半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

歴史観

2015年10月05日 | 自分の時間
司馬遼太郎さんの「跳ぶが如く」を夏の初めに読み終え、その後、「坂の上の雲」を読んでいます。

また、最近は「グローバル幕末史」という本も読んでみました。この著者は司馬遼太郎さんの視点を批判していて、著者生りに色々な歴史の切り取り方をしていて、それはそれで面白かった。

安保法案関連では、NHKの党首討論番組などを結構見ました。


ここ最近、そういったものが重なっていたのですが、畑仕事をしていていると、たまにふとストンと何となく考えていたことの答えが自分なりに落ちてくることがあるのですが、「歴史はなんで学ぶのか?」という問いに対して「歴史観を持つため」という答えが浮かんできました。


今の時代、社会を考える上では、どうしても歴史を振り返り、「今に至った流れ」を「自分なりに解釈」しないと、わからないものです。


結局、いきつくところ、過去からのつながりを考えないと、今を考えることはできないし、主義・思想を持っているからこそ、その人なりの生き方が出来るわけですものね。


その主義・思想が強すぎると、ぶつかったりしますが、それを戦後は持たなくさせる教育をしてきてしまったため、今のように自分なりの思想をもてず、宙ぶらりんの状態の人が多い状態になってしまっているのだと思います。


だから、歴史を見て、自分なりの「歴史観」を持つ必要があると思います。

歴史は実際にあったことをまとめたものですが、まとめた人個人の体験や主義主張から書かれているものです。
為政者の視点からと一般市民からの視点は全く違います。
戦争も軍政からの視点で見るのと、兵卒からの視点では全く違います。

だから、歴史は個人の思想に基づいているものであって、千差万別なものであるのは当たり前で、正解なんて無いのは当たり前。

だから、「観」を自分なりに持つ必要があると思うわけです。

ある学者が「ある民族を抹消させるには、歴史と文化を教えなければいい。過去の歴史のおいて、歴史と文化をないがしろにした民族は全て滅びている」と言ったそうですが、その通りだとは思っています。


歴史観を持たないと、思想の背景が無いし、その状態で安保関連法案のことやグローバル経済のことや世界における日本の役割を考えても、結局、マスメディアの情報に感化させられ、流されてしまいますものね。

「歴史は歴史観を持つために学ぶ」と合点がいった畑作業の時間でした。
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