あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

何コレ!依知神社

2010年06月17日 05時52分30秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
日本フルハーフを後に、相模川を昭和橋まで戻ってきた。
なるべくなら、同じ道を通りたくない人なのですが、川は橋を渡らないと向こう岸へ行けない。自転車なので、それも仕方ない。
さて、トップ画像はイチョウの木です。道ばたに唐突に出現したのですが、高さ30メートルはあろうかという大木です。
なんか、歴史ドラマがあるやもしれん。と自転車を止めると、大イチョウは道を挟んだ反対側に神社がありました。
私はピーンと来たね。
もともとはこの大銀杏は道の反対側にある神社の境内にあったんじゃないかな?

閃きは正しかったです。
しかも!!
この大銀杏は由緒正しいものでした。
ナント!
植えたのはどうも源頼朝らしいんだよね~。だから樹齢は800年らしい。
昔は静かな夜にはイチョウが水を吸い上げる音か聞こえたと伝えられています。
なのに、なんでこないな酷い樹形をしてるのか?と言えば、そりゃあ、道路建設&電線。しかも排気ガスにさらされてて、根っこは際までアスファルト&住民のゴミ捨て場の側というとんでもない環境にさらされているからです。
不思議な形は枝を剪定してるから。
ちなみに、こんなに酷い環境にさらされている樹ですが、これでも神奈川名木100選に選ばれています。
名木100選の選定基準って少しは樹の環境も調査しないんですかね?そんで、樹の環境の改善指導も併せてやるとかないんですかね?
取り合えず、大銀杏にがんばれとつぶやきました。

神社の名前は依知神社。赤城大明神。
なんかね~、平安時代、承平の乱を起こした平将門がこの地を訪れた時に、この辺りは相模川の氾濫で荒れていて、それを見た将門がなんとか復興の手助けをしたいと思い、赤城山の馬を献上したところ、馬のめざましい働きで、これを喜んだ村人たちは、平将門と赤城山の馬を神社に祀り、赤城明神社としました。ってことらしい。
今では見る影もない小さな神社ですが、かつては境内で競馬を度々やれる場所だったらしい…。いつの時代に零落したんだろう。

依知神社を後に昭和橋を渡った所で、行きとルートを変える。
相模原市側には無量光寺があります。
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日本フルハーフばらの西門

2010年06月16日 04時01分32秒 | バラ散歩
日本フルハーフは工場なので、一般人は構内のばらは5月の第3日曜のみしか見る事が出来ません。
ですが、道路沿いのつるバラはいつでも見れます。
今日は西側を紹介します。











どんどん行きましょう。
 

 

 

 
画像を詰め込んでみました。


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日本フルハーフばら観賞会

2010年06月15日 04時38分01秒 | バラ散歩
さて、日本フルハーフとは何か?といえば、輸送用機器の製造&販売会社です。それがなぜにばら??
それは、「味気ない工場をばらの園にして、働く従業員に潤いを」と当時の常務さんの発案で始めたんだそうです。
以後、従業員の手で世話をし、ばらを増やし、現在では約400種、1000本が工場の構内にあります。
ということで、今日は正門沿いのポール仕立てのばらを紹介します。






 






鑑賞会当日は、手入れをしている社員による鑑賞説明ツアーも開催されていました。(気づくのが遅れて参加出来なかったのですが)


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日本フルハーフばら公開

2010年06月14日 04時00分46秒 | バラ散歩
日本フルハーフは厚木市にあります。
相模川の河岸段丘を登り切ると、すぐでした。
工場なので一般公開は毎年5月の第三日曜日のみ。2010年は5月16日でした。
道路沿いからも綺麗なつるバラを鑑賞出来ますが、せっかく限定の工場内のバラ園公開に来たので今日は工場内のバラを紹介しますね。
 

 
工場なので、こんな掲示板もありましたあ、いかんいかん。萌えが脱線してるわ~。

え~と?これはカクテルっていうつるバラでしたっけ?鍵型に壁になってました。ここでお昼ご飯出来る従業員がうらやましい~。

つるバラが工場の柵に巻き付いてます。
普段は道路側からだけ見えるつるバラですが、中から見ても綺麗です。

普段は食堂の場所を一般開放してました。食堂の半分はバラのディスプレーになってて綺麗です。

近隣のカメラ好きは、ここのバラの公開を毎年心待ちにしているようで、でっかいカメラを持参してる人が多くいました。

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相模川河岸段丘

2010年06月13日 05時05分45秒 | 相模原・座間・大和市
やっちゃいました~…。
例え、地図上で直線距離が5キロでも、間にあるのは相模川。
や、知ってましたよ。
相模川には自転車で行くと手強い河岸段丘があるのは。でもでも、上流下流で段丘の高さが違うって意識があんまりなかったんですよ。
下溝駅近くの八景の棚で相模川越しの丹沢山系を望み(その時大概向こう側にも河岸段丘があるのを気づくべきでしたが)、崖のような急坂を冷や汗もので下り、相模川にかかる昭和橋に到着。
トップ画像は昭和橋の橋脚です。どないして描いたのか謎のような落書きが橋脚を彩っています。

このあたりは流れがおだやかなのか、カヌーで相模川を遡ってる人もいました。
昭和橋は車道と歩道が別れてます。
河原は名前の謎な木が綺麗な白い花をつけてます。

相模川を渡って直進すると、マジか~~
向こう岸にある河岸段丘を登らないと、目的地に行けないことが判明~。
地図ではわからなかったのよね~。つーか、目的地の日本フルハーフがある場所は川を渡ってすぐって気になってたのです。
私の自転車はマウンテンバイクではないので、坂は押して上がるしかありません。
し~か~も~~。
相模原市側の河岸段丘は2段構えでしたが、厚木市側の段丘はいさぎよく1段でした。
つまり。
坂が長いんですよ。
登っても登っても坂。
登り切ると、あれ?
何コレ~~~!!

見たこともない巨大な歩道橋の登場です。
まずは自転車を止めて、歩道橋を上がります。あ、画像にマイ自転車が写ってますね。これが私の自転車。既に新しいの1台買える位、あれこれ修理してますが現役です。今時の便利な補助機能は一切ついてないので、原動力は己の体力のみって奴です。

う、膝が笑う~。

歩道橋から見た相模原方面。画像の1と2は、相模原側の河岸段丘です。これで見ると2段構えなのがよくわかると思うの~。
手前の緑の建物は、最近出来た小学校です。面白い作りの建物だよね。

建設中、遺跡が発見されたようです。相模原側にも遺跡あるんだよね。以前紹介した勝坂遺跡がソレです。過去記事は、
勝坂遺跡公園2010年4月26日の記事です。
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モナの丘のしゃくなげ

2010年06月12日 04時20分11秒 | 相模原・座間・大和市
お散歩日和の5月半ばの日曜日。
見頃の昭和記念公園のポピーを見たいなあとダンナを誘ったら「私は麻溝競技場でやってる高校総体を見たい」と、断れまして…。一人で昭和記念公園はちと辛い。そこで、5月の第三日曜日のみ公開される「日本フルハーフ」のばらを見に行くことにしました。
ここ、レッツエンジョイ東京の花の見頃(ばら)で紹介されてたものの、最寄駅の本厚木駅からバスでというアクセスなので除外していたのですが、地図で確認したらうちから直線距離で5キロ程だったのです。
プリントアウトした地図を片手にパンと飲み物をカバンに詰めておでかけしました。

いつもの鶴の看板の所で峰山霊園へ。途中、いつもの「モナの丘」で一時休憩。
 




白い花はハーブのカモミールかな??

こりゃ、アーティチョークですね。西洋料理やイスラム料理ではちょくちょく登場します。

モナの丘では無農薬野菜を売ってたり、それを使ったレストランに併設されている畑には、ハーブやらお花やらがあるのです。
今日の目的地はまだまだ先なので見るだけ~。

モナの丘から相模川の河岸段丘を一つ下れば、相模線の下溝駅が。

そこから去年相模川の芝桜を見に訪れた時に体力不足で諦めた八景の棚へ。

遠く、丹沢山系を望めるよい場所です。

八景の棚で見かけた石碑。設置理由が謎な石碑。
さて、目的地の日本フルハーフは厚木市にあるので、相模川を渡らねばなりません。
八景の棚から最短距離は…。
地図を片手に自転車を走らせていたのですが…。
なんじゃこりゃあああ~~!!!

画像ではわからないかもしれませんが急坂です。
画像がブレているのは、あまりに坂が急で、自転車を止められなくて、自転車に乗ったままブレーキをかけつつシャッターを切っているから。限界でした…。


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餡子スキ~

2010年06月11日 04時40分45秒 | おいしい&スイーツ
アンコが好きだと事あることに繰り返してる私。
トップ画像は虎屋のようかんです
5月のイベントで、友人が差し入れてくれたのね。羊羹にも季節感があるって素敵~

続きまして、東京バナナのお菓子。
これもいつだったか友人にいただいたもの。
これ、黒い方が美味しかった~

ボケボケの画像ですみません
これ、携帯電話を持って撮影した3枚目の画像です。…失敗画像です。でもレモン牛乳の画像はこれしか残ってなかったのね。
レモン牛乳って知ってます?
これ、確か栃木だかあの辺限定のご当地グルメらしいんですけど。
町田の成城石井というスーパーに行ったらあったので買ってみました。
チープ感の味付けが昭和の時代を思い起こさせてくれます。そんな味。
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面白い~

2010年06月10日 04時45分35秒 | 面白い自販機
散歩してると、どのカテゴリーにも記事にも入れられなかったけど、面白いと思った画像があります。
今日はそれを紹介です。
トップ画像は立川市。これ、昭和記念公園の近くにあるベンチです。
以前紹介したアフリカの酋長の像のすぐ側にあるベンチです。
酋長の像の画像が見えるのはこの記事2010年1月5日「昭和記念公園の赤ソバの花」です。

これは高幡不動尊にあった自動販売機です。
自販機ってオリジナルの物がたまにあるのですが、それは大概個性的で面白いんですよねっ。
高幡不動のは色がお気に入り。

本日最後は、クリーニングの自販機。
自販機?というのはおかしいかもしれん…。
でも忙しいサラリーマンはクリーニング店の営業中に受取とか出来ないでしょうから、便利かも~?
そういや、今年の4月、砧公園で変った行列見たんだよね。
クリーニング店に行列する客。あの辺り、クリーニング屋さん、少ないんですかね?
成城学園前からバスに乗ったのですが、砧公園の近くで細い道となりまして、道路沿いにこう…行列があったんですね。
その時はたいして不思議に思わなかったのですが、やっぱり変だと気づきました。
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池田屋

2010年06月09日 04時53分15秒 | 歴史散歩
新撰組ファンにはガツンとくる名前だよね。
池田屋さんは、高幡不動駅前にあります。
1階にはまんじゅう屋さん、池田屋さんは2階です。ビルにエレベーターはありますが、階段がおすすめです。
なぜなら。
この句があるから!
もう店に入る前から気分が盛り上がります。
が!!
訪問した5月6日は池田屋さんはお休みでした~~。マジか~~!!!
がっくり肩をかかとまで落し、1階へ戻りますと、こんなのがありました。





反射して綺麗に出ないかも…。
高幡不動駅前にはこんな幟もありました。

高幡不動尊散歩はこれで終りです。
帰り道、京王線は八王子駅乗換えJR横浜線だったのですが、高尾線片倉駅乗換えなら、片倉城址公園にも行けたので、ダンナに聞いたら返事がなかったので、まっすぐ帰りました。
片倉城址公園はかつて中世の城があった場所で、なかなかにいい感じで土塁やら曲郭の跡が残っていて、城好きにはなかなかの萌えポイントなんですよ。おすすめです。
以前、相模原の城山のかたくりの里へ行った帰りに寄ったことがあります。ここ、片倉城址公園にもかたくりが咲いてて立寄ました。なぜにか城があった所に神社がありました…。
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新選組のおいしいお店

2010年06月08日 04時17分28秒 | 歴史散歩
高幡不動尊の周りには、新撰組ファンが吸い寄せられるお店があります。
トップ画像は、土方歳三と近藤勇の肖像が壁面にあしらわれていて、一際目立っています。
こんな感じで。
はい、こんな感じ。
ええ、こんな。
調度年配の男性が「ネットで調べて来たんですよ~」と、嬉しそうに買い求めていました。

歳三うどんか…。境内のお店にはかつて新選組!の隊士の名前のついたソフトクリームもあったよなあ…。
過去記事はこちら。あられの日記2004年6月24日「高幡不動と新撰組」。こちらはブログを始める前に、竹里館のホームページで書いていた旅日記です。
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新選組隊士の位牌

2010年06月07日 04時46分21秒 | 歴史散歩
高幡不動尊の境内に奥殿というのがあって、そこに寺宝が治められています。奥殿は有料。大人300円。そこには色々収蔵されてて、重要文化財の木造不動明王像並びに両童子像があり、これは必見です。

仏像好き諸兄、見てソンはありませんゾ!奥殿は人気がないから心行くまでハンサムな不動明王を堪能出来ます。
でも新選組の関心はこちら。
さすがに土方歳三の手紙には目が釘付けになります。
他に天然理心流の門弟が使用していたボロボロの木剣なんか、鳥肌が立ちました。
あれ?
新選組史料目録の中に「土方歳三位牌」「新選組隊士霊位の大位牌」がある!?
大位牌って何じゃ??(並びに近藤勇・沖田総司・井上源三郎の位牌)それって、どこにあった??奥殿にはなかったような…??
位牌が治めてあるのはこちら。

大日堂です。
高幡不動尊の再奥にあるので、境内を直進して下さい。

この階段を登れば到着です。
大日堂には数多の尊像が安置されていて、土方歳三の位牌もこちらで拝観出来ます。但し、大日堂の拝観には別途拝観料が必要です。
新選組関連資料は奥殿のチケット売り場で販売されています。A5版、20ページ、¥200です。分かりにくいのでご注意下さい。これには井上源三郎の天然理心流免許状や歳三書簡、土方歳三隊々旗東照大権現の幟なども納められてます。
が、やっぱり新撰組隊士の位牌も掲載しとくべき?
いや~、高幡不動の記事はアクセス数が多いので、驚いてます。慌てて記事と画像を追加してます。アクセス多いと嬉しい~

右が歳三の位牌。左は新撰組の大位牌。大位牌は高さが120センチもあります。どちらも大日堂にあるようです。(大日堂へは未入場です)
併せて、土方歳三の高幡不動尊にある過去帳も掲載しておきますね。
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近藤勇・土方歳三殉節両雄碑

2010年06月06日 04時45分43秒 | 歴史散歩
正しくは故幕府新選隊士・近藤昌宣(まさよし) 土方義豊(よしとよ)碑。
昌宣とは近藤勇のことで、義豊とは土方歳三のこと。
一般的には殉節両雄の碑と言います。
実はこの石碑は、歴史的にもとても意味のあるもので、高幡不動尊では刮目して凝視する価値のあるものです。

特に、建立に至るまでの経緯と建立に尽力した人々が凄い。
篆額が会津の元藩主で、京都で新選組を預かっていた京都守護職の…つーか新選組の上司だった松平容保の書。
文章を作成したのが、幕府の侍医を務め、新選組と親交のあった松本順氏だったことからも伺えます。
つまり、明治政府が作った逆賊新選組じゃない文章が石碑には書かれています。
石碑は字が小さくて、読むのは大変ですが、ぜひぜひ挑戦して下さい。
殊に、新選組ファンなら必読の第一級史料ですので!!虫眼鏡持参しても自分で石碑を読むことをお薦めします。
…まだ迷ってる?
そんな人の為に!!
石碑建立に至るまでの経緯も書きましょう~。出典は、昨日の記事の「高幡不動尊の新選組関連資料」より。
「(前略)その後、京洛での新選組の活躍が華々しく伝えられ、地元でも大きな関心が払われていたが、明治2年歳三が函館で戦死し、戊辰戦争が終結したあとも新政府の戦死者に対する扱いは苛烈で供養も侭ならない様な状態が5年以上も続き、関係者の悩みの種であった。
漸く、明治7年の太政官達によって新政府軍に刃向かった人達の祭祀・慰霊が許されることになり、当山(高幡不動尊)の前住職賢雅和上、日野宿の佐藤俊正をはじめ糟谷良徇、土方義弘、本田定年、橋本政直、小島為政、近藤勇五郎等、近藤・土方由縁の人達の尽力により両有士の顕彰碑が高幡不動尊金剛寺の境内に建立されることになった。
碑文は小野路村の小島為政が誌した「両勇士伝」をもとに仙台藩の儒者大槻磐渓が選し、篆額は会津の松平容保、書は幕府の侍医を務めた松平順の筆である。
然しこの碑は篆額に「殉節両雄之碑」と掲げられ、又文中にも「前の住僧賢雅二子の忠烈を追念し」とある通り、近藤・土方両士の幕府への忠節を讃える顕彰碑であった為、碑が完成しても建設の許可が得られなかったらしく、改めて明治15年に神奈川県令に申請し、漸く明治21年に建立されたものである。」
*文中に出て来る佐藤俊正・糟谷良循・本田定年・橋本政直・小島為政は土方家の親戚。近藤勇五郎は近藤勇の養子です。
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土方歳三像

2010年06月05日 05時08分47秒 | 歴史散歩
高幡不動は土方歳三の菩提寺なんです。
それゆえに、新選組関連のものがあるのです。いわゆる聖地ですね。
まづ一つ目は一番目立つこれ。
土方歳三像。
銅像の台座にある銘文。
読める?
念の為書きます。
補足は上の本より。
『銅像銘文』
幕末新撰組副長土方歳三義豊は土方義淳の第四子として日野市石田に生まれる。
生来聡明多感にして剣の道を天然理心流近藤邦武先生に学ぶ。
文久3年の幕府の求めに応じて浪士組に参加。将軍家茂公に従って上洛す。
京都守護職松平容保公の預かりとなり、更めて近藤勇を頭に新撰組を結成し、自らは副長として市中見廻り警固につとめ、池田屋事件・禁門の変等に勇名を轟かす。
然し激動の時代こと志と違って賊軍の汚名を被せられ、鳥羽伏見の戦いの後徳川慶喜公に従って、海路江戸に戻り、以後勝沼・宇都宮・会津と転戦し、明治2年5月11日、函館戦争のさなかに戦死す。
多摩の風土に育まれ、義に生き、節に殉じた歳三の35年の生涯は、没後百数十年を経た今も、男の美学として広く語り継がれている。
先に明治9年高幡山第29世賢雅和上は、境内に近藤・土方両雄の碑を建ててその殉節を顕彰するも、更に此の度東京日野ロータリークラブ会員一同は、クラブ創立30周年記念事業として、弁天池々畔に出陣姿の土方歳三像を建立し、その事績を永く後世に伝えんとするものである、
維時 平成7年11月3日 高幡山金剛寺
   中興第33世 祐勝 撰并書
発願 東京日野ロータリークラブ』です。
本にもこぼれ話が載ってましてね、これがなかなか興味深かったです。
 高幡不動尊では、戦前・戦後を通じて、何回か新選組隊士の慰安法要を行って来たが、一般社会では逆賊のイメージが強く、新選組受難の日々が続いていた。
 戦後徐々に見直しの機運が起りつつあったが、殊に司馬遼太郎の「燃えよ剣」が世に出て以来、土方歳三をはじめとする新選組の人気は急上昇をとげた。
 そんな折り、地元有志の間で新選組の局長近藤勇、地元出身の副長土方歳三及び、6番隊隊長井上源三郎の銅像建立の計画が持ち上がり、設計図も上がり、大方の資金の目処がついたので、正式に観光協会に計画を持ち込んだ所、時の市の幹部から「暴力団まがいの人達の像を建てるのは文化都市日野市にふさわしくない」とのお達しがあり、計画は沙汰止みになってしまった。
 その後、日野ロータリークラブが結成30年を記念して、土方歳三像を建立することになり、平成7年秋、現在地に建立されたものである。
以上、本より転載。
確かに、新選組は官軍に倒され、明治政府に対して敵方だったというイメージがある。
でも、これって、明治政府の国威発揚などの国策の一環だったとも思えますね。
時の権力者から出されるものを鵜呑みにすると痛い目に合う。でも、これって権力者には都合がいいので、間違った情報に踊らされてるうちは踊ってる人には実害がないという…。
ミスリードは意図して作られ、時間の流れの中で正しいものとされがちです。
それを史料によって、時間をかけて訂正するのは難しいこと。
なんか、今の年配の政治家先生の中には、多感な幼少時代に時の権力者から洗脳されて思い切り間違った思想を植え付けられて、訂正出来ずに今に至った人もいるようね…。もしくは、間違った事実を植え付けた側の血族だったりして…。
小難しいことは語れない。
でも、ちょっと考えてみて。
自分は新選組ってどういう人達だと思ってます?
…人気はあるんだよね。

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高幡不動

2010年06月04日 05時11分41秒 | 神社・仏閣
今日から高幡不動の紹介です。訪問日は5月6日。新緑の美しい季節でした。

実は5月8&9日は日野新撰組まつりが開催されます。その直前に行ってしまった訳だ。
境内はもとより、見所満載だったので記事をテーマに訳て紹介します。
今日は高幡不動って何?がテーマです。
高幡不動は真言宗のお寺で、いわく「別格本山高幡山明王院金剛寺」といいます。
昔から関東3不動の一つに挙げられ、高幡不動尊と呼ばれ親しまれています。
寺が開かれたのは1701年以前のこと。一説には1100年前の平安初期に清和天皇の勅願によって山中に不動尊を建立して、霊場としたとか。以後も尊崇を集め大きな寺となりましたが、1779年の大火で寺の建物を一挙に焼失した。再興は昭和50年以降。…再興のきっかけが司馬遼太郎の「燃えよ剣」で、それまで暴力団まがい&テロリストとされていた新撰組が世の中に評価されたから。というのは穿った見方か?
だって、お寺の再建ってお金がかかるもんね。先立つものがないとあれこれ作れない。それが昭和50年以降次々と作られているってのはやはり…。って私、思っちゃったのよ。

高幡不動には新撰組関連資料が様々あって、今風に言うと「聖地」ですね。
ここ、土方歳三の菩提寺なんですよ。
新撰組にちょっと詳しい方は、「え?歳三のお墓って石田寺じゃないの?」って思うかも?
高幡不動が言うには、石田寺は高幡不動の末寺なんだそうです。「石田寺にはお墓をお願いしているだけで、この場合墓檀家と言います。土方家は高幡不動の昔からの檀家で、檀頭格の旧家です」です。

この五重塔も新しいものなのですね。でも私の目的は裏山。ここにはかつてお城がありました。
何か痕跡が残っていないか?と登ったのですが、あるのはなんかなんちゃって八十八カ所巡り&カエデとアジサイの木ばかり。

痕跡というのはいわゆる石段や土塁なのです。
見たければ草木が繁る前でなくてはいけません。5月に訪問という段階でもうダメでした~。がっくし…。
気を取り直し、下山して境内を巡ります。

次なる目的はズバリ「新撰組」!さ~て、どんなお宝が拝めるかな~?
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深大寺城?

2010年06月03日 04時53分23秒 | お城&御所
深大寺そばって知ってる?
名物のようで、深大寺の門前にはそば屋が軒を連ねています。
さっき、神代植物園でお昼を食べたのに、ダンナが目で訴えてくる~~。
と言う事で入りました。
当り外れは掛け!
私の入ったお店は当りではないですが、外れでもありませんでした。

コストパフォーマンスなら、ソバよりうどんの方が上~。
さて、深大寺にはかつて城がありました。

場所がわからない~。
でも石垣を発見したのです。
だから画像を抑えたんですが…。
石垣の上は、現在小学校です。お城にある学校はありがちですよね。

立派な石垣です。
が!!
帰宅後あれこれ検索かけたなら…。
はい。
私、間違っていました。
深大寺城はここ。

水生植物園の向こうに見える丘。これがかつての深大寺の跡。
最近NHKの英語番組を見てて気づいたのですが、日本では「城」とひとくくりになりますが、英語ではお城はフォートレス・キャッスル・パレスって言い分けるのですね。
で、私の萌えはどうもフォートレス(要塞)の方にあるようです。
だから、土塁や空堀中心の中世のお城を見るとなんかわくわくするんですね。戦う為のお城って所が萌えポイントのようです。
深大寺城はまたいずれ…。このすぐ北にある、近藤勇生誕の場所なんか併せてのお散歩コースにいいかも~?
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