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明治末 観覧車三都物語…研究家・福井さん調査 日本初、天王寺公園に→神戸・京都も

2024年08月03日 | ニュース

2024/08/03  読売新聞オンライン

大阪・天王寺で運行された観覧車。戦捷紀念博覧会の絵はがきにその様子が写っている

1906年春、大阪・天王寺公園で、東京に先んじて日本初の観覧車が運行された。その年の夏、同じ観覧車が神戸市でも運行していたとみられることが、研究家の福井優子さん(77)(大阪市北区)の長年の調査でわかった。さらに、時を同じくして、京都市で別の観覧車が登場していたことも判明。明治時代の末に、関西の3都市で相次いで観覧車が設置されたことに、福井さんは「観覧車の歴史の埋もれた一ページが見つかった」と話している。 

福井さんはおよそ四半世紀にわたって、日本の観覧車の歴史について研究してきた。その手法は主に、国会図書館などで過去の新聞記事や文献にあたり、観覧車に関する記述を子細に探すというものだ。

過去には、日本初の観覧車は1907年に東京・上野の東京勧業博覧会で登場した、と考えられてきた。だが、福井さんは2001年、日露戦争終戦後の1906年春に大阪・天王寺で開かれた「 戦捷せんしょう 紀念博覧会」に合わせて、国内第1号が同年5月から運行していたことを突き止めた。東京の観覧車は、大阪から移設した物だったことがわかっている。

知人から寄せられた情報を基に、さらに調査したところ、同年8月1日付の大阪朝日新聞神戸付録の記事に、「本年大阪戦捷紀念博覧会の余興として建設せしを今回下山手八丁目 舊もと 病院跡に建設し来る五日より六十日間開催なす」との記述を2019年に見つけた。

神戸の写真は見つからなかったが、1906年8月8日付の神戸新聞に「高さ七十二 呎フィート あり十分間に二回転する」と書かれた記事があった。その寸法や蒸気を動力とするなどの特徴が大阪、東京と一致。これらの記事から福井さんは、大阪の観覧車が東京へ運ばれる前に、神戸に移設された可能性が高いと結論づけた。

一方、今年になって京都市の観覧車の情報も得られた。06年7月2日付の京都日出新聞に、「旋転輪即ちレボルビングホイル器を据付ての身体運動場は来る五日より開場する」「高さは四十尺にて五分間に二回運転する」とあった。記述から場所は新京極かその近辺とみられ、高さ約12メートルと大阪、神戸よりも低く、回転速度も異なることなどから、別の型の観覧車と判断できるという。

神戸の観覧車は「納涼旋回車」とも表現され、音楽隊の演奏やイルミネーションに彩られて同年8月から約2か月間運行された。周囲にはビアホールも設営され、会期中の乗客数は2万人に上ったという。京都の観覧車は会期中に祇園祭が重なり、1日に2700人以上が訪れて乗車しきれなかったとの記述もあった。

 

 福井さんは「東京での博覧会に先駆けて、関西の3都市で観覧車が運行されていたのには驚いたし、新たな歴史を発見できたのは意義深い」と話す。「異国情緒漂う神戸に観覧車は似合うし、京都では祇園祭でにぎわう時期に合わせて設営されたのだろう」と分析。今後も、これらの観覧車の写真や、その後の行方を調べる考えだ。

 

 

 

 

 

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