孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ベトナム・サパ  旅行に行ってきます

2008-04-29 00:13:22 | 世相

(サパの街を闊歩する黒モンギャル “flickr”より By Mimi_K 
http://www.flickr.com/photos/mimk/1343599079/

今日から来月6日までベトナムのサパへ行ってきます。
ホーチミンシティ(サイゴン)、ハノイに次いで3回目のベトナムです。

サパはハノイから寝台列車で一晩奥へ入った、中国国境も近い山岳地帯にある街です。
モン族とかザオ族といった少数民族が暮らすエリアです。
もっとも、サパの街自体は観光地ですから、俗世間の空気にどっぷり浸かった街です。

まあ、それでも華やかな民族衣装やマーケットの賑わいなど、異国の旅行者にはものめずらしいものも多いようです。
今回は郊外の村を巡るちょっとしたハイキングなど中心に考えています。

モン族は中国では苗(ミャオ)、タイやラオスではメオと呼ばれ、中国雲南省からインドシナにかけての山岳地帯に広く分布しています。
モンは“自由の人”を意味する言葉で、メオはタイ族が蔑んで呼ぶ言葉とか。

インドシナで戦われたベトナム戦争はモン族にも大きな悲劇をもたらしました。
モン族はこの戦争で20万人の犠牲者を出しています。
この数字はアメリカの犠牲者(5万8千人)の4倍近い数字です。

北ベトナムが、北からラオス、カンボジア領内を通り南に至る陸上補給路として活用した“ホーチミン・ルート”は有名です。
このルートは山岳地帯の獣道同然もルートを含んでおり、元来が平地の民であるベトナム人(キン族)だけでは使えず、山岳地帯すむモン族のような少数民族の協力を必要としたそうです。

こうして北ベトナム軍やラオスのパテト・ラオ(ラオス愛国戦線)に協力したモン族もいた訳ですが、山岳地帯におけるモン族の利用価値に目をつけたのはアメリカも同様です。
アメリカは主にラオス国内でホーチミン・ルートを叩くために、モン族を右派ゲリラ組織にしたてあげました。
なお、アメリカが北ベトナムに“北爆”として投下した爆弾は約100万トンであったのに対し、ラオス領内には250~300万トンの爆弾が投下されたと言われています。

同じ民族が左右両派に分かれ、両陣営の協力者として戦うかたちになりました。
結局アメリカはこの地から“名誉ある撤退”をします。
アメリカはそれですみますが、アメリカに協力してアメリカ兵に代わって多くの血を流した右派モン族はこの地に取り残されます。

“アメリカの手先”となった右派モン族は、北ベトナム軍やパテト・ラオ軍の報復攻撃を受けます。
アメリカがベトナムから撤退したのが73年ですが、ラオス国境が近いタイ領内にはラオス政府軍の追及を逃れてくらすモン族の集落が今なお存在し、またラオス国内で爆弾闘争などの反政府活動を続けるモン族も存在します。

更に、先述のように大量に投下されたクラスター爆弾などの爆弾は今なおラオス領内に不発弾として大量に残存しており、村人の命を奪い続けています。
(以上、「メコン発 アジアの新時代」(薄木秀夫著)を参考にしました。)

仮に、イラクからアメリカから近々撤退できたとしても、同様の悲劇がかの地に長く残ることでしょう。

今回のベトナム・サパ旅行は全くの物見遊山の観光旅行ですから、そんなモン族の悲劇との接点はまずないかと思います。
そういう訳で、しばらくブログもお休み。
帰国後、7日前後から再開したいと思っていますので、またよろしくお願いいたします。

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原油・食糧価格高騰、投機マネー、通貨取引開発税、トービン税のことなど

2008-04-28 14:28:18 | 世相

(投機による食糧危機は子供たちの命に直結します “flickr”より By publik16
http://www.flickr.com/photos/publik16/2454669703/)

原油価格高騰が続いています。
アメリカ原油先物は、日本時間28日朝の電子取引で1バレル=119.93ドルに上昇、最高値を更新しました。ナイジェリア情勢、英BPの石油パイプラインがストライキで停止するといった供給不安が原因だそうです。
原油価格は過去1年間で57ドル以上も上昇、過去5年間では5倍に値上がりしています。

多くの専門家は、ドル安、OPECの増産消極姿勢、中国とインドの急激な経済成長が原油需要が背景にあると指摘しています。
産油国は、需要増加は人為的な要因によるものだとして増産を拒否しています。
クウェートの石油相代行は20日、「原油備蓄量の水準は、今のところ世界市場での原油価格に影響していない」と発言し、需給関係は原油価格高騰の原因ではないと主張。【4月21日 AFP】

一方、IMFのデップラー欧州局長は22日、「物価、特に原油価格の動向は変わるとみている。1バレル95ドルから115ドルへの上昇は米景気後退見通しと一致しない」と、原油価格が下落するとの見通しを明らかにしています。【4月23日 ロイター】

一方、コメ、小麦、トウモロコシなど食糧品価格の高騰も相変わらずです。
世界各地で暴動も起こり、貧困層を襲う“新たな飢餓”が懸念されていることは、このブログでも4月14日「食糧価格の高騰 世界は新たな飢餓の時代に入りつつあるのか?」でも取り上げたところです。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080414

最近では、食糧輸出国の輸出制限の動きによって輸入国の問題が拡大されることが懸念されています。
価格が高騰しても主食は貧困層であっても一定量は必要ですから、そのような価格弾力性の小ささが貧困層の生活を困難なものにしています。
専門家は、世界は静かに押し寄せる食糧価格高騰の「津波」に直面していると警鐘を鳴らしています。

また、食糧価格の高騰は、そのような貧困層を支援すべき国際援助機関の活動をも困難にしています。
国連世界食糧計画(WFP)関係者は、世界的な食糧価格の高騰により、WFPが途上国で行う学校給食事業に深刻な影響が出ていることを明らかにしています。

混乱の拡大を受け、7月の北海道洞爺湖サミットでも食糧価格急騰問題が緊急に話し合われることになりました。国連はこれに先立つ6月に各国首脳を集めた「食糧サミット」を開催できないか動きだしています。
潘基文事務総長は25日、ウィーンで記者会見し、「まさに地球規模の危機であり、早急な行動が必要だ」と各国に迅速な対応と協力を求めています。

こうした原油・食糧価格の高騰は、新興国での需要拡大、バイオ燃料需要との競合、供給サイドの問題など需給関係を背景にしてはいますが、これほど急激に上昇する要因として投機的資金が大量に原油・穀物相場に流入していることも語れています。
原油価格については、40~50ドル相当は投機的要因によるものではないかとも言われます。
また、穀物相場の展開も従来とは全く様相の異なる展開となっているようです。

このような投機資金の動きの背景には、サブプライムローン問題に端を発した金融不安から、株やドルに投資していた投機マネーが原油や穀物など商品市場に流れ込んでいることが指摘されています。

世界の各種市場の規模をみると、 ①ニューヨーク原油先物市場:1300億ドル(14兆円)、②ニューヨーク金先物市場:400億ドル(4.5兆円)、③世界の株式市場:65.5兆ドル(7200兆円)、④世界の債券市場:50兆ドル(5500兆円)、⑤店頭デリバティブ想定元本:448兆6000億ドル(4京9300兆円)、⑥世界の外国為替市場:770兆4000億ドル(8京7440兆円)といった規模だそうです。【“altermonde” 1月17日】

他方、投機のプレイヤーである基金・ファンドの種類と運用資産残高は、①年金基金:23兆ドル、②投資信託:21.5兆ドル、③保険会社:17.5兆ドル、④公的年金:4兆ドル、⑤政府系ファンド:3兆ドル、⑥ヘッジファンド:1.5兆ドル、⑦プライベート・エクティ:1兆ドル。【同上】

市場規模でみると、原油などの商品市場は、債券・株式や外国為替市場に比べると非常に小さく、従来このような市場で動いていた投機資金が商品市場に流入すると大きな変動を引きおこします。
また、投機マネーの内訳でみると、ヘッジファンドの資金規模は小さいですが、いわゆる“レバレッジ(てこ)”を使って自らの運用資金の何倍も、時には10倍もの額の運用すること、また投資サイクルが短く短期間に何回も投資することから、市場に与える影響はその資金規模以上のものがあります。

現在の世界経済は、公的な規制・介入をできるだけ少なくして自由な市場に経済を委ねることが望ましいとする“市場原理主義”的な発想が強く影響しています。
また、そのような自由市場になるべく多くのプレーヤーが参加することで、市場は安定化すると想定されています。

しかし、グローバル化(地球規模化)とIT(情報技術)化が進んだ今日、膨大な資金が瞬時に世界を駆け巡り、世界経済を混乱させる事態が出現しています。
97年のアジア通貨危機もそのような破滅的事態でしたし、今回の原油・食糧品価格高騰もその流れにあるように思われます。

“自由な経済活動”の重要性(特に効率的資源利用の面において)は一定に認めます。
いたずらな規制が“角を矯めて牛を殺す”危険を孕んでいることも確かでしょう。
しかし、今日の投機マネーの暴走とも言えるような現状を前にして、手をこまねいて眺めているだけでいいのでしょうか?
何らか、“適正な”ルールを設定することはできないのか?
経済の根幹にある原油価格が短期間に数倍にはねあがる、何より、食糧品価格高騰で“新たな飢餓”の危険があるとき、その背景にある投機資金の活動になんらか制限を加えたいという考えは愚かしい考えでしょうか?

「国境をまたぐ経済活動に課税して、途上国支援の財源に充てる「国際連帯税」の導入を目指し、超党派の議員連盟(「国際連帯税創設を求める議員連盟」 参加国会議員約50名)が活動を本格化させた。実現のハードルは高いが、フランスなど導入国も増えつつある。議連は、日本がホスト国を務める7月の北海道洞爺湖サミットまでに、提言をまとめる方針だ。」【4月14日 朝日】
課税方式は航空券や外国為替取引などを幅広く検討する方針とか。
2006年7月のフランスによる航空券国際連帯税導入を皮切りに、世界的にも革新的資金メカニズムや国際連帯税の議論が高まっており、上記議連もその一環です。

議連が視野に入れている外国為替取引に対する課税、いわゆる通貨取引開発税(CTDL、Currency Transaction Development Levy)とは、開発資金創出のために通貨取引に0.005%という超低率の税を課すシステムです。
これだけ薄い税率でありながら、世界の外為市場での通貨取引が年間約800兆ドルにも上るため、年間330億ドル以上の税収を得ることが可能と言われています。
また、「円」通貨だけに課税しても55.9億ドルの税収が可能です。
ちなみに、世界第5位に転落した日本の2007年のODA実績は76.9億ドルですので、円通貨取引税だけでその73%が拠出できることになります。
(「グローバル・タックス研究会」 http://blog.goo.ne.jp/global-tax/e/5953cba0ab56fc8949cf95dd00aa1c1d )

この通貨取引に対する課税については、従来から“トービン税”(ノーベル経済学賞受賞のトービンが1972年に提唱)として知られています。
最近では、トービン税の改良型である“スパーン税”という2段階の税徴収を行う形がATTAC(トービン税の実施を目指す社会運動団体)などによって提唱されています。
通常のすべての通貨取引には0.01~ 0.02%というきわめて低率の税が課せられますが、ひとたび重大な投機行為にさらされ当該通貨の交換比率が急変した場合、ほとんど禁止的な高率の税が課せられます。(実際に法制化されたベルギーの法案では、前者は0.02%、後者は80%)
(トービン税、スパーン税の内容、実現可能性などについてはATTACのサイトをご覧ください。
(http://altermonde.jp/tobin1_html

CTDLは国際支援のための財源を得る方法としてはいいと思いますが、更に進んで投機マネーをなんらかコントロールできないかどうか、スパーン税のような考えも検討してもらいたいものです。

このような方策の効果・可能性、また、為替相場以外の商品先物などへの規制はどのようなものが可能か・・・などについては素人には判断しかねるものがありますが、たとえ抜け穴があっても、部分的・不十分ではあっても、何らか対応をとることで、投機マネーの暴走は許さないという国際的な強い意志を明確にしていくことが重要ではないでしょうか?
そのうえで、改善できる部分は時間をかけて結果を見ながら行っていけばいいのでは。

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チベット  消息不明のニマ氏(パンチェン・ラマ11世)19歳の誕生日

2008-04-27 11:51:12 | 世相

(世界で最も幼い政治的拘束者パンチェン・ラマ11世(ニマ少年)
“flickr”より By Philofoto
http://www.flickr.com/photos/cfortier/2437875978/)

インドに拠点を置くNGOチベット人権民主化センターは25日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が95年に故パンチェン・ラマ10世の後継に指名したニマ氏が同日、消息不明・自宅軟禁下で19歳の誕生日を迎えたと発表しました。

最高指導者ダライ・ラマ14世から1995年にパンチェン・ラマの転生(生まれ変わり)と認定されたニマ少年(当時6歳)は、その発表の3日後、両親とともに中国政府により身柄を拘束され、以後消息は分かっていません。
中国政府は後に独自に別のギェンツェン・ノルブという6歳の少年をパンチェン・ラマと認定しました。

パンチェン・ラマは、ダライ・ラマ法王に次ぐ最重要の存在で、歴代のパンチェン・ラマは阿弥陀仏(無量光仏)の化身と信じられています。
パンチェン・ラマ10世は、ダライ・ラマのインド亡命後も、チベット自治区に留まってチベット仏教の保護に貢献した人物です。
文化大革命のときには9年以上投獄され、その後も北京で軟禁されましたが、周恩来首相とも親交があり、また、当時チベット自治区党委書記であった胡錦濤(現在の国家主席)とも親交あったそうで、中国政府とチベット族の間に立って、チベット仏教の振興に尽力しました。

そのパンチェン・ラマ10世が1989年に他界。
この死については疑惑も語れています。
公の場において、中国政府の用意した演説原稿を無視して「チベットは過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価を支払った。二度と繰り返してはならない一つの過ち」と自説を述べ、その発言のわずか5日後、寝室で「心筋梗塞」で倒れ、約15時間後に死去したとされます。

チベット仏教では、パンチェン・ラマの転生についてはダライ・ラマが、ダライ・ラマの転生についてはパンチェン・ラマが中心になってその転生者を探す慣わしになっており、ダライ・ラマはパンチェン・ラマ10世の転生者の探索を開始しました。

そして1995年5月14日にパンチェン・ラマ11世(ゲンドゥン・チューキ・ニマ少年 1989年4月25日生)発見を発表しました。
この転生者探しは占いによって行われますが、1回ではなく何回も“彼で間違いないのか?”というように行われるようです。
その過程は「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」のサイトに詳しく記載されています。
http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/pl_dispute.html#02
恐らくこのような“占い”を何回も繰り返す過程で、その少年の適格性について実際的な検討が行われるのではないかと思います。

上述のように、このニマ少年を中国政府は拘束し、その消息はわからない状態が続いています。
中国当局は、失踪してから1年もの間、少年の拘留を認めていませんでした。
中国当局が少年と両親の拘束をようやく認めたのは、1996年5月28日のことで、発表は国連こどもの権利委員会が行った長期調査への返答という形でなされました。

これによると、中国政府は「ニマ少年が分離主義者に誘拐される危険があり、身の安全が脅かされているため両親の希望で拘束した」と発表しています。

その後、多数の国連代表団や政府議員団がパンチェン・ラマの拘留が継続していることに対し懸念を表明、少年の健康状態と生活環境を確認するため中国とチベット双方が容認できる第三者が少年に面会できるよう中国当局に許可を求めてきました。
しかし、中国政府は部外者による少年や少年の両親への接触を一切拒絶しています。

中国当局によれば、ニマ少年(すでに“少年”という年齢は過ぎましたが)の両親は国際的な著名人やメディアが少年の人生に入り込んで欲しくないと考えているそうで、ニマ少年も平和な生活を見知らぬものに邪魔されたくないと考えているそうです。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2002/TCHRD_Panchen_Apr25_2002.html

恐らく中国政府はニマ氏の生命については、これを危うくするようなことはしないと思われます。
もし、ニマ氏(パンチェン・ラマ11世)が死亡したということになると、次の12世転生が再び問題になります。
このまま消息不明状態を続けるつもりなのでしょう。
そして、チベット仏教側がパンチェン・ラマ11世と認める人物がいない状況では、今後ダライ・ラマが亡くなった場合、その転生を探す取組みに支障が出ます。
中国政府はそのような形で、チベット仏教を実質的に抹殺していこうという考えなのでしょう。

チベット族と漢族との間に存在する不信感、それを克服していくための時間をかけた施策として“伝統文化への配慮”と“経済的格差是正”が必要であることを18日のブログでも取り上げました。
(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080418)

掛け違えてしまったボタンを今になって掛けなおすことは、面子を重んじる中国政府にとっては耐え難いことではあるでしょうが、このニマ氏(パンチェン・ラマ11世)の問題は、その“伝統文化への配慮”のために、どうしても越えないと先へ進めないハードルとなっています。

それにしても、拘束されたニマ氏が今何を思って生活しているのか?
身代わりに中国政府によって立てられたノルブ氏は何を考えているのか?
時代に翻弄された“ラスト・エンペラー”溥儀の人生もそうですが、世の中には“数奇な運命”というものがあります。

 
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フランス  ナチス占領時代のパリ市民の写真展に激しい反発

2008-04-26 17:20:04 | 世相

(ナチス占領下のパリの日常を写したフランス人写真家アンドレ・ズッカの写真
“flickr”より By gunthert
http://www.flickr.com/photos/gunthert/2437319234/)

フランスの写真展覧会の話。
2ちゃんねるなんかでもボロクソに言われていますが、確かに“ひっかかるもの”を感じる記事ではあります。

****「ナチス占領下の陽気なパリ市民」写真展に非難の嵐*****
カフェでのんびりくつろぐ人々、映画館に群がる人々、競馬を楽しむ人々――ナチス占領時代のこうしたパリ市民の姿を撮影した写真展にパリ市民が激しく反発、中止を求める声も上がっている。
「Parisians under the Occupation(占領下のパリ市民)」と題されたこの写真展は、現在パリ市歴史図書館で開催中。会場には、ナチスのプロパガンダ誌「Signal」のカメラマンとして働いていたフランス人写真家アンドレ・ズッカ(Andre Zucca)氏が撮影した未発表の作品約270点が展示されている。これらは、ナチスによる4年間の占領時代を写した唯一のカラー写真の重要なコレクションとされるものだ。
だが、この展覧会に並ぶ、水玉模様のドレスでパリの大通りを散歩する女性やルクセンブルク庭園で遊ぶ子どもたちなどの写真に対し、激しい非難が巻き起こっている。1940-44年のナチス占領下で数千人ものユダヤ人が強制移送されたことや、数え切れないほど多くのパリ市民が苦難に耐えたことを、これらの写真は表現してはいないというのだ。以下省略。【4月24日 AFP】
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2381946/2857976
**********************************

1940年6月のナチス・ドイツのパリ無血入城のあと、フランスのアルザス・ロレーヌはドイツ併合、パリを含む北部はドイツ占領、南部はイタリア占領、そしてヴィシーを首都として本来国土の3分の1ほどの“主権国家”、いわゆる“ヴィシー政権”が成立します。

フランスの一部の人達にとっては、ナチス占領下のこの時代は苦難の日々であり、心ならずも抑圧された日々であり、人々は怒りを胸に、“自由”を求めてレジスタンス運動を戦っていた・・・という思いなのでしょう。
陽気に散歩する姿、競馬を楽しむ姿はそのような過去を冒涜するようにも思えるのかも。

もちろん、ド・ゴール将軍はロンドンに亡命政府“自由フランス”を樹立しますし、国内でもレジンスタンスの闘士が活動していたのでしょう。
ただ、おそらく国民の多くは厭戦気分が強く、結果的にナチス・ドイツの支配を受け入れたのも事実でしょう。
多くの国民にとっては、ナチスの何たるかよりは、日々の暮らしが重要であり、ナチスに協力する人々も存在したし、“反ユダヤ主義”的な行為も受け入れられたのでは。

別に、それはフランスに限った話でもなんでもなく、フランスの価値を貶めるものでもなく、日本でも同じようなものです。
戦後、民主主義を謳歌した人々の多くが、戦前においては軍国主義・国家主義・人権抑圧をそれほど抵抗なく受け入れていたのではないでしょうか。

確かに、あとになって振り返れば、“どうしてあの時代は・・・”と忸怩たる思いもあるかもしれませんが、自分を含めて多くの人々は大きな時代の流れに抗して生きるほど強くないし、周囲の物事に影響を受けやすい存在ですし、何より日々の生活が一番の関心です。

そのことを正視して、そういう風に危うい存在であることを認めて、なぜそのような途を選ぶ結果になったのかを考え、将来に向けて同じような過ちを繰り返すことがないように教訓とすることが重要であり、自分の心の中にある“あってほしい姿”にそぐわない現実を否定しても仕方ないように思えます。

自分達の過去をあるがままに見つめることは、どの国民にとっても容易なことではないようです。
フランス、ナチスと言うと、同じ日にこんな記事もありました。

****「ガザ封鎖はナチス収容所と同じ」、リビア大使発言に仏など退席 安保理****
中東問題を協議していた国連安全保障理事会で23日、リビア代表がイスラエルのパレスチナ自治区ガザ地区封鎖をナチス・ドイツの強制収容所にたとえたことから、フランスなど西欧諸国の代表が退席する事態となった。外交筋が明らかにした。
外交筋によると、リビアの国連大使の「強制収容所」発言を受け、リペール仏国連大使がまず席を立ち、その後に西欧諸国の国連大使らが続いたという。
シリアのジャファリ国連大使は協議終了後、記者団に対し「不幸なことに(第2次大戦の)ジェノサイド被害を訴えている国が、パレスチナの人びとに対し同じようなことを行っている」と述べた。また中東問題、特に「イスラエルによるパレスチナ迫害」の解決に「安保理をきちんと介入させることがわれわれの課題だ」と付け加えた。
安保理では数か月にわたってイスラエルのガザ地区封鎖の停止を求める声明を数回にわたって採択しようとしたが、失敗に終わっている。【4月24日 AFP】
*****************************************

具体的にリビア大使がどのような表現をしたのかが触れられていませんので、よくわからない記事です。
ホロコーストは他に比較するものがないユダヤ民族のみの災難だとするイスラエルや、加害者であるドイツが「強制収容所」という言葉にナーバスになるのはわかりますが、どうしてフランスやその他の西欧諸国がそこまで反応するのかよく理解できません。

ガザ地区が「強制収容所」状態なのか、イスラエルのガザ封鎖がジェノサイド行為なのか・・・そこは立場によって評価の分かれるところでしょう。
ただ、ガザ地区住民の生活が困窮していることは疑いのない事実ですし、一方の立場からすれば「強制収容所」発言のような表現が出てくるのは充分に想定できるところです。
(実際、ガザ封鎖を批判するコメントには、この類の表現を目にします。)

リビア大使の発言内容がわかりませんので、これ以上コメントしても仕方ないですが、ナチスや強制収容所というものは西欧の人々には想像以上にトラウマになっているようにも見えます。
(それだけの影響をもたらしてしかるべきものであるのは事実ですが。)
ただ、フランスもダライ・ラマをパリ名誉市民にするなんて中国の神経を逆撫でするようなことを実行するのですから、他人の発言にももう少し寛容であってもいいのでは・・・と感じた次第です。

もっとも、“席を立つ”というのは、敢えて激しく言い争わないという“洗練された外交マナー”なのかも。

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イスラエル、シリアにゴラン高原返還を打診

2008-04-25 13:30:45 | 国際情勢

(ゴラン高原に立つ標識 エルサレム、ダマスカス、バグダッドなどへの距離表示がこの地の戦略的重要性を窺わせます。“flickr”より By mockstar
http://www.flickr.com/photos/mockstar/237985921/)

自己主張を曲げない強気の姿勢のイメージがあるイスラエルですが、その存在を認めない国々に囲まれて、“生き残り”をかけていろんな交渉も進めてはいるようです。
昨夜、イスラエルがシリアとゴラン高原返還の交渉をしているという記事を目にしました。
この話自体は以前からも伝えられていたものです。

****イスラエル、シリアにゴラン高原返還を打診****
イスラエルのオルメルト首相がシリアのアサド大統領に、ゴラン高原を返還し和平協定を結ぶ用意があるとトルコを介して伝えていたとの報道について、アサド大統領は事実と認めた。
オルメルト首相は前週、エルドアン・トルコ首相を通じてゴラン高原返還の意志を伝えたという。
アサド大統領は、エルドアン首相が26日にシリアを訪問した際に、本件について協議するとしている。
イスラエル政府報道官は、アサド大統領の発言について直接の言及は避けながらも、イスラエルはシリアとの和平協議に臨む用意があり、イスラエルとシリアは互いの要求を理解しているはずだと語った。【4月24日 AFP】
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イスラエル北部からシリア南部に広がるゴラン高原は、イスラエルが1967年の第3次中東戦争でシリアから占領。イスラエルは1981年に併合を宣言しましたが、国際的には認められていません。
96年以降、日本からも自衛隊がPKOとして派遣されています。
イスラエルとシリアの兵力引き離しの国連監視活動の一環です。

イスラエル・シリアの交渉は、2000年にイスラエルのバラク首相とシリアのアシャラ外相が米ウェストバージニア州シェパーズタウンで会談する形でも行われましたが、このときは交渉が成立しませんでした。
シリア側は、ゴラン高原とイスラエル領土に挟まれたガリラヤ湖岸までイスラエルが撤退することを要求していました。

個人的には第4次中東戦争(73年)のときのイスラエル対シリアの戦車戦のイメージが強い場所です。
戦車の数ではイスラエル180両に対しシリア1400両と圧倒的でしたが、イスラエルが善戦。
シリアも緒戦こそ何とか結果を出しましたが、結局はイスラエルの反抗でシリアは撤収、イスラエル軍が首都ダマスカスに迫る情勢になりました。
「イスラエルってやっぱり軍事的には強い国だな・・・、それともシリアが弱すぎるのかな・・・」という印象を持ちました。

ウィキペディアによると「(イスラエル軍は)ダマスカスのわずか手前で進軍を止め、突入しなかった。ダマスカスを陥落させると、ソ連軍がイスラエルに対して宣戦する用意があるとの情報がもたらされたからとされている。」とのこと。
もし、そんな事態になっていれば、次はアメリカの参戦でしょうから、世界も今とは違った状況になったかも。
平和な市民生活の裏側で、世界の情勢は“綱渡り”というか、薄氷を踏むような場面を繰り返しているようにも見えます。

シリアというと、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの最高幹部メシャール氏がカーター元アメリカ大統領と21日にシリアで会談、ヨルダン川西岸とガザ地区を領土とするパレスチナ国家を受け入れると明言したニュースが最近ありました。
シリアとイスラエルの交渉は今月初旬にはすでにメディアにも報じられていましたので、当然この動きは前提にしたメシャール・カーター会談でしたが、なんらか関連はあるのでしょうか。

昨年9月にはシリアが建設中の原子炉と思われる施設をイスラエルがいきなり爆撃破壊。
つい2ヶ月ほど前には、レバノンを拠点とするイスラム教シーア派武装組織ヒズボラの民兵組織指揮官の1人、イマド・ムグニエ容疑者がシリアで殺害され、ヒズボラ側はイスラエルによる暗殺とこれを非難。
ハマス支配のガザ地区へのイスラエル軍侵攻と合わせて、イスラエル対ハマス、ヒズボラ、更にそれを後押しするシリア、イランという対立関係が激化して“一触即発”のようにも見えましたが、万華鏡のように変化するのも国際情勢です。

もっとも、ムグニアエ容疑者殺害については、ヒズボラが報復するという情報、それに対するイスラエルの報復を恐れてシリアが予備兵の動員を始めた・・・というような報道も4月はじめ段階ではあって【4月11日 IPS】、今後どうなるのか・・・いかようにも転がるのがまた国際情勢です。

シリア、イスラエルの動向を現実的に左右するのが大国アメリカの思惑です。
両者ともアメリカの意向を見極めながらの動きとなります。
そのアメリカは24日、シリアが東部の砂漠地域で昨年9月まで、核兵器原料となるプルトニウムを生産できる原子炉を秘密裏に建設しており、北朝鮮がこれを支援していたと確信するとの声明を発表しました。
北朝鮮によるシリアへの核拡散疑惑について、米政府が明確に認めたのはこれが初めてとなります。

一方、ヨルダンのアブドラ国王とパレスチナ自治政府のアッバス議長が相次いで訪米し、23日、ブッシュ大統領やライス国務長官と個別に会談しています。
ブッシュ大統領は24日、アッバス議長とホワイトハウスで会談し、来年1月の任期終了までにパレスチナ国家樹立が合意に達するのを「確信している」と言明。
ブッシュ大統領は、パレスチナ国家の樹立を「最重要課題」とし、「(穴のある)スイスチーズのようではない」国家の樹立をアッバス議長に言明したことを明らかにしています。

こうしたシリア、イスラエル、パレスチナ、アメリカなど関係各国の動きをひとつにしてガラガラとかき回すと、新たな枠組みが出てくるのか、いままでどおりの混乱か?
変わりそうで変わらないのも国際情勢で・・・。

国連パレスチナ難民救済事業機関は24日、ガザ地区に燃料を供給するためのイスラエルの燃料貯蔵施設の閉鎖が続く中、燃料を使い切ってしまったためガザでの食糧配給を停止したことを発表しています。


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スリランカ  まだまだ続くLTTEとの戦い、自爆テロ、人権侵害

2008-04-24 15:55:28 | 国際情勢

(ジャフナで “flickr”より By Jana Mills
http://www.flickr.com/photos/janamills/84635240/)

スリランカではシンハラ人(多数派、仏教)主体の政府軍とタミル人(少数派、インド系、ヒンズー教)反政府勢力“タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)”の戦闘が続いており、その状況が連日報じられています。
02年にノルウェーの仲介で停戦合意が成立しましたが、06年7月から実質的内戦状態が再発、07年7月には東部のLTTE拠点を政府軍が奪還、今年1月には有名無実となっていた停戦協定をスリランカ政府が正式に破棄、最後の拠点である北部ジャフナ半島周辺にLTTEを追い詰め政府軍優位に戦いは展開しています。
(1月19日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080119 参照)

すでに3月7日時点で、年初来の死者は双方合わせて2000人を超えており、ひと月1000人ペースで増加しています。

23日未明には北部のジャフナ半島で、ここ1年半ほどでは最も激しい戦闘があったようです。
LTTEの発表では、政府軍兵士少なくとも100人を殺害、LTTE側戦闘員は16人が死亡。。
一方、国防省発表では、LTTEの戦闘員100人以上を殺害、政府軍兵士43人が死亡、33人が行方不明。
政府軍筋は、LTTEの防衛最前線に対し2方向から夜間攻撃を行ったが激しい反撃に遭い、撤退を余儀なくされたことを認めています。

両者の数字は食い違いますが、今回はかなり“近いほう”で、政府側は作戦失敗も認めています。
普段はもっと両者の数字、作戦の評価は大きく食い違い、お互い、もしくはどちらかが“大本営発表”そのものに思われます。

例えば、4月12日から13日の戦闘では、国防省はLTTEの77人、政府軍の12人が死亡した、と発表。
一方、LTTE寄りのウェブサイト「タミル・ネット」は、少なくとも政府軍の30人、LTTEの3人が死亡としていうような具合です。

お互いの数字がかみ合わないのでよくはわかりませんが、一般的には政府軍がLTTEを追い詰めつつあると報じられています。
追い詰められたLTTEは自爆テロなどの戦術を激化させており、4月6日にはマラソン大会での自爆テロで政府閣僚を含む14人が犠牲になっています。
3月22日には政府軍高速艇に対する海上自爆攻撃も行われています。

以前も触れたように、もともとLTTEは世界の過激派組織のなかで最初に“自爆”を攻撃戦術として使用した組織ですから、その取り組みも半端ではありません。
3月10日にはコロンボの花壇で爆発、3月2日には道路の路肩爆弾、2月24日にはオートバイによる自爆、2月23日はバスの中で小包爆弾、2月4日にはバスが遠隔操作地雷で爆破・・・爆破方法も多彩です。

このように激しい戦闘が続いていますが、「どうして政府軍はLTTEをいつまでも鎮圧できないのだろうか?」という素朴な疑問も感じます。
昔はともかく、現在では空軍力を始めその軍備には格段の差があるはずでは?(以前取り上げたようにLTTEも昨年“空爆”を敢行したことはありますが。)
海に囲まれた島国ですから、隣国に越境して稼動を続けるといったこともありません。
急峻な山岳地帯等で作戦行動が難しいというような地域でもないようです。
大規模な攻勢を政府軍がかければもっと短期に終結するのでは・・・というのは素人考えでしょうか?

“ひょっとして、敢えて戦闘状態を長引かせているのでは・・・”というのは下衆の勘ぐりというものでしょうか?
大体、軍隊は戦闘状態において最もその存在価値が高まります。
資金も国内・国外で大きく動きます。
もちろん現場の兵士達は関係ない話ですが、コロンボに陣取る軍幹部には別の思惑も・・・

政治的にも、もしLTTEを駆逐して戦闘が終了すると、タミル人との共存国家を建設するという、戦闘行為よりはるかに困難な、そして一部シンハラ人にはあまり気乗りしない事業が待ち構えています。
国際的にも注視されていますので、タミル人を不当に抑圧することもできません。
戦闘状態が続いている限りは、LTTEを北部に封じ込めておけば、政治的にはこれまでどおりの政治が継続できます。
戦闘を口実にある程度の手荒な行為もやりやすかったり・・・。

まあ、そんなことはないのでしょうが。
それはともかく、タミル人に対する人権侵害行為は相当に行われています。

****スリランカ軍の拉致相次ぐ 2年で1500人以上が不明に****
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部ニューヨーク)は6日、政府軍と反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラによる内戦状態にあるスリランカで、政府軍や警察が絡む民族少数派タミル人の拉致事件が相次ぎ、昨年12月までの2年間に1500人以上が行方不明になったとする調査報告書を発表、スリランカ政府に対し責任者や実行役への処罰などを勧告した。【3月6日 共同】
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コロンボの「法と社会トラスト」(LST)によると、昨年1月から8月の間に、少なくとも1日平均5人がスリランカ全土で殺害あるいは誘拐されたとも報告されています。

昨年6月には、スリランカ政府がコロンボ近郊の避難民キャンプにいる少数民族タミル人約400人を、戦闘が続く北部地域へ強制移送したことが問題になりました。
“民族浄化”ではないかとの批判に、政府側は「LTTEも移送に同意した。」と主張(LTTEは否定)しています。

仏教徒は殺生をしないということになっているのですが(ですからスリランカでも漁業に従事する人が多い海岸部ではキリスト教の人が結構います。)、敬虔な仏教徒の国であるスリランカでもミャンマーでも、そんなことは関係ないようです。

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北朝鮮  食糧危機など、最近の記事から

2008-04-23 14:00:55 | 世相

(北朝鮮西部の南浦の孤児院 窓にはガラスもありませんが、孤児院に入れる子供はまだ幸せかも “flickr”より By Good Neighbors
http://www.flickr.com/photos/gnusa/2888900868/in/set-72157607499848283/)

北朝鮮は、拉致問題を含め、いろんな意味で良くも悪くも日本と関係が深い国ですが、殆どはっきりしたことがわからない国のため、こういう場でも扱いにくい国です。
核開発をめぐるアメリカとの交渉、韓国李明博政権との関係悪化については、メジャーなメディアでも連日取り上げられているところですので、それ以外の部分で、最近目にした記事をランダムにピックアップしてみました。

今月初旬、北朝鮮で食糧危機が深刻化しているとの報道が流れました。

****エリート層への配給も半年間停止か=食糧不足の北朝鮮*****
韓国の対北朝鮮人道支援団体「良き友達」は3日発行のニュースレターで、北朝鮮の食糧不足が悪化し、首都・平壌に居住を許されているエリート層に対しても、食糧配給が今月から半年間にわたり停止されたと伝えた
地方も米の価格が上昇し、肥料不足などで農民が田植えの準備ができないため、状況は一層深刻。北朝鮮国内では、今月中に平壌や他の都市で餓死者が出始め、5月には飢餓のため多数が死亡するのではとのうわさが広まっているという。【4月3日 時事】
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このニュースのもとになっている“韓国の対北朝鮮人道支援団体「良き友達」(グッドフレンズ)”は、これまでも再三北朝鮮での危機を主張している団体ですので、今回どこまで深刻な状況なのか・・・よくわかりません。
この食糧危機に関連して、北朝鮮は対立を深める韓国ではなく、中国に援助を求める方針とか。

*****韓国と対立する北朝鮮、中国に支援要請*********
韓国との緊張が高まるなか、北朝鮮は中国に大規模な食料支援を求めているという。4日、韓国のハンギョレ新聞が報じた。
外交関係者は「北朝鮮は当面韓国に食料支援を求めてこないだろう」とし「中国は(北朝鮮の要請に)まだ応じていない」と述べたという。北朝鮮問題の専門家は「4月18、19日の米韓首脳会談後に金正日総書記が中国を訪問する可能性が高い。『兄弟のような隣人』としての伝統的な同盟関係を強化し大規模食料支援を求めるだろう」という。食糧難にあえぐ北朝鮮は「太陽政策」を掲げる韓国から毎年およそコメ40万トンや肥料30万トンなど総額数十億ドルにも上る経済支援を受けてきたが、李明博新政権が経済支援の見返りに非核化作業の進展を求めてきたことに反発を強めている。【4月5日 AFP】
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頼られる中国は恐らく苦々しい気分では。
中国にとって北朝鮮の存在は『兄弟のような隣人』ではなく、アメリカ等の対立する勢力が国境まで北上しないようにする“緩衝地帯”の役割であり、また、北朝鮮の混乱は中国領内の朝鮮族の動きに影響を与える・・・そういう意味で“北朝鮮の存在・現状維持”に配慮しているということはよく言われるところです。
首脳間の関係も決して良くないとも伝えられますが、金正日総書記はそのような自国の立場を逆手にとって中国に援助を迫るのでしょう。
北朝鮮と中国の関係についてはこんな記事も。

*****中朝国境に鉄条網じわり 密輸や脱北防止を強化*******
中国が中朝国境の図們江(豆満江)沿いの一部で鉄条網の設置を進めている。関係者によると、中国側は北朝鮮側にも鉄条網設置の材料を提供し、国境警備を強化。中朝間の密輸や脱北者防止の措置を強めている。
鉄条網設置が進むのは中国延辺朝鮮族自治州図們市の図們江沿いの一部。住民の話では、昨年末から設置工事が始まった。中朝国境では、南部の鴨緑江沿いでも一昨年から中朝双方による鉄条網の設置が進んでいた。
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なお、北朝鮮の食糧事情については国連機関からは次のように報じられています。

****北朝鮮、166万トンの食糧不足=コメ価格は2倍に******
国連食糧農業機関(FAO)は11日、昨年水害に見舞われた北朝鮮が今年も深刻な食糧不足に直面すると予測した。世界の穀物需給に関する報告で明らかにしたもので、2007年11月~08年10月の食糧不足量を166万トンと推計。平壌ではコメと小麦粉の市場価格が07年初めに比べ2倍に上昇しているとした。
FAOによると、北朝鮮の07年の穀物生産量は300万トン前後で、06年の400万トンから大きく落ち込んだ。特に、とうもろこしの生産量が06年に比べ33%減ったほか、コメの生産量も25%減少したという。【4月11日 時事】 
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“価格が2倍”というのは昨今の世界的食料価格高騰のなかでは、さほど突出したものでもありませんが、国内生産が落ち込んでいるのは事実のようです。
特に世界的食料価格高騰により、各国が食料の囲い込みに奔走する状況にあっては、外国からの購入・援助も難しくなるかも。
中国も国内の食料価格安定が何より優先で、輸出にブレーキをかけている状況ですから、どこまで支援に応じるのか?

本当に餓死者がでるような飢餓状態になった場合、拉致問題を抱える日本ではありますが、隣国として“人道的対応”が求められます。
実態が隠され続ければどうしようもありませんが。

金正日総書記の後継者問題、健康状況はいつも話題になりますが、わからないことばかりです。

*****北朝鮮:異変?国家的行事見送り…背後に後継者問題か******
 故金日成国家主席の誕生日(15日)にあわせて毎年、平壌で開かれてきた国家的行事「4月の春 親善芸術祭典」が突如、隔年開催となり、この春は見送られた。体制アピールのため、北朝鮮が威信をかけて世界各国から音楽家らを招待してきた。そんな一大イベントが縮小された理由は?
韓国の情報筋は「招待する資金が不足したから。苦肉の策として思いついたのでは」と推測。また別の情報筋は「2月26日にニューヨークフィルの平壌公演があったばかり。比べて見劣りするならやめるべきだとなったのでは」と読む。いずれも判断を下したのは金総書記という点では一致する。
キーパーソンは「ポスト金正日」の有力候補、次男の金正哲(キムジョンチョル)氏ではとの観測も出てきた。
「正哲氏がイギリスのロック歌手、エリック・クラプトンの熱烈ファンで、その実現のため、幹部らは奔走している。祭典に手が回らなかったのでは」(日朝関係筋)【4月11日 毎日】
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“ファンのエリック・クプトン招待のために故金日成国家主席の誕生日行事を縮小”なんて、本当にあるのでしょうか?
あるとしたら、金正哲という人物はこれまた“ユニーク”な性格・思考かも。

****平壌に心臓治療機、続々 総書記ファミリー用か 独製高額品が北京経由で*****
北朝鮮の平壌に先月下旬から今月初旬までの間、高額なドイツ製心臓治療機器や心臓病関連の研究書などが集中して搬入されていたことが11日、わかった。
金正日総書記(66)を含む最高幹部の治療に使われるのではないかとの観測が出ている
金総書記の親族では、実妹の金敬姫(キムギョンヒ)(61)も心臓病を患っているとの説がある。【4月12日 毎日】
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その他、公務員給与が抑えこまれている経済の内情を示唆するものとして、「大卒の女性医師や教員も生活苦のため、本業を捨て露天商などの自営業へ走っている」【4月23日 毎日】という記事もありました。
今後、大きな問題になりそうなのは、韓国との水資源争い。

****北朝鮮、国境付近に大型ダム建設 韓国は水不足を懸念*****
北朝鮮が国境付近に2002年から建設中の大型のダム、黄江ダムをほぼ完成し、韓国国内で水不足の懸念が高まりつつある。
黄江ダムは、韓国の首都ソウル北方50キロの漣川を横切る軍事境界線から北方40キロの位置、両国をまたがって流れる臨津江の上流に建設されている。
韓国統一省報道官は「北朝鮮は、農業用水と飲料水確保のためにダムが必要だとの主張を繰り返すばかりで、対話を通じた解決を何度も要請したにもかかわらずこれを無視した」と憤りをあらわにしている。【4月23日 AFP】********************************

朝鮮半島だけに限らず、砂漠化が進展するなかで、人々の生存に不可欠な“水”を求める争いは今後世界中で頻発することが懸念されます。

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パレスチナ  ハマス最高指導者、カーター元大統領と会談

2008-04-22 15:05:39 | 国際情勢

(中央がハマス最高指導者メシャール氏、アッバス・パレスチナ自治政府議長(左)と握手するハマス内閣のハニヤ首相(当時)(右)
今となっては、こんな時代もあったのか・・・と思わせる写真です。
“flickr”より By khilafaah1924
http://www.flickr.com/photos/7235645@N02/413556490/)

昨夜、素人的には大きなニュースに思える記事を目にしました。
パレスチナを訪問していたカーター元大統領との会談で、ハマス最高指導者がイスラエルの生存権を認める発言をしたというものです。

****ハマス:イスラエル生存権「認める」 カーター氏通じ****
中東歴訪中のカーター元米大統領は21日、エルサレムで「ハマスにはイスラエルを隣人と認める用意がある」と述べた。AP通信が伝えた。ハマスは綱領でイスラエルの生存権を否定しているが、元大統領との接触を通じ、ガザ封鎖の打開につなげたい考えとみられる。
元大統領によると、ハマスはパレスチナ人による住民投票の実施を前提条件に挙げた。住民が認めるならば、アッバス自治政府議長によるイスラエルとの和平交渉を妨害せず、ヨルダン川西岸とガザ地区で構成するパレスチナ国家の建設に反対しない考えだ。
元大統領は「アラブ世界、ハマスとも67年(第三次中東戦争)の国境線でイスラエルの生存権を認める用意がある」と指摘し、「問題は米国とイスラエルが交渉に含まれるべき者(ハマス)との接触を拒絶していることだ」と強調した。【4月21日 毎日】
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しかし、会談の一方の当事者であるハマスのメシャール氏は、その後の記者会見で「イスラエルの生存権については認めない」と言明しています。

****パレスチナ建国後も「イスラエルを認めない」 ハマス最高指導者*****
パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの最高指導者、ハレド・メシャール氏は21日、在住するシリアの首都ダマスカスで記者会見し、ハマスは1967年の第3次中東戦争の境界線内にパレスチナ国家を建設することを受け入れる用意があるとしたが、イスラエルの生存権については認めないと言明した。
メシャール氏によると、エルサレムを首都とした、入植地のないパレスチナの主権国家の建設と合わせ、パレスチナ難民が帰還する権利を受け入れるが、イスラエルは承認しないという。【4月22日 AFP】(c)AFP
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また、【時事】の報道では“メシャール氏はこの版図について、パレスチナ民衆の意思であれば「われわれの信念に反していても尊重する」と述べる一方、「イスラエルを承認することはない」と明言した。”との表現になっています。

【22日 毎日】では“メシャール氏は67年(第3次中東戦争)の国境線に基づくパレスチナ国家の建設は認めるとし、その条件として(1)エルサレムを首都(2)真の主権(3)完全な難民の帰還権--が必要と説明。また、「イスラエルの67年国境線までの撤退と引き換えに10年間の停戦を実施」との従来の主張を繰り返した。”

第3次中東戦争の境界線でのパレスチナ国家建設を“自分らの信念には反するものの”住民が認めるならこれを尊重するということは、実質的には境界線の反対側に存在するイスラエルとの共存を認めたものともとれますが、“従来主張”から踏み込んだ部分があるのか、ないのか・・・よくわかりません。

これまで長く世界情勢の中心に中東情勢の不安定があり、中東情勢の中核にはパレスチナ問題がある。そのパレスチナ問題はハマスとイスラエルの相互否定的な対立によって交渉の余地がなく全く進展しない・・・という構図が続いてきました。
そして、ガザ地区の封鎖、壁の爆破、イスラエルの大規模な侵攻というここ数ヶ月の流れで、結果的にパレスチナの人々のハマス支持が強まったことは以前も取り上げました。

その意味で事態打開のためにはどうしてもハマスを取り込んだ取り組みが必要になっていました。
その段階でのカーター元大統領との会談でした。
ハマスとしても、このままガザ地区に封鎖され続けることには軍事的限界を感じるところもあるでしょう。
また、ガザ地区住民の生活を守る立場にたって新たに考えるところもあるのでは。

今回のハマス・メシャール氏の発言が従来のハマスの主張から踏み込んだ部分があるのかないのかよくわかりませんが、全く交渉を拒絶しているようにも見えません。
うまく交渉の場に導けば、現実的対応もやぶさかでないようにも思えるのですが。

ところで、周知のように、カーター元大統領はその任期中はイラン大使館占拠事件やソ連のアフガン侵攻などがあって、国内的には“弱腰外交”と不評でしたが、人権外交を掲げて、エジプトとイスラエルの間の和平協定・キャンプデービッド合意を締結させるなど中東における平和外交を推進しました。
また、アメリカ大統領として初めてパレスチナ人国家建設を容認する発言をしています。
その後も一貫してイスラエルの占領政策を非難し、「There will be no peace until Israel agrees to withdraw from all occupied Palestinian territory.」と語っています。

カーター元大統領がその本領を発揮するのはむしろ退任後で、金日成北朝鮮主席と会談して南北朝鮮首脳会談への道筋をつくったり、キューバを訪問してカストロと会談したり、世界を驚かせる活躍を見せています。
その功績を評価され、02年にはノーベル平和賞を受賞しますが、「史上最強の“元”大統領」とか「最初から"元大統領"ならよかったのに」などと皮肉られることもあります。

アメリカはカーター元大統領のハマスとの接触を非難していましたが、次は現政権がイスラエルの首に鈴をつける番ではないでしょうか。
ブッシュ大統領が何か言うと事態が硬直してしまいそうですので、バランス感覚がありそうなライス国務長官あたりになんとか働いてもらいたいものです。

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コロンビア  世界第2位の国内難民を抱える国

2008-04-21 18:14:43 | 世相

(コロンビアの難民家族 “flickr”より By adrimcm
http://www.flickr.com/photos/99887786@N00/126183660/)

先日、ノルウェー難民委員会という機関から国内難民に関する報告がありました。

****国内避難民は2600万人 スーダン、コロンビア*****
ノルウェー難民委員会は17日、紛争などによる世界の国内避難民が07年末で計2600万人と94年以来の高水準に達したとの推計を発表した。
最も多いのはスーダンの580万人。南米コロンビア400万人、イラク250万人が続く
国内避難民は国境を越える難民と異なり国際支援の手が届きにくい。4月17日 共同】
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スーダン、イラクはわかりますが、コロンビアは?
コロンビアには左翼ゲリラ組織、右翼民兵組織、コカ栽培に関する麻薬組織が存在することは聞いていますが、“あの”イラクをはるかに超える国内難民がいるということは初めて知りました。
コロンビアの人口は約4200万人ですから、10人にひとりが難民状態にあることになります。
日本国内に1割、1200万人の難民が存在するとしたら・・・とんでもない数字です。
なお、国内だけでなく、エクアドル・パナマ・ヴェネズエラへと避難している国外難民も相当数存在しています。

コロンビアにおいては85年以降、政府対左翼ゲリラ、左翼ゲリラ対右翼民兵組織の抗争が国内各地で頻発していました。
さらに90年代初頭の大規模麻薬カルテルの消滅により、左翼ゲリラ及び右翼民兵組織が麻薬を資金源として勢力を拡大したため、紛争が激化した経緯があります。

このため各紛争地域で危険にさらされている農民を中心とした人々は避難を強いられ、周辺都市へと避難しました。紛争終結後も紛争への恐怖心が消えなかったこと及び、農地家屋を紛争によって失ったことから農村部に帰還しない場合が多いため、多くの国内避難民が発生したようです。【外務省資料】
この結果、都市部での生活環境の悪化が進行し、貧困に苦しむ人々の中から“生きる手段”として、麻薬組織や武装組織に関与する者が生まれてくるという悪循環があります。

もともとコロンビアは豊富な石油・天然ガスが存在し、石炭・金などの天然資源にも恵まれた国です。
文化・教育水準も高いと言われており、60年代以降他の中南米諸国が軍政化したなかで、自由選挙に基づく民主体制を堅持してきた数少ない国のひとつです。
コロンビアの国民1人当たりのGNI(国民総所得)は2290ドル(2006年、世銀)で「中高所得国」に分類される水準にあります。

しかし、2006年の『人間開発報告書』によればジニ係数は0.586で、世界9番目に所得格差のある国となっています。
また、人口の1%が土地の50%を所有しているとも言われます。
このような不平等が、激しい左右武装組織の対立、麻薬問題の背景に存在しています。

2002年にスタートしたウリベ政権は「治安の回復」を第一に掲げ、そのうえで「経済成長と社会開発」「汚職・腐敗の撲滅」をはかる“強い政府”を目指しました。
80年代から歴代政権が左翼ゲリラ組織と続けてきた和平交渉が90年代後半に頓挫したことが背景にありますが、ウリベ大統領の父親が左翼ゲリラの犠牲者であることも影響しているかも。

ウリベ大統領は「戦争税」と呼ばれる増税を行い、これをもとに国防・治安関連の予算・人員を大幅に拡大、ゲリラ組織への強硬路線を進めました。
(コロンビア-第2期ウリベ政権の課題 幡谷則子 http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Latin/pdf/230204.pdf

その結果、以前は全土の3分の1の地域を実効支配していた左翼ゲリラ組織“コロンビア革命軍”(FARC)はベネズエラ国境付近、南西部ジャングル地帯に追い込まれており、人員もかつての1万8千人から、今は1万人を割る状態に弱体化しているとも言われています。

もうひとつの北部を活動拠点とする左翼ゲリラ組織“民族解放軍”(ELN)も、6500人ほどから3500人ほどへ減少しており、政府と断続的な交渉が続けられています。

コロンビアでは既得権益層を代表する強固な二大政党間で政権が担われてきたため、左翼政党が育たず、社会への不満が左翼ゲリラ組織に流れた経緯もあるようです。
06年5月の大統領選挙で、ウリベ大統領は再選禁止規定を撤廃して出馬し再選を果たしましたが、この選挙で左派グループを集めた「新しい民主極」(PDA)のガビリア候補が22%を獲得し次点につけました。
こうした左派政党が育つことも、左翼ゲリラ勢力からの政治的受け皿として必要なことかと思われます。

70年代にはコカ栽培地域を支配する左翼ゲリラ組織とコカイン生産・密輸を行う麻薬カルテルは協調関係にあったようですが、80年代半ばになると麻薬カルテルは農場・農家に直接投資して栽培現場に乗り出すようになり、左翼ゲリラと対立関係が生まれました。
このため、政府のコントロールが及ばない地域での左翼ゲリラからの自衛組織として、右翼民兵組織が麻薬組織・企業・地主層によって育成されました。
94年には政府により合法化され、こうした右派準軍事組織の連合体として“コロンビア自衛組織連合”(AUC)が結成されました。

コロンビアでは何万人もの民間人が拷問を受けたり、誘拐されたり、失踪しています。
これらの人権侵害の大部分は、政府軍の後押しを受けた右派準軍組織により、ゲリラの家族・協力者への対応として犯されたものとの批判があります。

ウベリ政権はこのAUC傘下の準軍事組織と交渉、集団武装放棄を進めています。
このことは社会の安定化に寄与するものと思われますが、一方で“過去の重大な人権侵害行為が不問に付されたばかりでなく、武装解除後も治安要員への再雇用やその通報者として、実質的にはこれまでと同様の活動を続けているにすぎない。”との批判もあります。

左翼ゲリラ組織にしても右派準軍事組織にしても、それらが基盤としているのはコカ栽培から得られる資金です。
農家のコカ栽培を保護(政府軍からの保護、共同体の規則遵守を担保し違反者の逮捕など)するかわりに税金や警護料を取り立てます。
FARCはその収入の60%が麻薬関連であり、“麻薬ゲリラ”とも呼ばれているとか。
(麻薬の国-コロンビア 藤木佳代子 http://www.clb.law.mita.keio.ac.jp/izuokazemi/study/pdf/fujiki.pdf)

このコカ栽培撲滅を柱にした社会再生計画が「プラン・コロンビア」として、パストラーナ前大統領時代の99年から実施されています。
このプランは、コロンビアが南米では数少ない親米政権であること、地政学的にアメリカにとって重要な位置を占める国であること、アメリカ国内向けに“コカイン対策に努力している”ことをアピールする必要があることなどを背景に、コカイン最終消費地のアメリカの全面的支援のもとで行われています。

そのコカ栽培撲滅作戦が“農薬の空中散布”です。
ベトナム戦争の枯葉剤散布を思い起こさせるもので、当然ながら人体及び環境への影響を指摘する批判があります。
また、農薬空中散布はコカだけでなく、他の合法的作物をも壊滅させ、農民を困窮させ難民化し、左翼ゲリラへ追いやるだけだとの批判もあります。
また、いくら散布しても、栽培地域が移動するだけで、栽培は減少していないとの批判もあります。

プラン実施でコカ栽培面積が減ったとする数字、逆に増えているとする数字、両方あってその効果判定はよくわかりません。
第2期ウリベ政権は“第二プラン・コロンビア”へと計画を引き継いでいます。

国内難民対策はこれまでその対策が遅れてきましたが、今後についても厳しい状況にあります。
先ずは、国内治安の回復が大前提になります。
紛争が続く限り、新たな難民が発生しますし、これまでの難民の故郷への帰還もできません。
その治安回復には、紛争の加害者の社会復帰という側面もあり、被害者と加害者の和解も必要になります。
更に、社会・経済を規定しているコカ栽培・コカイン製造に対する対策も併せて行っていく必要もあります。
コロンビア社会の根底にある格差・不平等、貧困の対策も必要です

ウリベ政権のもとで経済は比較的好調に推移していますが、コカ栽培から脱してグローバル経済の中でやっていくことのコロンビア経済に与える影響もこれからの問題です。

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カンボジア  特別法廷への取組み 変わりゆく時代の流れ

2008-04-20 12:26:05 | 世相

(キリング・フィールドからの骸骨 “flickr”より By Sandvand
http://www.flickr.com/photos/sandvand/505084828/)

1975年4月17日、カンボジアではロン・ノル政府軍が降伏、首都プノンペンにポル・ポト率いるクメール・ルージュの兵士が入城してきました。
中国毛沢東思想、文化大革命の影響を受け、ベトナム敵視・カンボジア民族主義に先鋭化した狂信的共産主義勢力である彼らの実態はまだよく知られておらず、プノンペン市民は“解放者”として彼らを歓呼の声で迎えました。
そして、まさにその日のうちに、全市民の農村への強制移動という狂気が市民に襲い掛かり、カンボジア全土は大量虐殺へとのみ込まれていきます。

****プノンペン陥落から33年、カンボジア各地で集会****
カンボジアで共産主義勢力ポル・ポト派(クメール・ルージュ)が実権を掌握した「プノンペン陥落」から33年目にあたる17日、同政権による各地の集団虐殺・埋葬地「キリング・フィールド」で、犠牲者の追悼集会が行われた。虐殺を生き抜いた人々は、当時の政権幹部を裁くカンボジア特別法廷の迅速な公判を要求した。
首都プノンペン郊外の村チュンエクにあるキリング・フィールドでは約700人が集い、展示されている犠牲者の頭がい骨を前に僧侶70人が祈りを捧げた。このチュンエクでは1975-79年のポル・ポト派時代、数千人が虐殺された。同政権に殺害された国民の数は計200万人といわれている。
集会で野党党首のサム・レンシー氏は、「国連と国際社会にクメール・ルージュの審理を急ぐよう訴えたい。さもなくば、クメール・ルージュの幹部たちは何の裁きも受けないまま亡くなってしまう」と語った。
国連の潘基文事務総長は14日、国連が協力するカンボジア特別法廷に対し、長年放置されてきたクメール・ルージュによる罪の裁きを果たすよう求めた。【4月17日 AFP】
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プノンペンには今年正月、観光で何日か滞在しましたが、そのとき訪れたキリング・フィールドとトゥール・スレン(“反革命分子”収容施設)の旅行記は下記にアップしてあります。
①狂気の記憶(前編)・・・トゥール・スレン
http://4travel.jp/traveler/azianokaze/album/10209621/
②狂気の記憶(後編)・・・キリング・フィールド
http://4travel.jp/traveler/azianokaze/album/10209803/

カンボジアではクメール・ルージュの犯罪を裁く特別法廷が進められています。
これまでもカンボジア特別法廷については、昨年の8月1日(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070801)、
11月14日(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071114)の当ブログでも触れてきました。

すでにポル・ポトやタ・モクなど“首謀者”が他界し、この虐殺の風化が進んでいますが、フン・セン首相自身がかつてはクメール・ルージュの一員だったことなどもあると推測されますが、“旧悪”を暴くことに現政権はそれほど積極的とも思われません。

確かに、クメール・ルージュは壊滅した訳ではなく、“投降”後、タイとの国境が近いバイリン地区にその勢力を温存したまま、自治を与えられる形で今も残存していますので、政治的には微妙な問題ではあるのでしょう。
バイリンから更に奥地へ入ったところには、かつてのクメール・ルージュの指導者が居宅を構え、常時クメール・ツージュの兵士が警護していると言われています。
彼らは、木材の伐採、ルビーの採掘の権益を握っており、カジノ経営や密貿易に手を染め、その経済力は潤沢です。
バイリン周辺の道路は彼らの資金で舗装され、ガソリンもプノンペンよりも安いとか。
(「メコン発 アジアの新時代」 薄木秀夫著)

こうしたなかで、市民団体・人権活動家の特別法廷に対する取組みも行われています。

****クメール・ルージュ裁判での被害者の参加を求める****
3年半のクメール・ルージュ統治時代に起きた真実を記録し、人々に伝えている調査研究機関『カンボジア・ドキュメンテーション・センター』は、特別法廷の公開と被害者が法廷に参加できる権利を求めて様々な活動を行っている。
なかでも、国連宛に送られるはずだった100万人を超える被害者が署名あるいは指紋押印した請願書(『Renaksa Petitions』に注目。これに署名した人々の追跡、証言内容の確認、彼らの法廷への参加を促すことを目的とした『被害者参加プロジェクト』を立ち上げた。
このように、多くの市民社会組織の活動は(徐々にではあるが)確実に同裁判に影響をもたらしている。特別法廷は先週、市民(被害者)が参加することの意義を認めた。これにより、弁護士を含む市民団体は当時の政権ナンバー2、ヌオン・チア元人民代表議会議員の公判前の公聴会に参加することができた。
一方、『被害者担当部局(Victims Unit)』のGabriela Gonzales Rivas氏は、訴訟への『中途半端な』参加はかえって良くないと話す。「審理では、市民もすべての参加者と同等の権利を得ることが必要だ。例えば、弁護士を通じて質問し、すべての審理記録を閲覧できるなど、訴訟の全段階に参加できるようにしなければならない」。【4月2日 IPS】
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自分自身が狂気の渦に巻き込まれ、殆どの国民が身内に犠牲者を抱えるこの問題は、国民ひとりひとりにとっても重いものがあります。
もちろん、それだけに“もう、あまり触れたくない”という反応もあるかと思います。

この特別法廷に訴追されているクメール・ルージュ幹部のほかに、もう1人“あの時代”の鍵を握る人物がいます。
シアヌーク元国王です。
シアヌーク元国王はクメール・ルージュが政権を樹立した1975年、国民に対してクメール・ルージュに加わるよう積極的に呼びかけました。
76年から79年まではクメール・ルージュによって幽閉されていましたが、79年にベトナム軍侵攻によってポルポト政権が倒れると、クメール・ルージュとともに森の中へと敗走し協力関係を継続し、ポル・ポト派を支える重要な国際的顔の役割を果たしていました。

小国カンボジアの独自性を保とうとしたシアヌーク元国王の政治的舵取りについては高く評価する意見もあります。
彼自身がクメール・ルージュに利用され、協力を強要されていたこともあります。
なにより、カンボジア国民の尊敬を集め、親しまれている人物でもあります。
ただ、“あの時代”を解明するうえでは避けて通れない人物でもあり、アメリカNGOからは特別法廷での証言を求める意見もあります。

シアヌーク元国王は、昨年8月30日、特別法廷に関連する国連の職員を王宮に招き「クメール・ルージュとシアヌークに関する事柄」について話し合いたいとの要望を自らのウェブサイトに掲載しました。
この国連職員への呼びかけの中で、「この会合が終われば、私はもう国連の特別法廷に出席する必要がない」と述べ、また、もし国連関係者がこの呼びかけに応じなかったら、「特別法廷を見たり、そこで証言したり、あるいは特別法廷と連絡を取り合ったりすることはないだろう」とも書いています。
しかし結局、国連関係者は王宮を訪れなかったそうです。【07年9月19日 IPS】

日本においても昭和天皇の戦争責任論が“アンタッチャブル”であるように、カンボジアにも同様な雰囲気がるのかな・・・とも推察されます。

カンボジア内戦でポル・ポト派の虐殺を生き延び、映画「キリング・フィールド」のモデルとなったディス・プラン氏が先月30日、アメリカ・ニュージャージー州の病院で、すい臓がんのため死去しました。65歳でした。
プラン氏は米ニューヨークタイムズ紙のシャンバーグ記者の助手に採用され、カンボジア内戦・プノンペン陥落を取材。
一時はポト派にとらえられ死刑宣告を受けましたが、釈放され記者とともに仏大使館に避難。
その後、大使館内の外国人に国外退去命令が出た時、カンボジア人のプラン氏だけは出国を認められず、カンボジアの辺境にある強制労働収容所に送られました。
飢えと拷問の4年間を生き延び、79年にタイへ脱出してシャンバーグ記者と再会を果たしました。

3月14日、首都プノンペンで、カンボジア初の高層ビル「Gold Tower 42」の建設が起工しました。
地上42階建てで、完成すれば低い建物の多い首都を見下ろすランドマークの誕生となるとか。

時代は好むと好まざるとにかかわらず変化していきます。
残すべきもの、封じておきたいもの・・・いろんなものや思いを包み込んで。


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