私の年若い友人から、うれしいお知らせが届きました。
「父、えらい!」(お手紙は青字で)
アメリカフヨウ at 伊豆中央道いちごプラザ
1年半ほど前に小ボケだったお父さんが、日々のウオーキングで脳の元気を取り戻しているという報告でした。お知らせには控えめに「小ボケを維持していると思います」と書かれていましたが、よくよく読んでみると実際はそれ以上の回復ぶりが確実だと思います!
地区の大きなお祭りに「もう78歳だし参加は今年限りだ。やるぞ!」と張り切って参加されたそうです。
そしてその結果は、なんと3日間歩きとおし、「7年後の大祭にも出たい」とおっしゃったそうです。これは体だけでなく脳もピカピカのかくしゃく高齢者の言葉ですよね?!
話は1年半前にさかのぼります。
友人(東京在住)とお母さん(関東近県在住)が一緒に遊びに来てくれました。
あちらこちら遊んで、あれこれ食べて、いろいろおしゃべりをして・・・何しろ女が三人寄ったのですから 、楽しかったこと。
それでも一泊の旅ですから、「明日はもうお別れね 」と、夜はちょっとしんみりしたムードが漂ってきました。
そこでお母さんが 話し始めました。
「最近、お父さんがちょっと・・・ 気になることがいろいろあるんです」
このようなときに決して「歳のせいでしょ。私にだってあります」というような、変な慰めは言わないことにしています。 何か訴えたいことがあってお話を始めているわけですから、できるだけ「何を伝えたいのか」を具体的にイメージしながら聞くことにしているのです。
どのようなことを話されたのか 、細かくは覚えてはいませんが、その一つ一つに「前頭葉機能低下」の言葉が当てはまりました。
「以前とどこか違うんです。こういう時にこういう風にはしなかったようなことが多いんです」(前頭葉はその人らしさの源ですから)
「買い物に行って、買ったものを車に置いたままだったり。そんなことはない人でしたから」(これこそ、忘れているわけではなく注意の分配ができないことなのです)
「話にはすぐに乗ってくるタイプの、付き合いやすいというか優しいタイプの人だったんですが 、何か話に乗ってこないというか」(これは意欲低下の表れです)
とお母さんがいろいろに口ごもりながら話されるそばから、娘である友人は
「でも、あの時は○○してたでしょ!?」とか「電話で話すときにはそんな感じはしない」とか「ボランティアだってやってるでしょ」など、むしろお母さんの言い方には否定的に対応していました。
前頭葉機能は年齢とともに低下していくものですから、歳とともにこのようなことは起こりがちではあります。ただ、一緒に住んでいるお母さんが気になるということは、たぶん正常な老化を超えている可能性が高いと思った方がいいでしょう。
ハマボウ at Jガーデン
こういう時には、「半年から、さかのぼっても3年以内に 、生活が大きく変わってしまう状況が起きたかどうか。その後の、ナイナイ尽くしに変化してしまった生活がずーと続いているかどうか」を聞けばいいのです。
はっきりと、困った症状が訴えにくいのは 小ボケの段階、社会生活には支障があっても家庭生活には特別の支障がないレベルにとどまっているからです。そして小ボケはだいたい3年間続きます。
ちなみに中ボケの段階になると、家庭生活にも支障が出てきますから、むしろ症状は訴えやすくなります。服薬管理ができないとか料理の味付けが変とか洋服の着方がおかしいなどなど。
ついでに大ボケは、世の中で「ボケた」と言われる段階です。セルフケアはできないし、時、所、人の見当識もあやふやになり、昼夜が逆転したり、徘徊、家族のことも認識できない状態になります。このレベルになると、だれが見ても「気の毒に認知症になった」と言われるわけですね。
お母さんは即答。
「1年前に母が亡くなったことです!それはそれは心を込めて介護していましたから。その後の不動産の処分などもちょっと大変で…あれだけアクティブだった人が人が変わったように意欲的でなくなりました。ボランティアだって楽しそうじゃなく義務的だし」
そこで結論が出ました。
「歳のせいにしておかないで一応小ボケと思いましょう。小ボケだったら生活改善で、もともとのお父さんに戻ることができるからですよ!」
生活改善の近道はご本人にこの状況を伝えることです。なぜならばボケの段階の人たちは、以前の自分でないことを十分に理解しているからです。
「あれから、生き生きとした生活を失ってしまったために、脳が元気を失っている。元気を取り戻すためには、以前の生活を取り戻すしかない。一番の近道は散歩。それから趣味、遊び、人付き合いの右脳を使う。とにかく司令塔である前頭葉の出番を増やす」
下の図を使って、上のように説明する。これが生活指導の骨子です。
小ボケの人たちは、ほんとに驚くほど自覚があります。三頭立て馬車の説明もすぐ理解できます。
「確かに、あのきっかけが起きてから馬車を使ってこなかった。がんばらなくっちゃあ」
ここまではスムーズにいくのですが、問題はスターター役の前頭葉が、元気がないことです。ちょっと口添えをしたり背中を押したりすることで、生活改善(脳リハビリ)はうまく動き始めます。
そこで私は、小ボケからカムバックできた亡き兄の話をしました。
兄は2010年6月に会社の経営を甥に譲り、その直後8月に血糖値が急上昇して入院。お見舞いに行ったそのときに私は兄に言いました。
「退院した後、生活を見直して、新しい生きがいを見つけないとボケちゃうよ。まず歩いてね」
翌年同じ8月。はっきりと小ボケが進行していることが分かりました。(会話に加わらない。居眠りが目立つ。動作がモタモタしている)
家族はいるのですが、私のように切迫感がないので、強く勧められないようでした。
そこで、「とにかく毎日歩く。その歩数を携帯電話のメールで、毎日知らせてくる」という約束をしました。もちろん毎日私も返信しました。交換メールです。
詳しくは、ブログをお読みください。
兄のことー前頭葉の話
http://blog.goo.ne.jp/・・・/e/c0f0ac2ac88b0f7fc7abd8a2081d5027
兄の毎日の努力に対して私も何かしてあげたくなりました。半月ごとにグラフにして送ってあげました。
兄はとても喜んで、皆さんに見せびらかしていたそうです。
最初のグラフ
毎月の平均歩数
詳しくはブログを。
認知症からの回復ー兄のこと&知人のYさんのこと
http://blog.goo.ne.jp/・・・/e/20235b73c010bc11ebcb22a8f239ed90
兄は「体」の病気に勝てずに、2014年1月に亡くなりましたが、「脳は使わないとボケちゃうし、一生懸命歩くだけでもカムバックできる!俺のことをみんなに教えてあげてね」と言ってくれました。
「一緒に住んでいない」と もどかしがる友人に兄の話をしました。
そうしたら、ちゃんと実行してくれたのです!そのお知らせが飛び込んできたのです。
「毎日父に付き添いウォーキングができないので、『5000歩目標で歩いて!歩数を夜、報告して!返事するから!』と歩け歩け作戦を始めました。
真面目が取り柄の父は、携帯電話付属の歩数計で歩数を測り、写メを撮り、パソコンメールで送信報告してくれています。1万歩を超える日もあり、1000歩程度の日もあり。
歩数に添えられるミニ日記を通して、両親の暮らしぶりが把握できるという、娘にとって思わぬ副産物もありました」
こうして、また小ボケからのカムバック例が増えました。
しかも携帯メール遠隔操作術の!うれしいです。