏と電話で会談。「50年間パレスチナのために努力したが、もう疲れた」と失望を表したアッバス氏に、「長く政界にいれば失望は人生の一部だ。辞めては何も得られない。51年目に成果があるかも知れない」と励まし、交渉が「近く再開することを希望している」と伝えたという。
一方、約3週間で市民926人を含む約1400人が死亡した(ガザ人権団体調べ)ガザ攻撃については、ガザを支配するイスラム組織ハマスによる「イスラエルに対するロケット攻撃を止めるため唯一の手段だった」と強調し、軍事力行使を正当化した。【12月24日 朝日】
*************************

アッバス議長は、イエス・キリストの生誕地として知られるヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムの教会で24日深夜から25日未明にかけ行われた恒例のクリスマスミサに出席しました。
ミザに先立ち「われわれは決して後戻りしない」と述べ、改めてパレスチナ国家樹立への決意を示したと報じられています。【12月25日 時事】

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セルビア  EU加盟申請 進まぬボスニア紛争責任者の逮捕・引き渡し

2009-12-24 23:38:39 | 国際情勢

(07年の「スレブレニツァの虐殺」メモリアルセレモニーで、家族の死を悼む人々
“flickr”より By Adam Jones, Ph.D.
http://www.flickr.com/photos/adam_jones/3774058054/)

【「セルビアにとって歴史的な日だ」】
今年は、コソボ紛争に介入した北大西洋条約機構(NATO)軍が1999年に旧ユーゴスラビアを空爆してから10年目にあたりますが、空爆を受けたかつての敵対国、旧ユーゴスラビアの中核国セルビアが22日、EUに加盟申請を行いました。
しかし、ボスニア紛争の責任者の逮捕・引き渡しが相変わらず履行されておらず、今後の加盟交渉には時間を要すると見られています。

****セルビア:EU加盟を申請 大統領「目標だった」*****
旧ユーゴスラビアの主要構成国だったセルビアが22日、欧州連合(EU、加盟27カ国)への加盟を申請した。北大西洋条約機構(NATO)軍の旧ユーゴ空爆から10年を経て、セルビアはEU加盟を通じて欧州への統合を目指す意思を確認した。だが、欧州には紛争の苦い記憶が残っており、加盟交渉は時間がかかりそうだ。

セルビアのタディッチ大統領は22日、ストックホルムでEU議長国スウェーデンのラインフェルト首相に加盟申請書を手渡し、「セルビアにとって歴史的な日だ。戦争終結から10年間、EU加盟が目標であり続けた」と語った。ラインフェルト首相は「申請はセルビアだけでなく、(バルカン)地域にとって重要だ」と強調した。

セルビアとEUは昨年4月、加盟申請の前提となる「安定化・連合協定」を締結した。だが、ボスニア紛争のセルビア人勢力元最高司令官ムラディッチ被告の逮捕・引き渡しを求めるオランダの主張に配慮し、協定の批准・発効はセルビアが旧ユーゴ国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)に全面的に協力することが条件とされた。
EU域内に渡航するセルビア国民に対して今月19日から査証取得が免除されるなど関係の緊密化は進んでいるが、安定化・連合協定の批准開始は来年6月以降になる見通し。

タディッチ大統領はEU加盟申請後の記者会見で、ムラディッチ被告らの逮捕に全力を挙げる考えを示し、「加盟条件を数年以内に満たしたい」と述べた。
英BBC放送によると、セルビア国民の6~7割がEU加盟に賛成する一方、国内には依然、ムラディッチ被告を英雄視する傾向があり、逮捕・引き渡しには国民の過半数が反対しているという。【12月23日 毎日】
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【「スレブレニツァの虐殺」】
問題となっているセルビア人勢力元最高司令官ムラディッチ被告(67)は、1995年にスレブレニツァでイスラム教徒約8000人の虐殺(「スレブレニツァの虐殺」)を直接指揮したとされ、ジェノサイドなどの罪で国連の旧ユーゴ国際戦犯法廷(ICTY)に起訴されていますがが、14年間にわたり逃亡を続けています。

「スレブレニツァの虐殺」については、これまでも何回か取り上げたことがありますが、事件の概要は次のようなものです。
国連防護部隊(UNPROFOR)は95年7月、ボスニア・ヘルツェゴビナ北東部の街、スレブレニツァに「安全地帯」を設け、ムスリム(ボシュニャク人)をそこに避難させていました。
しかし、軽装備の国連部隊(オランダが担当)は武力で勝るセルビア人武装勢力に抵抗できず、ムスリム8000人をセルビア人側に引渡してしまいました。
引き渡されたムスリムはバスやトラックで連行され、山林などで虐殺されたそうです。

当時、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、宗教の異なるボシュニャク人(ムスリム人)、セルビア人、クロアチア人の3民族が互いに争っていました。
従って非人道的行為は、必ずしもセルビアだけが行ったものでもなく、ボシュニャク人やクロアチア人側にもそれなりの行為はあったと思われます。
ただ、だからと言ってセルビアの行為が免責されるわけでもなく、また、その8000人あまりにのぼる犠牲者の数でも特筆される事件です。

ムラディッチ被告はセルビア民族主義者にとっては今でも“英雄”であり、EU加盟を快く思わない軍部にも支持者が多いと言われています。
EU加盟を望むタディッチ大統領ですが、どこまで本気で、国内に支持者が多いムラディッチ被告拘束に動いているのかはわかりません。
「セルビア軍の協力者にかくまわれているため、拘束は容易ではないだろう」(英情報機関元幹部発言)【08年7月31日 産経】とも言われています。
今年6月には、ムラディッチ被告が昨冬、家族とともにリゾート地でスキーを楽しんでいるとみられるビデオ映像がTVで放映されたこともあります。(セルビア政府のICTY協力担当大臣は、映像は古いもので今年3月にすでにICTYに提出済みのものだと説明しています。)【6月12日 AFP】

セルビアの国内事情はともかく、こうした虐殺責任者が英雄としてかくまわれている状況では、EU加盟というのは、やはり筋が通らないように思えます。

【国際社会による紛争介入の難しさ】
「スレブレニツァの虐殺」が提起する問題は、セルビアの責任問題だけではありません。
8000人にも及ぶ人命を守れなかった国際社会の紛争への対応の仕方も問題になります。
セルビア側から言わせれば、ボシュニャク人は国際的な「安全地帯」を隠れ蓑にして、そこからセルビ人攻撃を行っているということにもなり、紛争介入の難しさも浮き彫りになります。

直接の当事者だったオランダはこの事件で深い傷を負うことになりましたが、オランダだけの責任ではありません。
ウィキペディアなどに事件の推移は詳しく書かれていますが、突発的に起きた事件ではなく、セルビア人勢力に包囲されたボシュニャク人(ムスリム人)から餓死者が出るような状況が長く続く中で起きた事件でした。
こうした事態になることが予見されたとも考えられます。
国際社会が彼らを見殺しにしたとも言える、また、準備もなく渦中に置かれたオランダ軍も被害者だったとも言える事件です。
国際社会が介入しながら、悲劇を防止できず見殺しにしてしまった事例としてはルワンダの虐殺もあります。

先のノーベル平和賞受賞演説で、オバマ大統領は「Just War(正しい戦争)」を力説しました。
イラクやアフガニスタンでの戦争が「Just War(正しい戦争)」にあたるかには大きな疑問もありますが、ルワンダやボスニアなどの紛争地における民族主義の狂気に対抗するためには、国際社会としての武力行使は必要に思われます。数少ない「Just War(正しい戦争)」としての武力行使ではないでしょうか。

【今も民族分断に苦しむボスニア・ヘルツェゴビナ】
「スレブレニツァの虐殺」を経験したボスニア・ヘルツェゴビナは、紛争が終結した今もなお、民族分断を克服できずに苦しんでいます。

****分断の学舎:内戦後のボスニアから/上 被害者は子供たち****
「ナイフ、針金、スレブレニツァ」。ボスニア・ヘルツェゴビナ西部の町ビテツ。9月中旬、中心部の公立小学校の教室の外壁に落書きが見つかった。95年、イスラム教徒がセルビア人勢力に殺された「スレブレニツァ虐殺」を挙げ、イスラム教徒を脅す内容だ。消しても数週間後にまた落書きされた。「一部の人の意識の底に差別がある」。イマモビッチ校長は嘆く。
2階建てと平屋の校舎が並ぶ。通うのはイスラム教徒とクロアチア人。一つの学校だが別々の教室で別々の授業を受ける。校長も2人。「一つ屋根の下の二つの学校」とも呼ばれる。

内戦(92~95年)で周辺をクロアチア人勢力が攻撃。イスラム教徒は少数派となった。クロアチア人の学校にイスラム教徒が同居し学ぶ試みだ。2階建て校舎の広い教室で学ぶクロアチア人とは対照的に、イスラム教徒は平屋の木板で仕切った狭い教室に机を敷き詰めて学ぶ。
内戦前に一つの教室で多民族が学んでいたボスニア。95年の和平合意後、ボスニアは二つの準国家に分かれ、準国家の一つ、ボスニア連邦はさらに10州に分けられた。民族・宗派対立を黙認する形で「地方分権」が進む。
「教育の統合は自民族の文化を消滅させる」としてセルビア人、クロアチア人、イスラム教徒で異なるカリキュラムが導入された。歴史や宗教などの科目は違いが大きい。地域でどれを選ぶかはどの勢力が優勢かで決まる。差別を恐れ、遠方の学校に通う例もある。一部では隣国クロアチアやセルビアから輸入された歴史教科書が使われている。
08年、教育の統一を目指し、中央政府内に教育局が設立された。しかし地方に口出しはできず「紙の上の存在」とされる。背景には「分断が解決策」と見なす民族政党がいる。
イマモビッチ校長は言う。「民族・宗教により学ぶ環境が違うのは理不尽。子供は分断の被害者だ」【12月14日 毎日】
*****************************

ボスニア・ヘルツェゴビナでは来年秋に総選挙が予定されていますが、根強い民族主義の対立で情勢は明るくないようです。
「民族間の緊張を高めようとする極端な民族主義者の発言が繰り返されている。状況は悪化するだろう」
「和解という言葉に関心さえ抱かない政治家もおり、多民族国家は一つになれないと公言する者もいる」(国際機関・上級代表事務所のラフィ・グレゴリアン副代表)【12月21日 毎日】

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「ルーマニア革命」から20年 それは2発の爆発音から始まった

2009-12-23 18:36:44 | 国際情勢

(1989年 チャウシェスク独裁政権崩壊を喜ぶルーマニア市民 “”より By Tudor Hulubei
http://www.flickr.com/photos/62313487@N00/3688200880/)

【市民の流血、未だ進まぬ真相解明】
ルーマニアは22日、かつての独裁者、故チャウシェスク元大統領による独裁政権が89年崩壊してから20周年を迎えました。
一連の東欧民主化の流れの最後にあたる政変は、ポーランド、ハンガリー、チェコの政変やベルリンの壁崩壊とは異なり、多くの市民の流血を伴い「ルーマニア革命」と呼ばれています。
そして、その犠牲者の多くがチャウシェスク独裁政権崩壊後に起こった市街戦で亡くなっていることから、その真相解明を求める声が今もなお続いています。

****「ルーマニア革命」から20年、犠牲市民を追悼*****
ルーマニアで21日、故ニコラエ・チャウシェスク大統領の独裁崩壊につながった市民による抗議運動から20周年となるのを機に、活動家らが市民犠牲者の追悼を呼び掛けた。
1989年12月21日から2日間、首都ブカレストで政権打倒を求めるデモ行進を行っていた市民に向けて、ルーマニア軍や秘密警察セクリタテアの部隊が発砲。市民48人が射殺され、数千人が負傷した。身柄を拘束され拷問を加えられた市民もいる。
市民による抗議運動は、この数日前に西部ティミショアラで始まった。このため、ティミショアラはルーマニア革命を象徴する都市となった。同市でも市民に弾圧が加えられ、約100人が死亡し、数百人が負傷している。
ルーマニアでは騒乱を通じて、計1104人の市民が死亡した。このうち942人が、チャウシェスク政権が崩壊した22日以後に犠牲となった人びとだ。
追悼呼び掛けの声明文は、こうした犠牲者を「ルーマニアの自由のために命を捧げた英雄」と呼び、「20年前、ルーマニア市民は押し寄せる全ての恐怖を乗り越え、共産政権を打倒するために立ち上がった」と、その勇気をたたえた。
こうした呼び掛けに応じて、ルーマニアの若者300人あまりが20年前に反政府運動の舞台となったブカレストの大学広場に集まり、犠牲となった市民の名が記された横断幕を掲げて、「自由万歳」「英雄をたたえよう」などと叫んで、犠牲者を追悼した。【12月22日 AFP】
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【一家社会主義】
チャウシェスク大統領は、他の東欧諸国とは一線を画し、社会主義圏の盟主ソ連と距離を置いた独自路線をとりました。
1968年の「プラハの春(チェコスロヴァキアの民主化運動)」を弾圧するため、ソ連軍を中核とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに侵攻した際、チャウシェスク大統領はソ連を非難して出兵せず、国軍をソ連国境に配置するとともに、ソ連軍の介入に備えて「労農祖国防衛隊」を結成しました。
チャウシェスク大統領は動員した大勢の市民の前で「ソ連軍のチェコスロヴァキア侵攻は、欧州の平和、世界の社会主義の運命に対する重大な錯誤かつ重大な危機であり、革命運動の歴史において恥じるべき瞬間である。兄弟である社会主義国の内政に対する軍事介入は、いかなるものでも正当化はできない。私はソ連軍の一兵たりとも、我が祖国ルーマニアの地を踏ませない。片足たりとも入れさせない」と演説しています。

しかし、文化大革命や北朝鮮の強い影響を受けたとも言われるチャウシェスク政権は、すべての分野の最高決定機関の議長をチャウシェスクがつとめ、妻のエレナも第一副首相として権勢をふるうなど、北朝鮮独裁政権と同様の一族による強権支配政権・夫婦独裁体制を確立し、「一国社会主義から一家社会主義へ」とも言われるようになりました。
【“ルーマニア革命は「市民蜂起に便乗した宮廷クーデター」だった” 惠谷 治
http://www.sukuukai.jp/shiryo/paper14/pdf/3-2.pdf#search='ルーマニア より】

【ティミショアラからブカレストへ】
革命の発端は、1989年12月16日 - ルーマニア西部の都市・ティミショアラで起こった民衆によるデモ・暴動に、治安警察が発砲、多数の死傷者が出たことでした。
この地域はマジャール人(ハンガリー人)が多く居住しており、ルーマニアの貧困とマジャール系住民に対する抑圧について国際社会に救援を求める発言をしていたハンガリー改革派教会の牧師ラースローを、治安当局が連行し強制移住させようとしたことへ住民が抗議してデモ・暴動が起こったものです。
チャウシェスク夫妻はこの暴動鎮圧に空砲を使用していた治安当局責任者を厳しく叱責し、暴徒を“殺す”ように命じました。

ルーマニアにとっては“周辺的なささいな事件”から起きた騒動は、数日後には首都ブカレストに飛び火します。
ティミショアラでの事件が国内に広まったため、国内に動揺が起きるのを封じ込めるべく、21日、チャウシェスク大統領は大動員した市民の前で演説を行いました。
そして、この演説の最中に起きた2発の爆発音が集会の雰囲気を一変させることになります。
爆発音については、若者が鳴らした爆竹だったとも、労働者風の男が爆弾を爆発させたとも言われており、はっきりしませんが、一時たじろいだチャウシェスク大統領が数分後には演説を再開していますので、爆弾ではなく爆竹の類ではないでしょうか。

しかし、この爆発音を境に、“広場では「ティー、ミー、ショーアラ」というリズミカルな合唱が自然に沸き起こり、やがては「チャウシェスク打倒」の叫び声となり、「目覚めよ、ルーマニア」という愛唱歌が広場に響きわたったという。”【前出 惠谷 治氏サイトより】
広場から出た人々は通りで再び集結し、更に大勢の市民がこれに合流し、街全体に市民があふれる事態へと展開し、「ルーマニア革命」が始ります。

群衆の徹底的な鎮圧を命じるチャウシェスク大統領よって治安当局の発砲、戦車による蹂躙がおきますが、市民鎮圧を拒否した国防相が死亡したことで、大統領によって殺害されたと判断した陸軍が市民側につくなど、市街戦の様相を呈します。

【「市民の犠牲を止めるには、夫妻の処刑しかないと決断した」】
その後の事態の詳細は省きますが、チャウシェスク夫妻の共産党本部ビルからのヘリでの脱出、文化人や軍当局者らが結成した「救国戦線評議会」による権力掌握、チャウシェスク夫妻の拘束に至ります。
しかし、大統領の親衛隊による秘密の地下道を使った市民への攻撃は続いており、親衛隊による空挺部隊と戦車を動員した大統領夫妻の奪還計画も伝えられる中で、「救国戦線評議会」は事態を鎮静化させるため、大統領夫妻を臨時軍事法廷にかけ、55分の超スピード審議で死刑と決定、即座に処刑します。

“処刑執行を担当する将校は、警備していた兵士のなかから5人を銃殺隊として選抜した。しかし、警備にあたっていた兵士たち全員が、処刑執行を望んでいた。執行監督官である将校が「銃殺隊、前へ」と叫び、「撃て」と命令した。すると、5人の銃殺隊だけではなく、警備兵全員の発射音が轟いた。チャウシェスク夫妻の遺体からは、100発以上の銃弾が見つかったという。”【前出 惠谷 治氏サイトより】

処刑されたチャウシェスク夫妻の遺体の映像は国内・世界に流されましたが、私も当時TVでこの映像を観て、独裁者の処刑という展開に強い衝撃を受けた記憶があります。

革命20周年にあたり、「救国戦線評議会」議長を務めたイリエスク元大統領(79)はブカレストで毎日新聞と会見し、「その瞬間も続いていた市民の犠牲を止めるには、夫妻の処刑しかないと決断した」「混乱に乗じてパニックを起こそうとする勢力もいた。公開裁判が望ましいことは分かっていたが、市民の生命を優先するため、一刻も早い決着が必要だった。その判断は間違っていない」と語っています。【12月19日 毎日】

「ルーマニア革命」の流れをたどると、ルーマニア全体からすれば周辺的な小さな事件にすぎなかった西部ティミショアラでの騒動、集会で響いた爆発音といった偶然と、腐敗する権力、独裁体制の圧政下にある国民の高まる不満という必然の織りなす歴史の流れを感じます。
歴史というのは常にそうしたものなのでしょう。

【未だ手にせぬ幸福】
“革命後もルーマニアは汚職や勢力争いなどで政情は常に混乱。2007年に欧州連合(EU)に加盟したが、同国の経済はEU内最低レベルで、労働者の手取り給与は月額約1400レイ(約4万3千円)程度にとどまる。
今年の世論調査では、国民の9割が国内で貧困が拡大していると回答。若い世代を中心に、国民の1割近い約200万人ともいわれる人々が国外に職を求める一方、高齢者からは最低限の生活が保障されたチャウシェスク時代を懐かしむ声も上がっている。”【12月22日 東奥日報】

1999年12月、革命10周年に当たって行なわれた世論調査によると6割を超えるルーマニア国民が「チャウシェスク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と答えたとか。【ウィキペディア】
頻発するストライキでは、「我々はとりあえず自由を手に入れた。次は幸福を手にする番だ」というスローガンも見られたそうですが、未だその幸福を多くの国民が実感していないようです。

今月6日に行われたルーマニア大統領選の決選投票は、中道右派与党・民主自由党が推す現職のバセスク大統領(58)が得票率50.37%で、中道左派野党・社会民主党のジョアナ党首(51)の49.62%をわずかに上回り、再選しました。
あまりの僅差で不測の事態も懸念されましたが、無効票の再集計を経て、選挙で不正があったと訴えていたジョアナ社会民主党党首は敗北を認めました。
しかし、バセスク氏を推す民主自由党は少数与党に転落しており、政局の混乱はしばらく続きそうだとも報じられています。


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「一国二制度」の形骸化進むマカオ  直接選挙実施目指す香港

2009-12-22 23:10:43 | 国際情勢

(中国からの客を集め、マカオのカジノの収入は06年に米ラスベガスを抜いて世界一となっています。
“flickr”より By moniquz
http://www.flickr.com/photos/moniquz/3569335113/)

【「一国二制度を堅持し、祖国と共に発展、進歩した」マカオ】
ポルトガルから中国に返還されて10年が経過したマカオですが、「一国二制度」とは言いつつも、中国の巨大な経済力に引き寄せられつつあり、政治的にも「一国二制度」の形骸化が進行しています。

****マカオ、中国返還10周年 旅行客の半数は大陸から****
中国の特別行政区のマカオが20日、ポルトガルからの返還10周年を迎えた。豪華なカジノが立ち並ぶ「東洋のラスベガス」の主役は今や、旅行客の半数を占める大陸からの中国人。返還10年の節目に中央政府主導で、広東省とマカオ・香港を結ぶ海上大橋の建設も始まった。大陸との関係は深まる一方だ。

20日にあった記念式典に出席した胡錦濤(フー・チンタオ)・国家主席は、「一国二制度を堅持し、祖国と共に発展、進歩した」などとこの10年をたたえた。記念にパンダを2頭贈ることも決定。前職の任期満了に伴う選挙で選ばれ、この日就任した崔世安(ツォイ・シーアン)・行政長官は「中央政府の支持のもとで前進を続けていく」と述べた。

マカオは香港と同様に自由な自治が認められる「一国二制度」のもとで、大陸では許可されないカジノ産業を発展させてきた。年間売り上げは、約1100億マカオ・パタカ(約1.2兆円)に達し、この5年で2.5倍に増えた。それを支えるのが大陸からの旅行客だ。
マカオ政府によると、中国人旅行客(香港は除く)は年間1千万人を超え、この10年で約7倍に急増。最近は一部の富裕層だけでなく、地方からの団体客も目立つ。
金融危機の影響で、2008年の第4四半期から域内総生産(GDP)が前年同期比マイナスに転じたが、今年第3四半期には8.2%増まで回復。中国経済が勢いを取り戻す中、カジノにも活気が戻って来ている。
広東省珠海との融合も進む。税関の職員によると、マカオとの往来は1日25万人。珠海に住み、通勤や通学などでマカオに通う人が増えた。
中央政府も一体化の流れを後押しする。景気対策の目玉の一つとして、総工費700億元(約9300億円)を超える世界最長の海上大橋(全長約50キロ)の建設に着手。完成予定の2015年には、香港、珠海、マカオの3都市が、車で約30分で結ばれる。【12月20日 朝日】
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演説で胡錦濤主席は、マカオ議会が2月、“国家分裂”などの反体制行為を厳格に取り締まる「国家保安法」を成立させたことを高く評価しました。 これにより中国共産党批判や民主化運動、台湾やチベットに関する発言などが封じ込まれることも予想されます。

また、「一国二制度」の下で「中央政府の法的権利を尊重し、マカオの問題に対するいかなる外部勢力の干渉にも断固反対せよ」と強調し、海外からの民主化要求を拒絶するよう求めました。
“同じ「一国二制度」下の香港では、民主派の反発で国家保安法が議会で廃案となるなど、政治的な“差”が生じている。このため、胡主席はマカオを“優等生”と持ち上げることで香港には圧力をかけ、欧米からの民主化要求も牽制(けんせい)した格好だ。”【12月21日 産経】

新しく行政長官に就任した崔世安長官は、中国政府の支持を受けており、マカオ政財界の有力者300人のみで行われた7月26日の選挙では、対立候補もなく、民主選挙の体をなさなかったとの指摘があります。
また、9月20日に投票されたマカオ立法会(議会)選では、定数12の直接選挙枠のうち民主派候補が議席を改選前の2から3に増やした。それでも間接選挙枠の10議席と行政長官指名枠の7議席が“親中派”で占められており、結局29議席中、“親中派”が26議席の圧倒的多数を占めています。

上記記事にあるカジノ経済などの中国との経済関係を背景とした中国寄りの政治状況から、式典を控え、香港民主派の立法会(議会)議員や関係者、民主派に近い香港紙記者の入境を相次ぎ拒否するなど、マカオ当局はあからさまな親中姿勢を示しています。

【過度の中国依存を避ける動きもあるものの・・・】
もっとも、マカオ旅遊局の文綺華副局長が、「週末客が中心のカジノ以外に、平日も入境者を増やす国際会議や展示会などの誘致、インドや日本など中国本土以外の観光客増と滞在日数の増加が次の10年の課題」と発言しているような、中国への過度の依存に陥らぬようにしたい旨の考えもあるようです。
経済局の蘇局長は「03年の新型肺炎(SARS)流行で観光業が打撃を被った際、マカオ経済は一極集中ではだめだという教訓を得た」と語っています。

ただ、“かつてマカオは外貨の持ち込みや持ち出しなどが比較的自由で、北朝鮮が不正な取引に利用していた。99年までは平壌と結ぶ高麗航空の定期便もあった。「今も中国が仲介して北朝鮮とマカオの水面下の関係が続いている」と話す金融関係者もいる。政治的にも経済的にも利用価値がある限り、中国はマカオの手綱を緩めそうにない。”【12月17日 産経】とも。

20日には、マカオ中心部で民主派団体主催のデモが行われ、香港と同様に、行政長官と立法会(議会)の全面直接選挙を目指すよう訴え、政府庁舎前まで行進しましたが、政治・経済における中国の圧倒的存在感の前ではいかにも影が薄いようにも思われます。

【民主化運動の退潮に歯止めをかけた香港】
一方、香港では、直接選挙に向けた取り組みが進んでいます。
****香港、2012年の選挙に向け政治改革案を発表****
香港は18日、2012年の選挙に向けた政治改革案を発表した。改革案は3カ月間一般の意見を聴取した後、議会の承認が必要。
これは、香港が2017年の直接選挙実施について中国が受け入れられるロードマップを作成する上で、重要な一歩と見られている。
同案を発表した唐英年(ヘンリー・タン)政務長官は、これは2017年に直接選挙を実現するための「重要な一歩」だと述べた。【11月18日 ロイター】
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08年9月7日に行われた香港の立法会(議会、定数60)選挙では、中国政府と距離を置く民主派は大物議員の相次ぐ引退による求心力の低下もあって苦戦が予想されていましたが、3議席減らしながらも23議席を獲得、親中派に有利な選挙制度改革案を否決できる3分の1超の21議席を上回りました。
全体60議席のうち、直接選挙枠は30議席で、民主派は改選前の19議席を守り、親中派に有利な職能代表枠30議席でも4議席を確保しました。
行政長官と立法会全議員の直接選挙導入に向けた制度改革案の採決で「拒否権」を行使できる3分の1超の議席(21議席以上)を民主派が維持するかどうかが焦点とされていましたが、民主化運動の退潮に歯止めをかけた形となりました。

【直接選挙実施への取組】
香港では長官選挙の投票権が各種業界や団体の代表800人で作る選挙委員会に限られ、立法会は定数60のうち半数が各種業界や団体の代表枠となっています。香港の憲法に当たる基本法は全面的な直接選挙の実施を明記していますが、時期に定めがありません。
民主派は直接選挙の12年実施を求めています。

香港の曽蔭権行政長官は07年12月の中国全国人民代表大会(全人代)において、直接選挙について、長官選では12年の実施が過半数意見。遅くとも17年選挙での実施が大多数の民意▽立法会選での実施は意見の隔たりが大きいが、実現に向けた「日程表」設定が解決の助けになる・・・と報告しています。

これを受けて、全国人民代表大会(全人代)常務委員会は、香港行政長官(任期5年)の直接選挙について、香港側が要請していた12年の実施は認めず、17年には可能とする決定を出しています。
中国が直接選挙の具体的な時期を示すのは初めてでしたが、12年の早期実施を求める香港の民主派は「先送り」に強く反発しています。
上記ロイター記事の政治改革案は、こうした17年の香港行政長官直接選挙へ向けた取り組みです。

【マカオとは異なる中国との距離感】
香港の場合、マカオと違い、民主派が一定に力を維持していることもあって、中国との関係でも追随一辺倒という訳ではないようです。
今年9月のウルムチでおきた香港記者殴打事件では、親中派要人も中国を批判しています。

****親中派要人も異例の批判=中国・新疆の香港記者殴打事件
中国新疆ウイグル自治区のウルムチでデモの取材をしていた香港のテレビ局記者らが人民武装警察の兵士に殴打された事件で、香港側の反発が強まっている。親中派の要人までが中国当局の対応を批判するという異例の事態だ。
ウルムチの武装警察は4日、香港のテレビ局TVBとNOWの記者・カメラマン計3人を一時拘束し、警棒で殴るなどの暴行を加えた。
TVBなどは「現場の記者らは記者証を持って正当な取材をしていた」と主張している。しかし、9日付の香港各紙によると、同自治区政府新聞弁公室の侯漢敏主任は8日の記者会見で「記者らは記者証を提示しなかった」「騒ぎを扇動した疑いもある」と決め付けた。
中国当局のこうした対応に香港の報道各社や民主派だけでなく、親中派も反発。9日の地元ラジオによれば、香港選出の全国人民代表大会(全人代)代表(国会議員に相当)グループは「武装警察の行為は粗暴だ」として、中央政府による調査を求める書簡を全人代の呉邦国常務委員長に送った。【9月9日 時事】
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マカオ、香港とくれば、次は台湾は・・・ということになりますが、今日も長くなってしまったので、また別の機会に。香港にしても、台湾にしても、圧倒的な中国の引力にどこまで抗することができるかは疑問もあります。

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イラン モンタゼリ師死去、イラク油田占拠、そして核開発問題

2009-12-21 22:07:47 | 国際情勢

(モンタゼリ師(中央)の死を悼む人々 “flickr”より By kamiar22
http://www.flickr.com/photos/pars2003/4201210752/)

【「独裁者よ、モンタゼリ師の意志は引き継がれる」】
イランのイスラム教シーア派最高権威の一人で、同国のイスラム革命体制の「非民主性」を批判していたホセイン・アリ・モンタゼリ師が19日夜、同国中部コムの自宅で死去しました。

“モンタゼリ師は、同国中部イスファハン近郊生まれ。イラン革命(1979年)の指導者ホメイニ師の側近として、親米パーレビ王政の打倒運動に参画。「イスラム法学者の統治」(ベラヤティ・ファギー)原理に基づいた革命体制の樹立に大きな役割を果たした。
86年、ホメイニ師の後継最高指導者に指名されたが、反体制派との交遊が問題視され、89年、同師により次期指導者の地位を奪われた。
その後、モンタゼリ師は、革命体制が「責任を負わない全能の指導者を作り出した」などと、独裁的側面を批判し、現最高指導者ハメネイ師と対立。宗教界の過度の政治介入も批判し、最高指導者制の廃止を唱えた。
このため、ハメネイ師率いる保守派の怒りを買い、1997年~2003年に、事実上の自宅軟禁状態に置かれた。【12月20日 読売】”

改革派系の高位イスラム法学者で最長老のモンタゼリ師の死去により、宗教界での改革派の発言力が低下する可能性も指摘されていますが、葬儀に集まる死を悼む人々の間での反政府的“混乱”も懸念されていました。
イラン政府は各地に多数の治安部隊を派遣して厳重な警備体制を敷き、地方から葬儀に参加する市民のバスを追い返したり、国内メディアに報道を控えるように指示した模様です。【12月21日 毎日より】

****モンタゼリ師葬儀に数十万人=改革派が体制批判、警官隊と衝突-イラン****
19日に死去したイラン穏健派の高位聖職者フセイン・アリ・モンタゼリ師の葬儀が21日、同師の自宅がある首都テヘラン南方の聖地コムで営まれた。同師は保守強硬派の現イスラム革命体制に批判的な論陣を張り、6月の大統領選で敗れたムサビ元首相ら改革派の精神的支柱だった。改革派ウェブサイトによると、数十万人が葬儀に参列して反体制スローガンを連呼した。
当局は外国メディアの現地取材を規制し、多数の警官隊を動員した。改革派サイトによれば、葬儀参列者は「独裁者よ、モンタゼリ師の意志は引き継がれる」などと連呼し、最高指導者ハメネイ師や保守強硬派アハマディネジャド大統領の独裁色を糾弾した。葬儀終了後には投石する群衆と警官隊が衝突したとの情報もある。【12月21日 時事】
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【懸念されるアシュラの混乱】
葬儀の方は、治安当局が厳戒態勢で封じ込んだようですが、死後7日目の27日はアシュラにあたるそうです。
アシュラは、預言者ムハンマドの孫にあたる第3代イマームのフセイン師の殉教を哀悼するシーア派最大の宗教行事です。
フセイン師は680年、スンニ派のカリフYazidの手により非業の死を遂げたとされています。
聖地カルバラには、昨年は約200万人の巡礼者が集結しました。
また行事のクライマックスを飾る「血まみれ」の行進にも巡礼者数千人が参加しています。

“10日間にわたって行われるこの行事は、「tatbir」の儀式でクライマックスを飾る。しかしこの日はそれまでとは異なり、参加者は黒色の衣服ではなく「犠牲」を象徴する白色の衣服を身にまとう。そして太鼓の音色に乗って踊り、額を大きな刀に打ち付けるのである。儀式の最中、参加者は頭皮を刀やナイフで切りつけるため、血まみれとなる。【08年1月20日 AFP】”

宗教的高揚でトランス状態になって行われる「血まみれ」の行進ですが、今年は治安当局と反政府デモの衝突によって「血まみれ」なる事態も懸念されます。

【ファッカ油田占拠】
イラン関係で、もうひとつ緊張が高まっているのが、イランとイラクの国境に近いイラク南東部のファッカ油田の4号井を、18日、兵士十数人と技術者からなるイランの部隊が占拠した事件。
イラン軍司令部は19日、占拠の事実を認めましたが、あくまでこの油井はイラン領内にあると主張しています。
一方、米軍によると、この油井はイランの国境警備施設から約500メートル、イラクの国境警備施設から約1キロの位置にあって、この油井がイラク領内にあることは両国間で合意済みだったとのことです。【12月20日 AFPより】

イラク側は侵入したイラン軍を攻撃するなど軍事的な対応はとっておらず、外交的手段での解決を目指しており、イラン側も占拠した油井から一応撤退したようですので、今のところ大事には至っていません。
ただイラン軍はまだイラク領内にとどまっているようです。

****イラク:油井からイラン軍後退 領内に残留****
イラク南部マイサン県のイラン国境付近にあるファッカ油田の一部を占拠したイラン軍部隊は、支配下に置いた油井から後退したがイラク領内にとどまっていると、イラク政府報道官が20日明らかにした。現地にはイラク軍部隊が派遣され、情勢を監視している。両国政府は事態を外交的に解決する方針で国境画定の協議を行う意向だが、イラク政府はイランの行動は「主権侵害」だとして即時撤退を強く要求している。同報道官によると、イラン部隊は占拠した第4油井から約50メートル後退し、掲げていたイラン国旗も降ろしたが、イラク領内に残留している。【12月20日 毎日】
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イラクは先日、油田開発の国際入札を行いましたが、戦乱により低迷していた原油の大幅増産を目指すイラクが外国資本に油田開発を開放する動きに、イランは神経をとがらせているとみられることが事件の背景にあるとも言われています。
核開発問題で欧米との対立が厳しくなっているなか、アフマディネジャド大統領も忙しいことです。威嚇行動のひとつでしょうか。

【核開発問題をめぐる思惑 アメリカ、イスラエル、ロシア】
核開発問題の交渉では、国内保守派の突き上げで心ならずも暗礁に乗り上げてしまった感もあるアフマディネジャド大統領ですが、ガソリン禁輸などの経済制裁による市民生活の混乱は政権基盤を揺るがすことにもなり、望んでいないところでしょう。

一方、アメリカ議会はガソリン輸出制裁をちらつかせています。
****米国:ガソリン輸出制裁を可決 対イランで下院*****
米下院は15日、核問題で対立するイランにガソリンなど石油精製品を輸出した外国企業を経済制裁の対象とする法案を、412対12の賛成多数で可決した。上院での審議は年明けとみられ、当面はイランに、独自制裁の選択肢があることを警告する位置付けとなりそうだ。
国務省高官は同日、記者団に対し、上下両院の法案に「好ましくない点がある」と指摘。イランとの対話外交を掲げ国際協調路線を進めるオバマ政権として、現時点でのガソリン輸出制裁に慎重な姿勢を示した。
AP通信によると、スタインバーグ国務副長官は今月、上院外交委員会に送った書簡で、制裁法案について「(イランに対する)国際的な結束を弱める」と訴えた。イランは産油国だが精製能力が不足しており、ガソリンの4割を輸入に依存している。【12月16日 毎日】
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交渉による解決をあきらめていないオバマ政権ですが、おそらく交渉が完全に決裂するのを望んでいるのが、イラン核施設を爆撃したがっているイスラエルではないでしょうか。
そのイラン核施設爆撃の妨げになる可能性があるのが、イランがロシアから提供を受ける話となっていた対空ミサイルS300です。

しかし、これまでイランの後ろ盾となってきた友好国ロシアが、イスラエルから無人偵察機を大量購入する交渉が進行中と伝えられています。
“ロシアはイスラエルからミサイル搭載可能な最新鋭の無人偵察機を入手し、周辺国に対する軍事的優位を確保するとともに、機体を分析して国産機の技術向上にも役立てる狙いだ。 一方のイスラエルには、無人偵察機を供与する見返りに、ロシアがイランに対して対空ミサイルS300を売却しないという“確約”を得る狙いがある。”【12月16日 産経】とのことで、“無人偵察機の製造技術の流出をも覚悟したイスラエルの対露戦略について、欧米の専門家はUPI通信に、ロシアに対する「事実上のわいろだ」と述べた。”とも。

イラン側は、イスラエルを射程に収めるといわれる中距離地対地ミサイル「セッジール2」の改良型の発射実験に成功したと16日発表しました。
“軍事攻撃を受けた場合の報復能力を誇示した形だ。国際社会への挑発と受け止められ、米欧からの反発は必至だ。”【12月16日 朝日】と報じられています。

反政府運動、イラクとの緊張、核開発問題・・・トラブルの種は尽きないようです。

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