駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

運命を比べない

2008年02月13日 | 人生
 時流に沿って・・ないとした。日本人には「・・せよ」。よりも「・・ない」の方が肌に合うようだ。する方は善意でも、される方は迷惑の事もあるので、袖すり合って生きる我々には、消極的のようでも「・・ない」の方が有効な知恵のようだ。
 運命と重く表現したが、運の方が日常的で近しくわかりやすいかもしれない。

 物と情報が溢れ、一見豊かで自由な現代日本に暮らしながら、実は物と情報に溺れ、貧しく不自由に生きている(と感じている)人は多いと思う。その不具合を不条理と感じ、運の悪さを怒り嘆いている人は相当な数に上るだろう。
 誰もが首肯する不運な人も居る、それでも。一方、他人から見ればさほどでない不運を最悪と感じ、悲しみに留まり怒りに囚われる人も多い、それこそ。つらく悲しい不運を甘受せよと言うのでは決してない。ただ、苦しみや悲しみはいつでもどこにもあるということ知って欲しいと願う。不運や不幸を振り回さないで、不運や不幸に振り回されないでと頼みたい。
 不運につきまとう苦しみや悲しみをどうして受け入れろと言うのか、と問われるだろう。貧しい人の多いこの土地で町医者をしていると思い知らされる。耐え難い苦しさや悲しみに打ち拉がれて、なお煮え湯を飲めというのか、焼け石を抱けというのか。そんなことはできない。耐え難い悲しみや苦しさは言葉を圧倒し、心を破り、深層水となって深く密かに命の中に沈み、人の命の終えるまで黙と湛えられるということを。
 あの人やあいつに比べた不運、嘆くことの出来る不運、訴えることのできる不運に見舞われても、きっと再び辿る道を見付けることができる。なんとか次の一歩を踏み出せ。
 打ち拉がれる不運に襲われたら、目を閉じても耳を塞いでも、心は少し開けておいて。あなたと同じ痛みと悲しみを湛えた人の命がそこにここに居ます。
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