駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

応接を均す

2009年05月30日 | 診療
 西村由紀江のCDを聞いている。ゆったりとして、なんだか話をしているような曲が続く。
 さして仕事がきついわけでもないのだが、どうも少し疲れているようだ。今日はあんまり患者さんに親切でなかったかなと振り返る。町医者の親切というのは第一に話を聞くことなのだが、今日は話の腰を折ることが多かった。
 話を聞くのは簡単そうで難しく疲れる、正直に言えば何度も聞いた話や愚痴に近い訴えを聞くことはあんまり楽しくない。それで、疲れているとどうしても根気が続かず、じゃあとお終いにしてしまうことが多くなる。それといつもは誰にも同じように接するように気を付けているのだが、疲れてくると分からず屋親父とか独りよがりおばさんの話を身を入れて聞くことが難しくなる。
 誰にでも等しく接するのは、言うは易く行うは難しで、理解力の低い人横柄な人愚痴っぽい人突っかかってくる人に殊更親切丁寧にしないと誰にも等しくは実行不可能なのだ(善男善女には自然に十分なことができてしまう)。こちらが元気な時はそれができるのだが、疲れていると感じの悪い人我が儘な人の話を聞くのは楽ではない。
 もうひとつ困ったことは感じの悪い人我が儘な人に丁寧に応対するとそういう人が集まってきてしまうのだ。他の医院で働いたことのある事務員や看護師に先生の所は妙な人が多いと思いますと言われてしまう。言外に何とかしてくださいと言う意味が含まれている。土地柄だと思うと返事をしていたのだが、そうでもないのかなと、今では我が儘横柄な人にはある程度反撃するようにしている。そうすると驚くべき事なのだが、大人でも時間を掛ければある程度矯める事が出来るのがわかってきた。勿論、容易なことではないのだが。どうも我が儘で横柄な人は今までそれを注意されたことがなかったらしい。反撃されると驚くようだが、少しずつ穏やかになる人もおられる。これは恐らく医者にして漸く可能なことかも知れない。普通の店では客に注意することは難しいだろうから。 

 
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