駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

記録破りの暑さ

2018年07月24日 | 自然

 

  昨日は41.1Cの日本一の高気温を埼玉熊谷で記録した。他愛無いというか、奇妙なことに、日本一の高気温の復権で、熊谷の人が憮然としながらもなんだか嬉しそうだ。どうせ暑いなら日本一がいいという気持なのだろうか。一時、岐阜の多治見が日本一の高気温を記録したことがあった。地味な岐阜の地味な多治見の人が日本一暑いんやよと、何だか自慢げに報告してくれたのを思い出す。

 果たして高気温日本一が、それは良かったというものだろうかと思うのだが、故郷の名が出るのは嬉しいものらしい。

 多くのマスコミは話題性だけで動き、人の噂も二十五日とずいぶん短縮したようで何でも直ぐ忘れる傾向がある。しかし日本亜熱帯化は忘れることなく、新たな現実の問題として長中短期の対策を建ててゆかないととんでもないことになる。こればかりは個人の力ではどうにもならない。劣化した政治家には期待しなくなったというか興味が薄れてきたのだが、どこかに賢人が残っているはずだ。読売、朝日、毎日、日経それにいくつかの地方紙には賢人の言葉が見つかる。それを生かせる世の中にという希望は捨てられない。

 学生にはスマホの手を止めて、いくつかの全国紙と地方紙を時々は読んで欲しい。物事は一言では言い表せない、一つの見方だけでは捉えられない。みぞゆうの暑さ、救急車ご苦労様ですで押し通す政治家では中々好手は見つからないと思う。

 

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鰻重を戴く

2018年07月23日 | 旨い物

    

 万葉集にも夏痩せに鰻召しませと謳われている。万葉の昔から鰻は栄養満点と知られていたようだ。今のような蒲焼きと言う調理法が始まったのは江戸時代の中頃とされるが、誰が思いついたか、これ以上飯に会う調理法はないと思う。昨日は土用の丑の日二日遅れで、鰻を食べてきた。そういうことはないと言われるかもしれないが、土用の丑の日は注文が多すぎて味が落ちるのではないかと、いつも避けている。

 鰻は海で産卵するが川魚で、海のない故郷の岐阜でも、幼い時から時々ご馳走になってきた。子供心にも美味しく、鰻と聞けば心躍ったものだ。成人してからも帰省すると父や兄がじゃあ鰻でもと近所の川魚料理の料亭へ連れて行ってくれたものだ。

 懐に余裕ができた働き盛りには月に一回くらい食べていた。しかし、だんだん値が張るようになり、今では年に数回食べるだけの本当のご馳走になってしまった。うなぎ屋自体も数が減ったようで鰻専門店は市内に七、八軒と思う。ウナギの蒲焼きは地方によって背開き腹開き蒸す蒸さないと調理法に様々なバリエーションがある。自分は故郷の蒸さない蒲焼きが好みだ。そうはいっても江戸風や九州柳川風も嫌いではなく、美味しく戴く

 昨日訪れた店は、鰻専門店で座敷があり、床の間に軸が掛かり、小ぶりの庭を眺めながら待つことができる。時代の流れで待たせないために時間指定の予約制で、座敷でも椅子とテーブルの設えになっている。

 父も兄も亡くなり、故郷にあった蛙の鳴き声や青い水田もないが、縁あって移り住んだ土地で家内と二人、見事に焼きあがって照りのある鰻重を「美味しいね」と戴いたことだ。

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名も知らぬ訪問者

2018年07月22日 | 世界

             

 午前七時だというのに庭に出ると直ぐ汗ばむ暑さだ。おまけに蝉が喧しい。今年は七月始めから鳴き始めた。梅雨明けが早いのを知っていたようだ。蝉時雨と言う。以前は頭がくらくらするほどの大音声であったのが、どうもさほど大きくは聞こえない。蝉の声が小さくなったのではない、聴力が衰えたのだ。幸い老化に伴う難聴は高音から落ちてゆくから、聴診は何とか出来ているが、私に輪を掛けて難聴の患者とは「ええ」、とお互いに聞き返して、看護師に中継して貰うことが増えた。幸い女房はメゾかアルトか、声に低い成分があるので聞き取りやすく助かっている。食卓でお互いに聞き返してばかりでは話が弾まない。

 庭に見かけぬ鳥が居た。飛び立たずひょいひょいと逃げていったが、何者だろう。携帯を持っておらず写真を取り損なった。雀より大きく鳩より小さい、羽に紫がかった色が混じっていた。何だかちらっと私の方を見たようで、何か悪さをしていたのだろうか?。

 気が付けば鳥や植物の名前に疎い、実が小さいとリンゴと杏の区別もできない。名前を知ると分かった気になるのも妙だが、取り敢えず名前を覚えると安心するというか腑に落ちる。今度見かけたら写真を撮ってやろう、セミプロ鳥写真家のT先生に見せれば一目でこれは**ですよと教えてくれる。我が名はアラムというウイリアムサローヤンの小説があったが、名はまだないという猫も居た。尤も猫の方は猫科家猫という分類が出来るので、見かけても何だろうとはならない。そういえば足下を歩いている虫にもさほど詳しくない。長く生きてきたが、身の回りにあるのものの名前をあまりにも知らないと植物図鑑、昆虫図鑑・・などを購入して調べてみるかという気になっている。名前を知ると分かったような気がするし、派生して色々な知識も得られそうだ。七十年前無意識でせっせと憶えたありとあらゆるものの名前、いつの間にか用が足りるようになり学習が止まったようだ。再出発という心境は心地よい。小学生に戻った気分であれこれ名前を調べてみたい。

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まだ間に合う

2018年07月20日 | スポーツ

           

 オリンピックはアスリートのための祭典である。経済効果は付随するものだ。勿論、経済効果を主たる目的に暗躍する経済人や波及効果を狙ってものを言う政治家は数多いが、人類最高の運動能力発現のために主目的を譲ってはならない。昭和三十九年の東京オリンピックから五十六年、この短期間のうちに日本は亜熱帯化した。40Cのグラウンドで選手をへたばれさせようというのか。五十六年前は秋晴れの下をヘイズは駆け抜けアベベはひた走った。

 2020年オリンピックは少なくとも一か月半できれば二か月遅らせるべきだ。ブームが去り影の薄くなった小池さんにはクリーンヒットの大英断を下すチャンスだ。

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底に残ったウイスキーを見て

2018年07月19日 | 医療

 余程財力と介護力がなければ、認知症の老人の行方は施設と相場は決まっている。入所施設も甲乙丙というか松竹梅というか、いろいろある。勿論、同じ乙や竹でも施設によってお値打ちとやれやれとばらつきがある。

 原則としてこうした施設の往診はお断りしているのだが、浮世のしがらみで十年前までは数か所、徐々に減らして今も一か所往診している。有体に言えば丙と言うか梅と言うか最低限の介助が行われているグループホームである。職員はそれなりに頑張っているが、人手が少なく管理的な傾向がある。おそらく私を手放さないのは、私が月一回の往診で随時に対応するので廉価便利だからだろうと思う。

 職員は入居者を決してぞんざいに扱っているわけではなく、限られた人数でできるだけのことがされている。しかし、人手が限られているので、手が掛かることを非常に嫌う。常に夜寝ない、騒ぐ、乱暴する・・を何とかしてくれと言う要求がある。教科書的には、理解ある対応でこうした周辺症状は軽減できるとされているが、中々現場では十分な対応が追い付かず、薬に頼る割合が大きくなってしまう。

 こうした現場を見て国会議員やマスコミは何と言うだろう。勿論与党野党で違うだろうし、マスコミも売れ筋を追うから、よくやっている(実際に現場はできることをしている)から不十分な扱いだ(経営的には万全なことはできない)まで、色々な見方がされるだろう。

 家族の対応も臨終に駆け付ける家族から、死んだら連絡呉れという家族までさまざまだ。しかし、はっきり言えば家で亡くなる人に比べれば寂しいというか手薄い感じがある。

 願わくは死ぬまで殆ど呆けないで、十日ばかり家で寝込んで終わりたいと思うが、こればかりは鬼が笑うかもしれず、控えめ微かな希望である。

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