あられの日記

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熊野神社さんの隣でお昼ご飯

2019年07月21日 05時30分22秒 | 神社・仏閣
2019.6.16徳蔵寺さんの板碑保存館を12:35に後に。どこでお昼を食べるか?に頭が一杯で、徳蔵寺さんの前にあるパン屋さんマドンナの土偶パンを買い忘れる痛恨の失敗!や。やっちまったぜ〜。
久米川村の鎮守熊野神社さんに12:47到着。地図を見たら神社に隣接して公園があったのだ。そこなら食べれるハズ。
画像では分かり難いけど、画像のパンの向こうには西武西武園線があります。黄色い車両を眺めつつパンとお茶のお昼ごはんです。
さてと、熊野神社さんへ移動。
説明板発見:久米川町の鎮守熊野神社
御祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大神・(須佐之男命)
由緒:創建は定かでないが、言い伝えによると本社は新田義貞が久米川合戦の時、後詰を置いた所とされる。また、文明18年(1486)聖護院門跡道興准后が東遊の際、神前で、「里人のくめくめ川と夕暮れになりなば、みずはこほりもぞする」の歌を読まれたとされる。「東村山市史」
さらに、熊野神社境内から応永32年(1425)の青銅製鰐口と水鳥形香炉が初件されてることから、鎌倉・室町時代から社殿が存在していたと考えられる」
とりあえず参拝。13時7分出発。次の目的地は楽しみにしてる梅岩寺さんのカヤとケヤキの巨木です。

道の向こうに大きな木が見えた。信号待ち。
どの木も大きいなあ?どれが目的の木なんだろうか?あれ?手前に何か石塔がある。
庚申塔だった。

説明板発見:梅岩寺の庚申塔・東村山市指定有形民俗文化財
指定:平成3年(1991)7月24日
江戸時代のころより庶民の間に庚申信仰がさかんになり、ムラムラには庚申講結成されその講により庚申塔が数多く建てられました。
庚申信仰とは、庚申の日の夜に三尸(さんし)という三匹の虫が眠ってる人間の体を抜け出し。天帝に悪業を告げて命を縮めるというので人々は夜、眠らずにいて虫が出てゆくのを防ぐという道教の思想に基づくものです。
この梅岩寺の庚申塔は、現存する市内最古のもので延宝5年(1677)の年号が記してあります。天和2年(1682)に没した梅岩寺3世一宜高策大和尚が建立したと思われます。
また、右手の石塔には、天保2年辛卯4月吉日 馬頭観世音 総村中 の銘があります。」
13:10梅岩寺さん到着。

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