脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

ここでも、認知症が進行中。

2018年04月14日 | 正常から認知症への移り変わり

久しぶりの友人とおしゃべりしました。
「元気なの?お変わりない?…・・・義父がちょっと…肺気腫で入院してたんですけども、そちらは落ち着いてきたんですが、何しろ一人暮らしですから。毎日誰かが必ず行ってあげなくてはいけなくて。ちょっとみんな疲れ始めてます」
大きなデコポン!500グラムありました。

「ちょっと待って。皆さんが疲れ始めてるって言うことは、ボケも絡んでるはずよ」
「そうなんです。記憶が全くダメ。でもそれよりもっと大変なのは、判断力がないことや先のことを考えられないことだと思います」

「記憶がだめなんです」と家族が訴えるときに注意しなくてはいけないのは、前頭葉がきちんと働いているかどうかの確認です。つい最近も書きました。

認知症専門医の方々 側頭葉性健忘にも気をつけてください

この時を振り返ってみます。
病院の方たちを始めみんな「認知症」というのに、一番近い家族である友人が「どこか違う。たしかに記憶の問題はあるけど、本質的なところは元の父そのもの」と感じていたのです。
でも今日の話は、状況判断力や見通しがないとまさに「前頭葉がうまく働いていない」ことが大問題だといってますから、普通の認知症(アルツハイマー型認知症)と考えて問題ないと思います。

次にどの程度のレベルか、探っていかなくてはいけません。この作業をする時に家族の方から思わぬ抵抗を感じることがよくあります。様々な訴えがあっても、どこかでは「ボケていない」と思いたい複雑な家族の心情に触れるのです。
実は今日、もう一人の友人からも電話がありました。
「だって、ほんとにしっかりしたことを言うのよ、とってもボケてるとは思えない」
「そうね。お話はね。でも、本当に状況が理解できていたらそういうことは言わないという見方はできないかしら?それからやってることはどう?」2013年にこんな記事を書いています。このおばあさんのその後です。

小ボケの症状2

この時から5年たってます。この時小ボケですから、今はもう大ボケに入ってもおかしくはないタイミングです。このおばあさんはとてもよく働く方ですから(つまり、ボーと居眠りばかりするのではなく体は動かすタイプ)進行は遅めであったとしても、中ボケ下限は覚悟しなくてはいけないでしょう。
聞かされる症状から言っても、脳機能はかなり低下しています。

便通のコントロールがうまくいかないために、結構大変な事件がよく発生するというのです。
『悪いねえ』という発言をすることもあるのですが、だからと言って何かを工夫するとか、努力することは一切ない!変です。
一方で「お前だけに面倒を見てもらう訳にはいかないから、次女にも連絡しておくれ」と全く正常な発言(友人の弁)があるといいます。「電話しておくれ」と大騒ぎしてもつながらず、後につながったら「あんた、最近ちっとも顔ださないねえ」と普通の世間話の口調でやり取りしたそうです。
「顔を出さない」という会話は何もおかしくない訳ですが、「次女に面倒を見てもらう」という前提での大騒動は吹っ飛んでしまっているところがおかしい・・・

レベルを納得してもらうように説明するのですが、その時思いがけない抵抗にあいます。
「ディに行く前になると、めまいとか頭痛とか訴えるから、ついつい休ませてしまう」というので、「今の前頭葉機能では状況判断はできないのだから、おばあちゃんのために必要ならばその判断は家族がするべきよ。幼稚園のこども(中ボケレベル)が、自分の将来を考えて今の行動を決められるわけがない」ときつく言ってみても「でもねえ。ほんとに普通のことを、言う時は言うのよ」
「でも脈絡ないでしょ」と話は堂々巡りです。
そのケースに比べたら、最初の電話はシンプルでした。

友人が次男の嫁という立場であることで客観的に見ることができること、二段階方式をよく理解していることで、私たち二人の間に共通の物差しがあることが、話をシンプルにしてくれたのでしょう。
「肺気腫で入院したのは今年になってからでしたが、ほんとに死ぬかもしれないほどの状態でハラハラしました。でも病院が無理で、家族もよく行ったのですが早々に退院しました」
「ちょっと待って。病院に落ち着いていられないんだとしたら、ボケが絡んでる」という私の発言はここで出ました。
「肺気腫の方はだんだんに落ち着いてきて、入院前くらいにはなってるんですが、短期記憶ゼロ、判断力ゼロその他ハラハラすることばかり。
食事も一人では全然食べません。
きちんとした人ですから出来合いのおかずをそのままでしてもダメでお皿に盛りつけ直さないといけないんです。だから結局誰かが夕食の介助に行かなくてはいけません。とても一人で生活することはできないんですけど、それに自宅のすぐ近所に施設ができ、入所できる状態なんですけど、どうしてもいやと言い張る・・・」

「生活が変わるきっかけは?」
「3年前に義母がなくなったんですけど」
「それなら、まだ小ボケ?」
「いいえ。義母の時も正常な判断がもうできなくて、入院させるタイミングを逸してしまったんです。あの時も言い張って誰のいうことにも耳を傾けなかったのです」
「その時が小ボケだとしたら、それより2~3年前に何が起きたの?」
「腰痛が始まって、楽しみごとを全部やめてしまったことだと思います。強い立派なお父さんということで、家族のだれも面と向かって意見を言うことなんかは考えられなかったんです。それが今に至ってしまった原因です。
この状態でも『お父さんがそういうのだったら、家で生活させてあげなくては』という兄弟もいるくらいですから」
このやり取りの間、私は世の中の人はちょっと見る目を与えてあげると、認知症のことがよくわかるものだと感心していました。ところが、「私のいうことなんか、だれも全然聞いてくれません」これが結論というのです。
認知症のことをよく理解していて、今までの経過やこれからの見通しも持っているのに。悲しいことですね。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。