国会論戦ではしばしば聞かれたこととすれ違う答弁がされる。まともに答えると不利だからはぐらかすのだろう。常識あるいは道徳で正しいことと勝負や利害は必ずしも一致しないし、本音と建て前を使い分ける日本ではこうした現象が起こりやすいのかもしれない。勿論、答弁する政治家の性格もおおいに関係する。
こうした論点ずらしが政治家の得意技?としても、丸山穂高議員が言論の自由を持ち出したのには呆れる。勿論、言論は自由でなくてはならず戦争で北方領土を取り返せと居酒屋でおっさんが言うのは自由だが、国会議員が言えば国益を損ね責任が問われる。それだけの話だ。責任が問われると言うよりは幼稚で国会議員の資格が疑われるといった方が良いかもしれない。議員辞職勧告決議案が所属する維新から出るのは奇妙に感ずるが、元々問題児と思われていたかもしれない。
政治家にとって言葉がいかに大切なものかが分かっていない。国会議員という立場と仕事を理解していない。何で俺だけ、AだってBだってと言い張る人は、良い臨床医にはなれない。医者に限らないだろう、自分の間違いと責任を転嫁する人に良い仕事はできない。
丸山穂高議員はまだ若い、どうもこの決議案方式には違和感を覚えるが、自分の至らなさを認めて謙虚真摯に反省すれば、出直すことが出来ると申し上げたい。人間は変わるのは難しいけれども、変われないわけではない、学んで成長することが出来る。