駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

能力連関と評価の妙

2009年07月20日 | 小考
 職員達は医院内の設備の不具合はまず、私に言ってくる。私は事務能力は皆無だが器具設備の修理はある程度でき、院内に一通りの工具が揃えてある。電球の交換はお手の物だが、ドアノブのゆるみや戸のきしみの補修、棚のしきり板追加など簡単な工作もする。電気系統のことも一般男性よりもよくわかるので電話子機の電池の交換などもしている。私の手に負えないと工務店に依頼することになる。
 私は特別器用なわけではなく並かやや良いくらいだと思う。
 この手先の器用さは普通に話をしていると分からないが、ネジ止めや釘打ちをさせてみると直ぐわかる。例外も多いが、おしゃべりで口から生まれたような人は口ほどには手が動かず不器用なことが多く、無愛想で口べたな人が器用なことが多い。友人S氏は居れば直ぐ分かる人(いつもしゃべっているから)で、解説講釈は十八番なのだが、じゃあやってみろと釘を打たせれば、直ぐ痛ててと自分の手を叩いてしまう。これは私の経験からの推測なのだが、人の能力には脳内でなにか連携連関があるのだろうと思う。そうは言っても時々話をするくらいでは、その人の特技や特異能力はなかなかわからない。B先生は60歳でアコンカグアに登頂した類い希な登山家だが、普段お話ししている時は謙虚で常識溢れる中肉中背の方だ。
 ちょっと飛躍するが多くの人は自分の特技や特殊能力をさほど自分では特別と思っていない。自分達を引き合いに出して恐縮だが、私は絵を描き家内は歌を歌う(セミプロ)。お互いに互いの能力に感心しているのだが、私は私程度の絵なんて誰でも描けるのに妙なことを言うなあと感じる。こうして文章を書くのも、私は全く苦にならないのだが、医師会の中には文集の原稿をとても大変だから勘弁して欲しいという先生も多い。二三枚で結構ですからと申し上げて漸く引き受けて頂いても大変でしたと締め切りを過ぎてしまわれる。
 この感覚は自分にできないことをできる人は凄いと思い、自分にできることができる人はたいしたことないと思うことに通じている。そう言えばそうだと思われる方は多いだろう。
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