半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

人間がゆったりしていた時代

2015年10月12日 | 農的体験・生活
仕事の関係で、先月で69歳、16歳から農業を始めたというので、農業暦53年にもまる農家さんのところにお話を聞きにいきました。

計算すると、、、お~、私が生まれる前に既に農業をやっていた方なわけです凄いな~

良く、高柳さんからは、都会に「金の卵」といわれた地方出身者が集まり、国道が出来て地方の野菜が都会に運ばれていった最初の頃は、野菜はビニールなんてなかったからワラで束ねていた、というのを聞いたことがありますが、そういった時代も当然知っている方です。

今はハウスで葉物を中心に作っていますが、1960年代~70年代にかけては、そもそも「野菜を売る」という時代ではなかったといいます。
つまり、流通させるものではなく、作物といえば春から秋に落花生、秋から春にかけて小麦を作っているぐらいだったそうです。

農協も当然、野菜なんて扱っていなかったそうで、畑作地帯では、ほとんどの農家が落花生と小麦を作っていて、田園地帯からはお米が、畑作地帯からは小麦が農協に集まっていた時代だったそうです。

「この辺では、さつまいもは今では全国トップクラスですが、さつまいももそんなに有名ではなかったのですか?」と聞くと
「そりゃそうだよ。さつまいもなんて、せいぜいデンプンをとるために作っていたぐらいだよ」とのことでした。

でんぷんというと私の頭には北海道の馬鈴薯のでんぷん、というイメージぐらいしか思いつかなかったので、まさか成田ででんぷん用のサツマイモが作られていたというのも驚きでした

当時は、トラックなんて持っている人が少なく、リヤカーで納品に行くのが普通だったとも言います。トラクターなんて当然誰も持っていない。

「今だったらトラクターが無くちゃ農家は出来ないでしょ。だから高くても何とか買おうとするけど、当時は高嶺の花過ぎて、そもそも買おうなんて思わないほどだったんだよ」

「でも、今は機械に使われちゃう感じでしょ。やってもやってもキリが無い感じ。あの頃の方が人間がゆったりしていたな~」という言葉はとても印象的でした。

山下惣一さんの本でも「農家は貧しくて大変で、その労働苦から農薬や機械が解放された、という固定概念が広がっているけど、それは嘘だ。機械や農薬のせいで、働いても働いても儲からないようにさせられてしまったんだ。昔の農家は苦しみながら農業をやっていたなんてことはない。東北地方や冷害など一部のところは違うけど、ほとんどの農家が、草を取るのも田んぼをやるのも、隣の手伝いをするのも、みんなで助け合って、心のゆとりが今よりよっぽどあってやっていたんだ」と書いてありますが、そういった心境だったのでしょう。

また、昔は家を継ぐまでは就農といっても親から駄賃が出るわけではないので、常にお金が無く、冬は土木工事、夏は佐原の方に田んぼなどの手伝いに行って手間賃を稼いでいた時代だったそうです。

そういった時代を経て来た方から見れば、今の時代はどう見えるのでしょうか?

作れば売れる。売るために作る。。。そういったものだけが農業ではない、という思いは、昔の農業を、その頃の生活や人間関係を肌身で経験してきたからなんでしょうね。
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