あられの日記

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弱る時は急激というけれども。もしかして?

2022年01月05日 07時16分26秒 | 香川県三豊市観音寺市
1月3日朝、朝ごはんを持って義母の部屋にそぉ〜っと持っていくと?というのも、歳をとってすっかり自由人の義母は、起きた時が朝。食べたい時にご飯を食べる生活です。
昨年の8月末に私たちが神奈川から香川に戻ってきて、それまでは週1回訪問してくれるヘルパーさんと、嫁に行った娘(義姉)が時折来てくれて手伝ってくれたというものの、ほぼ全てを頑張って頑張って自分でやっていた義母。そこへ息子夫婦が戻ったからには、あれもこれもやりたかった事をガンガン消化して息子夫婦。つまり私達がヒ〜こらしつつ一つ一つやり遂げていくに比例して、義母は弱りつつあった。ちなみに、最近ぼやいていた
折れたアスベスト煙突&空の見える古い下屋。
そんで持って傾いてる奥の納屋。義母が想定してなかった緊急事態が次々と発覚。で、義母のやりたいリストの消化は停止。突然の納屋の部屋を早急に片付けるミッションがスタートしました。極寒の12月に。
歳を取った義母に「ここを片付けて置いて」と言われ、母屋のあれこれを必死で片付ける息子夫婦。けど数日後に「あれはどこにやったんや!」「あんたほおったんか!」とクレームが入って。探す日々。これが繰り返され私達は学習した。片付けるにはまず義母に捨てるかどうかの選択をさせてから!私達は義母が取捨選択を済ませたものをどう処分するか仕分けする。のが正解。
つまり残すもの・燃えるゴミ・燃えないゴミ・プラゴミ・金属ゴミ・汚れたプラスチック(不燃ごみ)と仕分けるのですよ。それが取り壊す(建物が倒れかけてるので、義母とダンナが残そうとしてもできない事実で彼らは納屋を処分することにしました)と決まったからにはなかの荷物も仕分けなくてはならんのです!すでに業者さんから見積もりが届いたからには早急にです!!
義母は頑張った。実は納屋というのは現在の呼び名であって、かつて義母が嫁入りした時に最初に入った部屋なのです。なので、義母の思い出がいっぱいに詰まってる場所。で、片付けると決めて取り掛かったものの。
田舎の一軒家って広いのね。「取っておく」と決めたものを置ける場所があるのですよ。もうね。神奈川の50㎡しかないととって置けないの。引越しの際には荷物を減らしまくったからね。
納屋にあった義母の嫁入りタンスに取り掛かった時。義母のかつての宝物。娘時代の成績表や卒業証書が出てきた時にはめまいがした。処分せずに嫁ぎ先に持ってきたんかいっ!と。普通女性は嫁に行く時にあれこれ処分して家をでるのですよ。
で〜。出るわ出るわ大量のゴミが。その辺は投稿済み記事でもぼやいてますが。
でで!2021年の12月の暮れは寒かった。強力な寒波がやってきたのだ。四国香川も影響を受けまして、連日最高気温が10度に届かず。そんな中、連日日が暮れるまで頑張ったら熱がでた。私が。先に。
となると作業はストップです。あ、ダンナは私と義母が頑張ってる納屋の部屋の続きの倉庫の整理。いや片付けです。もうね。去年92歳で亡くなった義父が幼き頃に描いた拙い名前付きのものやら。去年定年のダンナが幼い頃に亡くなった祖父のものやらがごっそりと詰まってたのですよ。あ。農家の古い道具類も沢山ね〜。
で、寝込んで起きて年末年始のあれこれに忙殺される私。その間、義母は元気でした。そして12月31日。数年ぶりに来るお客様たち。そりゃそうだ。2021年4月に急死した義父のお葬式は、日本全国にコロナの第何波かが襲来しておりとても通常の葬式はできなかった。家族葬でやったので、ご近所様達でさえ義父の死を知らないという有様。となると、なんとしても数年ぶりに帰省できたからには仏壇にお参りしたいと思う人も多かった訳で。
義母は大興奮しました。
もうね。腰が曲がり耳が遠くなり、日々体が弱っていく。日々ご近所の親しい友人と顔を合わせるのでさえ嫌がっていた人と同じ人と思えない喜び具合でした。
で私達と義母の2021年が終わりました。まさかの!紅白で見たのはぽっかり目が覚めた時の最終局のミーシャさんでしたっけ?彼女の曲だけという有様。ライジンも見えなかった〜〜!!!
で。運命の1月1日。
当日午後、東京から数年ぶりに孫一家が「今から仏壇にお参りに行きたいのだけれど?」と連絡がありまして。聞けば明日(1月2日)午後には彼の嫁さんの家に移動するので、これを逃すと次はいつになるかわからないらしい。彼はコロナがなけれなとっくに海外赴任してたハズ。娘もだいぶん大きくなってるから一家で海外に引っ越すかもしれん。となると、これを逃すともう義母はひ孫に会えないやもしれん。と。了解しまして。
で。その時の義母は、遅いお昼ご飯を食べてました。
前日大興奮したので疲れていた模様。正月の朝ごはんも起こしに行ったものの疲れて起き上がれず。朝ごはんは私とダンナの二人だけで食べたのだ。で、私はそのまま家庭菜園に出かけ。その間に一人で朝ごはんを食べた義母。
で、遅めのお昼ご飯も一人で食べてた。で言っちゃったのだ。私。
「今から東京の孫一家が来たいというのでOKした。早めに食べてね」と。
で?ダンナは??と見れば、まさかの!!彼の日々のルーテーンの夕方のお散歩に出かけていないと来たもんだ!
私は一人で用意しましたよ。その間、義母は放置です。
で。だ。
義母がやってきた東京の孫一家に会うべく、台所から仏間に移動する時にむちゃくちゃ時間がかかった。思えばこの時すでにヤバい状態だったのかも?
けども嫁は忙しかったのです。お茶やらお茶請けやら出す合間に補助して。なんとか仏間に移動した義母。で、その折だけは義母は久々に。数年ぶりにあったひ孫に会えて再びの大興奮です。そして東京の孫一家が帰った後、義母は疲れて立ち上がれなくて。ほうほうのていで台所に戻る義母。そんな時、ダンナが散歩からようやく戻ってきた。いつもの時間です。もう外は暗い。となるとね。私は晩御飯の準備だ。再び義母を放置。
食後かなあ?もう記憶が朧かもしれん。
義母が台所から自分の部屋に戻るとき、まず自力で歩けなかったのです。二人掛かりで介助してようやく自室に移動したのだ。で、1月1日が終わりました。
で、1月2日、投稿済みの記事の事態です。
さすがに急激に動けなくなって義母本人も驚いただろうけども。私達だって驚いた。
ともかく、夜中にもよおしても動けずお布団の中でおしっこをしちゃった義母。もう大惨事。お布団を干してシーツを剥がして。汚れた衣服を脱がして〜〜!!となりまして。大騒ぎですわ。詳しくは1月3日の記事をご覧ください。
で。3日目朝、おそるおそる朝ごはんを持って義母の部屋に顔を出したところ。
「今日は台所で食べるので朝ごはんをそっちへ戻せ」と。
一安心です。続けて義母が「布団の中で運動してから移動する」というので、私達は普通に朝ごはんを食べて家庭菜園へ移動。
まずは温室。育苗中の苗に水やり。植えたばかりの種は芽が出るまで乾燥させてはダメなのに、忙しすぎて見に行けてなかったのだ。
それから私の実家へ1月3日の午後に新年の挨拶に伺うと伝えてあるので、家庭菜園で私が作った野菜も持参したい。人参・ひやっか(香川の郷土野菜)・不織布でトンネルした春菊・日本ほうれん草・青ネギ次々と収穫して洗って用意したらもう11時半。やばい。お昼ご飯を用意しなくては!!
で、台所に戻りましたらば。まさかの義母の朝ごはんは手付かずだったのですよ。
ええ〜〜〜〜〜!!やな予感がする。
義母の部屋に駆けつけてびっくり。義母がまたも大惨事です。
「ちょっとダンナ!!!」
で。大騒ぎの私たち。前日の悪夢再びです。
汚れ物はそのままでは洗濯機に入れられず。まずは予洗いせねばならん。急な介護生活スタートに何が必要かもわかってない私たち。
ともかく汚れ物をなんとかせねばっ!
「毛布は●●さんとこのコインランドリーで洗ってこい。おしっこで濡れた布団は熱湯で拭いて干せ」と義母は体は動かないというのに指示だけはどんどん飛ばしてくる。
新しい下着と服に着替え義母は「お腹が空いたから」と。しかも「台所で食べる」という。「部屋で寝ながら食べてたらいかん」と。
それから私たち二人で義母を介助して移動させる。
10分かかった。
義母が無事に食事を取り始めたので。私たちは義母の後始末です。
洗濯物を干し〜の。うんことおしっこの匂いのする義母の部屋をなんとかなんとか消臭して。合間のコインランドリーに追加。シーツが!!ご飯を食べたら義母が「寝る」というので、お布団をなんとかせねばならんのですよ。再びコインランドリーに走るダンナ。どないもならんシーツだけは私がタライに漂白剤と一緒にお湯にぶっ込んだ。
つ、疲れた。ともかく実家に「遅れる。午後4時ごろになる」と連絡する。
でだ。食べ終えた義母が「お昼ご飯はどうするかなあ」と呟く。ええ〜〜〜!!!時計をみろ!すでに午後2時だ。まだお昼ご飯を食べる気なのか!
「今から私たちは非常用に冷蔵庫の冷凍パンを解凍してお昼ご飯を食べるけど、お母さんも食べる?」と差し出せば。
「今朝ごはんを食べたばかりやからそんなん食べれん。炭酸せんべいでええ」ときたものだ。で。「最近はあられも砂糖やら醤油より素焼きがええね」というので。こんなこともあろうかと。年末に実家に注文してあったあられ一箱詰め合わせより素焼きのあられを探して差し出せば。「開けれんから開けてくれ」と。で。食べ始めた。
時刻はどんどん過ぎていく。布団がまだしけてないので部屋に戻れない母。暇こいたので「私(義母)の実家にこれから年始の挨拶に行け」と言い始めた。
無理だ。私の実家へこれから挨拶に行くというのに。2軒掛け持ちはできないのだ。
「で。お母さんの実家への手土産を用意してない」と言えば。
「スーパーで贈答用のみかんを買ってこい」という。
「嫌だ」と私。「なんでや!」と怒る義母。「あられを持っていく」と私。「そんなん!」と義母。「注文した。ちゃんと箱入りで持っていくから」と私。義母は贈り物は箱入りが大切なのだ。
で。耳が遠い義母なのでマスク越しだと何を言ってるか聞き取れないだろうと。急いで実家に連絡。私の実家はあられ屋なので電話口に出た母に「ごめん今からあられ一箱作って欲しい。午後4時には行けると思うから」と急いで頼む。声が弾む母に要件だけ伝えて切る娘です。ごめんね〜。そこへ義母が「あんたの実家へはもう何度も行ってるからいつでもええんじゃ。私の実家を優先しろ」とゴネ始めた。耳が遠くて何を言ってるから聞き取れなかったものの。雰囲気から電話先を察した模様。
「私はな。何度も行ってるけど。ダンナ(義母の息子)はこっちに戻ってから一回も顔を出していない。それはどう思うの?」と私。そうなのですよ。自分が最優先の義母はいつまで経っても私の実家へ挨拶に行って来いと言わなかったので、痺れを切らした私が合間を縫って短時間だけ実家へ自転車を走らせていたのです。
が。そこまで言っても納得しない義母に。「お母さんの実家への手土産を私の実家へ注文してるの。先に私の実家へ行かないとお母さんの実家へ行けんやろ?」と言われようやく納得した義母は。「私の実家へ電話しろ」と。訪問の約束を取り付けろというので、翌朝、1月4日の午前10時に二人で挨拶に行く約束を取り付けた。忙し過ぎてそちらへ引っ越しして戻った挨拶もできてないのです。礼儀をかきっぱなしなのですよ。
で。クリーニングしてようやくコインランドリーから毛布と追加のシーツを抱えて戻ったダンナです。急いで義母の布団を用意しないと義母が寝られない。それもあっての無茶振りしてた模様。
旦那が干してた布団と取り込み。私がシーツをかけて。
卯ヲヲヲヲをおおおお〜〜!!!
しゃかりきに作業を進めて。義母をまたまたまた二人で介助して部屋に戻す。
で。気づく。
義母の足は萎えてるのではなかろうか?
や。でもな〜〜??
なんとか義母が布団に入ったので、時計を見ればすでに3時をとっくに回っている。
早く用意せねば。私はともかく。がっつり義母の体を支えていたダンナは義母の漏らしたおしっこ臭くてまずはシャワーを浴びねばどないもならん。
待ち時間を利用して義姉にメール。内容はもちろん「やばいやばいやばい」。しかも中断。メールを最後まで打ち終える前にだんなの用意が整った。なら早く行かねばならん。新年から連日の予定変更と遅刻は不味すぎなのだ。
で。実家の仏壇へまずはお参り。
で。挨拶も早々に「義母がマズい。お布団に敷く尿漏れ防止シーツってどこで買えるの?」と。
娘夫婦の訪問が遅れた理由を察した母はすぐに「聞いてくるから」といなくなった。
で、待つ間に。仏壇に帰省しないハズの妹の旦那の名前の祝儀袋があったのを疑問に思いメールを打つ。
と?なんと!奈良に住む妹一家は奈良から日帰りで顔を出し。すでに香川を離れていた。もうね。妹に最後に会ったのっていつだっけ?コロナ前なのですよ。
母が戻ってきた。「これ使って!」と大荷物。防水シーツの売り場を聞いてきただけでなく。父が生前使っていた大人おむつが残ってたので持ってきたと。
「サイズが違うんじゃ?」と聞けば「はきやすいから。こういうのは大きい方がいいのだと」。ってなことで、発注したあられのために弟の嫁が急ぎで作ってくれた一箱を受け取り、早々に実家を後にして。その足で教えてもらったホームセンターの介護コーナーで目的の品をゲット。ダンナがそっと差し出したポータブルトイレの消臭剤。切実だよな〜。ホームセンターでの買い物を終え、帰りに母行きつけの病院の正月明けの診療日時を確認した。念の為。
で。帰宅。急いで義母の布団に介護の防水シーツを敷こうとして「お母さんちょっと体をよけて」と言えば。「それができるくらいならあんたらに頼まん!息子を呼べ」と御立腹。本当に義母は突然にやばくなった。
ダンナに介護の防水シーツを敷く用に伝えて私は晩御飯を作る。
義母が機嫌が悪いのは、何があろうと、どんな時間になろうと日々3食食べる義母はお昼ご飯を食べれなかったことも大きいと思うのだ。
あれ?ダンナが戻ってきた。早くない??
聞けば「お母さんが寝てたから戻ってきた」と。
へえ〜?そうなの?と。それから私は晩御飯を作ったわけで。その間に義母が何度目かのピンチになってたのに気づいたのは、晩御飯を部屋に持っていってからです。(続く)すでに7時16分です。朝ごはんを作らねば。
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