半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

フォルケホイスコーレ

2019年11月18日 | 自己紹介・このブログについて

先日、寺田本家のお勉強会に行ってきました。

というのも、私がずっと考えている「大人も子供も学べる寺子屋のような第2の学び場」の参考として、北欧にある「フォルケホイスコーレ」に関わるデンマークの人がやってくる、という事だったからです。

前置きですが、私は大学のサークル活動をやっている時ぐらいから、「誰でも、今は輝けなくても、その人が輝ける場が必ずあるはずだ」という思いを持つようになりました。

そして、勉強なりサークル活動なり何なりと、良くわからない問題を自分で理解し体得したものを、新しい人にわかりやすく教える事が、特技であり、自分が大好きであることにも気づきました。

サークルでも「パッション先生」と呼ばれていて、教育は自分の転職と気づいていました。
ただ、「好きなものはやらず苦手なものを選ぶ」という習性があるため、先生にはあこがれがあったものの、教育には進みませんでした。

しかし、大学時代に「誰でもその人が輝ける場が必ずあるはずだ」という信念と、社会人3年目ぐらいで出会ったcoactive-coachingの「誰1人間違っている人はいない」という鉄則を学ぶことで、自分の中の人に対する芯は固まっていきました。

その後、まあ色々ありましたが、自営業になり、疑問に思う事を自分なりに学び続けてきました。

そして、子どもの問題をとやかく言う大人がいる世の中で、「そんな子供を育てたのは大人じゃないか」といつも思っていましたし、そんな大人が出来てしまう理由は「社会のせいじゃないか」という思いになり、結局は、大人が学ばないと社会は良くならない、子ども達のためにもならない、という結論に達しました。

良く「勉強しなさい」という親が沢山いますが、ずっと思っていることは「でも、、そう言う親が子ども以上に勉強していないじゃないか。それならそう言う権利はないでしょ」という思いを持っています。

だから、私の場合は、自分が学んだ以上のこと、自分が努力してきた以上の事を子どもには絶対言わないようにしています。

子どもに言えるように、あるいはお手本になれるように、自分を磨くのが大人の責任だ、と思っているのです。

だから、「大人も子供以上に学ばないと」という思いに至っているわけです。

その形は学校とは違うオルタナティブ、日本語訳としては「代替となる」学校ということで、「オルタナティブスクール」というものが必要と思ってきたのですが、オルタナティブという単語は日本ではそれほど浸透していないので、「第2の学び場」「セカンドスクール」というコンセプトで、学び場を作りたい、とずっと思ってきたわけです。

で、体調も少しずつ整ってきたので、今年はその1歩としてちょっと家庭教師をやったり、「セカンドスクール」の形を具体的に考えてきました。

しかし、どうも「大人の学び場」というのがすっきりはイメージがつかない。

そんな時に出会ったのが北欧の「フォルケホイスコーレ」だったのです。

「フォルケホイスコーレ」は、北欧にある大人が行く民間大学みたいなところで、私の考えにまさにぴったりくるものでした。

具体的には寮生活をしながら勉強を学び直したり、陶芸や大工仕事など趣味や職業訓練も出来ますし、また、サマースクールのように2週間とか1週間といった短期滞在型の学びの場もあります。

海外によくある短期集中型の研修のリトリートのような感じで、集中してコミュニケーションを取りながら自分の変容を目指すものもあります。

あまりそういった研修を受けている人は日本では一部大企業や外資系の企業、あるいは人事の人しか知らないでしょうが、私が受けたco-actve-cochingの研修では、そういったことに関心がある人が沢山来ていました。

で、先日、成田で開かれた「オーガニックフェス」でお友達が寺田本家さんの今回の企画のチラシを私にくれたのです。

そこには「デンマークの食と学び」についてが書いてあったので、寺田さんのブースで当主の奥さんに「私、最近、フォルケホイスコーレに関心があるんですよね~」と話したら、寺田聡美さんが「凄い!ちょうど、今回来る人がフォルケホイスコーレをやろうとしている人が来るんですよ!」と教えてくれたのです。

そんな感じで参加してみた寺田さんの所の勉強会。

内容としてはデンマークの「民主主主義」がいかにつくられているか、という事がほとんどでしたが、よくぞまあ、そこまで民主主義を頑張って活かしているな~と思いました。

まあ、その内容はさておき、フォルケホイスコーレの事が少しわかりました。

予習として、たまたまネットでスウェーデンのフォルケホイスコーレの論文を見つけて読んだところ
・大学はエリート向けだったが、民衆にも学ぶ場が必要ということで始まった
・ところが、戦後、国が国民全体が勉強出来る場として学校を作り替えていったので、そういった民衆向けという位置づけのフォルケホイスコーレの位置づけは低下した
・今は、高校をドロップアウトした人、大学に行けなかった人、移民で言語教育が不足している人、あるいは就職に必要な技能が身についていない人が、社会できちんとした仕事を得るための「学び直しの場」としてフォルケホイスコーレがある

ということが分かりました。

あれ?これは私のお持っているのと違うな~と思って、今回の寺田さんの勉強会で聞いてみようと思ったのです。

ところが、聞いてみると「スウェーデンとデンマークは違うのです」という事でした。

デンマークのフォルケホイスコーレは
・もともとギャップイヤー、つまり、高校卒業後、あるいは就職や大学に行く前に1年間、自分で興味がある事に時間を費やす習慣が普通にある
・そういった文化の中で、社会人になっても退職後、例えば陶芸をやったり、と必ずしも就職のためではなく、自分がやりたいと思っていたことをやるという文化がある
・高福祉国家として、そういった時でも生活が保障されているから、好きなように出来る
・国としても、認可したらそのフォルケホイスコーレを設立した団体に運営費の半額を助成する、といったことがある
・そういった「誰もが好きなことを学ぶ権利がある」という民主主義が徹底している
ということでした。

これは日本と根本的な歴史や文化の違いで、国民の「学び」に対する民度も違うわけです。

日本という国家がそういった民度には、そう簡単にはならないだろうな~、と思ってしまいました。

ただ、誤解してほしく無いのですが私は日本の教育のレベルは高いと思っています。

海外の教育が素晴らしい、という人の中で、日本の教育を批判する人が多いですが、きちんと学べば、日本の教育は世界トップレベルだという事がわかります。

それは「誰もが広く学びを得れるよう」に徹底的に作られているからです。

例えば、集団行動、マナー、と行ったところで言えば、韓国のトップレベルのビジネスマンは日本の企業風土を学びに、お金ではなく企業経営を学びに転職してきます。

あるいは、アフリカやアジアの学校が、日本のカリキュラムを学んで学校を作っています。

海外は、人権尊重、民主主義で素晴らしい、というイメージがありますが、逆に言えば、「最初から仕事につくための目的的な学校」という位置づけが強く、「出来る子は上へ行きなさい。出来ない子は就職しなさい」と、身分が成績でしっかり決まる文化があります。

「出来ない子は出来ない子なりに自分で選択を考えて進めば良い」という感じですね。

日本は逆に「頑張って出来る子になりなさい」という文化です。

一長一短がありますが、「1億総中流社会」になったのは、このおかげです。

ただ、その締め付けがどんどん強くなっていっている気がします。

特にアメリカの影響のせいでしょうが、地域文化や歴史文化が壊されてきたために、「もっと学校で教えなくては」という流れになり、集団教育からしつけ、あるいは道徳まで学校で教える状態になりました。

学校に深入りしている私だから、その辺の人よりは詳しいと思うのですが、知れば知るほど「まあ、よくぞそこまでやってくれるな」と学校には頭が下がる思いなのです。

それだけ、今の日本は学校の依存しているのです。

逆に言えば、今の公教育が欧米と同じになったら、例えばサッカーやラグビーでゴミを拾ったり他国の国家を歌ったりして賞賛されている日本人らしさ、というのは無くなってしまうだろうな、というのが私の思いです。

と、話がずれましたが、大人が自ら学ぶような場、という意味で、デンマークのフォルケホイスコーレのようなものは日本ではまだまだ合わないな、と思ってしまいました。

ただ、ファシリテーターの人が「日本でも一応、3つ、フォルケホイスコーレがあります。また、そのままの形でなくても、例えば、国がお金を出して若者を地方で1年間、魅力を発掘させて起業させたりする『地域起こし隊』がありますが、あれも形はちょっと違えどフォルケホイスコーレみたいなものですよね?今の若者はきちんと情報を発信すれば反応してくると思いますよ」といった話をしてくれました。

なるほどな~、と思いました。

私も色々考えていますが、私の基盤は「農村」にあるわけだから、もともとやっている事業を中心に、カリキュラムやプログラムを追加して整備する形で設立した方が、筋が通るな、と。

この勉強会中、私は耳で刺激を受けながら頭は自分の「セカンドスクール」の作り方を色々考えながら構想を紙に書きつけていた時間になりましたが、「吸収する場」としてよりは、「刺激を受けて自分を活性化する場」として、しばらく久々に外に出てみるのもよいな、と思いました。

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