どう考えても、若年性認知症ということばが簡単に使われすぎています。
「若年性アルツハイマー病」は、本来的な用法から言えば、ドイツのアルツハイマー博士が提唱した「普通の暮らしをしているのに若くして発症する、進行が早い、解剖すると老人斑と神経原線維変化がみられる」アルツハイマー病(これは遺伝子異常によるものとわかってきました)のことを指します。
予後がとても悪いのです。カメラを向けることがはばかられるほど、進行が早くとても取材対象にはなりません。
何万人という認知症の方々を見てきた実感をまずお話しましょう。これは認知症の介護をしたことのある人には膝を打って納得してもらえることですが、認知症の始まりはだいたいこんなふうに気づかれています。
1.お年寄りが、
2.表情なく、ボーとしていたり居眠ったり。動作もモタモタしてきた。
3.しゃべることはまあ普通なのに、だんだん、おかしなことや困ることをするようになった。
もちろん、まだ徘徊も、夜中に騒ぐことも、家族がわからないことも、粗暴な行為も全然ないレベルです。
自作のサンキャッチャー。色を撮るのはとっても大変でした。
この頃よく見聞きする表現に「認知症の人の言葉に耳を傾けよう」とか「認知症の人が求めていること、いないこと」などがあります。
そして、テレビ番組でしっかり顔を出したうえで、「自分の言葉」で「自分の思い」を語ります。そういう番組で語られるその内容は私たちが聞いても「その通り!」と納得できるものばかりです。
「できないことがあっても、不便ですが不幸ではない」とか「できないことだけ手助けして、できることは見守ってください」とか。
認知症の介護をした方たちは、どう思ってこのような番組を見ているのでしょうか?
「うちのおばあさんとは、全然違う!」
「おじいさんは、とても思ったとおりにさせてあげられなかった」
「こんなに表情豊かに話せるなんて考えられない」
「見るからにボケてない!」
介護をしたことがなかったり、認知症の人を身近に見たことがない高齢の方たちはこのように思うのではないでしょうか?
「この人たちが認知症だとしたら、私なんかもっと何もできない。失敗もあるし物忘れなんかすごい。第一こんな状況で、質問に対してスムーズに答えられるなんてすばらしい。もしかしたら、私はもうボケ始めてるんじゃないかしら?」
とんでもないことです。
映画「アリスのままで」を見に行くときにも「すべての記憶を失う若年性アルツハイマー病と宣告されたら、あなたはどうしますかー?」というキャッチコピーに引っかかりました。
このコピーには、「アリスは(立派に)~した」という主張が、その裏に感じられませんか?
「若年性アルツハイマー病」になったら、自分の考えを吐露することもできず、私らしく生き続けることすら不可能なのです。
だから私は想像しました。これは「『若年性アルツハイマー病』ではなくて、よく間違えられる『側頭葉性健忘』に違いない」(最後にその差をまとめます)
ところが映画を見てみると、間違いなく「若年性アルツハイマー病」の設定でした。「映画「アリスのままで」ー若年性アルツハイマー病?」にも書いたように主演のジュリアン ムーアの出色の演技のせいもあり、アリスが困惑するありさまがとても上手に描写されていると感心した場面もたくさんありました。
細かく検討すると症状の推移や、症状の並列に多少無理があると思いましたが、映画はそれを補うほどの出来栄えでした。ただし、どうしても見過ごすことができないエピソードが挟み込まれていました。
生活が一人でできなくなっているにも拘わらず、聴衆の前で自分の内面を語り、みんなの感動をさそうという場面です。
これは、アリスが大学教授であるという設定を考慮しても、若年性アルツハイマー病の人にはとても無理なのです。
原作によれば、2003年9月に異常に気付き、2004年1月に若年性アルツハイマー病の診断、2004年の秋には隣家と自宅を間違えたり、娘がはっきりしなくなったり…
それなのに2005年3月に「認知症介護会議」でスピーチをする設定なのです!そしてその内容の深さと素晴らしさに聴衆はスタンディングオベーションをするのです。
側頭葉性健忘の人の場合には、本人は集中しなくてはいけないのでエネルギーは必要ですが、可能です。ただしこの人たちは見当識が正常です。新しいことが覚えられないにしても、目の前の人がだれか、ここはどこか、今はいつか(昼夜)がわかっています。生活が一人でできなくはないというところが決定的に違います。
原作が手に入ってわかりました。私がなんとなくドキュメンタリー、少なくとも「アリス」に相当するモデルがいると思いこんでいただけで、著者は神経内科医。患者さんたちの症状を組み合わせた「小説」だったことがわかりました。
それならばわかります。重度認知症になった主人公が、その内面の困惑と、それにもかかわらず将来を語るというシーンは小説や映画ならば不可欠でしょうから。
オーストラリアの有名なクリスティーン ブライデンさんの例もあります。彼女も政府高官というプロフェッショナルな女性でしたが46歳の若さでアルツハイマー病と診断され、その後「私は誰になっていくの―アルツハイマー病者から見た世界」を上梓し、この本が「認知症の人のことばを聞こう」の流れを生み出したといっても過言ではないでしょう。
世界中で、認知症者からの発言ということで感動的な講演をし続けてきました。ごく最近の様子ははっきりしませんが、それでも20年間近く「社会活動」を続けたのですよ!このような認知症ってありますか?
これを認知症と呼ぶことの意味を確認しなくてはいけませんね。私たちはこのようなタイプを「側頭葉性健忘」ときちんと区分けして考えます。
さあ、そろそろ「側頭葉性健忘」と「(若年性)アルツハイマー病」の違いをまとめておきましょう。
それはたった一点です。
記憶障害はあっても、前頭葉機能が働いているかどうか。これだけです。
前頭葉が働いている人たちは、若年性アルツハイマー病どころか、認知症でもなく側頭葉性健忘と呼ばれるべき人達です。
「認知症」であるためには、前頭葉機能が正常に働いていないという条件が不可欠!それが臨床からの絶対的な条件です。
アメリカのDSMⅣでは、認知症の筆頭に「記憶障害」があげられていますが。
前頭葉が正常に働かなくなるとその最初のころでさえ
1.お年寄りが、
2.表情なく、ボーとしていたり居眠ったり。動作もモタモタしてきた。
3.しゃべることはまあ普通なのに、だんだん、おかしなことや困ることをするようになった。先にあげたこのような状態に陥ります。
世の中の人達は、認知症の正体や症状の推移を良く知っているのです。
重度認知症の介護をした人たちは、介護を受けている人たちが決して聴衆の前でまとまった話ができないことを知っています。それどころか聴衆の前に出せないことすらわきまえています。
前頭葉機能がカギなのです。
前頭葉機能はその人らしさの源、脳の司令塔、状況を判断し行動を決定し遂行させる力、注意を集中させまた分配する力、発想をし計画を立てる力、創造力、洞察力…三頭立ての馬車の御者…とても一言では言い切れません。
興味がある方は、右欄カテゴリーの中から「前頭葉の働き」を読んでみてください。
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