孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

カンボジア旅行中

2007-12-29 14:19:39 | 身辺雑記・その他

(さりげなく象がいる街、プノンペン “flickr”より By hanz2use)


年末・年始はカンボシアのプノンペンに行ってきます。
アンコールワットには5年前の正月に行きましたので、今回は首都プノンペンでブラブラする予定です。

奄美大島在住のため、海外旅行の際は国内の移動に時間と費用がかかるのが悩みの種です。
飛行機のチケット代金でみると、日本からカンボジアまでの費用より、島から鹿児島経由で大阪を往復する費用のほうが高くつきます。
仕方のないこととは言え、どうも釈然としません。
時間的にも貴重な休日の2日ほどが国内移動で消えてしまいます。
涙が出ます。

ビザの取得ひとつとっても、大使館のない地方にいると、業者に頼まなければならなかったりして結構な費用がかかったりします。
今回初めてインターネットでビザ申請する“e-Visa”なるものを利用してみました。
申請するとその日のうちに返事がきて、手続き完了です。
クレジットカード支払いで、ビザは送られた添付ファイルをプリントして使用します。
あまり簡単で「本当に使えるのだろうか?」と不安なぐらいです。
費用的にも、大使館への郵送申請よりはるかに安く、空港で取得するアライバルビザとそんなにかわりません。
随分便利な仕組みです。

カンボジアでは旧ポル・ポト政権幹部を裁くカンボジア特別法廷が動き出していますが、博物館になっているトゥール・スレン収容所やキリング・フィールドなどにも行ってみたいと思っています。
(プノンペンは、そんなに観光スポットもないところですので)

ブログ再開は年明けの7日か8日頃を予定しています。
それでは、皆様も良いお年を。

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ナイジェリア  石油パイプライン盗掘で大事故 悲しい貧困

2007-12-28 22:03:29 | 世相

(2007年World Press Photo Contestで受賞した有名な写真
ロイターカメラマンAkintunde Akinleyes撮影、
ナイジェリア首都ラゴスで2006年12月26日起こったパイプライン爆発事故、顔からすすをぬぐう男性。 
“flickr”より dicciomixteco)

アフリカの軍事大国ナイジェリアは世界有数の産油国ですが、紛争や部族対立などのニュースが絶えません。
40年前には200万人の餓死者を出すビアフラの惨劇があり、現在も反政府勢力が日常茶飯事のように外国人誘拐を繰り返し、ときに石油施設への攻撃を行っています。
多くの組織が入り乱れて、金銭目的の誘拐も多いようです。
このあたりの事情は7月7日の「原油価格とナイジェリア “ビアフラの悲劇”の記憶」
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070707)でも取り上げました。

上記ブログから一部再録します。
油田があるナイジェリア南部はニジェール川河口の“ニジェール・デルタ”と呼ばれる地域。
250以上の言語を話す40以上の民族が住むと言われています。
ナイジェリアの政治的実権は北部出身者で占められていること、年間数百億ドルもの石油利益があるにも関わらず南部地域住民の3分の2は1日1ドルの貧困線以下の暮らしを余儀なくさせられていること、石油開発で環境破壊が進行していることなどから、このニジェール・デルタでは激しい反政府活動が続いています。

先日、そんなナイジェリアの石油パイプライン事故のニュースがありました。

*****ナイジェリアの石油パイプラインで火災、少なくとも45人が死亡******
首都ラゴス近郊の石油パイプラインで25日、住民が地中のパイプラインから原油を盗み取ろうとしている最中に引火して火災が発生し、少なくとも45人が死亡した。
 ナイジェリアでは国民の9割が1日2ドル以下で生活しているため、大きな危険を冒して原油を盗もうとする者が多く、こうした事故がしばしば発生している。
 昨年の12月26日には、別の地域でパイプラインが爆発し、250人以上が死亡した。【12月27日 ロイター】
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最初見出しを見たとき、反政府勢力の妨害活動かと思いました。
実際今年の5月には、ニジェールデルタ解放運動(MEND)が3つの主要石油パイプラインを破壊する事件もありました。

しかし、今回は石油盗掘から生じた事故です。
ナイジェリアで産出される原油の5%は窃盗団などの組織によって盗まれているともいわれます。【06年12月27日 ウィキニュース】
そして、そこには大勢の住民がおこぼれにあずかろうと群がります。
そして何らかのきっかけで石油に引火、爆発、火災、大勢の犠牲者・・・そんな事故があとをたちません。

今回の記事でも触れているように、昨年の同時期にも同様の大惨事がありました。
昨年12月の事故では、25日夜窃盗団がパイプラインの一部に穴を開けて5台のタンクローリーで15万リットルの石油を満載して逃亡。
その後、多数の人々が残った石油を盗んでいました。
そして早朝ごろに大規模な爆発が起こりました。
付近の住宅に燃え広がったため、寝ていた住民の多くも死亡しました。
引火原因については、窃盗団の1人がマッチで故意に火をつけたとの説もあったようです。


昨年5月にもやはり200人規模の犠牲者を出す同様の事故がありました。
過去10年間に同様の事故によって2,000人が死亡していると言われています。
ですから、住民も石油盗掘がいかに危険かは十分に承知していると思いますが、それでもその石油に石油缶を手にして群がる人々・・・缶1杯の石油に命を懸ける・・・貧困のなせるわざです。

遺体の幾つかは人だとわからないほど黒こげになります。
昨年12月の事故ときの地元男性のコメント「たかだか数千ナイラのためにこんな死に方をするなんて! 家族にだって遺体の区別なんか付かないだろう」【06年12月27日 AFP】

石油は膨大な富を生む魔法の水です。
しかし、ナイジェリアの不幸はむしろこの魔法の水でもたらされているようにも思えます。
富の独占、広範な貧困、油田地帯を巡る民族紛争・・・。
みんなが“石油さえ手にすれば・・・”と争います。

石油を梃子にロシア経済を立て直し、なんだかんだ言っても国民の支持を集めているプーチン大統領などは、その意味では非常にうまくやったのかもしれません。

それにしても、缶1杯の石油に命を懸ける貧困を思うと、悲しいとしかいいようがありません。


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イラク   難民の帰還増加、その背景・実情は?

2007-12-27 22:27:58 | 国際情勢

(子供を抱きしめ溝に身を潜めて砲火を避ける女性 2003年4月、開戦当時のイラク Photo by: David Leeson/The Dallas Morning News 今は当時より暮らしやすくなったのか?“flickr”より By p_ryan9190)

一時期に比べて治安改善が伝えられるイラクではシリアなど国外に避難していた難民の帰還が増えていると報じられています。
*****イラク死者、減少続く 米軍・市民も 難民の帰還増加******
米民間団体の調べでは、イラク駐留米軍の11月の死者数は37人と、2006年3月(31人)以来最低となった。また、AP通信のまとめによると、11月のイラク市民の死者数は少なくとも711人と、2155人が死亡した5月に比べると、大幅に減少した。
イラク、シリアの両政府当局者は、10月に4万6000人以上の難民がイラクに戻ったと語る。11月も帰還は続いており、1日平均600人以上がシリアを出国した。【12月1日 産経】
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イラク政府は難民の帰還を奨励するため、1家族あたり約750ドル(約8万3000円)を支給しています。
国外難民の帰還は“治安改善”を受けての動きということですが、一方で、国内難民が急増しているという記事もあります。

******国内避難民急増、240万人 続く人権侵害、隣国からも拒まれ****
イラク国内で避難民数が大幅に増加している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の推計によると、今年1月の約170万人から、今月には240万人前後に増加。約45万人から約219万人へと4倍以上に増えたとする調査(1~10月、イラクの赤十字にあたる赤新月社調べ)もある。米政府は軍増派作戦によるイラク国内の治安改善をアピールしているが、UNHCRは「市民の犠牲者は減少しても、深刻な人権侵害や宗派間の暴力は中部と南部で依然高いレベルにある」として、国際的な保護の必要性を訴えている。
 隣国のシリアやヨルダンが難民の流入規制を強めていることもあり、治安が良く経済成長が続く北部クルド地域を目指し避難する動きもある。
 クルド地域周辺では大量の避難民流入が家賃の高騰を招き、借家から出て、テント生活を余儀なくされるケースもある。クルド地域では夏には気温が40度にも達するが、冬には雪が降り、「東京より寒い」。【12月26日 毎日】
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“治安改善”が広く伝えられるになったのはここ数ヶ月のことですので、上記の国難難民の急増を示す統計とはタイムラグがあるのかも。
今も“急増”しているかどうかはともかく、200万人を超えるような膨大な国内難民が存在していること、その生活が困難を極めていることは確かです。

8月時点でのUNHCR調査では、イラク難民は推定420万人とされていました。
04年のイラク人口が約2500万人ですから、全人口の6分の1が難民になった計算です。
この約半分が国内、残り200万人超が国外で、シリアが140万人以上、ヨルダンが50万人から75万人でした。
(難民の数は正確に把握できていませんので、各種発表で差があります。シリアだけで150万~200万人とする報告もあります。)

この膨大な難民を受け入れる国の負担も並大抵のもではありません。
食糧品など生活必需品や不動産価格の上昇を引き起こし、国民の生活を圧迫しています。
学校や病院の受け入れ態勢も追いつきません。
今年2月には「イラク人の流入によって食料品の価格が三倍、家賃が六倍に急騰、イラク人児童の急増で一部の学校の一教室当たりの児童数が60人に達するなどのしわ寄せが出ており、“事態は危機的状況”」と報じるシリアの地元紙もありました。
そのような状況で、難民に対する視線も厳しくなります。

ヨルダンは昨年末頃からイラクからの国境通過を厳しく制限し始めました。
国境までたどり着いても入国が許可されずに追い返されるイラク人が数万人も出ていました。
シリアやヨルダンへ入国しても生活苦には変わりありません。
現地では満足な仕事もなく生活にも困りますが、さりとて故国にも帰れず、第三国への出国も困難な状況で立ち往生することになります。
イラクに限らず日本は殆ど難民受け入れをやっていませんので、よその国をとやかく言う立場にありませんが、当事国アメリカもイラク難民受け入れには消極的です。

昨年10月以降、アメリカへの入国許可が下りたイラク避難民の数は今年8月時点で133人にだけです。
(アメリカのイラク難民については900人ほどという数字もあります。ただ、いずれにしても公表された目標7000人や2000人を大きく下回る数字です。)
この問題について、マコーミック米国務省報道官は、“厳格な治安対策の実施によるもの”と説明しています。【8月29日 AFP】
「テロ支援国家」指定を受けているシリアが、アメリカ側の面接担当者の入国ビザ発給をしないため手続きがますます遅れるという事情もあるようです。
シリアとアメリカの国家対立によって難民の苦難が更に増しています。

シリアのダマスカス郊外にあるUNHCRの難民登録センターには長い列ができています。
受け付けられても、面接までたどり着くには平均で半年待ち。
難民登録までにビザが切れると不法滞在になり、逮捕される危険にさらされます。
労働許可もおりませんから生活の糧を得ることもできません。
イラクから持ち込んだ貯金を取り崩している人が大半だそうです。それが尽きたときは・・・。

このような混乱状態のなかで、シリアも今年10月から国境を閉鎖し、イラク人の入国ビザ発給を制限しています。
シリアのビラール情報相は「イラク難民受け入れで年間10億ドルもの負担をシリアは強いられている。軍事力でイラクを占領しながら、その結果追い出された人たちには何ら支援をしない米国へのメッセージだ」と語っています。【10月14日 朝日】

イラクへの難民帰還が最近増えたのは、アメリカが言うような“イラクの治安改善”の効果ではなく、このような過酷な難民生活に耐えかねてもどっているだけだ・・・という考えもあるようです。
シリアのUNHCRは「多くのイラク人難民には、祖国に帰る以外に選択肢がないのだ」と述べているそうです。
報告書によると、帰還者の多くは資金が底をついたりビザ切れのためにイラクに戻っており、イラクの治安状況が改善されたと考えたので帰還したという難民は15%以下にすぎないそうです。

難民生活が続けられない状況にあるから帰還するのか、イラクの治安が改善したから帰還するのか・・・なんとも判断はつきかねますが、恐らく両方あいまっての結果でしょう。
難民生活がうまくいっていれば、まだ危険が残るイラクには敢えて帰らないでしょうし、イラクでの生活が生命の保証を全くしない状況なら難民生活がどんなにつらくても帰還しないでしょう。

そもそも“治安の改善”というのも、イラクからみんな出ていったから被害者が減っただけではないか・・・という意見もあるようです。

そのあたりはともかく、先ずは冬を向かえる難民の生活を確保することが急務です。
各国がその気になれば、国際機関を通じた国際的資金援助で一定に改善できる部分だと思います。


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ネパール  ホテルオーナー、日本国籍を捨てて制憲議会に挑む

2007-12-26 14:11:22 | 世相

(窓越しにエベレストを眺める「ホテル・エベレスト・ビュー」 “flickr”より By ashbydelajason )

ネパールでは王制廃止・制憲議会選挙を巡って、マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)と暫定政府の間で綱引きが続いていましたが、ようやく一定の決着がついたようです。
(ネパール王制の問題、マオイストについては9月17日「ネパール 王室の存続、マオイスト、そしてテライの反乱」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070907でも取り上げています。)
今月23日、マオイストが求める選挙制度を導入する代わりに、暫定政府の主張をいれて共和制への即時移行は見送られました。
来年の憲法制定議会選挙を経て「連邦民主共和国」に生まれ変わることになります。

ネパールでは、昨年4月の民主化要求運動でギャネンドラ国王が主権を国民に返還。
マオイストが武装解除に応じて入閣し、制憲議会選挙も11月実施で決まっていました。
しかし、選挙制度や共和制への移行時期をめぐりマオイストと暫定政府が対立。
9月には暫定政府からマオイストが離脱し、双方の間で妥協を探る交渉が続いていました。

今回の合意で、制憲議会選挙に関しては、マオイスト側の要求をいれて議席数の54%を比例代表枠にあてることになりました。
政党組織や特定の地盤を持たないマオイストは、既成政党に有利な小選挙区制を嫌い、広く浅く票を積み重ねることができる比例代表枠の拡大を主張していました。

一方、王制に関しては、国民の半数近くは王室廃止による共和制よりも日本のように王室を残す立憲君主制を望んでいるとも言われています。
マオイスト側は共和制への即時移行を主張していましたが、「政治制度は国民が選挙で決めるべきだ」と選挙後の王制廃止にこだわった暫定政府が、選挙制度で譲歩する代わりに共和制移行の時期で主張を貫いたとかたちになりました。【12月25日 毎日】
(制憲議会の構成・議論次第で、王制廃止が白紙に戻される余地が全くないのかどうか、報道からは今回の合意の意味がいまひとつよくわかりません。)

なお、今年4月の暫定政府発足時の暫定議会の議席数及び閣僚数は、ネパール会議派 132議席(首相を含む閣僚数10)、ネパール統一共産党 83議席(閣僚数5)、マオイスト派 84議席(閣僚数5)、その他の党派 29議席(閣僚数2)でした。

制憲議会選挙は来年4月中旬実施で合意したと伝えられています。(これまで2回延期されていますが。)
その選挙に“元”日本人が新たな政党をつくり参加するそうです。
長野県出身の宮原巍氏です。
ネパール在住42年。日本の国籍を捨てて、新しい政党「ネパール国家発展党」を設立。
党首として現地の若者を中心に60人を立候補させる選挙戦の陣頭に立つそうです。

ヒマラヤ登山や南極観測隊でもご活躍の宮原巍氏ですが、始めて聞くお名前です。
しかし、世界で一番標高の高い場所(3,880m)に建つホテルとして話題になった「ホテル・エベレスト・ビュー」のオーナーで、「ヒマラヤ観光開発」を経営する方と言えば、思い当たる方もおられるのでは。

「ホテル・エベレスト・ビュー」、普段旅行では安宿しか使わない私ですが、一度は泊まってみたいと思うホテルです。
全室、部屋からエベレストの雄姿が望められるそうです。
ヒマラヤの風に吹かれて、ベランダでエベレストを眺めながら紅茶でも・・・。

ただ、場所が場所ですので予約なしでふらりとたずねて・・・という訳にはいきません。
「ヒマラヤ観光開発」の企画しているツアーを利用するのが実際的なようですが、ヘリコプターを利用して一気にホテル近くまで上がる9泊コースで、普段が40万円ぐらい、正月などだと50万円ぐらいという感じのようです。
ヘリを使わず自分で歩いて上るコースだともう少し安くなりますが、日時がその分かかります。
憧れのホテルですが、お金・体力・時間、どれも事欠く私には当分難しい・・・。

そんな宮原氏が日本国籍を捨ててネーパル国会に挑む理由は・・・「日本の山男、混迷のネパール国会選挙に挑む」(http://www.news.janjan.jp/world/0712/0712210690/1.php)に詳しく紹介されています。
27分ものインタビュー動画もついています。

その中から若干抜粋すると、「ネパールは『貧困』の代名詞のように言われるが、貧困の原因は政治腐敗にある」と、現政府の「政治腐敗」に最大の焦点を当てる構えだそうです。
マオイストに翻弄される政治に業を煮やし、「残りの人生をネパールに捧げる」と制憲議会選挙への立候補を表明したそうで、ネパールでは初めてのマニフェストを作成、ルーズベルト米大統領のニューディール政策に倣って公共事業による雇用の確保と国土の基盤整備を打ち出しています。

当選の見通しについては、
「小選挙区はまず難しい。私たちの政党から出るのは30歳過ぎの若者で地盤もない。会議派の人たちの縄張りが決まっている。政党に投票する比例代表制は42人出るが、1割ぐらいは当選させたい。だいたい3万~3.5万で1人当選する。60人立つので、それぞれの地域で2,000~3,000票とれば、うまく行けば4~5人、悪くても2~3人は取る。」とのことです。
今回のマオイストと暫定政府合意で比例枠が拡がりましたので、宮原氏には若干有利になったのではないでしょうか。

宮原氏の主義主張を詳しく承知している訳ではありませんが、42年間在住した現地ネパールの将来のために日本国籍を捨てて取り組もうということですので、応援したくなります。
「応援するから1泊ホテルに泊めて・・・」なんて卑しいことは申しません。
なんだか無性にネパールに行きたくなりました。

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タイ  タクシン前首相派勝利を受けて

2007-12-25 17:22:34 | 国際情勢

(タイの総選挙、23日の投票を住民に呼びかける学校の生徒 “”より By Thai 2-Stepper)

23日に行われたタイの総選挙は、予想されていたように、と言うか若干予想を上回る程度に、解党されたタクシン前首相時代の旧与党「タイ愛国党」が事実上乗っ取った「国民の力党」が高い支持を集めました。

タイ選挙管理委員会が24日に発表した暫定集計結果(定数480)は以下のとおりです。
タクシン前首相派の「国民の力党」は、得票率48・33%で232議席を獲得し、第1党。
反タクシン前首相の旧最大野党「民主党」が34・37%で165議席。
旧野党でバンハーン元首相が率いる「国民党」が7・7%で37議席
前首相が率いた旧与党「タイ愛国党」から分かれた非主流派4党では、「国家貢献党」が5・2%で25議席、「タイ団結国家発展党」が1・87%で9議席、「中道主義党」が1・45%で7議席、「王国民党」が1・04%で5議席

元来が“ゆるやかな”お国柄なので、選挙違反も多少はあったようです。
また、現政権側の反タクシン的な肩入れ、“タクシンつぶし”の動きなども。
「買票が横行しているタイで、新たな買票の手法が次々に登場している。選挙違反の摘発を逃れるため、現金を直接渡さず現金自動預払機(ATM)で送金するなど手口が巧妙化。現金の代わりに性的不能治療薬「バイアグラ」を配る運動員も出ている。」【11月30日 時事】

ただ、文字どおりの“実弾”が飛ぶこともあった以前と比べれば、また、最近あちこちの国の選挙で耳にする状況と比較すれば、総じて“民主的な”選挙だったと言えるのでは。
(タイの選挙事情については、10月26日「タイ 総選挙に向けて 議員の移籍料はいくら?」でも取り上げています。http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071026

しかし、今後に影響しそうなのが、「国民の力党」候補が同党への投票を呼びかけるタクシン前首相のCD・ビデオを配った件。
選挙管理委員会は公民権停止中の活動に抵触する疑いがあるとして調査を始めており、「国民の力党」及びその候補への処分が予想されています。
「裁判所が今後“国民の力党”の解党を命じる可能性もある」【12月23日 朝日】といった報道もありますが、そこまでのことはなくても、同じ朝日は24日には「当選者10人以上が選挙違反で失格になるとの情報もある」とも伝えています。

そうなると「国民の力党」側の反発もさることながら、現在行われている連立工作にも影響します。
報道で伝えられているように、第3党のバンハーン氏の「国民党」は第4党の「国家貢献党」と共同歩調をとることでキャスティングボードを握ろうとしています。
もし10名程度の失格者が出て、更にもしこの勢力が連立に加わらないと、「国民の力党」が過半数を制するためには、その他の小政党をすべて“かき集める”必要があります。

「国民の力党」は対立する軍部との軋轢を避けるためもあって、バンハーン氏への首相ポスト提供でその協力をとりつけようとしているとも言われています。【12月24日 朝日】
もちろん、「民主党」側も同種の話で動いているでしょう。
現在進行中ですから、今日・明日にはまた別の展開も出てきます。
今あまり立ち入っても仕方がないところです。
憲法では、投票日から30日以内に国会を開催し、さらに30日以内に首相を指名する規定ですので、2月半ばまでに新政権が誕生する見通しだそうです。

その政権成立後の2月14日に、クーデターで政権を追われ国外亡命状態のタクシン前首相が帰国すると公言しています。
タイの捜査当局は国家汚職防止法違反容疑などでタクシン前首相の逮捕状を取っており、同氏が帰国した場合逮捕する可能性が高いそうです。
もっとも、タクシン前首相はこれまで、「帰国する」と何度も宣言しながら、帰国を見合わせてきた経緯があります。

軍部はタクシン復権の動きに神経を尖らせていますが、今回の結果では大きな動きは難しいかもしれません。
ただ、タクシン復権で、タクシン追放を行った軍部への“報復”が行われると、政治的緊張が高まることも予想されます。

選挙結果が意味するものについては、各メディアが“都市中間層と地方の貧困層との意識のずれ”を指摘しています。

「国民の力党」は、「タクシン政治の復活」を掲げ、タクシン派の地盤である経済的に遅れた北部、東北部(平均所得は首都バンコクの約3分の1)で圧勝し、首都バンコクや中部でも貧困層を中心に票を集めました。
バンコクに10線の鉄道を建設するメガプロジェクト、地方に手厚く財政資金を配分する「農村基金」の復活など、タクシン政権時の「タイ愛国党」の政策を引き継いでいます。

私事ですが、数年前タイ北部のチェンマイを旅行した際、道路がきれいに舗装されているので同行ガイドにそのことを話すと、「タクシン首相の地元ですからね。整備されたのはここ数年です。」との答え。
“有力者の地元で道路が良くなるのはタイでも日本でも同じだね・・・”と納得した記憶があります。

タクシン政権は01年の発足後、地域のインフラ整備や貧困対策に力を注ぎましたが、実業家・大富豪でもあるタクシン前首相には“金の噂”もつきまといます。
それでも貧困層の支持を受けるのは、通俗的な物言いとしての「人はパンのみにて生くるにあらず」と言うのはパンがあって始めて言えることで、パンに事欠く状態では先ずパンを・・・ということでしょう。

よくも悪くも政治家のひとつのタイプであり、日本で言えば田中角栄などもこのタイプかも。
金の噂は決して表に出さず、政治的には無難なことしかやらない政治家よりはましでしょうか?

タクシン前首相は政権担当時、元タイ共産党員も閣内にとりこみ、貧困層に焦点をあてた施策を行いました。
そのひとつに健康保険制度整備と“30バーツ医療”があります。
この制度で、国立病院と一部私立病院での診療・治療費がどのような難病でも1回30バーツ(約90円)になり、医療制度から取り残されていた地方住民、貧困層の支持を得ました。
一方、この制度は財政問題のほか、患者の急増で国立病院での医療の質の低下、医師の民間転出を招いたということも言われています。
お金のある人は保険外で“ちゃんとした医療”を受ける・・・ということも言われるようですが。

なお、この30バーツ医療制度は軍政になってから無料化されました。
理由は“30バーツを徴収・管理するための経費が無駄”とのことです。

タクシン前首相には強権的な面もあり、03年に「麻薬一掃作戦」として軍隊・警察を導入し、政府が作成したブラックリストを元に、リストアップされた人物を強制逮捕・処刑(民間人の死者2500人)しました。
今回選挙期間中の11月27日、暫定政府の麻薬撲滅調査委員会は、03年のタクシン政権時に行われた「麻薬磯王作戦」に伴い、薬物事件とは無関係だったにもかかわらず殺害された可能性がある人が約1400人に上るとの調査結果を公表しました。
以前から内外から非難されていることですが、この時期に発表されたのは軍部・暫定政府側の「タクシンつぶし」の一環でしょう。

深南部のイスラム教徒によるテロにも弾圧で臨みましたが、事態を悪化させる結果になりました。
もっとも、この問題はタクシン以外でも打開は困難で、軍政に変わってから暫定政府は当初融和策をとりましたがうまくいかず、その後は強行策に変更したようです。

その南部と大都市バンコクを地盤とするのが「民主党」
もともと,タイでは政党間の主義・主張に差はあまりないと言われており、お金で他の政党に鞍替えするようなことも珍しくないようです。
今回も、タイ経済が低迷(成長率が6~8%というベトナム・フィリピン・インドネシアに比べての話で、タイも4%ぐらいはあります。)するなかで、「民主党」も「国民の力党」と同様なメガプロジェクトや農村の所得向上を訴えています。

併せて民主党は「腐敗政治の復活阻止」を掲げて反タクシン色を明らかにすることで都市部中間層らの支持を得たものの、貧困層らの共感を得ることはできなかったようです。
また、東北部・北部で「国民の力党」の圧勝を許し、南部とバンコク以外に地盤を持たない政党の足腰の弱さも示しましたとも言われています。

ただ、「民主党」の議席も選挙前の予想の上限に近い結果で、“敗北した”という数字でもありません。
タクシン政権時のような巨大政党の出現による権力集中を防ぐため、小選挙区制を廃止して中選挙区制を復活して38党が乱立しましたが、民意は結局二大政党に集約されたようです。

また、「腐敗政治の復活阻止」の主張が国民に受け入れられなかった訳でもないようです。
バンコク周辺部は前回は愛国党の大勝でしたが、今回は民主党50%、国民の力党41%と逆転しました。
昨年のタクシン政権追放運動で「政治の腐敗」を批判した都市部の中間層が、政治意識を高めたことが反映されたとも言われています。【12月24日 毎日】

選挙結果は都市中間層と地方の貧困層との意識のずれを反映したものになりました。
2月のタクシン前首相の帰国に都市中間層がどのように反応するのか、また、軍部がどう対応するのか、まだしばらく流動的な状態が続きそうです。

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ボリビア  南米横断道路、天然ガス国有化そして東部4県の“自治”

2007-12-24 14:17:51 | 国際情勢

(ボリビアの街角 先住民の母子 “flickr”より By PJFurlong06)

南米の中央部内陸に位置するボリビア。
個人的には、ボリビアに関する情報といえば、19世紀ラテンアメリカ世界のスペインからの独立を実現した英雄シモン・ボリバルにちなんだ国名であること(ボリビア現地で活動したシモン・ボリバルの部下でありパートナーであったアントニオ・ホセ・デ・スクレが初代大統領で、首都スクレは彼の名前にちなんだもの)、今世紀稀代の革命家チェ・ゲバラがこの地で革命を目指すも捕らえられ処刑されたこと・・・そのぐらいです。

それと昨年1月、アンデス先住民(インディオ)であるアイマラ出身のモラレス大統領が左派政権を実現したことも、南米全体の左傾化の文脈で目にすることがあります。
シモン・ボリバル、チェ・ゲバラ、モラレス・・・革命に縁のある土地柄のようです。
それはまた、その対象となる旧勢力が強い支配力を持っているということでもあるでしょう。

*****南米に初の東西横断道路、2009年の完成めざし合意******
ボリビア、ブラジル、チリの首脳は12月16日、ボリビア・ラパスで会談し、ブラジルの大西洋岸からボリビアを抜けてチリの太平洋岸までをつなぐ南米初の東西横断道路の建設で合意した。
ブラジルのダシルバ大統領は、南米横断道路の完成は2009年を予定していると説明、3か国間のみならず国際物流のスピード促進につながるとして、経済効果に期待を寄せた。
地元の企業関係者は、アジアに輸出を行っているブラジル企業やブラジル市場を狙うアジア企業に大きなビジネスチャンスをもたらすとしている。また内陸のボリビアは、国内の輸出の70%を新道が担うとみている。
横断道路は全長4700キロ。ブラジルが1億6200万ドル(約183億円)、チリが9200万ドル(約104億円)を拠出するという【12月17日 AFP】
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ボリビアの一人当たり国内総生産(GDP)はラテンアメリカで最低クラスの3623ドル(2006年 世界銀行調査)。
一方、西隣のチリはラテンアメリカ最高の12277ドル、東隣のブラジルはいまやBRICsとして世界の中心に躍り出る勢いで8608ドル。
天然ガス・鉄・マグネシウムなど豊富な資源にもかかわらず貧しいボリビアは、かつて「黄金の玉座に座る乞食」と揶揄されていたこともあります。

そのボリビアのネックは内陸国で海をもたないこと。
“海へ出たい”というのはボリビアの長年の悲願でもありますが、太平洋・大西洋の両方に出口が開ける今回の南米東西横断道路は、ボリビアの物流には大きな影響をもたらすと思われます。
ブラジルは太平洋を越えてアジア向け輸出のため、チリは大西洋を越えて欧州向け輸出のための物流の拡大に期待を寄せており、ボリビアを含め三者の思惑が一致した結果の横断道路のようです。

しかし、ちょっと調べるとこの三者の関係は微妙なものがあります。
まず、ボリビアとチリは“不倶戴天の敵”といった険悪な関係が続いており、78年には外交が途絶え、今でも正式な外交関係はありません。
両者の確執のおおもとは19世紀末の“太平洋戦争”にあります。
詳しいことは割愛しますが、当時ボリビアは海岸線を保有していました。
しかし、ボリビア・ペルー連合軍対チリの戦争が起こり、ボリビアは敗北。
チリに海岸線領土を割譲し内陸国になってしまいます。
以来、“チリ憎し”“海を返せ”はボリビアの怨念となり、いまでもチリとは“海の問題”で対立しています。
チリの方は比較的余裕の対応で、フォクスレー外相はボリビアとの外交関係について、「ラパス(ボリビア最大都市)の決断次第だ」と、ボリビアとの外交関係の再開に期待を示しているそうです。

ブラジルの国営石油企業Petrobrasはボリビアの天然ガスに既に15億ドル投資を行っています。
Petrobrasのビジネス活動は、ボリビア国内総生産の24%を占め、ボリビア天然ガス備蓄の46%の権利を取得しています。
また、ブラジルの市場開放策により1999年には2300万ドルであったブラジルにおけるボリビア製品輸入が9億9000万ドルに増加しました。(Petrobras建設のパイプラインによる天然ガス輸入が中心。)【5月20日 IPS】

その緊密なボリビア・ブラジルの経済関係に大きな波紋をおこしているのが、ボリビア・モラレス大統領の資源国有化政策です。

ボリビアの天然ガス埋蔵量は南米で2番目に多い量であると推定されています。
この採掘のため、ブラジル、イギリス、スペインなどの外国資本が参入しています。
しかし、国民には「ガスの輸出は、17世紀の金銀に始まって20世紀の錫に至るまで何世紀にもわたって外国企業によって搾取され続けてきたボリビアの天然資源の問題をそのまま繰り返す事になる」「ボリビア国内にガス精製所を作り、輸出するよりも前に国内25万世帯にガスを供給するべきだ」との主張が先住民や労働団体に強く、国内諸問題と相まって“ボリビアガス紛争”とも呼ばれる政治的混乱を引き起こしてきました。
武装治安部隊の反対運動鎮圧、反対勢力によるラパス包囲・道路封鎖といった混乱で、03年にはロサダ大統領が、06年にはメサ大統領も辞任に追い込まれています。【ウィキペディアより抜粋】

ボリビアの石油産業は過去2回、最近では69年に国有化されたことがあります。
しかし、90年代の世界経済の潮流の変化のなかで経済的新自由主義の方向に転換し、ボリビアは「資本化政策」といわれる新しい型の民営化を先駆けて行っています。
この資本化政策で、外国企業は国営企業の株式の半分を取得し経営権を握り、残りの株式は年金生活者のために投資に回されました。 
結果的には、この経済自由化の成果は乏しく、一連の“ボリビアガス紛争”の混乱及びモラレス大統領の登場は、経済自由化政策への幻滅と外国企業に対する反感の高まりを反映していると言えます。

また、南米全体で見ると、世界第5位の石油経済国であるベネズエラのチャベス大統領が05年に行った「主要投資企業がベネズエラで操業を続けたいのなら、新しい契約を結べなければならない」との宣言に見られる、資源の国家管理の流れがあります。
大雑把に分類すると南米は現在、ボリビア、ベネズエラを中心とする反米・左派勢力、米国との自由貿易策を打ち出しているコロンビア、ペルーのグループ、そしてブラジル、アルゼンチンの「中道」社会民主主義政府の3グループに分かれています。
モラレス大統領は就任以来、ベネズエラのチャベス大統領、更にはキューバのカストロ議長と緊密な連携を保っています。

モラレス大統領は就任100日目に当たる06年5月1日(メーデーの日)、油田とガス・パイプラインに軍隊を送り込んで、国有財産であると宣言しました。
この宣言では、「ボリビアにある外国企業は180日以内に撤退するか、新しい契約を結ばなくてはならない。」としています。
ボリビア政府はまた、少なくとも2つのガス田について、課税を大幅に引き上げると発表しました。
政府は主だった外国投資企業はボリビアに残るであろうと予測し、撤退した会社の代わりには中国の会社が入ってくるであろうと予想していたとも言われます。 
ここでも中国の資源外交が展開されています。

結果的には、撤退企業は1社もなく、06年10月末、全企業がモラレス政権の提示条件をのみました。
これによりエネルギー産業からの国庫収入は、2.5億ドルから10億ドルに増大し、同時期に成立したアルゼンチン向け天然ガス輸出を併せると20億ドルにのぼるそうです。【06年11月10日 IPS】
モラレス大統領は「誰一人追放することも、なにひとつ財産を没収することも、一切の補償金を支払うこともなく国有化が実現された」と評しています。

当然、このような措置に対するブラジル世論の反発はありますが、ブラジル政府の反応は比較的抑制されたもので、従来の「非干渉」「良い隣人」の原則に沿ったものであるようです。
今月16日、ブラジルのルラ大統領はボリビアを訪問してモラレス大統領と会談、相互のエネルギー開発などで合意しています。
資源の魅力には勝てないようです。

なお、資源問題だけでなく、ボリビアにはおよそ3万人の越境したブラジル人地主がいるそうで、モラレス大統領は、国境沿い50キロ以内の非農耕地および違法所有地の没収を発表しています。
このようなボリビア政府の農地改革に対する反対もブラジルにはあります。【06年5月20日 IPS】

ボリビア国内に目を転じると、天然ガスの問題にも絡みますが、憲法改正を進めようとするモラレス大統領に対し、今月15日東部4県が徴税権など独立色の強い“自治”を宣言してモラレス大統領と激しく対立、厳戒態勢のなかで分裂の危機を迎えています。

モラレス政権は今月9日、新自由主義、寡頭支配との決別を掲げて、先住民の権利拡充や「連帯的な混合経済」などをうたった新憲法草案を、主要野党が出席を拒否する制憲会議で採択しました。
モラレス大統領は憲法を改正し、自身の権限拡大、および富裕な東部の県の財産を貧しいアンデス山地の西部の県に再分配しようとしていると言われています。

東部のサンタクルス、タリハ、ベニおよびパンドの富裕な4県は、国内総生産の3分の2、人口850万の3分の1を占めており、鉱山企業や大農園が集中しています。
東部4県は天然ガスなどの資源に富み、その利権を新たに地域づくりに生かすことを求めています。
また東部住民には先住民と白人の混血が多いのに対し、モラレス大統領の出身地である西部山間部は先住民が多数を占めています。
両者の対立は、天然ガス国有化を進めるモラレス大統領による経済活動の国家管理の懸念、資源利益の東部から西部への移転という経済面に加え、人種的対立の側面も含んでいます。
東部4県の宣言は今後県民の投票に付されますが、世論調査では東部住民の過半数がこれを支持しているようです。

これに対し、モラレス大統領は、自身の信任を問う国民投票を実施する方針を発表しています。
また、モラレス大統領は14日、自治が宣言されれば軍事介入すると警告していましたが、国防相は非常事態の宣言の可能性については否定しており、現在ところはそのような事態には至っていません。

アルゼンチンやブラジルなど中南米九カ国の首脳は、民主的に選出された政府の安定性を損なう動きに反対し、反政府派に対話を促す文書を明らかにしており、EU、米州機構も仲介に入るとも言われています。【12月17日 しんぶん赤旗】

現在モラレス政権と東部4県の対立は拮抗していますが、今後の動向としては、来年に行われる新憲法の国民投票の結果が注目されます。
また、仮に新憲法が国民投票で信任されても、選挙後に「憲法法廷」での争いに突入する可能性が高いとも観測されています。

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イスラエルのアラブ人  「我々はここに留まる 壁のように」

2007-12-23 11:54:43 | 身辺雑記・その他

(映画「ケドマ 戦禍の起源」より 立ち去るユダヤ人達に、土地を奪われ、今またロバを奪われたアラブ人(左端)が叫びます。)

「ケドマ 戦禍の起源」(2002年)というイスラエル人監督による映画を観ました。
イスラエル建国時のパレスチナが舞台ですが、時代はベングリオンにより独立宣言(1948年5月)の行われた前後と思われます。
イギリス兵が密入国するユダヤ人を攻撃するシーンなどがありますから、47年11月の国連決議181(通称パレスチナ分割決議)から独立宣言・第1次中東戦争勃発までの間の内戦状態の頃でしょうか。
“ケドマ”というのはヨーロッパ各国からユダヤ人をパレスチナへ運ぶ船の名前ですが、「東へ」という意味があるそうです。

映画ではイギリス兵とユダヤ人、ユダヤ人とアラブ人の戦闘が全編にわたり“淡々と”繰り広げられますが、それはBGMのような感じで、終盤に登場するふたりの人物、土地を奪われたアラブ人と、夢を抱いてこの地に入国するや否や戦乱に巻き込まれるユダヤ人、この二人の長い独白・叫びがメインテーマです。

ヨーロッパ各国でホロコーストやシベリア移送などの迫害を受けていたユダヤ人が、自分達の祖国を夢見て船で渡ります。
しかし、現地ユダヤ人組織の手引きで上陸したとたんにイギリス兵の攻撃を受け逃げ惑います。
その後も、男達は当然のごとく銃を手にして、目的地のキブツへ移動途中からアラブ人との抗争に参加することになり、大勢が銃弾に倒れます。
そんなユダヤ人のひとりがラストで、迫害と戦乱にしか生きられないユダヤ人の運命を呪い、悲しみ、叫びます。
ただ、言葉が若干詩的に過ぎて、いまひとつピンとこない部分がありました。

もうひとりのアラブ人の叫びはもっと分かりやすいものです。
ユダヤ人とアラブ人の戦闘で耳元を弾がかすめ、すぐ近くに砲弾が炸裂するなかを、戦いを無視して全く動じることなく妻とふたりでロバをひいて歩いています。
ユダヤ人にロバを徴用されると「返せ!」と激しく怒ります。
ユダヤ人からアラブ人側の情報を教えるように迫られますが、これを無視して、土地を奪われ村を追われた悲しみをぶつけます。
業を煮やして立ち去るユダヤ人達に向かってあらんかぎりの大声で叫びます。
(写真のシーンです。)

「我々はここに留まる。壁のように。」
「酒場で皿洗いもしよう。主人の杯に酒も注ごう。台所の床をきれいに磨こう。お前達の魔の手から我が子らのパンをもぎとるために。」
「我々はここに留まる。屈することなく壁のように。」
「飢えようがボロをまとおうがお前達には従うまい。我々は壁のようにここに留まる。」
「詩をしたため、デモで街路を満たすであろう。牢獄を誇りで満たすであろう。」
「油断のない子供達を育て上げるだろう。」
「我々はここに留まる。壁のように。」

迫害と戦乱に生きるユダヤ人、土地を奪われたアラブ人というふたつの悲しみの“起源”を描いた映画です。
イスラエル国内に留まったアラブ人については、11月29日「中東和平 イスラエルは「ユダヤ人国家」か?」
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071129)でも取り上げましたが、イスラエル人口の約2割(約133万人)存在しています。

1948年のイスラエル建国宣言は、イスラエル国家に残ったアラブ住民に対し、「完全で対等な市民権」に基づいて国家を支えることを呼びかけています。
確かに、選挙権もあり利害を代表する議員も選出しています。
しかし、実際にはユダヤ人に比べて様々な面で劣後する扱いを受けています。
国外のパレスチナ難民とは異なり、国際政治ではほとんどその声が注目されることはありません。

この映画の監督アモス・ギタイ氏はイスラエル人ですが、いわゆるイスラエル国籍アラブ人だそうです。
そんな自らの出自に関する映画でもあります。

映画の中で気づいたことがふたつあります。
ひとつは、船の中のユダヤ人達は様々な国からやってきていますので互いに言葉が通じません。
また、彼らと現地のユダヤ人の間でも通訳が必要です。
“ユダヤ人”と言っても、言語も文化も異なる様々な集団からなっていたという当たり前の事実。

もうひとつは、イギリス兵から逃れてキブツを目指すユダヤ人と、ユダヤ人に追われて村を捨てたアラブ人がすれ違うシーン。
両者しばらく話をしていて、話の途中からアラブ人が「この人達ユダヤ人よ!私たちの土地を奪ったユダヤ人よ!」と叫び、騒ぎがおきかけます。
ということは、少なくともパレスチナの地で暮らしていた両者については、彼ら自身一見してその違いがわかるような差はないということでしょうか。

“ユダヤ人”対“アラブ・パレスチナ人”という対立の概念は、多分に人為的・政治的につくられたものなのかもしれません。

(映画「ケドマ 戦禍の起源」はTSUTAYA DISCASでレンタルできます。)
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キルギス  総選挙、地域別必要得票率で“足きり”

2007-12-22 16:11:44 | 国際情勢

(中央アジアと言えばやっぱ草原でしょ、馬でしょ・・・と言う訳で、イメージどおりのキルギスの草原を馬で行く男 “flickr”より By hudson_jeremy)

中央アジアの旧ソ連、キルギスでの選挙の話。
一度“誘拐婚”という珍しい風習で取り上げた国ですが、正直なところ国の位置すら定かでない馴染みの薄い国です。
「キルギス 広まる“誘拐婚”」(8月17日)  http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070817
選挙結果そのものより選挙制度についての話題です。

16日投票されたキルギスの国会(1院制、定数90)繰り上げ総選挙は、バキエフ大統領が率いる「アクジョル」が71議席、選挙直前まで首相を務めたアタムバエフ氏が率いる野党の社会民主党が11議席、共産党が8議席を獲得しました。

得票率の“足きり”で、与党「アクジョル」が議席を独占するのでは・・・との観測が一時ありましたが、なんとかそのような独占は避けられました。
05年に強権的アカエフ大統領を倒した勢力の内部分裂から混乱が続き、安定を期待する国民の支持が与党圧勝につながったとも言われています。【12月17日 毎日】

政権側による、「選挙法違反」による野党党首への立候補取り消しや、主要野党の1つに対する訴訟、野党候補者への選挙活動中の暴行などといった、強引な野党勢力封じ込めがあったとも報じられています。
また、裁判所が投票日前日の15日、野党・社会民主党の第1候補者ババノフ候補について、カザフスタン人でキルギスのパスポートは無効だとする決定を下したため、その夜のうちに同候補の名前が投票用紙から削除されるようなこともあったそうです。【12月16日 AFP】

今回選挙でテケバエフ前国会議長率いる野党「アタメケン」は全国で約9%という2番目に高い得票率を獲得しましたが、1議席も得られませんでした。
キルギスの選挙制度では、議席獲得には全国での得票率5%以上、7州2市の地域別得票率で各0.5%以上を義務づけており、「アタメケン」は大統領の地元の南部オシ(オシ州なのかキルギス第2の都市オシ市なのかはわかりません。)で0.5%に達しなかったためです。

少数政党乱立を防止するため、一定の得票率での“足きり”はよく聞きます。
先日のロシア総選挙の場合は7%でした。
しかし、キルギスの場合は、全国得票率に加えて地域別必要得票率が定められています。
今年10月の国民投票で承認された憲法改正で小選挙区が廃止されて出来た仕組みのようです。

9%の支持を集めながら、また、それより少ない社会民主党、共産党が議席を得ているのに、1議席も獲得できない・・・というのはいささか理不尽のような感じもします。
選挙制度に関する知識は全くありませんが、このような制度は一般的なのでしょうか?
それとも何らかの意図があって導入された制度でしょうか?

この選挙制度の件は結局わかりませんでしたが、キルギスについてしばらくネットで検索していて、いくつか思い出したこと、わかったことがあります。
先ず思い出したのは、6月頃NHKの“新シルクロード”でこの国のことを紹介していました。
確かオシ(オシュ)はウズベキスタン国境の町で、急速な市場経済化で混乱・低迷するキルギス経済を席巻する中国商品物流の拠点で、にわか作りの巨大な市場が出来ていたところです。

キルギスの民族構成は、キルギス人が52.4%、ロシア人が18%、ウズベク人が12.9%、ウクライナ人2.5%、ドイツ人2.4%、その他11.8%です。(ドイツ人は第二次世界大戦時にソ連政府により、ヴォルガ川流域から中央アジアに強制移住させられた人々)【ウィキペディア】
しかし、北部と南部では顕著な差があり、特にオシではウズベク人の比率が高く、これが民族紛争の要因にもなっています。

オシは古来シルクロード交易の拠点となった、中央アジアで最も歴史のある都市のひとつです。
ソ連時代、スターリンの民族分割統治によって恣意的な共和国の境界線が画定され、本来ウズベク族が大多数を占めるオシは、ウズベク側ではなくキルギス側に組み入れられてしまいました。
これは商業的にまた宗教的にも重要な拠点であったこの地の勢力を削ぎ落とすことが目的であったとも言われています。(遠藤徹氏 「オシュ グルチャ」より)
http://econgeog.misc.hit-u.ac.jp/excursion/03CentralAsia/20030915/20030915.html

こうした背景があって、ペレストロイカの後半、モスクワの支配が弱まり経済的困難が深刻化するにつれてキルギスにおいても民族主義傾向が著しく強まり、90年6月にはオシ市で大規模なキルギス・ウズベク両民族市民の流血事件が発生しました。このときの死者は320人と言われています。
ただ、上述のNHKのTV放送によれば、現在は民族間の緊張は一応沈静しており、巨大市場でキルギス族とウイグル族の男性が共同経営している事例などが紹介されていました。

南北間の違いは民族構成だけでなく、経済格差が存在するようです。

****南部出身の大統領切望 貧困克服の救世主にとオシ*****
14年以上続いた旧アカエフ政権下では、大統領と同じ北部出身者が政府の要職を独占。
閣僚らは自分の部族出身者を部下として重用した。
一方の南部は農村地帯で低所得者層、失業者も多く、政治や経済面で長年冷遇されてきたとの思いが南部住民には強い。
アカエフ政権が崩壊時に住民がいち早く州庁舎を占拠し、政変の原動力となったのが南部の要衝オシ。
「南部出身の大統領になれば、北部が裕福になったようにここの暮らしもきっと向上する」
南部市民にとって「革命」とは、独裁国家から民主国家へという理念の実現ではなく、雇用創出や所得増加などで地元へ利益をもたらし、生活を豊かにしてくれる新大統領が誕生することを意味している。
(倉田佳典氏 http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/1001.html
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それにしても、なぜ今回選挙で野党「アタメケン」は全国で9%とりながら、オシでは0.5%もとれなかったのか。
もし、キルギス・ウズベクの民族間の問題であれれば、どちらか片方に偏していたとしても、少なくとも0.5%もとれないということはないと思えます。
北部またはロシア人・ウクライナ人の利益を代表する政党なのでしょうか?
まあ、現地事情に詳しい人には自明のことでしょうが。

結果的に、大統領の影響力が強い南部オシが野党「アタメケン」に対し拒否権を発動したような形ですが、やはり選挙制度に問題があるように思えます。
日本の“惜敗率”による比例区での敗者復活なども奇妙な制度だと批判する人もいますから、一長一短でしょうか。

ところで、キルギスのお隣ウズベキスタンでは23日に大統領選挙が行われます。
****ウズベキスタン:23日に大統領選 カリモフ氏3選へ*****
旧ソ連末期から18年間にわたり君臨してきたカリモフ大統領(69)が3選を果たす見通し。任期は7年。徹底的な野党弾圧により強権体制を敷いてきた現政権がさらに長期化しそうだ。
大統領選にはカリモフ氏のほか、下院副議長2人と政府系人権センター長が立候補しているが、いずれもカリモフ氏支持を公言しており、民主的な選挙を演出するための対立候補と目されている。【12月21日 毎日】
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“憲法には大統領の連続3選禁止規定があるが、うやむやになっている。”とも。
それぐらいなら面倒な選挙なんかやらずに“皇帝”を宣言するとかすればいいのに・・・なんて思ってしまいます。


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スリランカ  “タミル・イーラム解放のトラ”(LTTE)を非合法化?

2007-12-21 17:22:46 | 国際情勢

(タミル人の多い東海岸中心都市トリンコマリー 外国人の目にはタミル人だかシンハラ人だか全く区別がつきません。そんな差異がなぜ大勢の命をかけた内紛を引き起こすのか・・・? 内戦が再発する前、04年6月の撮影“flickr”より By Jadhu )

スリランカは西岸のコロンボ、北上するとアヌラダープラ、内陸のボロンナルワ、キャンディ、海岸を南下するとゴールからヤーラ・・・と観光スポットの豊富な国ですが、旅行ガイドブックを手にとるとあることに気づきます。
東海岸から北部の紹介が全くされていません。
これら地域は“タミル・イーラム解放のトラ”(LTTE)の実効支配地域でしたので、観光はおろか、政府軍さえ立ち入りが困難な地域でした。

“でした。”と過去形になっているのは、シンハラ人の政府軍とタミル人のLTTEはこれまで衝突・停戦を繰り返してきましたが、06年7月から再び戦闘状態に入り、今年7月には東部を政府軍が制圧し、戦線は北部に移っているからです。
(これまでのスリランカ情勢をとりあげたもの)
11月5日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071105
9月14日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070914
6月24日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070624

そんななかで目にした「スリランカのラジャパクサ大統領は12月17日、政府軍と激しい戦闘を続ける反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)を非合法化する可能性があると言明した。」【12月18日 共同】というニュースに、「えっ!LTTEって今は合法組織なの?」と驚いたのですが、一応前回和平合意(02年9月)がまだ形式的には生きているためのようです。

そのニュースでは「再び非合法化されれば和平対話の道は閉ざされ、内戦状態に逆戻りする恐れも。」とありましたが、現実にはすでに十二分に内戦状態にあります。
しかも、ある意味では内戦状態も“終盤”を迎えつつあるようです。

戦闘はLTTEの金城湯池である北部エリアで行われていますが、11月にはナンバー2で政治部門指導者のタミルセルバン氏が政府軍の空爆を受けて死亡。
更に、スリランカ国防省は今月19日、LTTEの最高指導者のプラバカラン議長が、11月26日に政府空軍が北部キリノッチで行った空爆で負傷したと発表しました。負傷の程度は不明とされています。【12月20日 朝日】

プラバカン議長の負傷については「地下壕が空爆を受けて一部が崩れ、議長は落下したがれきに当たって軽傷を負った。ただ、地下の医療施設で手当てを受け、完全に回復したという。議長は空爆の前日、闘争を継続するとの声明を発表していた。」【12月16日 AFP】という報道もありましたので、負傷の程度は軽かったのかもしれません。

しかし、組織トップを狙い撃ちするような攻撃が行われているところをみると、政府軍が北部を含めて完全制圧という日も遠くないのかも。
来日していたボゴラガマ外相は今月11日、LTTEとの和平交渉に関し「テロをやめ、民主的な交渉に戻るべき時期で、対話にはいつでも応じる用意がある」と述べ、“余裕の対応”を見せています。【12月11日 毎日】

戦闘は早晩終結するかもしれませんが、全人口の2割近いタミル人が存在する事実には何ら変わりはありません。
そして多数派シンハラ人とタミル人の間にぬぐい難い不信・憎悪・不安が存在することも。
わずか2回の観光旅行でも、タミル人居住地域を車で通り抜ける際の(もちろんりっぱな国道です。)シンハラ人の緊張する様子は印象的でした。

戦闘が終結しても、両者の融和が進まないかぎり、スリランカ社会は爆弾テロなどに脅える日々が今後も続くのでは。
あるいは、いつかLTTE類似の反政府勢力が活動を始めるかも。
融和は数十年の長い期間で考えないと、すぐにはどうにもならない問題でしょう。
多数派であり政府をおさえているシンハラ人側が多少タミル人側に“譲る”ような度量を示さないと、融和はなかなか進まないでしょう。
仏教やシンハラ語の強制などはとんでもない・・・と部外者の外国人は考えるのですが。

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アフガニスタン  「我々には軍事的な対応以上のものが求められている」豪国防相

2007-12-20 16:02:33 | 国際情勢

(アフガニスタンの街角から “flickr”より By afghanistan libre)

アフガニスタンの戦況の先が見えにくいなか、各国とも態勢の見直しを迫られています。

****アフガン戦線を再構築 米・NATO検討 タリバン活発化に対応****
米政権とNATOが、アフガニスタンでの任務の全面的見直しに着手したと報じた。イスラム武装勢力タリバンの活動が活発化するなかで、現状では効果的な対応ができないとの懸念が出ているためで、作業は来年初めまでに完了する予定だ。【12月17日 産経】 
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****英の視線、アフガンにシフト****
英軍がイラク南部バスラ県の治安権限をイラク側に移譲したことで、英国の対イラク政策は大きな節目を迎えた。
ブラウン英首相は12日の下院演説で、アフガンの駐留多国籍軍はイスラム武装勢力タリバンとの戦いに「勝利している」と強調する一方、アフガンへの長期的な関与が必要になるとして、英軍7800人の規模を維持するとともに、NATO加盟国に増派と応分の負担を求める考えを明らかにしている。【12月17日 産経】
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****オランダ軍、アフガニスタン撤退へ****
オランダ政府は18日、アフガニスタンに派遣している同軍を2010年7月以降、撤退させると発表した。別の国が補充部隊を用意できるかどうかについては見通しが立っていない。
フェルハーヘン外相は「ほかの国々にオランダ軍と交代する用意があるとの保証は得ていないが、同軍が2010年に撤退することは確かだ」と明言した。【12月19日 AFP】
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そんななかで、珍しくまっとうに思える主張がありました。
先日政権交代したオーストラリアの国防相の発言です。

****アフガン戦略の全面見直し必要=豪国防相が警告******
フィッツギボン豪国防相が先週、英国のエディンバラで行われたアフガニスタンでの戦闘に関与しているNATOおよび同盟国8カ国の会議の場で、緊急に戦略を見直さなければイスラム教原理主義組織のタリバンとの戦争に敗北するとの懸念を表明したと伝えた。
同相は会議で、アフガンでの戦争に勝つためには、軍事・民生計画を全面的に見直す必要があると警告したという。【12月17日 AFP】
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フィッツギボン国防相はゲーツ米国防長官らが出席した英国での会議で、「多くのアリを踏みつぶしてはいるがアリの巣に対して何らの対策も講じていない」と指摘し、「我々には軍事的な対応以上のものが求められている。それは主に、タリバンの穏健派やアフガン社会の他の勢力の心を取り込むことだ」と述べたそうです。

また、同相は英国から帰国後、「ハワード前政権は我々に、アフガンで事態は順調に進展しているかのように信じ込ませようとしていたが、現実はまったく違っている」「私見では、戦闘には勝っているが、全体的な戦争でみればそうではない。タリバンの地域を掃討するのには成功しているが、それに真の戦略的な効果はない」とも話しているそうです。

“戦闘には勝っているが、全体的な戦争でみればそうではない。”
かつて中国大陸での日本軍もそんな状態だったのでは。
“軍事的な対応以上のものが求められている。それは主に、タリバンの穏健派やアフガン社会の他の勢力の心を取り込むことだ”
当初“タリバンからの解放”で歓迎された米軍・ISAFでしたが、空爆などで民間人犠牲者を出すなかで地元の人々の心は離れていってしまったとも伝えられています。

アフガニスタンの人々の心のうちは知りようもないですが、先日観たアフガン映画では、タリバン支配当時タリバンの目を恐れながら彼らを呪って暮らす一般の人々が描かれています。
もちろんそれだけで判断もできませんが、アフガニスタンの多くの人々も決してタリバン支配を好んでいるとも思われません。
なんとか人心を取り戻す活動も可能ではないでしょうか。

タリバン穏健派の取り込みについては、カルザイ大統領の方針について9月10日「アフガニスタン タリバンへの交渉の呼びかけ」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070910)、実際の取組みについて11月11日「アフガニスタン 復興に向けて」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071111)で取り上げたことがあります。

個々の戦闘以上に難しい取組みですが、このオーストラリアのフィッツギボン国防相の声に正面から向き合う時期ではないでしょうか。

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