駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

様々な高齢化

2018年05月09日 | 世の中

    

 マレーシアの総選挙でマハティール元首相が再び首相候補として立候補している。マハティール氏は92歳、いくらお元気としてもちょっと危うい感じがしてしまう。

 昨年の当院の死亡診断書の平均年齢は89歳で、この二十年で随分高齢化が進んだ。確かに元気な八十代は増えたけれども、まだ九十の壁は高いと感じている。九十過ぎでも元気な方は結構居られるが、自力で通院できる方は少ない。大抵は息子さんか娘さん、時にはお孫さんが付き添ってくる。八十代は元気と言っても八十代後半になると心身いずれかあるいは両方に衰えが出てくるというのが最前線での観察結果だ。唯、還暦を過ぎると個人差が大きくなるので例外は多々ある。果たしてマハティール氏が矍鑠とした例外かどうか知らないが、政治の世界だから昔の名前を利用されている意味合いもありそうだ。

 矍鑠とした例外は目立つので、隣の爺さんは八十六歳で元気に野良仕事、うちの旦那は二歳年下だが物忘れをして杖が必要になった、どういうことだと言われても困る。どうも人間は欲張りに出来ていて、平均点では満足できない人が多い。気持ちは分かるが診ている私を睨まれてもなあ、まあ一呼吸置けば現実を受け入れざるを得ない気持ちになるのが常だから、「人によって違いますから」などとお茶を濁している。

 そうして高齢化が進んでいるが、本当に困るのは自立困難になってきたお年寄りの世話で、親一人子一人だと難しいし、まして一人暮らしだと全面的に社会の介護力に頼るしかない。臨床経験を積んで最新の医療知識を学んでいても、こうした時に医者に出来ることは限られている。せいぜい月に一二度、この前掃除をしたのは何時だろうというお家のガタピシ戸を開けて「こんにちわ」と訪れるくらいのことだ。

 社会には目に見えにくいがいくつかの層がある。77歳にして現実庶民の事情に疎い麻生大臣には半年ほど当院周辺の訪問看護ステーションでケアマネージャをやって頂きたい、弱者を切り捨てる心では務まりませんよ。

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