私の名著の定義は簡単、「何度でも読める」。
推理小説は再読して面白い物は少ない。謎解きに重きが置かれているのでやむを得ないかと思うが、例外もある。シャーロックホームズは、月曜書房延原謙訳を何度も読んだ。両親が亡くなり、古い本は処分されてしまったのでもう手元にない。本当に残念(本を読まない人は本は手放す物らしい)。
シャーロックホームズを何度読んでも飽きないのはおそらくシャーロックホームズとワトスンやそのほかの登場人物達と時代背景のヴィクトリア女王のイギリス、なかんずくロンドンに惹かれるからだろう。霧、鉄道、馬車、電報、ガス灯など。べーカー街を行く馬車の音を聞いたことがあるような心地がする。
コナンドイルの他の著書には、どうも食指が動かない。よくあることだが、著者は会心の作だとは思っていない作品がよく読まれたりするのだ(ドイルはホームズの連載を止めて、本格物をと考えたらしく、ホームズをライヘンバッハの滝壺へ落として連載を終わりにしようとした)。
中高年になってから何度も読む本は、よく考えると名著というより好著者といった方がよいかもしれない。著者を読んでいるように思う。以前にそんな著者を何名か挙げたが、今日は川本三郎さんに少し触れたい。
彼の小旅行記が好きであれこれ時々適当な所を読んで、頭を休めている。心を休めているといった方がいいかな。東京周辺の日帰り遠出、日本各地の名もない村や町を訪ねる旅。映画や小説をよくご存じで、ああここはあの映画のロケ地だとか小説に出てくる場所だと自然に織り込まれている。自分は映画の知識特に邦画は全然ないし、小説だってさほど詳しくない。しかし、なるほどと読めてしまう。その土地で入った居酒屋なども紹介され、空間的な広がりと時間的な奥行きが生まれ、自分も旅をしているような気分になる。
川本さんにはどこかに少年の心が残っており声を荒げず大言壮語しない。まあこの程度の言葉で川本さんの魅力を表すよりも、私には貴重な隣人のお一人だと申し上げよう。
推理小説は再読して面白い物は少ない。謎解きに重きが置かれているのでやむを得ないかと思うが、例外もある。シャーロックホームズは、月曜書房延原謙訳を何度も読んだ。両親が亡くなり、古い本は処分されてしまったのでもう手元にない。本当に残念(本を読まない人は本は手放す物らしい)。
シャーロックホームズを何度読んでも飽きないのはおそらくシャーロックホームズとワトスンやそのほかの登場人物達と時代背景のヴィクトリア女王のイギリス、なかんずくロンドンに惹かれるからだろう。霧、鉄道、馬車、電報、ガス灯など。べーカー街を行く馬車の音を聞いたことがあるような心地がする。
コナンドイルの他の著書には、どうも食指が動かない。よくあることだが、著者は会心の作だとは思っていない作品がよく読まれたりするのだ(ドイルはホームズの連載を止めて、本格物をと考えたらしく、ホームズをライヘンバッハの滝壺へ落として連載を終わりにしようとした)。
中高年になってから何度も読む本は、よく考えると名著というより好著者といった方がよいかもしれない。著者を読んでいるように思う。以前にそんな著者を何名か挙げたが、今日は川本三郎さんに少し触れたい。
彼の小旅行記が好きであれこれ時々適当な所を読んで、頭を休めている。心を休めているといった方がいいかな。東京周辺の日帰り遠出、日本各地の名もない村や町を訪ねる旅。映画や小説をよくご存じで、ああここはあの映画のロケ地だとか小説に出てくる場所だと自然に織り込まれている。自分は映画の知識特に邦画は全然ないし、小説だってさほど詳しくない。しかし、なるほどと読めてしまう。その土地で入った居酒屋なども紹介され、空間的な広がりと時間的な奥行きが生まれ、自分も旅をしているような気分になる。
川本さんにはどこかに少年の心が残っており声を荒げず大言壮語しない。まあこの程度の言葉で川本さんの魅力を表すよりも、私には貴重な隣人のお一人だと申し上げよう。
あの当時は自分がベーカー街に住むとは夢にも思ってませんでしたけど...
シャーロック・ホームズ博物館の真ん前に住んでました。(笑)
架空の人物だけれどホームズが住んでいたとされる住所にはちゃんとその印がありましたけど、その建物(銀行)も取り壊されてしまい残念でした。
ホームズの映画が封切りになるのですが...どうでしょうねえ? 主演はロバート・ダウニーJr.です。
きっとMrs.Wは面白く味わい深い欧米の生活の本がお書きになれますね。
三郎さんの兄貴 卓史さんは 豪州東京銀行の頭取をしていて今京都の私学の教授をしています。親しい友人です。
彼のサイト覗いてあげてください。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/
川本卓史さんのサイト、ちょっと町医者には難しそうではありますが、時々覗いてみます。