コンフェデ杯、対イタリア戦、日本は見違える出だしで、2-0とリードしたのだが。
止めを決められず、負けてしまった。残念無念。
しかし、ザックが駄目という結論にはならない。捲土重来、ぎりぎりで止めがさせる精神を何とか涵養してゆきたい。これはサッカーに留まらず、国際舞台で日本に求められるものだ。「シャラップ」などと暴発しては、脇が空いてひっくり返されてしまう。
腰を落として、冷静に寄り切る能力を何としても付けたい。
コンフェデ杯、対イタリア戦、日本は見違える出だしで、2-0とリードしたのだが。
止めを決められず、負けてしまった。残念無念。
しかし、ザックが駄目という結論にはならない。捲土重来、ぎりぎりで止めがさせる精神を何とか涵養してゆきたい。これはサッカーに留まらず、国際舞台で日本に求められるものだ。「シャラップ」などと暴発しては、脇が空いてひっくり返されてしまう。
腰を落として、冷静に寄り切る能力を何としても付けたい。
W杯予選、イランが韓国に一対零で勝利した。多くの日本代表サポーターも同じだった?と思うが、私はイランを応援しながら観戦した。
韓国が優勢でシュート数では十四対一で圧倒したが、イランは唯一のチャンスを冷静に決めた。相手のミスを突いて抜け出したイランFWゴーチャネジハドはキーパーと一対一になったが、キーパーの動きを瞬時に見極め、唯一のゴールゲットコースにボールを蹴り込んだ。正に針の穴を通した。漸く巡ってきた千載一遇のチャンスを暴発せず、冷静に決めたのは凄い。
日本選手だったら十中八九慌てて、キーパーの正面に蹴ってしまうか、ゴール枠を外していただろう。頭に血が上って、プレッシャーからどうしていいかわからず、暴発してしまうからだ。
千載一遇のチャンスに氷のように冷静、瞬時に判断し、成し遂げる能力は、残念ながら、一朝一夕に身に付くものではない。
血の涙を流させてやるなどと、挑発した激情韓国は自滅した。以って他山の石としよう。
家を支えているのは柱と梁だ。では社会を支えているのは何だろう。
先週の木曜日に何時もお世話になっているS病院外科のM部長から電話があった。
「恐れ入りますが、58歳の大腸がん再発で末期の男性の患者さんなんですが、入院を拒否され在宅で看取りを希望されているんです、診ていただけませんか?」。
「あー、わかりました、診させていただきます。家族に紹介状を持たせて受診させてください」。と返事をしたことだ。
金曜日の午後、分厚い紹介状を持って外来に現れたのは太って横柄な感じの奥さんだった。あれなんか違うと思ったのだが、カルテの記載から生活保護と知って違和感は恐れに変わった。
とても十分十五分では書けない丁寧な紹介状を読み、K病院で初診手術後再発して経過が思わしくないのでS病院へ転院したが、肝転移で寝たきり状態にある。痛みは麻薬でコントロールできている、食事が進まないのだが、入院を拒否し在宅治療を希望していることがわかった。
「大変ですね。お家で最後まで見られるんですね」と聞くと
「入院、嫌がるんでね」との返事だった。
「それじゃあ今日は金曜日ですから、週明けにお伺いします。、拝見してからどうしてゆくか御相談しましょう。看護師にお家の場所を説明しておいてください」。
昨日昼頃になって看護師が「今日往診の予定だったNさん、日曜日S病院に救急車で入院されたそうです。往診はなくなりました」と言う。すぐ、M先生からファックスがあり、折角お受け頂いたのですが、食事が取れないと入院されました。最後までこちらで診ることになりそうです。申し訳ありませんでした。と記されていた。
私の予感は当たったわけだ。生活保護に偏見があるとおっしゃる方が居られるかもしれない。しかし、申し上げれば、私の医院は市内で五番目を下らない数の生活保護の患者さんを二十年以上診てきている。勿論、成程やむを得ないと思われる生活保護の方が多いのだが、この数年そうかなあという方も増えている。引け目を感じることはないが、少しは感謝の気持ちと周りへの配慮があってもと思う。
経済的に恵まれた医者に何が分かるかと言われてしまうのだろうか。
ザックジャパンがブラジルに完敗、歴然とした実力差があった。良い勝負が出来ると発言していた日本選手にはきついお灸となった。
ザックが戦前に、どの程度の戦いを予想していたのか分からないが、どうも作戦がちぐはぐだったと思う。前田を先発させず、本田のワントップにしたのはどういう意図だったのだろう。上手く機能しなかった。苦し紛れの選手交代も証文の出し遅れで、軽くあしらわれてしまった。
ザックに迷いが出てきたように思う。最初の頃の成る程という選手起用と良い意味の頑固さが失われている。コンフェデが最下位だと、監督交代の話さえ出てくると思う。危機感を持って立て直す必要がある。
良い所もあった。なぜ内田を使うのかというほど低い評価をしてきたが、内田が学んで成長している。十分には活躍できなかったが今野には光るものがあった。川島を責めることはできない、よくやった。香川、清武、長友は物足りない。レギュラーも危うくらいの危機感と謙虚さが求められる。
難しいことだが走りながら考えないと上は望めない。個の力の差などと簡単に言わないで欲しい。体格筋力には人種差もある。日本は日本的な組織力で戦うのが良いというのが冷静な分析と思う。
*日本的な良さと言えば香川や清武よりも中村憲剛ですよ、ザックさん。
週末だというのに街を歩くと人通りが少ない。量販店で閑古鳥が鳴いている。昼飯に中華を食べたのだが、値下げしているのに(半年前は1500円だった定食が、1200円)ランチタイムに空き席がある。子連れ向きのハンバーグ店だけに数家族待ち客が居た。
「景気が良いのは車関係だけでしょ、私んところは変わりませんね」という患者さん達の言葉通り、アベノミクスは空っ風で、上の方を俟っているだけのようだ。
権力に集る人達によって、客観的な事実が官邸に届かなくなることが恐ろしい。マスメディアが強気を助け弱気を挫こうとするのだから怖い。未曾有(みぞう)の危機困難が、立ちはだかっているのだから、それを言葉巧みに覆い隠すのではなく、それに周到に立ち向かうように国民に呼びかけるのが、本当のリーダーと思う。言葉数ばかり多く、未だ何もやり遂げていないのに自分を褒める人がリーダーの椅子に座っている。不都合はオブラートに包んで、選挙で不利にならないように立ち回る才能を政治的能力というのだろうか。
指摘したいのは、コマーシャリズムによって、多くの人の考える力が弱まってしまっていることだ。コマーシャルは商品が売れることを目的にしているので、単一思考になっている。最近は何の広告か分からないカモフラージュ型もあるけれど、目的が売ることによって利潤を上げることなのは変わらない。BS放送を見ていると、漫才よろしくまじめそうに説明する人と馬鹿の一つ覚えで感心して商品を持ち上げる人の寸劇が放送されている。鵜呑みに感心する俳優は自分でもアホなことをしていると心のどこかで思っていても、これはコマーシャルで商品を売るための仕事だから、暫くは魂も売ってよいと自己弁護を用意しているのだろう。
広く世界を見ていろいろな立場で考えることを捨て去ることは実はある意味易しい生き方なのだ。勿論、一つのことに邁進し偉業を成し遂げることは評価するけれども、それと同じように立派な生き方はいろいろある。異論もあるだろうが単一目標は見えにくくても思考停止を武器にしており、あれこれ考えながら生きる地の塩がそれに引けをとることはないと思う。