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高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
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2012年春の放浪記(その14)勝海舟の祖先を訪ねて

2012-06-30 04:30:44 | 歴史
柏崎市から信越本線で北上し、最後の駅が長鳥(ながとり)駅で、この先の八石山系のトンネルを越えると長岡市です。勝海舟の祖先を訪ねて行ったのは、大きく言えば北条地区、中分類では長鳥地区、集落では杉平です。柏崎に来ますと歴史の新しい発見がないかと、必ずこの地区は訪問します。
特に今回は勝海舟の祖先になる米山検校(晩年は男谷検校ともいう)の親族徳間佳信氏が、「評伝 銀のつえ 米山検校をさがして」という本が出版され、この本の中で調べたいことがありました。行先は米山検校が山上少年のころ、勉学に励んだ長昌山能満寺です。
勝海舟の祖先のふるさと杉平(Ⅰ)
親族が書いた評伝「米山検校」


(杉平地区の入口に立つ咸臨丸)


(親族の徳間佳信氏が書いた「銀のつえ」)

父親は先祖が近江の山上から出た、山上徳左衛門であることは今まで知られています。「銀のつえ」では能満寺の過去帳から、母親は白井氏だというのです。能満寺を建立したのは白井長昌で、寺の山号長昌山はここからきています。
白井長昌は清和源氏につながる一族で、長岡市との境の鳥谷城主でしたが、御館の乱で上杉景虎に味方し、景虎の敗北で大角間集落から長岡市の岩田集落(昔は墓間という)に逃れました。郷土史家の平原順二氏の「越後北条毛利氏・山城の隆盛のあと」によれば、岩田の白井氏が柏崎と長岡市越路地区の白井氏の共通の祖先だというのです。
とすると勝海舟の祖先の母親は、長岡の実家近くの白井氏かも知れません。

 
(杉平のいい里マップ)          (米山検校の系図)

 
(白井長昌が建立した曹洞宗長昌山能満寺)

 
(能満寺境内のフジと近くのキリ)

 
(米山検校生家跡)           (検校は山上一族だった)

 
(米山検校生家跡に生えるオオデマリとシャガ)

水戸藩だけでも70万両のお金を貸したという米山検校は、ふるさとの飢饉にたくさんの米を送り救済しました。地元民は検校の行いに御礼塔を造り感謝を表しました。上の「いい里杉平マップ」で現存する3つの御礼塔を探してみて下さい。米山検校の母親探しは、岩田の白井氏ではなく、下の御礼塔があります平沢集落の白井氏ではないかと、能満寺のご住職が答えてくれました。

 
(平沢集落の御礼塔と塔の周りに咲くヤマツツジ)

 
(後ろの山が白井氏の鳥谷城跡)  (毛利家の祖先の地に建つ佐橋神社)   

米山検校の母親の調べはつきましたので、いつもの長州毛利家のふるさと佐橋荘の地にに建つ佐橋神社に寄り、柏崎の中心街に戻りました。
(柏崎市北条:2012.05.28)

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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咸臨丸 (信徳)
2012-06-30 07:13:51
柏崎大地震の津波によって打ち上げられた咸臨丸が未だに現存しているのですね。ヤマツツジ、シャガが咲いてまだ5月の様相です。
返信する
群馬の暑さで注意力が散漫 (寅太)
2012-06-30 08:42:45
信徳さん、おはようございます。
柏崎大地震って?
中越沖地震ですか。
その前から咸臨丸はありましたよ。
ちゃんと5月28日と書いてあります。
えっ、先ほどはなかった?
暑さで注意力が散漫になり、見落としでしょう。
返信する

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