あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

皇居宮殿東庭

2009年06月17日 05時28分38秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
宮内庁庁舎から順路を進むと短いけど坂道となる。
高齢者には辛そうでした。だって案内人のスピードは変らないからね。4列縦隊なんだけど、遅れる人は追い抜いてく。
だって、バスを仕立ててやって来た団体さんは別として、たまたま同じ回に申し込んだだけの人達だもの。
一般参賀の時、帰り出口となる坂下門を遠目に眺めつつ先へ進む。
せっかくなので写真を撮りたい所ですが、団体行動なので出来ません。足を止めることも出来ません。
拘束が厳しいなあ…。皇居内には派出所があちこちにあって、一般参観コースに参加している庶民の動向は逐一監視してるんだよ。抜け出すのは無理無理無理。
さて、到着したのは上の画像。横に長~い建物です。
何か見た事あるかも?
正解!
大概お正月恒例のニュースで見てるハズ。
ここは「宮殿東庭」
新年(1月2日)及び天皇誕生日(12月23日)の一般参賀は、この広場で行なわれてます。
天皇皇后両陛下・皇族方は、この広場から見える長和殿中央バルコニーにお出ましになり国民からのお祝いを直接お受けになります。その際、天皇陛下からのお言葉があります。
ちなみに、一般参賀当日はこの東庭に45000人が入るんですって。
ここに…。よんまんごせんにんも???
はあ。それってどこの球場と同じ?国立競技場よりは少ないよね??
にしても無茶するよなあ。
ここで一つ面白い話を紹介。
宮殿東庭に敷かれた石畳は香川県産のあんざん岩。この石はすべらない足に優しい石なのだそうです。
昭和天皇陛下が足に優しい石を、と指定したんだそうで。
へえ~~。
実際に宮殿の長和殿のバルコニーを観ると、思いの他低いことに驚きます。たぶん、お宅の2階の窓から見下ろすより低い位置ですね。立って手を振る側からすると、すぐそこに天皇陛下ご一家がお出ましになる!凄いっ!!という感覚を味わえます。
宮殿はここはかつて江戸時代には西の丸御殿があった場所。西の丸御殿には将軍を隠居した人や時期将軍が住んでました。
ここも空襲で焼失再建してます。現在は7棟の建物から構成されてます。昭和33年着工。43年完成。
ちなみに、この長和殿の西にある車寄せが一番格式が高く、国にとって大事な客の出入り口になってます。
んで、総理大臣や閣僚が天皇陛下に会う為に宮殿に出入りする北車寄せは、東側の出入り口からとなってます。
この東の出入り口で新任の大臣閣僚の組閣集合写真の撮影をするんだそうで。記帳する人、拝謁する人もこっちの出入り口を使用。
長和殿の西側に丁寧に手入れされた宮殿南庭の大刈入物の寄植えが少しだけ見えました。
入れません。
が、芝生、山間、流水の日本庭園なんだとか。
あ、長和殿の地下は駐車場になってます。
宮殿の建物は全部で7棟。中のほうめい殿は天皇陛下の祝宴、晩餐会が行なわれる所だそうで。
見えません。入れません。なんで、一般参観コース参加者はスピーカーから聞こえる案内人の言葉を必死で書き留めるのみ。
つ、疲れた。写真を撮りつつ、メモしつつ、歩く?
無理じゃ!!
そんな慌ただしい参観コースは所要時間1時間15分となってます。
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宮内庁

2009年06月17日 05時18分56秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
宮内庁って官庁なんだけど、なんか他と違うよね。
だって、皇居の中にあるんだもん。
それって、一般人の立ち入りを拒むのと同じ事でしょ?ま、いいけど。
さて、富士見櫓を右手に見つつ道路を進む。と、一気に視界が開けた。
「宮内庁庁舎」である。
昭和10年(1935)に建築された建物で、昭和20年の空襲で焼失。
庁舎3階は昭和27年(1952)に改装され、昭和43年(1968)の宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていました。天皇陛下のご成婚の時は、この玄関から出発しました。
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