あられの日記

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天妙国寺

2014年01月30日 06時46分25秒 | 墓所巡り
旧品川宿文化財ウォークラリー、チェックポイント5つ目は、天妙国寺です。受付時刻は14時から15時半です。私が到着してのは、14時50分でした。

観光案内所でいただいたコピーによりますと、「鎌倉時代の弘安8年(1285)に、日蓮の直弟子・天目上人が開いたといわれています。創建以来、品川地域の有力者の保護を受け、寺域もかなり広くなりました。江戸時代には、日蓮宗日什門派の寺院で、塔頭が4院あり、江戸触頭三カ寺<妙国寺・本光寺(南品川4丁目)慶印寺(浅草)>の一つとして日什門派の寺院をまとめる大きな寺でした。現在の本堂は18世紀中頃に再建されたもので、今もどうどうとした佇まいを見せています。」だとか。
参拝をすませ、見所は…と見回すと、人だかりが。もちろん寄って行く。

ウォークラリーのスタップさんがいました。「説明お願いします~」
「はい。皆様集まって下さい。後ろにある石は、天妙国寺五重塔礎石(品川区指定文化財)です。
天妙国寺の五重塔は室町時代中頃に建立され、江戸時代初期の慶長19年(1614)秋に大風のために倒壊しました。寛永年間(1624-44)、徳川家光の命により再建されましたが、その後、元禄15年(1702)に四ッ谷塩町より出火した大火により焼失しました。
五重塔には、1本の心柱(塔の中心の柱)ち1本の柱があり、それぞれの柱は礎石と呼ばれる大きな石の上に建てられます。特に心柱を受ける礎石を心礎といいます。中央にくぼみのある石が当時の五重塔の柱の礎石です。3個のうち中央の花崗岩製の礎石が心礎と考えられます。
なおこの礎石は後世に写されていて、五重塔のあった性格な場所は不明です」
う~む。やはり石ならば残るのか…。

隆盛していた頃の天妙国寺の図絵です。

絵を解説したのがこちら。右手に「大猷院殿御建立□塔」とあります。大猷院は、家光の院号です。
「あの~、説明の下にある男性はどなたですか?」

「こちらは明治・大正時代の浪花節(浪曲)に名手、桃中軒雲右衛門の34歳の時の写真です。」
誰それ~??
なんかね。当時、レコードの普及と相まって大人気だったんだって。ま。な。まだテレビもラジオもなかった頃だしな。
WIKIによりますと、日本初のラジオ放送は、1925年(大正14)3月22日です。民間普及したのは昭和に入ってからだね。
「本堂の右手に墓所の入口があります。今日は文化財ウォークラリーの一環で、彼の墓が公開されています」
丁寧な解説ありがとう~。
ってな事で、早速墓所へ向かいます。
見つかるのか?という心配は、ウォークラリー参加者を発見して消えました。

こちらが桃中軒雲右衛門の墓です。すんごく立派!だってねえ。墓域がこれだよ?

どこのお殿様やねん。つーか、桃中軒雲右衛門さんのお墓単独でなく、一門のお墓も周りにあります。こんな感じです。
桃中軒雲右衛門さんは、明治6年(1873)10月25日に生まれ、大正5年(1916)11月7日に43歳で亡くなりました。
若いなあ…。
ウォークラリー遅れ気味なので、先を急がねば…。
ン?

何やらレトロ建築があります。

現役の病院でした。凄いや。

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