「見えにくい」と「聞こえにくい」は、どちらが認知症に悪い影響を及ぼすと思いますか?
私の臨床体験では、間違いなくその答は「聞こえにくい」です。
(今日の写真は近所の若い友人が育てているパッションフルーツ)
アルツハイマー型認知症は原因不明とされていますね。研究者たちはアミロイドβやタウ蛋白に標的を絞って、その原因究明にしのぎを削っていますが、私たちはもともとある脳の老化(残念!)が加速されたものと考えています。老化が加速されるのは、筋肉などと全く同じで「使わないと機能が落ちる=廃用性機能低下」のためなのです。
ところで、脳の老化が加速されてしまった状態なのですが、それが3年間くらいだと小ボケ、もう少し進んだ状態だと中ボケで、ここまでが回復可能です。多くの場合、6年以上も経ってしまうとセルフケアにも支障が出てくるような大ボケ状態になりますが、大切なことは世間ではこの辺りから、ようやく「認知症」と言われ始めるということです。つまりは手遅れ状態ということですね。
脳の老化が加速されているかどうかを、できるだけ早く見つけることが、認知症を回復させるには必須の条件ということになるのです!
さて、その老化が加速されている状態ですが、そのレベルは脳機能検査に見事に反映されます。つまり脳機能検査をすれば、脳の老化が加速されてきた期間がわかります。
「それまで感じていた生きがいを感じることができなくなって、ナイナイづくしの単調な生活」をしてきた期間と見事に一致するのですよ。ということは「何年か前」に、生活を変えざるを得なかった「きっかけ」があったということになりますね。
「ナイナイ尽くしの単調な生活」というのは、生きがいも趣味もなく、人との付き合いもなく、運動もせず、ひなが一日ただ時間を過ごすような生活です。脳の司令塔である前頭葉をベースに、脳全体の使い方が足りない生活…その先に待つのが脳の廃用性機能低下つまり小ボケ、中ボケ、大ボケへの道。
高齢者がどういうきっかけでナイナイづくしの生活に入っていったのかということを、私は臨床の中でたくさんの方から教えていただきました。
その中で私はまず、人は誰しも、何かの生きがいを感じながら生きていくものだということを学びました。世の中から評価を受けるような種類の生きがいもあるでしょうが、その人にとって「自分が、これがあるから生きていけると思えるだけの生きがい」だって、その人が生きていく原動力になるのだということを、多くの方々のお話を伺う中で改めて思い知らされました。
「きっかけ」の話は、こういう状況の中で聞いていくのです。脳機能のレベルに応じてナイナイづくしの生活が続いた期間が想定できますから、「〇〇年くらい前に生活が大きく変わるような出来事が起きましたよね。あなたが、それまでのあなたらしく生きられなくなってしまうような大変なことや寂しいことなんですよ」
人によっては「状況を判断して決断したり、発想をわかしたり、感動したりする前頭葉の出番がなくなってしまうような生活になってしまったのは、いつからのことですか?それは何がきっかけでしたか」という聞き方もします。
魔法のように、「そう言われると…」と様々なきっかけを語りはじめてくださいます。
「退職して、本当に何もすることがなかった」
「可愛がっていた孫が家を離れてしまった(進学や就職や結婚で)」
「病気や骨折がきっかけで、大事にしすぎた」
「おばあさんが亡くなってからです!」
「相続でゴタゴタが…」
「(自分や先生の体調不良、メンバーが集まらなくなって)趣味が続けられなくなった」などなど
その中で、「見えにくくなったことがきっかけ」と言われたことがありません。
「そういえば、その頃からほんとうに聞こえなくなったみたいなんです。もともと耳は遠くなっていたのですけど」この言葉は何度聞いたことでしょう。
そして特徴があって、一つは90歳間近や90歳を超えているような高齢の方に多かったことと、ほとんどが中ボケレベルであったことです。
小ボケレベルの方々は、自分の脳の働き方が以前とは違うという自覚がありますから、きっかけも自分で明らかにできます。
中ボケレベルになると、自覚がなくなって家庭生活にトラブルが出始めるので、家族は服薬や着衣や家事などの見守りが必須になってきます。もちろんその時には、本人にきっかけを説明できる能力がありませんから、家族から聞き取っていくことになります。
この項を書くにあたって、ちょっと考えてみました。
脳の老化加速に、なぜ視力障害がかかわらず、聴力障害がかかわるのでしょうか?
まず気が付くことは、見ることはやり直しがきく。見えないと自覚したり指摘されたら、何度でも見ることができます。眼鏡をかけたり近づいてみたり。
聞くことは過ぎてしまえば何も残らない。聞こえなければ、その刺激はなかったことと同じです。見えない時には、見えないことを自分で自覚できますが、聞こえない時には聞こえないことがわかりません。目に入らないところからの声かけには気づきません。
よく聞こえないので、適当に相槌を打ったりトンチンカンな受け答えをしたりしてしまいます。
聴力障害の程度が軽いと、聞こえないので聞き返しますよね?でもそれが度重なると聞き返すにもエネルギーがいるし、答える方の面倒さにも配慮できるレベルだと、聞き返すことをためらい出す。そのうちに、聞こえないことにしておく簡便さを選択する。人と対面していても、コミュニケーションをとることが面倒になる。結局一人で生活していることと同じ状態…
それでも、自分で満足できる生きがいを持っている人は?
そうです、脳は生きがいさえ感じることができれば老化を加速させないのですけど。コミュニケーションが取れない状態だと、なかなか難しいのです。
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