胸部レントゲンの勉強会に出席した。単純写真では気のせいのような微かな陰影がCTではくっきりと星雲のような悪性の映像として表出される。解説している五十代熟練の呼吸器科部長にしてからが、ちょっとこれは見逃しますねと告白している。
私が医師になった頃にはMRIはおろかCTもなかった。脳血管障害を初めとする頭蓋内病変は、神経学的な診察で診断していた。これには深い知識と熟練が必要で、研修医の頃は少しでも身に付けようと熟達医の一挙手一投足を尊敬の念を持ちながら観察したものだ。実際、打腱機(ハンマー)でちょんちょんと叩いてこれは何処何処の脳腫瘍だな、などと診断されることがあり、神業のように驚いたものだった。
そのような熟達医もCTやMRIが現れると急に無口になってしまった。というのはどんな熟達医もCTやMRIの画像診断に敵わないからである。
たとえ七割五分の診察診断率を誇る熟達医でも四回に一回は間違える。そして症状や所見の乏しい初期には、熟達医でもなかなか分からない。勿論、症状のない患者は診断できない。
今までは間違ったところで誰にも分からないことなので、何事もなく済んだ。ところが今や、医者になりたての研修医でも画像診断で病変がわかるようなり、しばしば熟練医の診察診断の間違いを指摘できるようになった。自然熟練医の口数が減り診察も短くなり、診察を終えると開口一番「画像を撮ってみましょう」と云うようになっている。
技術革新が技能を追い抜いてしまったのだ。勿論、全ての点でとは云えないし、いつでもどこでも画像が撮れるわけではなく、技能の意義はなくなったわけではないのだが。
今や機械に出来ないことを人間がやり、精密機器を金槌や鋸のような道具として使いこなすことが求められる時代になってきた。おいそれと生まれ変われない人間には厳しい現実で、価値観と社会構造の変換が必要と思われる。果たして老兵の行方は・・。
私が医師になった頃にはMRIはおろかCTもなかった。脳血管障害を初めとする頭蓋内病変は、神経学的な診察で診断していた。これには深い知識と熟練が必要で、研修医の頃は少しでも身に付けようと熟達医の一挙手一投足を尊敬の念を持ちながら観察したものだ。実際、打腱機(ハンマー)でちょんちょんと叩いてこれは何処何処の脳腫瘍だな、などと診断されることがあり、神業のように驚いたものだった。
そのような熟達医もCTやMRIが現れると急に無口になってしまった。というのはどんな熟達医もCTやMRIの画像診断に敵わないからである。
たとえ七割五分の診察診断率を誇る熟達医でも四回に一回は間違える。そして症状や所見の乏しい初期には、熟達医でもなかなか分からない。勿論、症状のない患者は診断できない。
今までは間違ったところで誰にも分からないことなので、何事もなく済んだ。ところが今や、医者になりたての研修医でも画像診断で病変がわかるようなり、しばしば熟練医の診察診断の間違いを指摘できるようになった。自然熟練医の口数が減り診察も短くなり、診察を終えると開口一番「画像を撮ってみましょう」と云うようになっている。
技術革新が技能を追い抜いてしまったのだ。勿論、全ての点でとは云えないし、いつでもどこでも画像が撮れるわけではなく、技能の意義はなくなったわけではないのだが。
今や機械に出来ないことを人間がやり、精密機器を金槌や鋸のような道具として使いこなすことが求められる時代になってきた。おいそれと生まれ変われない人間には厳しい現実で、価値観と社会構造の変換が必要と思われる。果たして老兵の行方は・・。
頷かされる部分、はっとさせられる部分が多く、これは改めて一番最初から拝読せねば・・・と思っています。
ところでこの記事のテーマですが、私達の学生時代の大きな悩みでした。
実習生が行くような大病院では、ルーティンとしてレントゲン、超音波検査、そしてCTなどまでされるため、自分の五感を使っての診察は軽視される傾向でした。例えば「心音を聴診して、雑音が聞こえるような気がするから、確認して欲しい」と言っても、「ああ、どうせ超音波検査するから」と、医師達に聞き流されてしまう。それでは診察技術は学べない訳で、大きな葛藤でした。血液検査もありとあらゆるものをするため、自分の頭で考えるまでもなく診断がついてしまったり。
その後、素晴らしい呼吸器科医の元でレントゲンの読図とその限界を叩き込んでもらったり、今の職場では大きな機械もなく血液検査で出来る範囲も限られていて自分の五感を駆使する事を学び、ようやく私の望んでいたものを少しずつ得られるようになりました。
医療機械の技術の進歩は素晴らしいものですが、全くの機械任せでは矢張り落とし穴があり、熟練医の手技こそが宝物だと私は思っています。
ドイツも同じと思いますが、町医者には診断機器がすべて揃っているわけではありませんし、費用を考えねばなりません。我々が絶滅危惧種なのかどうか、今も五感と言葉を手掛かりに診療しています。私の時代は手に手を重ねてほろここに触るだろと教えてもらったものです。