高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

八王子宿の武田家の謎に迫る(その1)

2010-01-19 07:56:38 | 歴史

冬至の日に高尾山の山頂で、ダイヤモンド富士が観察されるのは、実に不思議なことである。多摩では高尾より右に富士山が見える地域では冬至よりも早く、左の地域は冬至より遅くダイヤモンド富士が観察される。
そこで多摩地区の、ダイヤモンド富士の観察される日を、地図にプロットしてみた。
もう一つ調べているのが、多摩が神奈川県から東京都に移管される原因の一つとなった、八王子宿の壷伊勢屋の事件である。この二つが一つになって、八王子宿に隠された武田家の、とんでもない謎を解明した。はたして何を見つけたのであろうか。


(甲州街道古図に見る八王子宿、手前が江戸、奥が甲州方面)

 
(甲州街道八王子宿の現在と、宿を造った大久保長安の碑)

 
(大久保長安陣屋の説明と、屋敷跡の産千代稲荷神社)

徳川家康は人使いの名人である。武田家と後北条家の遺臣を、巧に使いこなした。この頭領となったのが、武田家の大久保長安で、千人同心の組織を作り、甲州街道で最も大きな八王子宿(横山十五宿)を造ったのも、彼の業績の一つである。
八王子宿の西の高尾寄りに、追分という所がある。広辞苑によれば、「道の左右に分かれる所、分岐点」とある。八王子の追分は甲州街道と陣馬街道が分かれる所である。
左側はそのまま甲州街道が続き、道の両側はイチョウ(銀杏)並木で、道路の真っ直ぐ前に高尾山が見える。画像で分岐の所にパトカーが止まっているが、その右奥に千人同心の大きな碑がこちらを向いている。

 
(真っ直ぐ前に山が見え、バス停の名に追分の文字)

 
(この分岐が追分、左は甲州、右は陣馬、そしてパトカー)

 
(分岐左は真っ直ぐ前に高尾山、右の陣馬方面の山は不明)

 
(八王子千人同心の碑)    (長安碑の隣にあったミカン)

じつは先ほど、追分の地に隠された武田家の謎を、一気に公開した。でも千人同心の碑は私の方を監視していたし、パトカーも警戒していたように思え、公開することが恐ろしくなった。
大久保長安は死後、遺体まで掘り起こされ、磔にされ、一族はことごとく粛清された。この地にある武田家の謎は、これだけでも粛清に値するように思える。
これからもう一度、この地の八王子同心の心の支えとなった、武田信玄の娘の松姫の信松院や、大久保長安の陣屋跡である産千代稲荷神社にお参りし、郷土資料館で事実確認をしてこようと思う。
公開は明後日で、明日はブログの新規投稿はお休みすることにする。

(八王子)
コメント (8)
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