高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

牧野一族展(その7)

2010-01-14 00:24:04 | できごと

【照山城のサザンカと砥鹿神社のモチノキ】
久しぶりに牧野一族展を載せることにする。
長岡藩の家老は稲垣2家、山本家、牧野2家の5家が世襲であるが、特に優秀な家臣がいる場合に家老に抜擢されることがある。幕末の河井継之助がこの例である。
今回の旅には家老の牧野弥次兵衛家の末裔が参加しており、牧野町から豊川を越えた賀茂に足を延ばした。賀茂は山本勘助の生誕地43で、家老山本帯刀家の始祖である帯刀左衛門成行は勘助の弟にあたる。
生誕地の少し北に牧野弥次兵衛家の祖先の牧野筑意が築いたと伝わる照山(てりやま)城跡40がある。
照山を利用した山城で、今は城跡に加納寺が建っている。寺の入口で白いサザンカ(山茶花)が出迎えてくれた。本堂の後ろの平坦地が郭の跡であろうか、今は竹薮で足を踏み入れることもできない。いたるところに地蔵と墓石が散乱していた。明らかに墓石と思われる丸い石の周りの落ち葉を払いのけると、五輪塔と思われるものが現れた。時間をかけて調べれば、かなり貴重な遺構が出てきそうであった。


(加納寺入口とサザンカ)


(豊川・豊橋周辺の地図)

 
(加納寺門と本堂)

 
(朽ち果てた石仏と五輪塔)

 
(不明な石像と堀切跡)

賀茂は豊橋市であるが、ふたたび豊川を越えて対岸の砥鹿(とが)神社41に向かった。この神社はかっては三河国一ノ宮であるが、知名度はイマイチかも知れない。でも広大な敷地に立派な屋代が建ち、巫女さんもかなり大勢いる。豊川にはもっと知名度の高い豊川稲荷もあるが、これは旅の終わりに出てくる。ちなみに熱田神宮は尾張国三ノ宮である。
神社の御神木はナギ(梛)の木が使われるが、モチノキ(黐の木)が代用されることもよくある。砥鹿神社でも赤い実がなっていたがモチノキである。牧野一族はこの由緒ある神社の神職を勤めたこともある。


(御神木はナギの代用でモチノキ)

 
(砥鹿神社本殿の左にモチノキ)

 
(砥鹿神社入口と鳥居)

砥鹿神社の宮司は代々草鹿砥(くさかど)氏である。神社の前に広大な屋敷があり、この敷地内に保存状態の良い一宮砦(いちのみやとりで)跡42が残っている。桶狭間の戦い以降、今川と松平の戦いが熾烈になり、牛久保城に布陣した義元の子の氏真が、大軍をもって松平方の砦を包囲したが、松平元康(後の徳川家康)は、わずかな手勢で砦を救出したという武勇伝が残っている。


(一宮砦跡の竹薮を見学)

 
(一宮砦跡の碑と説明)

(豊橋市賀茂、豊川市一宮)
コメント (6)
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