駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

確度の高い予報がなぜ生かされないか

2018年07月10日 | 人物、男

        

  昔は賞味期限の切れたポテトサラダも気象庁気象庁気象庁と三回唱えれば当たらないと言われた。今や週末に遠出を計画する時には天気はどうかなと必ず予報を参考にする、ほぼ百パーセント当たるようになったからだ。

 しかし今回の西日本豪雨では雨が降る前からの数十年に一度の災害が起こる雨量になるという気象庁の警告も虚しく、多くの方が命を落とされた。どうして折角の警告が十分に生かされなかったのだろう。安倍首相は西日本豪雨の中、権力維持に長けている才能を発揮して、災害情報を措いて自民党の懇談会に出席していた。まさかここまでの被害が出るとは思わなかったと出席した要人は釈明しているようだが、天災は忖度しないのをご存じなかったらしい。

 亡くなられた方のことを何か言う気持ちは毛頭ないが、どこかまさかと高を括るところがあったり、未曾有の災害に備えるつもりでもいつの間にか型通りの点検に終始していなかったかと、人間的要素の介在を懸念する。

 近年の日本の健忘症は変わり身の早さという良い側面もあるかもしれないが、貴重な教訓を忘れる副作用も大きいように思う。私の故郷、木曽川長良川揖斐川の集合する濃尾平野西南部では洪水が日常茶飯事であったので、江戸時代から様々な治水工事が行われ、個々の農家は皆船を持っていた。おそらく今も船のある農家が多いと思う。

 NHKの大河ドラマで西郷隆盛が放映されているが、薩摩の偉人といえば宝暦の治水の功労者平田靭負を語り継がねばならない。

 住みなれし 里も今更(いまさら) 名残(なごり)にて 立ちぞわずらふ 美濃の大牧 

コメント (2)
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