駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

共生はわかるけれども簡単ではない

2019年06月20日 | 町医者診言

     

 

 クリムト展を見に行ったら車椅子の見学者に邪魔だと殴られ、美術館の人に訴えたらああいう人でときちんとした対応をしてくれず、涙が出たという記事を読んだ。「こんな夜更けにバナナかよ」ではないが、朝の五時から牛乳を届けてくれとコンビニに何度も電話する婆さんが居た。泥棒が入ったも空騒ぎで、四回目になると警察も来てくれなかったようだ。失礼だが盗んでゆくものもなく泥棒が入るわけがない。可哀そうに子供に捨てられたお婆さんで、子供の言い草が物凄いというか滅茶苦茶で、可愛がってくれなかったから母親と思っていないと言い放った。病気ではないのに、何かというと医院に来て往生した記憶がある。

 先日、別口の婆さんから未明の四時半に「**医院?**子は行っていませんか」と電話があった、「何時だと思っているんですか、寝てたんですよ」。「あらそう、うちの時計は七時半よ、狂ってるのかしら」狂っていますね、七時半だって早すぎるのに、「八時半になったら電話してください」と電話を切る。腹が立ったのでもう眠れない。ちょっと起きた女房はもう寝ている。太い神経の持ち主だ。起きることにして明るくなり始めた庭に出て、新聞を取ろうとするとまだ来ていない。NHKニュースで林田さんがまじめくさってニュースを読んでいた。笑顔が見れず残念だったが、イラついた腹の虫は治まった。

 認知症に予防と共生だそうだが、これは難題だ。言葉というのはしばしば風呂敷のように問題を覆い隠してしまう。共生と予防が一番の方法なのはわかるがではどうやってとなると中々難しい。やさしさと柔軟性そして余裕がないと認知症の問題行動と共生するのは容易でない。果たして今の日本はそれに満ちているだろか?。予防のための診断法、新薬や生活法が模索されているが決め手を欠き、まだまだ高血圧症や糖尿病のようにはゆかない。まだ少なくとも十年、十五年はかかるだろう。薬がないのに診断が先行するのも恐ろしい。ラブミー牧場から深沢七郎のギターが聞こえてくる。

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