孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アンゴラ  「地雷被害者」の美人コンテスト 内戦の傷跡 後を絶たない暴力

2008-03-28 15:19:04 | 世相
昨日、アンゴラに関するこんな記事を目にしました。
****アンゴラで「地雷被害者」の美人コンテスト開催へ******
アンゴラで4月に、地雷で身体の一部を失った女性たちの美人コンテスト、その名も「ミス・地雷サバイバー(Miss Landmine Survivor)」が開催される。
開催の目的を「(被害者に)自尊心を持ってもらい、各人に(自分が受けた傷の)大使になってもらうため」としている。全国から18歳から35歳までの18人が出場する予定だ。
アンゴラでは6年前に27年間続いた内戦が終結したが、地雷数百万個が今なお各地に埋まっているとされている。大々的な撤去作業が行われているものの、地雷の被害にあったというニュースはあとを絶たない。【3月27日 AFP】
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この種の催しは今回が初めてではなく、冒頭の写真もそうですが、地元では人気があるそうです。
もっとも、写真投稿者によるとノルウェーからの企画への批判があったそうです。
個人的には、障害がある方が堂々と人前にその姿を出せる機会というのはよいことではないかと思っています。
その姿を正視する健常者も感じるところが多いのでは。

そのアンゴラ(地図の緑部分)ですが、記事にもあるように1975年から2002年まで、中断をはさみながらしつこく紛争が続きました。
それに先立ち、61年からポルトガルからの独立戦争を戦っていましたので、そこまで含めると40年以上の長い戦いでした。



75年、ポルトガルの独裁体制が軍事クーデターで倒された無血“カーネーション革命”によってアンゴラも独立しますが、その後、三派で支配権を争う内戦に突入します。
一方をソ連・キューバが支援すれば、別グループをアメリカが支援、中国もソ連に対抗して別グループを・・・と典型的な東西冷戦下の代理戦争の様相を呈しました。
冷戦の緊張がゆるんだ後も、今度は片方が石油資源を、もう片方はダイヤモンドを資金源とした資源戦争として戦闘が続きました。
当然のように近隣のザイール、南アフリカなども介入します。

アンゴラ内戦は、激しく双方が対戦するのではなく、少しづつでも長期的に相手にダメージを加える、Low Intensity Conflictと呼ばれているそうです。
この間の内戦による死者は100万人とも、360万人【ウィキペディア】とも言われています。
難民も、ザイール、ザンビア、コンゴ、ナミビアなど国外難民を含め膨大な数になります。

なお、犠牲者についてはいろんな数字があります。
例えば“93年から94年の1年間には「史上最悪の戦争」と呼ばれる激戦が繰り広げられ国内の死者数は150万人、1日換算で1000人の死者を生み出した。”【special warfare net】といったものもあります。

いずれにしても、権力に固執した人間たちの引きおこした惨禍で、無数の住民が筆舌に尽くし難い苦しみを味わったことには変わりありません。
国内には1200万個もの地雷が埋設され、多くの人が被害に遭っています。
大量に埋設された地雷による被害、または、市民への兵士による無差別襲撃と虐殺・誘拐などの人権侵害は大きく傷跡を残しています。

地雷の関係では、もう二、三十年前でしょうか、当時アンゴラに介入していたキューバには地雷で足を失った人が大勢いることを見聞きした記憶があります。
当時の素直な感想としては「キューバもなんでまた、アフリカまで出張ってそんなことをやっているのだろうか・・・」といったものでした。
社会主義の理念もあるでしょうし、ソ連に強制された事情もあるのかも・・・

アンゴラには35万人余りのキューバ人が参戦し、60年代初頭から91年にアンゴラから完全撤退するまでに2077人のキューバ人が死亡したそうです。
軍隊だけでなく、保健医療、教育、建設などに5万人以上の文民も参加しました。
この戦いで私服を肥やした者も当然いますが、キューバにも多くの未だ癒えぬ傷を残しています。
【2005年12月8日 IPS】

02年に内戦が終結して平和が訪れたのかと言うと、必ずしもそう言い切れない惨劇が続いているようです。

******アンゴラ:コンゴ人移民への性的暴力*****
豊富な資源を持つアンゴラのダイヤモンド鉱山で働くため、隣国のコンゴ民主共和国から毎年数万人に上る移民がアンゴラに入っている。2003年以降、アンゴラ軍はこれらの不法コンゴ人労働者を強制退去させており、2007年だけでも推定4万4000人が追放されたとみられる。
深刻なのは、追放の際にアンゴラ軍がレイプや暴行を組織的に繰り返しているという事実である。コンゴ人労働者は刑務所に監禁され、繰り返し性的暴行や虐待を受けた後、国境沿いまで運ばれ自国へと追放されている。
この事態を受けて、国境なき医師団(MSF)はアンゴラとの国境に近いコンゴ民主共和国の西カサイ州に診療所を設置し、性的暴行を受けた女性に医療と心理ケアを提供している。【1月18日 朝日】
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MSFは100人の女性からの証言を集めています。
そのなかから。
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[1]「軍がやって来て私を捕まえ、刑務所に入れられました。警官は私を殴打し、レイプしました。女性器の中に手を入れられて、ダイヤモンドを隠し持っていないか調べられました。警官が手を引き抜いた時には、出血していました。あまりにも悲しくて、いっそ死んでしまいたいと思いました。」
4人の子どもを持つ34才の女性。20年間アンゴラで暮らしていたが、2007年10月に追放された。

[2]「兵士たちは所持品を置いて退去するように命じた後、私たちを捕らえました。男、女、子ども、合わせて1000人以上いました。兵士の1人が私に皆の前で地面に横になるように命令し、私をレイプしました。レイプされた後、棒切れや縄で叩かれました。全員の女性が私と同じ扱いを受けたと証言できます。」
23才の既婚女性。1年半アンゴラで暮らし、2007年7月に追放された。
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もちろん、アンゴラが、あるいはアフリカが、こうした悲惨な側面ばかりではないのは言うまでもないでしょう。
理性が通じる社会、人情が感じられる社会も普通にあるのでしょう。
ただ、こういうことを聞くと、「アンゴラというところは・・・」「アフリカは、やっぱり私たちの価値観とは全く違う弱肉強食の世界なのだろうか・・・」「このようなところで“人権”とか“民主主義”なんて価値観は無意味なのだろうか・・・」そういったネガティブな呪縛を振りほどくのは非常に困難に感じるのも事実です。


コメント
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