駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

愚や愚や汝を如何せん

2009年10月20日 | 診療
 世間のことには並でも、医療のことは専門家として十分な知識見識考察を持って患者さんに相対している。
 これを愚かと言ってよいかどうか難しいが、医者の勧めを退け無視し助かるあるいはまだ生きられる命を失うのは個人の見解の相違で済むことなのだろうか。その人の趣味と人生で他人がとやかく言うことではないのだろうか。軽々に愚と批判はできないとは思うのだが、他方に何としてでも助かりたいと思う人達を抱える医師としては苦い思いがある。
 私の指示を受け入れないのなら、ではどうして医者へ来るのかとも思う。私は免罪符かおまじないか、それとも気に入ってくれることを言ってくれる医者を捜す途中で寄ったのか。こういう患者さんは心に引っかかるので多いように感ずるが、実際には百人に一人くらいの割合で私の診断と治療方針を拒絶する患者さんがおられる。総合病院で精査して治療を受けなさいと言っても、「いい、何ともない」。と帰ってしまわれる。
 そして何ともあってから、苦しいと飛び込んで来られ救急車を呼ぶことになる。奥さんは「ああいう人だから」と、あきらめ顔でも集中治療室で高額治療を受けることになるし、最悪では亡くなることもある。
 そして何だかここが腫れてきたと外から触れるしこりができてから来られても。脇でご主人が「だから言っただろ」。と愚痴られても、折角のチャンスは逃してしまっている。
 残念ながら町医者には高価な設備はなく100%の診断は難しい。いつもこれは怪しいという段階で手を打っている。正直に言って正解の確率は六割程度だ。言い訳のようだが、だから言い切って説得しにくいところがある。違ったらどうするなどと言われてはとても・・。勿論、それだけでなく他にも医師側の説得不調要因にはいくつかあるだろう。しかしそれは多少事務的、口下手、無愛想などなど個人差の範囲で医者側の咎というほどではないと思っている。やはり、患者さんの賢明でない反応判断が不幸な転帰を招いてしまう。 
 ではそうした専門家の勧めや指示を拒絶するのが愚かと言えば、医学的には愚だと思うのだが、言い切れるかどうか。人間には複雑怪奇なところがあり、その人の判断にはどのようなものであれ、その人が引き受けられるものであれば、なにがしか尊重すべきものがあると思うからだ。
 しかしながら、俺の命私の命と言われても、どこかでそう言い切れるかと医者としていや個人としても心に引っかかる。
 

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