駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

病気だけとはまいらず

2014年03月12日 | 診療

                 

 固有名詞は出さないが家内にはやりきれなさを話すことがある。彼女は簡単に「そんなの医者の仕事を越えてるじゃない」と片付けてくれるのであんまり参考にならないが、聞いて貰えれば由としている。それは患者が私に家庭の愚痴をこぼすのに似ているかもしれない。

 高齢者が超高齢者を診ていると、何だかおかしなことが起きてくる。七十の娘が九十過ぎの母の面倒を見ていると、娘の方が私疲れるからと母親をあちこちのショートステイに月の半分ほどを泊まりに行かせるようなことが起きてくる。殆ど寝たきりでも親は親、不自由させられる母の方が娘を気遣って泣きそうでも笑っている。

 自宅で終わりたいと帰ってきた兄の看病について、甥のやり方に一言言いたいと面会に来る弟が居たりする。病院からの紹介状に何と書いてあったか教えて呉れなどと言う。ぼんやりとはぐらかして、お家の人にお聞きになって下さいとかわすのだが、兄貴は我が儘で兄嫁はいいなりだからと聞きたくもない話を聞かせて下さる。兄貴はどうも碌でもない医者に診て貰うことになったという顔でお帰りになる。

 まあ、脚色はしてあるが、第一線では訳のわからないことが一杯ある。昔、事実は小説より奇なりと申しますと始まる番組があった。小説にはさほど詳しくないので断言はできないが、現実には小説に負けず奇妙な事があるのは間違いない。

 家庭の事情に相談されなければ口出しすることはないが、その場に居て何も感じない訳にはゆかない。

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