あられの日記

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新島襄終焉の地

2015年03月05日 00時50分24秒 | 歴史散歩
大磯歴史散歩。散歩の前に見たかったのは残り2つ。新島襄終焉の地と旧木下邸別邸です。
新島襄といえば、2013年の大河ドラマ『八重の桜』の主人公、新島八重のダンナです。つーか、同志社大学を作った人です。
旧東海道を鴫立庵から東へ。数分で新島襄終焉の地に到着です。
説明板発見:新島襄終焉の地
明治の先覚的教育者新島襄は、1843年2月12日(天保14年1月14日)、江戸神田の安中藩邸で、藩士新島民治の長男として生まれた。
その当時は、近代日本の黎明期に当たり、新島襄は憂国の心を抑えきれす、欧米先進国の知識を求め、1964年(元治元年)函館から脱国して米国に渡り、キリスト教主義教育による人民教化の事業に献身する決意を抱いて、1874年(明治7)に帰国。
1875年(明治8)11月29日、京都に同志社英学校を設立した。
その後同志社大学設立を目指し東奔西走。その途中で病にかかり、1890年(明治23)1月23日、療養先の大磯、百足屋旅館で生涯を閉じた。47才だった。」
難解な文章はイカンです。最近作られた説明板のようなのに、言葉遣いが古い言い回しだと、詠む気が途中で失せてしまいます。上の文章はだいぶん今の言葉に置き換えちゃいました!もうね。あんまり年寄りに元文書かせて、そのまま説明文とするの止めてくれないか?私は説明板があれば読むタイプの人ですが、あちこちの説明板で愚痴ってます!
さて。肝心の新島襄が死去した百足屋旅館ですが、現存していません。説明板にありし日の絵がありましたので、掲載します。



こんな石碑も立ってます。

トップ画像の石碑の手前では、白梅が見頃を迎えてました。この石碑を揮毫したのは同社英学校で教え子だった徳富蘇峰です。蘇峰は新島襄の死の床にもかけつけてます。
ちなみに今日の散歩の冒頭で、吾妻山の菜の花を見に上がってますが、同じくJR二宮駅から徒歩圏に徳富蘇峰記念館があります。新島八重ちゃんや新島襄の書簡もたまに展示してるようです。
更に旧東海道を東へ。

次に出会ったのは、大磯照ケ崎海水浴場の碑です。画像では分かりにくいけれど、石碑に大正4年5月建立と書いてあります。揮毫は白州正子の祖父樺山資紀。白州次郎と結婚するまで、正子は大磯に住んでいました。
さて、大磯が海水浴場の日本発祥の地なのです。
なぜに発祥と言い切れるか?といえば、軍医の松本順が海水浴は健康にいいと提唱したんだそうで。しかも言ったがいいが早々には流行らず、そこで自腹で宣伝までしたそうで。ちなみに、現在の海水浴と松本順先生が提唱した海水浴とは違っていて、医療行為の海水浴だった模様です。が、宣伝して流行るうちに今のような娯楽の海水浴へ変化しちゃったんだって!先生的にはどう思ってたんだろうか?やっぱ、こんなハズでは~~~だったりして
ちなみに、海水浴の石碑の奥へ進むと、照ケ崎海岸に出ます。
さて。またまた東海道を東へ。

あれ?道の反対側に古い建物がある。
あれは…?和菓子屋かな?和菓子ならば、洋菓子よりカロリーは低いし価格も安いから覗いてみたいと思うけど、道の反対側にあるんだよね~。
入店を諦めて、東海道を東へ。間もなくまた古い建物があった。

うん。竹割垣に木製の壁。しかも2階建ての建物。結構レアだよ?

ここは「國よし」といううなぎやさんです。
うなぎ!もうね。高いよね?特に日本産ともなると、高くて高くて。もう何年も食べてないや。つーか、「安い中国産は薬品漬けだよ」と誰かに言われて以来、スーパーでさえ買わなくなったんだよね~。
ってな事で、画像を抑えて移動再開です。もうね。疲れを自覚してるから、普段なら建物を横からアップしてとか撮影してる所なんですが…。あっさり行き過ぎちゃった!は、反省!と記事立てする頃になり思った!
さてさて、またまた移動再開。
次に出あったのはこれ。

創業明治31年の旅館大内館です。画像のいい感じの石造りの蔵は、大正15年に上棟したもの。現在は喫茶店になってます。
島崎藤村は大磯に住居を持つ前は、ここを定宿にしてたとか?大磯町観光協会のWEBに載ってる地図によると、ここ、かつての大磯宿石井本陣跡のようです。
津微の信号を渡り旧東海道の反対側へ移動します。
ここの細道を入ると、大磯宿尾上本陣跡があるハズなんだよね~。
って!!
おおっ!
変わった石垣があったぁ~~っ!!

石垣の赤は、高麗石(こまいし)の色です。島崎藤村もこの石垣が好きだったんだって!
石垣に沿って石垣がどこまで続くか確かめたいところですが…。だって手持ちのなんちゃって大磯旧別荘群地図によると、この先に旧岩崎弥之助邸があったのです。ンでもなあ~。画像で何となくわかると思いますが、画像左に向って上り坂なのです。の、上れるかァ~~。もう足が限界なんじゃ~~。つーか、左に行けば今日の散歩で見たい最後の一つ。旧木下邸が見えないんだよ。
赤い高麗石の石垣の正面に見えるのは、地福寺さん。

地福寺さんは島崎藤村のお墓があるお寺です。どうせなら墓詣りもしたい所で、探したのですが、見つからず…。

地福寺さんのお堂と手前の梅。梅は遅咲きなのかな?まだ咲いてません。

地福寺さんにも古い井戸がありました。ポンプ、もしかして現役じゃね?だって注ぎ口にゴミ受けの布があるものな。
さて、最後の上り坂だ。が、頑張ろう…。
コメント
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