半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

本:長寿村・短命化の教訓~医と食からみた棡原の六十年~

2017年06月19日 | 素敵な本
今日はオフデー。

高柳さんから良く聞く、かつての長寿村「棡原村(ゆずりはらむら)」についてまとめた、今や絶版になった本を県立図書館から取り寄せて読んでみました

棡原村というのは、かつて、「長寿村」として日本中にその名をとどろかせた村だそうです。

この村に18歳の時に小学校の代用教員として赴任した古守先生という方が、診療所を開くなどして30年、村民と生活していて、長寿にはその食が大いに関わっていると発表したものの、学会では栄養学が主流で全く相手にされなかったそうです。

しかし、東北大学の名誉教授の近藤博士という偉い先生がいました。

この方は、「長寿の解明」をライフワークに、何十年にもわたって日本中の村々を歩き、長寿の村と短命の村を調べ上げていった人です。

その先生の研究で、日本各地で長寿と短命の村が各地にあり、その村は隣同士というのもあったそうです。

例えば、東北の米どころはたいてい早死にだそうです。
白米の大飯ぐらいは早死にする。

白米がとれない場所としては山間部で雑穀を食べるしかなかったようなところ、あるいは海岸部でも海藻を常食にしている村、魚も小魚を丸ごとたべているところ、同時に大豆などの豆類、芋類を食べている所は長寿だとか。


この近藤先生がお墨付きを与えて有名になり、一躍、日本中にその名が広がった村でした。


「村でした」と書いたのは、実は、その長寿村も、戦後、国道が出来、物流が走り、地元でとれる食べ物以外の肉や油やインスタント食品が入ってきたり、出稼ぎに行くことで現金収入で食べ物を買えるようになり、食べものが大きく変わりました。

その結果、戦前に育ったご年配の方は長命で、戦前戦後に生まれたその子供たちが40~60代で早死にしてお父さん・お母さんが子供たちを見送らなければいけない「逆さ仏現象」が起きたのです。


その根本が「雑穀菜食」、もしくは「購入食ではなく自給食」。

村は今でいえば貧しく粗食、古守先生の言葉でいえば「粗食ではなく健康食」なのですが、白米を食べるのは正月やハレの日ぐらい。
麦を中心にヒエ・あわ・きびなどの雑穀と芋類、豆類が主食で、里芋は1日に1回は食べるのが普通。
こんにゃく、ジャガイモ、サツマイモなども食べ、冬菜という冬も育つ青菜を年中食べていました。
みな、腹八分目で、背は平均150㎝以下だけど骨太で長命。
おっぱいははちきれんばかりに出て、平均4リットルは毎日でたそうで、子どもも8人、9人が普通で多かったそうです。

それまでは、外国人が「都市部にはもはや日本人という民族はいない。しかし、ここで初めて本来の民族としての日本人を見た」というほど、低身長で骨太で重労働にも耐え、他の長寿村の長老より生物学的に20年は若いという長命な村人が住んでいました。

鷹觜(たかのはし) テルという栄養学者の有名な方がいて、この方も棡原村の調査を調べるようになり、古守先生と一緒に、深く調べていきました。
この鷹嘴先生は、岩手の貧しい村出身で、当時の村人はお金が無いので、死にそうになった時に初めて板に乗っけられて運ばれ、帰ってくる時には死体となって帰ってくる、という現状を小さい頃が見ていて、なんとかしたい、と思っていたそうです。
そして、かつて病気で死にそうになった時、栄養学の先生や主治医が懸命に治療をしてくれて治ったことで、「人の命を救えるようになりたい」と思い、医師を志した人です。

しかし、力及ばず医師になれなかったのが、前述の近藤先生の講演で「栄養学を合理的に勉強していけば、病気を治し、長寿が可能」という話を聞き、「栄養学で人を救えるならこれに命をささげよう」として、栄養学で日本や世界の病気や健康や長寿を研究してきた人です。

その鷹嘴教授を中心に、棡原村のなんと昭和元年から昭和60年までの60年間の過去の約3000にのぼる死亡診断書や食生活などを調べ上げたのです

そして昭和20年までは「うつる病気」だったのが、昭和20年以降は食べ物などによる「つくられる病気」で死んでいく人が急増したそうです。

例えば脳卒中、ガン、心臓病が食事の変化と共に急増しました。
脳卒中も、昔は脳溢血で脳梗塞と言うのは日本ではあまりなかったそうです。
ところが、食べ物が西洋化することで、西洋と同じ「脳梗塞」という病気が現れ始めたそうです。

自給食から購入食と変わり、肉・油が増え、野菜や穀物が激減していった。

そして150㎝以下の平均身長の大人の中に、小学生にして生理がきたり中学生で170㎝を超える子供が出て来た。
そういった「早熟」の子どもたちは貧弱で、骨も弱く、早死にしていった。

生物学的に「早熟→老化→早死」という流れがあるといいます。

子供の頃の過剰栄養摂取、特にタンパク質摂取が、アメリカからどんどん推奨され、当時の新聞でも「雑穀は食ってはいけない、馬鹿になる」とか「米を食ったら馬鹿になる。パンと肉を食え」と言われたいた時代ですから、どんどん食べ物が西洋化し、早熟の子どもが増え、昔の日本人らしい成長とは著しく違った成長をする子供たちが増えていったそうです。


窮乏の昭和20年代
充足の昭和30年代
過剰の昭和40年代

と古守先生は表していますが、昭和40年代に既に「過剰の時代」と言われていたのには私もびっくりしました

昭和40年代が「過剰の時代」となり、昭和50年代、60年代に「逆さ仏」が起き、この本が書かれたわけです。

私が生まれた年代は既に「過剰の時代」であり、私が中学生の頃にこの本が書かれていたのです。


この本は棡原村の事を中心に書かれていますが、その他、色々なことがまとまっています。

栄養学から、ビタミンのこと、カルシウムとマグネシウムは2:1の割合がいいのが、精米・精麦したものではマグネシウムが減り、カルシウムが過剰だと血管などを傷つけること。

また食物繊維が腸内の有用細菌を増やし、それが健康につながっていること。
世界の長寿村と言われているところの食事や生活なども比較して、相違点が探られていたり。


ちなみに、その当時、ブラジルは西洋化が進んで世界一短命と言われていました。
西洋の医学は十分だけど治らない、といって日本の著名な森口教授という先生を呼んだ病院長がいるブラジルの病院で、森口先生が日本の雑穀菜食中心の食事にしたところ、日系人は1人も入っていないのに長命化したり病気が治ったことがわかりました。

その森口先生は「長寿化は病気などへの対処療法ではどうにもならない。生活態度の全面的改善によってのみ」と言い、日本に来た時に棡原の住民をまわって、その生物的若さにびっくりしたそうです。


長寿の根本を探ったり、日本や世界の長寿村と短命村の比較を載せたり、野菜による有用腸内菌の関係、栄養学的ミネラルのお話など、まあ盛りだくさん。

色々な雑誌や本の著作をまとめたような本なので、ボリューム満点で、ちょっと昔のことかもしれませんが、戦前・戦後の食べ物にまつわる長寿と短命の集大成という本で、これ1冊あればいいんじゃないか、と思える本でした。

残念ながら絶版ですが、長寿や健康を真剣に考えたい人は、図書館などで借りてみるのも良いと思います
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