駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

引き倒しては

2008年07月16日 | 贔屓
 引き倒しては行き過ぎで、過ぎたるは及ばざるがごとしになってしまう。贔屓どころか何でも引き倒してしまう人達がお隣に居て辟易するが、それはさておき、贔屓の楽しみには気持ちよさ心地よさが欠かせない。
 贔屓にはファンという対応概念があるから、人類共通の心理のようだが、一体どのように決まるものなのだろうか?。オリンピックで自国を応援するのは、心理としては似ているが贔屓とかファンとは云わない。もう少し個人的な背景から導かれる心の動きで、難しく云えば自己願望の投影とか、仮託とか分析的なアプローチもできるのだろう。贔屓はだいたい人間がらみで、英国贔屓とか鉄道ファンとは云うが、どこかに人間の要素があるように思う。微かに恋心に似たところもあるせいか?。
 贔屓というのは、特別な失望や落胆がない限り永続的なもので、三日で飽きるのでは贔屓と云わない。失望や落胆を乗り越えて贔屓が続けば本物で、控えめに節度を保っているのが本筋のようである。そんなのつまんないという方は、まだ青い浅い。引き倒すのは見苦しい。
 俺には私には贔屓なんていないありません、公平正大なんでですからなどという人とはあんまりお付き合いしたくない。
 日本語は豊かで贔屓に似た肩入れというのがある。これも味わい深い。囲碁将棋サッカーテニスボクシングなどを観戦するが、馴染みのない選手ティーム同士の試合でも、どちらかに肩入れして見ていることが多い。その方が楽しく面白い。無茶苦茶な?基準だが女性の場合は大抵可愛い方を男性やティームでは素朴な感じの方を応援する傾向がある。どちらかというと、しのぎ好みかもしれない。
 患者さんの中にも贔屓とか肩入れまではいかないが、何となく顔を見るとほっとする方が居る。どなたかと言うことは守秘義務?で内緒ですが。
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