写真はネットから拝借
気に入ると立て続けに読むのが糸脈流である。「私の渡世日記」以後をいくつか読んだ。
僭越ではあるが、私には分かる気がする。晩年の高峰秀子は今は一番仕合わせと呟きながら、穏やかな顔に悲しい目をしている。
幼少時から肉親の愛を知らず搾取されたことが、彼女の心に虚無を宿らせた。斉藤明美さんが動じない、求めない、・・ないと十一もないを連ねて高峰秀子の流儀を書いておられるが、なぜないかと言えばその心の底に虚無があるからだと診る、植え付けられた虚無が。晩年にはデブ(継母)を許容しておられたようだけれども、相手が大人ならともかく、幼い子供にこんな仕打ちをする人間は許し難いと私は思う。恵まれない人間には許されるなどという強弁には与しない。勿論、それは他人の出過ぎた感想かもしれないが、渡世日記は世に出された。
その虚無の虚空から掬い上げてくれたのが清廉の松山善三さんだったのだと思う。それにしてもお二人はお似合いの美男美女だ。
僅か数冊の本を読んだだけでおこがましいけれども・・・ない高峰秀子ともう一人・・・する高峰秀子を行間に微かに垣間見る気もする。どうでしょうか、デコさん。
デコの事を書こうと思ったが、止めにしたョ。
お医者様を越える事は書けない。お墨付きです。
http://www.youtube.com/watch?v=WE_MW2SejZg&feature=related