駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

楽しみを考える

2008年12月17日 | 趣味
 楽しみというものは、思い巡らし計画を立てる時から始まり、喜びは達成する寸前が頂点のような気がする。
 Ann(e)ほどではないが、あれこれ想像を逞しくする才能?に恵まれているので、旅行の計画や買い物の計画から実現性のほとんどない移住計画まで考えることがある。
 取り合えず今は自分へのクリスマスプレゼントを考えている。もう誰もクリスマスプレゼントなどくれない。頂戴という人は一杯いる。どうも貧乏性で、毎年今年は奮発と思っても、結局自分はもういいやとか今度にしようなどとなってしまう。それでも一応CDプレイヤーをもう十年使ったからワンランク上のにしたいと思って検討に入ってはいる。
 なぜか分からないが、妻子孫に買ってやる時は奮発するのに自分の時は倹約してしまう。さして私と収入が変わらない友人の中には高級車が買えるほどの音響装置や一生掛かっても飲みきれないワイン収集をしているのが居る。自分にはとてもそんな真似はできない。大して使わない小遣いはほとんど本代に消える。
 面白い考え方があって、実際に実現したことを望んでいたのであって、実現しなかった夢は本当は望んでいなかったとか、判断するたびに(正確な表現ではない)世界は枝分かれし、実は無数の世界が併存しているのだという多世界理論などがある。どうも負け惜しみ理論とか無いも同然理論と名付けたい考え方で、どちらも私には説得力がない。
 昔、私作る人僕食べる人というコマーシャルがあった。セクハラだか女性蔑視だかで、中止になった。僕稼ぐ人私使う人というのは逆セクハラとか男性蔑視にならないものかと考えたりする。もっとも、それは対になるから単に思いつくだけで、実際には、僕稼ぐ人私達使う人で全然抵抗はない。正直に言えば買って貰って嬉しそうなのを見るのは楽しい。存外そんな男も多そうだ。
 どうも楽しみを考えるから脱線してしまった。復旧は難しいので、楽しみについてはいつか又の機会に書きたい。
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