今週の朝採り野菜ボックスのお手紙です。
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新年が明けてもう半ばですので、みなさん、普段通りの生活が始まっていると思います。ただ、能登半島地震で普段通りの生活が出来ず、避難所暮らし、あるいはまだ親族が行方不明の方がいるなど、大変な時期を過ごしている方が大勢いると思うと、何ともやるせない気持ちになります。
地震発生の元日、せめての救いが雪や雨が降っていなかったことですが、その後、雪や雨で更に大変になっている映像が流れるようになりました。厳しい環境下で気温の低下や寒空は人の心をむしばみます。地球温暖化と騒がれますが、「今年は暖冬でも良い」と思ってしまいます。
改めて、普段の生活、生きている事のありがたさを感じるのが大災害ですよね。
私の人生で今のところの大災害は福島原発事故です。月曜日にたまたま福島の状況を伝える冊子を目にしたのですが、関心を持つ人が少ないせいか、ついに廃刊となるそうです。しかし、今日まで福島の現状を伝え続けてきた冊子で、今月号を読んでみると、除染をした後にまた放射線量が上がり、そのまま放置されている地域が沢山あるそうです。
特に、除染対象は住宅地や田畑、がれきなどで、野山はその対象から外されているとのこと。その中でセシウムを吸った木々が葉にセシウムを送り、そのセシウム入りの落ち葉が土に戻り、今は腐葉土が一番の放射線量になってきているそうです。「自然循環の中に組み込まれてしまったセシウム」という小見出しだったのですが、恐ろしい事が平気で放置されている事に驚きます。
自然災害はどうしても起きるわけですが、その災害に対する対策、対処がその後の被害の規模に繋がります。
人間は自然の一部であり、自然にどうやっても勝てる存在ではありません。
ヨーロッパでは旧約聖書で神が自然を作り人間がその自然を支配するという発想が生まれ、その後、17~18世紀頃に自然を科学的に解明してコントロールしようという思想になり、今もそれが続いています。
しかし、日本の農村では当たり前の事として「自然によって人間は生かされている」という考えで生きています。
「何とかコントロールしよう」という考えと、「人間が自然に合わせて生きていく」という考え。どちらが正しいとかではなく、自然災害は必ず起こるものですから、その前提で対処出来そうな事は予め考えて準備しておく事、その上でなるべく災害が起きたら大変な事になりそうな場所には住まない、という事が大切だと気づかされます。そして起こった後にはみんなで助け合うしか無い。そう思って普段から生きていくしかありませんよね。
つらいことも悲しい事も人生では必ず起きます。それでも命があって生きて行けるのであれば、それは幸せな事だと思える人間になっていきたいですね。